【証言で綴る日本のジャズ】森山威男/第3話 山下洋輔トリオにすべてを捧げた日々

文/小川隆夫

2018.05.10

森山威男 第3話

 ジャズ・ジャーナリストの小川隆夫が“日本のジャズシーンを支えた偉人たち”を追うインタビュー・シリーズ。今回登場する“証言者”はドラマーの森山威男。東京藝術大学在籍中から山下洋輔トリオの一員として演奏活動を始め、3度の欧州ツアーに参加。自身のカルテット結成(1977年)後もドイツやイタリアでのツアーを敢行するなど国内外で精力的に活動。近年は国内ツアーで演奏する傍ら、居住地(岐阜県)で毎年公演を行うなど地元の文化活動にも力をいれている。

前話のあらすじ】
東京藝術大学音楽学部器楽科に入学した森山は、在学中にたびたび日本フィルハーモニー交響楽団にエキストラ参加するなど、次第にその実力が認められていった。大学4年時、ついに日フィルから正式加入の声が掛かるも、これを固辞し大学にも退学届を提出。その一方で、山下洋輔らと交流を持ち、ジャズの世界へと飛び込んでいった。

 

ジャズを演奏し始めたころ

——山下さんの演奏は、一緒にやる前からどこかの店で聴いていたんですか?

大学生のときに「渡辺貞夫(as)を聴きに行こう」と誘われて行った銀座のジャズ・クラブでピアノを弾いていたのが山下さん。そのときに、演奏に一生懸命なものが感じられたんで、「将来、一緒にやりたい」と思いました。

——67年に山下さんと2、3回やって、山下さんが戻ってきたのが69年。その間はなにをされていたんですか?

さっき話した学生バンドで週に2回くらいはやっていたかな? 渋谷の「オスカー」とか、銀座の店とか、池袋の「JUN Club」とかで。つのだ☆ひろ(ds)もいました。みんなと練習をして、「4ビートってこういうものか」とか、曲もたくさん覚えました。藝大の仲間では、助けてくれたのが一年下の加古隆(p)と中川昌三(fl)。このふたりもジャズ志向だったので、グループを作って週に1回は練習をしていました。

——これは練習だけ?

グループでどこかに出たことはなかったです。加古はしばらくしたらフランスに行っちゃいましたしね(注6)。

——このふたりはすでにプロでやっていた?

プロでやってたかは微妙なところで、加古も「ジャズなんてやっても食っていけない」と悩んでいました。それでフランスに行ったんです。「森山さん、どうしてもやるなら、渡辺貞夫さんのバンドとかの有名なところに入らないと。山下洋輔とやったってぜんぜんダメだよ」(笑)。

——60年代の終わりごろは、日本のジャズにもだんだんとオリジナリティが出てきました。さっき名前の出た川崎さんとか増尾さんとか、若いひとが中心になってそういうことをやり始めた。最初から森山さんはコピーなんかしなかったと思いますが、自分たち独自の音楽をやろうという意識はあったんですか?

ジャズを始めた最初の時期でしたから、そんなになかったです。いちおうタイコは叩けるというだけで。「チンチキ、チンチキ」で、バス・ドラムなんて「1、2、3、4、ドン、ドン、ドン、ドン」だから、ジャズもなにもないですよ。「ウラで踏むんだ」なんていわれてね。そんなことをやり始めたときでしたから、スタンダードの曲をとにかく聴いて、ジャズのいろいろをたくさん仕入れました。それが、山下洋輔が戻ってくるまでの、溜めの期間みたいなものです。

——山下さんが戻ってきて、69年2月1日にデュオでフリー・ジャズを演奏した記録があるんですが、覚えていますか?

最初に「ピットイン」でやったのは覚えています。お客さんがいないときです。

——ライヴではなく、リハーサルみたいな形で?

そうです。「いきなりフリーでやってもしょうがないから、〈バイ・バイ・ブラックバード〉をやろう」。それで山下さんが弾き始める。いちおうは自分なりの〈バイ・バイ・ブラックバード〉と思いながらも、こっちはお構いなしで、「チンチキチンチキなんてやるもんか」と思ってやってました。

——アメリカやヨーロッパではフリー・ジャズがずいぶん一般的になっていましたけど。

聴いたことはありません。

——まったく自己流というか、自分のイメージでフリーにやった。

山下さんから「たまにはセシル・テイラーでも聴いてみたら?」ともいわれたけれど、聴かなかった。ミルフォード・グレイヴス(ds)なんかも勧められたけれど、観たことも聴いたこともない。

——まったくの森山流ドラミングで。

聴くのはコルトレーンのグループぐらいでした。ドラムスを叩くのが好きで、ジャズが好きだったのかどうかもわからない。

——たまたまジャズという音楽があって、そのドラミングがよくて。クラシックの打楽器はやりたくなかった、ということですか。

気持ちを小さくさせられるのが嫌なんです。座っているときも音を立てちゃいけない。服装だって、クリクリ坊主みたいに短い髪の毛なのに燕尾服を着て、少年みたいで似合うわけがない(笑)。ああいうこと全体が、自分の育ってきた環境とあまりにも違うので、よく日フィルが使ってくれたと思います。

——ロックをやろうとは思わなかった?

思わなかったです。どうしてだろう? いま考えると、あの勢いとアクセントの入れ方はジャズよりロックだったんじゃないかという感じでやってました。

——でも、ロックのバンドに入る気はなかった。

聴いたこともなかった。そのころにそういうものを聴いて触発されていたら、ロックにいってたかもしれない。

——ジャズもそうですけど、出会いですね。

そうです。

——その昔、山下洋輔トリオを新宿の「ピットイン」で聴いて、そのときに森山さんをお見かけしたわけですけど、いかつくて怖い感じでした。

あのころはわざとそうしていたんです。ですから終わってからも、楽屋で山下洋輔と「やあ、やあ」なんて、ニコニコ笑ってたなんてことはいっさいありません。山下洋輔も、わたしには話しかけにくかったと思います。

——それでも、山下さんとは演奏のない日も毎日のように会って。

現場を離れてお酒が入ると、根っから楽しいことが好きなんでひとが変わっちゃう。終わってみんなでドンチャン騒ぎをするときに、たいてい火付け役というか、いろんな芸をやる最初がわたしでした。いまでもそうですけど、お笑いはドラムスの次に好きなくらいで。家ではジャズは聴かないで、お笑いのテレビを観たり、落語を聞いたり。

山下洋輔トリオで独自のドラミングに開眼

——それで山下さんのトリオですけど、最初はぜんぜんお客さんが来なくて。

2、3人しかいませんでした。

——出ていたのは主に「ピットイン」?

新宿の「ピットイン」「タロー」、渋谷の「オスカー」あたりは週に1回やってました。

——〈グガン〉や〈木喰(もくじき)〉(注7)はまだやっていない。

そこにいたる前だから、もっと荒削りでした。そういうちゃんとした曲もなくて、「〈朝日のようにさわやかに〉をやろう」といって、〈朝日のようにさわやかに〉みたいな曲のソロの延長のような感じで。だから、聴きにくかったとは思います。

——試行錯誤をしながらトリオのスタイルができてくる。

そのスタイルを作っていったのが、ある意味でドラムスの役割でした。「4ビートでなくていい、ジャズでなくていいならオレに任せておけ」。どこかで思い切って、そういうふうに切り替わって。それで山下さんと話したら、「森山のドラムスが生き生きしていないグループは面白くない」「森山がやりたいようにやるべきだ。オレたちはそれについていくから」。

そういう話をして、意気揚々と思い切ったフリー・ジャズにいきました。きっかけさえあればいい。曲ではなくて、「タラッタラー」といったら始まる。その覚悟を決めてからは、面白がってくださる方がチラホラと増えてきて。満員になるようになったのは、筒井康隆(注8)さんとか、ああいう文化人が友だちを連れて来てくれるようになってから。

——それはスタートしてどのくらいで?

満員まではいかないけれど、それが半年目ぐらいのときだったと思います。1年経ったら満員になりました。

——日本ではフリー・ジャズをやってるひとがまだあまりいなかったから、山下洋輔トリオはマスコミに取り上げられることが多かった。

よく覚えていないけど、『11PM』(注9)にも出ましたし、雑誌の取材も多かったです。でも、どうなんでしょう? 自分はそういうこと、意に介していなかったです。

——山下洋輔トリオにいたときは、ほかのバンドで演奏はしていない?

操を立てた感じで、してないです。だから、山下洋輔がトリオ以外で演奏するときはものすごく嫉妬しました。

——山下さんが話してくれたことですけど、ソロ・ピアノのコンサート(注10)をしたときに「メンバーに申し訳ない」と思いながらやったと。

やっぱりそうですか。新宿「タロー」でやってるときに、都はるみ(注11)の歌伴をしに行ったことがあって、そのときは怒りました(笑)。「ちょっと行って来ていい?」「どこ行くの?」。1曲くらいはやったと思うけど、本番中ですよ。どこからか電話で急に頼まれたらしくて、「フジテレビで伴奏をやりに行く」「1曲やったらすぐに帰ってくるから、中村誠一とデュエットでもたせてくれ」。あとで「なにしに行ったの?」と聞いたら、「都はるみの歌伴に行ってた」。

そのとき以外、そういうことはなかったです。逆にわたしが頼まれて行ったのが、富樫雅彦(ds)さんが事故に遭ったときに、宮沢昭(ts)さんが佐藤允彦(p)さんとやった『木曽』(日本ビクター)(注12)というレコーディング。スタジオも押さえて、ぜんぶ予定が決まっていたのに、ダメになったものだから、「誰か代役を」ということで、なんの前触れもなく頼まれて。

——山下洋輔トリオに入って、演奏して、徐々にあちらこちらから注目を浴びるようになりました。でも、山下さんとは音楽の話はしなかった。

ほぼしなかった。自宅で後輩を集めて理論的なことを教えているようなことは聞いたし、誘われたけれど、行かなかった。関心がなかったし。

——それはトリオを始めたあと?

始めたあと。相倉久人(注13)さんとなにか話をしたりね。ああいうのにも「来るように」といわれたけど、関心がなかったです。

——相倉さんから「こういうのを聴きなさい」とかもなかった?

いっさいなかったです。みんな、「いってもダメだ」と思ってたんじゃないですか?

——トリオを始めるにあたって、山下さんから「こういう感じでやりたい」とかの話もなかった?

「もっとこうやろう」とか、「ドラムスはこうやってくれ」とか、そういう注文はいっさいなかったです。山下さんが「こういう曲をやりたい」というときは譜面にして、それを練習することはありました。「カッカ、カッカ、カッカカ」、これは〈キアズマ〉(注14)ですけど、そういうところはキチンとした譜面になっていて、そこは合わせる。そこだけは覚えますけど、あとはどうでも構わない。

そういう仕方で教育しようとしていたのかもしれないけど、わたしは「わが道を行く」ですから。山下さんは「どうせ森山は従わないから、自分が従わなくちゃしょうがない」と思っていたんじゃないですか? そういう話もとくにはしなかったけど。だから「次はどうやるの?」とか、山下さんから聞かれたことはあります。「ドラムスがパーンとやったら、次は必ずスコーンといくから、そこは合わせて」とか、わたしからそういう指示は出していました。

 

第4話(5月17日掲載予定)に続く

 

注6)71年7月フランス政府給費留学生として渡仏し、パリ国立高等音楽院でオリヴィエ・メシアンに作曲を学ぶ。
注7)どちらも初期山下洋輔トリオの代表的なレパートリー。〈グガン〉はトリオによるスタジオ公式録音1作目『ミナのセカンド・テーマ』(日本ビクター)に収録。メンバー=山下洋輔(p) 中村誠一(ts) 森山威男(ds) 69年10月14日録音。
〈木喰〉は同2作目『木喰』(日本ビクター)に収録。メンバー=山下洋輔(p) 中村誠一(ts, ss) 森山威男(ds) 70年1月14日 東京で録音。トリオによる公式初録音盤は69年9月21日に東京「サンケイホール」でライヴ録音された『コンサート・イン・ニュー・ジャズ』(テイチク)
注8)筒井康隆(小説家 1934年~)65年処女作品集『東海道戦争』刊行。81年『虚人たち』で「第9回泉鏡花文学賞」、87年『夢の木坂分岐点』で「第23回谷崎潤一郎賞」、89年『ヨッパ谷への降下』で「第16回川端康成文学賞」、92年『朝のガスパール』で「第12回日本SF大賞」など、数々の賞を受賞。96年、3年3か月におよぶ断筆を解除。現在も精力的に執筆活動を継続中。
注9)日本テレビとよみうりテレビ(現在の読売テレビ)の交互制作で65~90年まで放送された日本初の深夜ワイドショー。前者は大橋巨泉、愛川欽也、後者は藤本義一が主に司会を担当。
注10)74年3月18日、東京赤坂「日本都市センターホール」(96年に閉館)で行なった初のソロ・ピアノ・コンサートで、このときの演奏は『山下洋輔/ヨースケ・アローン』(ベルウッド)で聴ける。
注11)都はるみ(歌手 1948年~)64年〈困るのことヨ〉でデビュー。同年〈アンコ椿は恋の花〉で「第6回日本レコード大賞〈新人賞〉」獲得。84年「普通のおばさんになりたい」と引退するも、90年にカムバック。
注12)メンバー=宮沢昭(ts, fl) 佐藤允彦(p) 荒川康男(b) 森山威男(ds) 70年3月17日 東京で録音
注13)相倉久人(音楽評論家 1931~2015年)【『第1集』の証言者】東京大学在学中から執筆開始。60年代は「銀巴里」や「ピットイン」、外タレ・コンサートの司会、山下洋輔との交流などで知られる。70年代以降はロック評論家に転ずるも、晩年はジャズの現場に戻り健筆を振るった。
注14)『山下洋輔/キアズマ』(MPS)に収録。メンバー=山下洋輔(p) 坂田明(as) 森山威男(ds) 75年6月6日 ドイツ「ハイデルベルグ・ジャズ・フェスティヴァル」でライヴ録音

 

森山威男 著
『スイングの核心』

森山威男みずからが語る、音楽家人生。ドラムを実演しながらテクニックなどを解説したDVDも付属。
http://www.ymm.co.jp/p/detail.php?code=GTB01091164

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