ARBAN

【大貫妙子 インタビュー】過去の名作が続々と再発─ でも「あのアルバムは穴に埋めたい…」

日本の女性シンガー・ソングライターの草分け的な存在として、世代を超えてリスペクトされる大貫妙子。最近では、国内外で日本のシティ・ポップが再評価され、1977年作のアルバム『SUNSHOWER(サンシャワー)』が人気を呼ぶなど、世代や国籍を超えた人々が彼女の音楽に心奪われるという状況。そんななか、87年から09年まで彼女が毎年続けてきたストリングス・カルテットとの共演コンサート「ピュア・アコースティック」が久しぶりに開催される。

そこで、コンサートや過去作について話を伺おうと向かったのは、東京都心にあるホテルの一室。インタビューが始まる直前、彼女は部屋の窓際に佇み「ずいぶん変わったね」と呟きながら、ビルが建ち並ぶ眼下の風景を眺めていた。その後ろ姿を観ていると、「蜃気楼の街」や「都会」といった、彼女が歌った曲のメロディーが浮かんでくる。これまで、どんな想いで曲を書き、歌ってきたのか。この日、大貫妙子が語った言葉は、青春時代に出会った永遠の恋人=音楽に向けた長いラヴレターのようだった。

待望の弦楽コンサートを再開

——3月に「ピュア・アコースティック」を開催しますね。

はい。久しぶりに。

——このコンサートは1987年から毎年続けてきた“ストリングス・カルテットとの共演”ですが、主要メンバーのひとり、ヴァイオリンの金子飛鳥さんが渡米した09年以来、開催が途切れていました。やはり金子さんの存在は大きいのでしょうか。

ストリングス・カルテットっていうのはチームワークがすごく大切なんです。どこで強弱をつけるのかとか、間(ま)とか。これまで同じメンバーでずっとやってきて、そのリーダーが飛鳥さんでしたから。お子さんも大きくなって自由に動けるようになったみたいだし。それで、だいぶ前から打診はしていたんですけど、彼女もツアーがあったりしてすごく忙しかったんです。

——コンサートの内容や選曲に変化はありますか。

とくには。これまで通りのことを。例えはどうかわかりませんが、お漬け物で“浅漬けと古漬け”ってあるでしょ? いま音楽をやっている若い子たちが“浅漬け”だとしたら、フレッシュだけど、お茶漬けにするには物足りない。ちょうど、私たちくらいの年代くらい漬かっているのが食べ頃なんじゃないかと思うんですよ(笑)。古漬けほど酸っぱくないし、浅漬けよりはしっかり漬かっている。

——なるほど。今回開催される「ピュア・アコースティック」は10年近く寝かせましたね。

音楽って、寝かせることも大事なんです。人は成長しますし経験も積むので。歌も演奏も変化する。どう変わるのかはうまく説明できないけど、音を出すとすぐわかるんです。その変化が。

——80年代当時、シンガー・ソングライターがストリングス・カルテットとライブをするのは珍しいことでしたが、やはり最初の頃は大変でした?

最初は抵抗あったんです。レコーディングでストリングスが参加してくれたことはあったけれど、ライブでやったことはなかったし。音楽って暗黙の了解で進行する部分が大きくて、同じフィールドでやってきた者同士であれば、言葉で説明しなくても伝わるところが多々ある。ところが、クラシックの人たちとは、そういう意思疎通が少し難しくて。『PURISSIMA(プリッシマ)』(注1)を出したあと、弦の人たちと30か所くらいのツアーをしましたが、やはり大変でした。

注1:1988年発表のアルバム『PURISSIMA』はストリングス・カルテットと本格的に共演した作品。その前年にストリングス・カルテットとの初共演ライヴ・アルバム『pure acoustic(ピュア・アコースティック)』がリリースされた。

ライブによって鍛えられる歌唱

——そんななか、長年「ピュア・アコースティック」を継続してきました。このことは、大貫さんの音楽にどのような影響を与えたのでしょうか。

いちばん大きかったのは、歌に対して丁寧になれたということですね。バンドの場合は、もともと声量がないのにある程度それを要求されるので。でも、弦のカルテットの場合は、決められたビートにのって歌うというより、全員の“間(ま)”とか呼吸が流れをつくるので、自分の“間”で歌うことができる。より丁寧にということですが。そこを鍛えられました。

——大貫さんにとって、ライブとは「自分を鍛えてくれるもの」?

はい、鍛えられます! 逆に言えばライブでしか鍛えられないということだと思います。ファンという存在は、愛情を持って見てくれる反面、正直ですからね。もちろんコンサートで手を抜くなんてことは一切ないですし、そんな余裕すらありませんが。おもしろくないというのが重なれば、来ていただけなくなりますし。ですから、少しでも“前のコンサートより良かった”と思ってもらえるものにしなきゃ。って、いつも思ってます。

——自分が歌いたいものより、お客さんが聴きたいものを考える。

アンテナは立てていますが。世の中の流れとか空気感には敏感でありたいと思っています、一応。音楽って、つくり始めてから発表するまでに2年はかかるんです。曲と歌詞で20個の仕事をしなくてはならないし、レコーディングに3か月くらい。世の中で流行っているものも3年後はすでに微妙に古くなる。音楽そのものが古くなるということではなく、そう感じるということですが。

で、今まではだいたい3年先を考えながら作って来ましたが。今はぼうっとしていると3年過ぎてしまう。自分の年齢や好きなサウンドや、人の望むもの。振り返って自分なら今、音楽に何を求めるだろう、とか。頭の上20センチくらいのところには、あるイメージがずっと浮かんではいるんですが…。

——そのイメージとういのは……

ひとことで言えば、安心して聴けるものですかね。現在、巷に流れてる音楽って、安心して聴いていられないんですよね、気になるところが多くて。あとは大切なものの存在ですかね。それが人とは限らないわけですが。例えば「あなたのことが大切です」と書けば簡単ですが、それを書かずにそれが伝わる言葉を見つけるのはなかなか。ふと思いついたことや気になった言葉はすぐにメモしてるんです。だから、家じゅう、紙きれだらけ(笑)。

——そうした走り書きが、楽曲や歌唱に反映されることもあるんですか?

そういうこともありますね。書き留めた言葉や感触はどんどん積み上がっていく。そのなかで忘れちゃうものも多いけど、(結果的に)残っていくものが“大事なもの”なんだろうなって思いますね。メロディーを作る時にまずピアノに向かうのですが、すぐには浮かんでこない。そうすると過去に書いたメロディーのアイディアのようなものが使われずに積み上がっている。それを引っ張り出して膨らませてみようとしたりしますが、結局面白くない。

という話を坂本(龍一)さんにしたら『僕もそうだったけれど、すべて捨てた』と言っていました。とっておくのはいじましい自分があるからだと思って、私も捨てました。そういえばこの前、NHKを観ていたら、タモリさんとIPS細胞でノーベル賞をとった山中(伸弥)教授が脳の話をしていて。すごく面白かった。人間って“何かを考えてる時”は閃かないで、ぼーっとしている時に閃くらしい。

——確かに。考えて必死で絞りだしたアイディアより、不意に閃いたアイディアの方がハッとさせられることが多い気がします。

今までたくさん曲を作ってきましたけれど、メロディーが浮かぶのって、4割くらいお風呂の中なの。お風呂に入って、温まってると電球がつくみたいにピカーッと(笑)。それで、色気のない話ですが、急いでバスタオルを身体に巻いて、部屋のなかを走り抜けてピアノまで行くんですけど、それを見た母に『何やってるの! 水浸しにして』って、何度言われたかわからない(笑)。だから、その番組を観て『やっぱりそうだよね!』と思いました。

40年後もフレッシュな過去作

——あの名曲の数々は、お風呂で生まれたんですね(笑)。そういえば近年、大貫さんの『SUNSHOWER』(1977年)が注目されています。90年代にはすでにクラブDJの間で話題になっていた作品ですけど、近年はCDやアナログ盤でも再発されて“シティ・ポップ”という文脈で、再々評価されています。

1977年発表のアルバム『SUNSHOWER』

シティ・ポップ!?   そうなんだ(笑)。どんな音楽をシティ・ポップって呼ぶの?

 ——サウンド的には、ロックやソウル、R&B、ジャズなどのいろんな要素を取り入れていて、都会的な洗練をまとったポップス……って感じでしょうか。実際『SUNSHOWER』は、フュージョン色が強いサウンドですが、当時そういう音楽をよく聴いていたんですか?

 あの時代、ああいう音楽が大ブームだったんです。周囲のミュージシャンたちも、そういう音楽に触発されていたし。ブレッカー・ブラザーズとかウェザー・リポート、マッコイ・タイナー、チック・コリア……他にもいろいろたくさん。

——彼らの音楽のどんなところに惹かれたんでしょうか。

ジャズ系のテクニックのあるミュージシャンが、ポップス寄りの音楽をやるわけだから、新鮮でかっこよかったんですよね。私もですが、坂本(龍一)さんやまわりのミュージシャンも“ああいうのをやりたい!”っていう気持ちが盛り上がって、その勢いで出来ちゃったアルバムが『SUNSHOWER』なんです。

——かなり短期間でのレコーディングだったとか。

20日間でやりました。ドラムをクリストファー・パーカー(注2)にお願いすることになって、彼がレコーディングできる時間が限られていたから。

注2:セッション・ドラマーで、フュージョン・バンドSTUFF(スタッフ)のメンバーでもあった。大貫の当時のマネージャーが、77年に来日していたSTUFFのコンサートを観て、パーカーに依頼することを決意した。

——クリストファーの存在が大きいアルバムなんですね。

彼はそういう音楽をやっているまさに当事者だったわけで。その本人が入ることがすごく重要。そうすることでサウンドの方向性は決まりますし。いい緊張感もあり。“負けないぞ!”って思ったかどうかはわかりませんが、すごく集中したレコーディングだった記憶があります。サウンドシティ(スタジオ)で録音したんですが、終わった最後にクリスがドラムブースの壁にサインして帰ったんですよね。何年か前にそのスタジオで録音したことがあって、サインのことを思い出して、まだある? ってたずねたら、もうないって言われてがっかりしたことがありましたけど。

過去のエピソードってよく聞かれますが、まったくと言っていいほど覚えていないんです。坂本さんには何枚もアルバムをアレンジしていただいているので、一緒のインタビューとかあるんですが『エピソードかぁ、なんかあったっけ?』と顔を見合わせて、沈黙ですね。お互い、今とその先のことしか興味がないんですね、きっと(笑)。

——お二人とも常に新しいことに挑戦されていますからね。『SUNSHOWER』のときもそうだったんでしょうね。アルバムを聴いていると「こういう音楽がやりたい」っていう熱気や喜びが伝わってきます。

いま聴くと『こんなに演奏が巧かったんだ!』ってびっくりする。みんな、まだ20代だったのにね。ただ、あの音楽が私に向いていたかどうかは、また別の話(笑)。

——ボーカル・スタイルがいつもと違いますね。かなり声を張っていて。

そうですね。歌のキーが高過ぎたのもいくつかありますね(笑)。それより曲のエンディングが異常に長い。歌はどこへ?(笑)。だから、このアルバムの話をするのは、ちょっと恥ずかしいっていうか……。自分が歌手じゃなかったら“全部インストゥルメンタルでも良かった”とさえ思う(笑)。演奏とリズムのかっこよさで聴かせる音楽でも良かった。メロディーを書くのは好きだけれど、歌詞を書いて歌わなくちゃいけない。でも、ああいうサウンドに日本語が乗るわけないんです。

——歌うのも大変だけど、歌詞を乗せるのも大変だった?

英語の発音って、次の言葉に繋がっているけど、基本的に日本語って〈あ・い・う・え・お〉っていうふうに音が全部切れて次に流れていかない。音符ひとつで「Love〜」って表現できるでしょ。音符3つで「I love you」。日本語だと音符3つで、わ た し、で終わりです。それで? っていうことになる。私はメロディーが先なので、いかに少ない言葉で伝えるかばかり考えている。大変です。

“自分を喜ばせてくれるもの”を大切に

——でも、『SUNSHOWER』の再評価は演奏面だけではなく、大貫さんの歌声とのコンビネーションが魅力なんだと思いますよ。

何と褒められようとも、ほんとお恥ずかしいです。もっと歌がましなアルバムも出してるのに。でも、きちんと作り込まれたアルバムは、聴く方からしたらつまらないのかもしれない。

——そんなことはないと思いますが、シティ・ポップの評価軸が、クラブ・シーンに端を発しているのも関係あるんでしょうね。だから、どうしてもグルーヴ重視になる。

そうですね。「都会」が人気あるって聞いて『えっ!?』って思いました。

——海外をはじめ、若い世代に再評価されていることについてはどう思いますか?

私がいつも行くヘアサロンがあるんですけど、そこに『大貫さんのアルバム、大好きなんですよ』って、私の昔のLPを買ってくれている20代の子たちがいるんです。『MIGNONNE(ミニヨン)』(1978年)とかもすごく好きなんですって。

私はあのアルバムは穴に埋めたいと思っていたんですけど(笑)。今度再発されるので、マスタリングをバーニー・グランドマン(注3)にお願いしたんです。とても良くなっていて、なんと! 普通に聴けました(笑)。で、シャンプーされながら『あのアルバムのどこがいいの!?』って尋ねるんだけど、『そんなこと、聞かないでくださいよ〜』とか言われちゃって(笑)。だから、なんで若い子たちが聴いてくれるのか、いまもよくわかっていないんです。

注3:オーディオ・マスタリングエンジニア。米音楽レーベルA&Mやコンテンポラリーのマスタリング部門を経て「バーニー・グランドマン・マスタリング」創設。これまで数多くのグラミー賞ノミネート作を担当し、松任谷由実など日本人アーティスト作品も手がけている。

1978年発表のアルバム『MIGNONNE』

——ヘアサロンではリサーチできなかった(笑)。

ただ、いまの世の中って、ダンスがついてる曲とかそういうの多いですよね? 私たちの世代が聴いていたような、60年代洋楽のポップスや70年代シンガー・ソングライターが作ってきた流れのようなものは少ないですよね。様式だけ真似をしても自分のものになるには、時間がかかりますから。

昔は私たちも好きなものはまずコピーから始めるのが普通でしたし。こんなに様々な音楽がすぐ手に入る時代ではなかったので、擦り切れるほど聴き込んでいました。80年代に入って、そういう音楽にレコード会社は商業価値を見出したということでしょうか。ちょうど日本も経済成長が盛んになり始めた時で、今では考えられない制作費が出ましたから。

——70年代から80年代に至るその10年が、日本のポップス・シーンの黎明期ともいえますね。

いまは10年も待ってくれません。アーティストを育てるっていう気持ちも余裕もないんだと思います。まだ日本にシティポップス? なんてなかった時代ですから、音楽制作のスタッフもミュージシャンも模索しながら育っていったんですよね。でも、出てくる人はやっぱりいるわけで、現在も。

いいなと思うバンドはあります。大切なのはコアを掴んでることだと思うんですよね。スタイルじゃなくて。売れることとは関係なく『こういう音楽をやりたい!』っていう強い気持ち。昔はみんなそうでした。『MIGNONNE』というアルバムでRVCレコードと契約した時、社長室で社長さんに『ひとつ、売れるアルバムを!お願いします』と言われてキョトンとなってしまったことを覚えています。そんなこと考えたこともなかったので(笑)。本当に好きなことじゃないと続けることってできない。だから、そういうものを見つけて欲しいです、音楽に限らず。

——一生かけて好きでいられるものを。

本当に好きだったら、大金持ちにならなくても楽しいでしょ? いつも自分を喜ばせてくれるものって絶対何かあると思うから。いまも(音楽シーンで)活躍中の人は、みんなそう。その筆頭が坂本さんであり、山下(達郎)君。もう、起きてから寝るまで、ずっと音楽の話をしてました。誰かが新しいレコードを買って来たら、みんなで聴いて『いいね! かっこいい』って毎日話してた。とくにシュガーベイブを始める前くらいから『SUNSHOWER』の頃までは音楽漬け。『お金がないって、こういうことなんだ…』っていうくらいお金はなかったけど(笑)。

——だから、みんなでアルバムを回し聴きしてたわけですね。そうすることで音楽の幅も広がっていく。

そう。中古レコード屋さんに行って、手が真っ黒になるまでレコードを探してました。欲しいのが何十枚も見つかるんですけど、2枚くらいしか買えない。山下君はもう少し買ってましたけど。山積みのレコードのなかから、どれを買うかで悩みに悩んで……そういうことをずっと。お金はなかったけど、毎日ワクワクしてたんです。

マリオカートで体調回復!?

——そういう音楽漬けの生活から絞り出した一滴だから、一枚のアルバムにいろんな音楽が詰まっているんですね。

『SUNSHOWER』に参加しているミュージシャンは、みんなそういうふうに音楽を聴いてきた人なので、引き出しがすごく多くて。自分のアルバムではやらないようなものも、よく知ってるんです。“あの曲みたいな感じで”って言われると“こんな感じ?”ってすぐにできる。引き出しの多さが半端じゃない。

——いま、シティ・ポップとして再評価されている音楽って、そういう引き出しの多さが魅力なんだと思います。

当時からひとつのジャンルしか聴かない、ということはなかったですね。音楽がどんどん変わっていく時代でもあったし。やっぱり、たくさん聴かないとダメ。

——今もいろいろ聴いていますか?

最近は昔みたいには聴いてないですね。時々、ハマって同じ曲をずっと聴いていたりしますね。1か月くらいずっとそればかり。長いレコーディングが終ったあとは、テレビゲームとかしてますね。それが私のリフレッシュ。ゲーマー(笑)。マリオシリーズは必ず買いますね。最近は〈ゼノブレイド2〉とか。任天堂が出しているソフトしかしませんけど。ゲームのストーリーってよくできているんですよね。泣いちゃうこともあるくらい。

——大貫さんがゲームで泣いている!?

泣くっていうより、うるっとしちゃう(笑)。主人公のセリフに “ホント、その通りよね…”とか思っちゃって。レコーディングで、一日中、スタジオで音を聴いていると、帰って夜眠れないんですよね。ずっと耳鳴りのようにグルグル音が鳴り続けて。でも、クールダウンとかでお酒とか呑むと体を壊しちゃうのでゲームをする。ファミコンの時代からそれが癖になって。

でも暇な時はしないんです。仕事で集中した後に、全然関係ないことに集中すると頭が切り替わる。変わってますか? でもきっと分かる人はいると思います(笑)。あと、お正月によく熱を出すんですよ。自浄作用というか、高熱を出して前年の悪い細胞とかを全部やっつけちゃう。

——そんな強力な免疫システムがあるんですか…。

それで、熱が上がる前に、目が開けられないくらい頭痛がするんです。もう痛くて痛くて。でも、薬は一切飲まないので、25歳の時から。『では、マリオカートでもやるか!』って。それで1時間くらい猛スピードでマリオを走らせていたら、あれ? 頭痛が消えてる。別のことに集中すると大丈夫なんですよね(笑)でも、真似しないでくださいね。

——真似できないですよ(笑)。それにしても、すごい集中力。そういうタフさも音楽を続けてこれた理由なんでしょうね。最後に、久しぶりの「ピュア・アコースティック」に向けて、いまの気持ちを聞かせてください。

いちばん楽しみにしてるのは、私です。もう、やりたくて仕方なかった。金子さんが戻って来てくれて、チェロだけ別の方になりますが、他は以前と同じメンバーでできることがほんとに嬉しい。そういう気持ちが伝わるコンサートになると思うので、ぜひ、いらしてください。

【PROFILE】大貫妙子/おおぬきたえこ
1953年生まれ東京出身の女性シンガーソングライター。1973年に山下達郎らとシュガーベイブを結成し、1975年に名盤「SONGS」をリリース。バンド解散を経て、1976年にアルバム「グレイ・スカイズ」でソロデビューを果たす。日本のポップミュージックにおける女性シンガーソングライターの草分け的存在として世代を超えリスペクトされ、これまでに25枚以上のオリジナルアルバムを発表。代表作として坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏らが参加した「ロマンティーク」「クリシェ」や、小林武史が参加した「DRAWING」などがある。また、CM・映画音楽に携わることも多く、映画「Shall weダンス?」のメインテーマや「東京日和」の音楽プロデュースも手がける。

ARBANオリジナルサイトへ
モバイルバージョンを終了