2018.05.24

【証言で綴る日本のジャズ】森山威男/第5話(最終話)「言いたいことがあるなら音楽で言えばいい。音楽をやっているのだから」

文/小川隆夫

森山威男/第5話(最終話)

 ジャズ・ジャーナリストの小川隆夫が“日本のジャズシーンを支えた偉人たち”を追うインタビュー・シリーズ。今回登場する“証言者”はドラマーの森山威男。東京藝術大学在籍中から山下洋輔トリオの一員として演奏活動を始め、3度の欧州ツアーに参加。自身のカルテット結成(1977年)後もドイツやイタリアでのツアーを敢行するなど国内外で精力的に活動。近年は国内ツアーで演奏する傍ら、居住地(岐阜県)で毎年公演を行うなど地元の文化活動にも力をいれている。

前話のあらすじ】
山下洋輔トリオの一員として活動を開始した森山はヨーロッパ・ツアーに参加。現地で喝采を浴び、海外での知名度も上昇する。さらに国内でもロックフェスやフォークコンサートにまで招聘され、その実力は広く認められていった。そんな日々のなか、森山は思うところあって山下洋輔トリオを離脱。すべてをリセットし、演奏者としての新たな道を歩み始めた。

自己のグループを結成

——辞められて、77年に自分のバンドを作りますけど、その間の2年間はなにをされていたんですか?

いくらかお金があったので、それで暮らしてました。とくになにも仕事はしなかった。

——自分のバンドを作ろうとなったのは、どういう気持ちから?

作ったんじゃないんです。ちょっとでも収入がほしかったので、西荻(西荻窪)の「アケタの店」、あそこがうちの近所にあって、昼間は空いている。「教えてくれ」という電話がいろいろかかってきたんで、「ちょうどいいな」と思って、アケタ(オーナーでピアニストの明田川荘之の愛称)に相談したら、「ぜひ、使ってください」。代わりに、月に1回だったか週に1回だったか、「アケタの店でやってくれ」。メンバーはアケタのほうで選んでくれて、それで板橋文夫(p)とか。

——メンバーはお店の常連ですものね。最初は板橋さんのほかに、サックスの高橋和己さんとベースの望月英明さん。

そうです。だから、最初はあそこでしかやってなかった。そうしたら、「ピットイン」が聞きつけて「やってくれ」。で、また「ピットイン」に出るようになったんです。そのころは、「山下洋輔トリオみたいなドラミングをなぜやらない?」と聞かれたこともあるけど、あれは山下洋輔とやるためのドラミングであって、ほかのひとには通じない。板橋を連れてきてあの通りにやったって、板橋のいいところが出るわけない。

——自分が選んだメンバーでバンドを作って活動しようという思いはなかった?

少しずつ、少しずつ、いわれるままにやっていたら、ああなったということです。

——このメンバーだったら4ビートのほうがいいだろうと。

そうですね。やっていたら、そのうち板橋が「ソロ活動をしたい。ひとり旅をやる」というんで、「じゃあバイ・バイ」。「いなきゃいないでいいや」って、ピアノのいないグループ(注18)を作って。そんなことで、目的があって作ったわけじゃないです。

だから板橋とやりながらも、板橋がどう出るか、フリーっぽくやったこともあります。でも、ついてこなければやっても意味がない。たとえば〈グッドバイ〉。いまでも綺麗なメロディの中にいきなりワイヤー・ブラシでバンバンにソロをやりますけど、ああいうのがいい例です。それだったら、わたしも思い切ったことができる。普通の速い曲で、互いにやり合ったらいい音楽にならない。取り決めて、話し合って作るんじゃなくて、やっている間に方向性が決まってくるんです。

——レパートリーの〈グッドバイ〉や〈ハッシャバイ〉はメロディが綺麗じゃないですか。でも、先ほどは「綺麗な曲はあまり好きじゃない」とおっしゃっていたけど。

メロディは綺麗なのが好きで、演奏には正反対のものが入ってくる。そういうのが好きなんです。綺麗なものをみんなで「綺麗でしょ」というのは嫌です。

——病気で一時活動を中断しますよね(85年から88年までと2016年から2017年)。

大病をしましてね。舌がん、その次に肺の病気になって、そのときに「今夜がヤマです」といわれて。そのあとに背骨の手術をして、翌年が、昨年(2017年)ですけど、その痕に膿が溜まって、その摘出をして、このときは半年休みました。

——ドラムスを叩く上で、いまは大丈夫ですか?

叩けてますね(笑)。ただ、「叩けてる」と自分で意識しているだけで、ひとが聴くと「ダメになったなあ」と、きっと思うでしょうけど。

——自分の意識の中では普通に叩けている。

ほんとのことをいうと、フラフラするから、ちょっとダメです。半年の間で、3か月入院して、残り3か月でリハビリをやりながら運動もしましたけど、筋力がウンと落ちてしまいましたから。

——森山さんは、自分でどんなドラマーだと思っていますか?

わたしのいいところは正直なところですか? カッコをつけて、「自分をこう見せよう」というのがない。よかろうと悪かろうと、常に自分を見せてるつもりです。嫌いなひとはきっとそうとう嫌いなんでしょう。あとは、やっぱりわがままですね。目で見て聞いたことしか信じないところがあります。

——さっきもおっしゃっていたけど、ひと前でやるのが好きで、観てもらうのが好き。それこそ山下洋輔トリオの後半の何年間かはすごく大きな会場でやって、最高に気持ちがよかったんじゃないですか?

そうですね。大学巡りも山下洋輔トリオが始めて、どこの大学でもいっぱいひとが入りましたし。

——山下さんから、もしくはトリオから学んだいちばん大きなことは?

ひとのいいところの芽を摘まないことです。自分の思う音楽にしようと思うと、必ずひとの芽を摘んでいるんです。自分と同じに、なんてひとはいないから。せっかくいいものを持っているのに、自分のやりたいほうにやらせようとする。クラシックもそうですけど、もっと自由に、おおらかにどうしてやれないのかなあ?

——森山さんはそういうふうにしてやってこられた。

だから恨みに思っているひとも大勢いるでしょうね(笑)。ぶち壊しが多くて。でも、わざとやってるわけじゃないし、間違ったことはやってこなかったと思います。

——常に自然体ですよね。

そうですね。板橋からもいわれました。「森山さん、どういうふうにやりたいのか、自分の考えをもっとバンドのメンバーにいってくれ。そうじゃないとオレたちやりようがないから」。絶対、いいませんでしたけど。卑怯ですけど、努力することが嫌いなんです(笑)。

——森山さんの中では、これが普通。

そうですね。いいたいことがあるなら、音楽をやっているんだから、その中でいえばいいのに、終わってからネチネチいうのはすごく嫌です。

——これからやりたいことは?

若いときの体になってみたい(笑)。

ドラマーとしての信念

——振り返ってみると、自分で納得できる音楽活動をしてきた。

いまの若いひとは可哀想です。わたしらの時代にはあんなことができたのに、いまはたぶんできない。キチンと譜面を出さなきゃダメだし、短時間で曲を覚えて、サッとできないと使ってもらえない。

——山下洋輔トリオは特殊だったかもしれませんが、あの時代はメンバーを固定したバンドがたくさんありました。それこそ森山さんもよそではやらなかったというぐらいだから。いまはセッションというか、仕事、仕事で、毎日違うメンバーとやるようになったでしょ。

山下洋輔トリオができる直前まではけっこう入り乱れてやっていたんですよ。それが、ちょうど山下洋輔トリオができたあたりで、たとえば日野皓正クインテットとか渡辺貞夫カルテットとかができて、みんな人気が出てきた。それがだんだん崩れてきて、いまはいろいろ動いている。グループで固められちゃうと、若いひとは入っていきようがない。わたしは叩けもしないのに、「もし富樫さんが叩けないときがあったら、叩かせてください」とか、平気でいってましたもんね(笑)。なかったからよかったけど、あったらどうなっていたか。

——森山さんの中では、日野元彦さんがすごいと思ったでしょ。富樫さんもやはりすごかった。

そうです。

——ほかは?

うーん、そのふたりだけですね。そんなに大勢を聴いているわけじゃないから。

——でも、誰にも負けない自信はあった?

ある面ではね。スピード、ヴォリューム、いつまでも叩く体力とか。そういうことでは負けないぞ、と。

——山下さんと一緒にやって、いま思うことは?

稀なチャンスに恵まれましたよね。あの時代に、あのひとでなければああいう音楽はできなかったし、あのひとでなければ、わたしはいまなにをやっているんだろう? と思います。ほかのグループに行って、「やらせてください」といって、上手くやれる人間じゃないし。ましてスタジオの仕事なんか絶対にできませんから。ほかの職業になっていたかもしれません。

——いい方はよくないかもしれませんが、山下さんは森山さんを使いこなしていた。

そうです。あのひとが作戦を立てて、わたしが兵隊みたいなもので、実戦部隊です(笑)。

——森山さんがいなければ山下洋輔トリオは成立しないし。

山下さんが思うようなドラムスを叩いてくれるひとがほかにいなかったんでしょうね。

——だから絶妙な出会いだった。

そうですね。「あのころの山下トリオの曲をいまのグループで」といわれても、合わないです。

——山下さんと出会って演奏して、最初から「このひと、ピッタリだ」と思いましたか?

思いました。それで、何年やってなくても、なにかのことで一緒にやると、スパッと昔の感覚に戻っちゃう。

——そういうひとって、相手として得難いし、なかなか得られるものではないです。

醍醐味だと思います。音楽を楽しむ大きな部分がそれだと思うけど、音楽をやっているひとの誰もがそういうことを経験できているわけではないから。

——ドラムスを叩いていていちばん面白い、楽しいなというのは、どういうところ?

ひととやり合えて「ニヤッ」とするときですね。「同じことを考えていたのか」とか。

——ドラムス・ソロでなにかをやるというのは?

そんなに音楽的なものが自分にはないと思っているから、その気持ちはないです。ひとがいるから「こうやろう」となるんで、誰もいないのに、ひとりで考えてやるのはわざとらしくて、気持ちが悪い。

——そこがジャズですね。相手に触発されて、相手を触発して、というのが。面白いお話をありがとうございました。

こちらこそ、音楽的なインタヴューで楽しかったです。

2018-03-17 Interview with 森山威男 @ 千駄ヶ谷「株式会社AXIL」

(注18)板橋は80年ごろまで在籍し、その後は、森山威男(ds)、井上淑彦(ts)、藤原幹典(ts、ss)、望月英明(b)のカルテットになる。

森山威男 著
『スイングの核心』

森山威男みずからが語る、音楽家人生。ドラムを実演しながらテクニックなどを解説したDVDも付属。
http://www.ymm.co.jp/p/detail.php?code=GTB01091164

※記事内のカタカナ表記について。仮名づかいは著者の解釈を尊重して掲載しているため、一般的な表記および、他ページ(同サイト内)の表記と異なる場合があります。

こんな記事も読まれています