©︎ Wolfgang Ennenbach / One Two Films
『1975年のケルン・コンサート』というタイトルで、キース・ジャレットの名盤を思い浮かべるジャズ・ファンは多いだろう。でも、そのコンサートを企画して実現させた17歳の少女の存在は、ほとんど知られていない。『1975年のケルン・コンサート』は、その少女をめぐる実話をもとにした物語だ。
73年のドイツ・ケルン。女子高生のヴェラ・ブランデスは、学校の授業よりもジャズに夢中だった。歯科医で厳格な父親は、そんなヴェラに口やかましく説教する。家庭で独裁者のように君臨する父親とヴァラは、ことあるごとに対立していた。
ある日、イギリスからやって来たサックス奏者、ロニー・スコットのライヴを観たヴェラは思い切ってロニーに声をかけた。ロニーに「ミュージシャンでは誰が好き?」と聞かれたヴェラは「ジョン・コルトレーン」と答え、ロニーのバンドは「ドラムがいまいち」と言ってのける。そんなヴェラの大胆さが気に入ったロニーは「私のドイツのライヴのブッキングをやってみないか?」とヴェラに持ちかける。その提案がヴェラの人生を変えた。
映画の前半は、恋人や友人、引きこもりの兄たちとチームを組んで、プロモーターの仕事を始めるヴェラの冒険が描かれる。やがて新聞に取り上げられるほど注目を集めるようになるヴェラ。第二次世界大戦中、ナチス政権によって禁じられていたジャズは、戦後の自由の象徴であり、ヴェラはジャズと自由を愛した。しかし、戦争で苦労した父親にはヴェラが無責任に見えて我慢できない。親子の対立が戦後のドイツ社会を浮かび上がらせる。
ヴェラを演じるマーラ・エムデは、新しい時代に向かって駆け出したくてたまらないヴェラをパワフルに演じていて、観客に向かって語りかけたりと映画のストーリーテラーとして活躍している。ヴェラは「74年。ラモーンズが結成され、ディスコが人気。でも、ベルリンではジャズが爆発してた」とカメラに語りかけると、ベルリンのジャズ・フェスティバルに向かう。そこでキース・ジャレットの演奏を初めて観て、衝撃を受けたヴェラはキースのケルン公演を企画する。当時、キースはマイルス・デイヴィスのバンドを離れてソロ活動を始めたばかり。しかも、即興演奏という精神的にも肉体的にも大変な試みに挑んでいた。映画の後半は、そんなキースを支えるマンフレート・アイヒャーも登場。キースとアイヒャーが車に乗ってドイツを回るロードムービーのような展開になる。
当時、アイヒャーはECMを立ち上げて、キースのファースト・ソロ・アルバム『Facing You』(72年)をリリースしたばかり。やがて2人は強い絆で結ばれ、キースが「何をどのように制作すべきか完全に把握している稀なプロデューサー」と発言するほどアイヒャーに信頼を寄せるようになるが、そんな友情の始まりが映画に描かれている。
ケルンへと向かう長いドライヴの途中、車中で朝を迎えたジャレットが夜明けの風景に耳を澄ますシーンには、キースというアーティストの繊細な感性だけではなく、静寂を大切にしたECMというレーベルの特徴も描いているようだ。
映画のクライマックスはケルンのオペラハウスで開催されるキースのコンサート。ヴェラはオペラハウスを借りるために大金を調達しなければいけない。オペラハウスが借りられるのは、オペラの公演が終わった後の23時からという遅い時間。果たして観客は集まるのか?
コンサート当日、ヴェラがオペラハウスに向かうと、そこに用意してあったのは調律がされていないうえにペダルが壊れたリハーサル用のピアノ。キースが指定したピアノをオペラハウスが用意することになっていたのに、どこを探しても見つからない。キースはこのピアノでは弾けないと言う。この最大にピンチにヴェラはどんな風に立ち向かうのか。そして、キースはどんな想いでコンサートに挑むのか。手に汗握る展開が待っている。
ECMから使用許可がおりなかったため、キースの曲は劇中には流れないが、監督のイド・フルクがヴェラ並みに知恵を働かせて、本作のサントラを担当したピアニスト/作曲家のステファン・ラスコーニに依頼。キースの演奏シーンでは、ラスコーニがキースをイメージして即興演奏した音源を使用していて、キースを演じたジョン・マガロも雰囲気たっぷりに熱演。フルクは伝説のライヴの舞台裏をテンポよく描き、劇中で音楽評論家がジャズの歴史を観客に向けて講義するなど、ジャズへのリスペクトもしっかりと伝わってくる。
また、本作はロック好きにも興味ん深い作品だ。ケルンで結成されたカンやフロー・デ・ケルン。さらにはノイ!など、ドイツの実験的なロック・バンド=クラウト・ロックの曲が使用されているのも注目したいところ。英米のロックとは違う独自のサウンドを生み出し、イギリスのパンク/ニュー・ウェイヴに大きな影響を与えたクラウト・ロックは、ジャズ以上に戦後のドイツを象徴する音楽だ。
プロモーターとして社会に踏み出したヴェラ。ソロ・ピアニストとして孤高の道を歩み始めたキース。それぞれ新しい世界に向かう2人の人生が交差する本作を観て、「即興」について考えた。ケルン・コンサートの相次ぐトラブルに途方にくれるヴェラに、彼女の兄が「即興でなんとかしろ!」とカツを入れるが、行き当たりばったりのヴェラの人生はまさに即興。かたや、即興という表現でジャズの可能性を探求するジャレット。性格も生い立ちもまったく違う2人が出会って生まれた名盤『ザ・ケルン・コンサート』(75年)は、ヴェラ・ブランデスとキース・ジャレットという即興の達人の奇跡の共演だったのかもしれない。
文/村尾泰郎
『1975年のケルン・コンサート』
2026年4月10日(金)より、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー
©︎ Wolfgang Ennenbach / One Two Films
配給:ザジフィルムズ
監督:イド・フルーク
製作:ソル・ボンディ
エクゼクティブ・プロデューサー:オーレン・ムーヴァーマン
出演:マラ・エムデ、ジョン・マガロ、マイケル・チャーナス、アレクサンダー・シェアー
2025年/ドイツ、ポーランド、ベルギー/ドイツ語・英語/116分/カラー/1.85:1/5.1ch 原題:KÖLN 75
字幕翻訳:石田泰子 字幕監修:ピーター・バラカン
