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寺久保エレナ ─「十代の頃はサックス練習しかやることがなかった…」NY在住の“リトルガール”は努力の人 【Women In JAZZ/#2】

ジャズ界で活躍する女性ミュージシャンの“本音”に切り込むインタビューシリーズ。今回登場するのは、ニューヨーク在住のサックスプレイヤー、寺久保エレナ

13歳で「ボストン・バークリー・アワード」を最年少受賞し、その後も渡辺貞夫、山下洋輔、日野皓正らと共演。また、高校3年時に発表したメジャー・デビューアルバム『North Bird』にはケニー・バロンやクリスチャン・マクブライドが参加し、大きな話題に。

そんな才媛が、今年3月に自身5枚目となるアルバム『LITTLE GIRL POWER』を発表した。本作のタイトルに「女性へのエールを込めた」という彼女の想いを、“女性プレイヤーの気持ち”が最もわかるライター、島田奈央子が聞いた。

フュージョン大好きな小学生女子?

──10年くらい前に、札幌のライブハウス“くう”のマスターから「寺久保エレナっていう、すごい中学生がいる」という話を聞いて。一体どんな子だろう…って思っていたんですよ。

“くう”は地元なので、よく行ってました。

──周りの友達で、ジャズのライブハウスに行く人なんていなかったでしょ。

あ、でも友達も無理やり呼んでたので(笑)、中学の友達がいちばん前の席でジャズを聴いていました(笑)。

──その頃から、ストレートなジャズをやっていたのですか?

中学生のときは “Extra-Gain”っていう、思いっきりフュージョンのバンドをやってました。デヴィッド・サンボーンと本田雅人さんの大ファンで、小学校の後半から中学校の前半は、フュージョン少女でしたね。

──フュージョン少女! 素敵な響きですね(笑)。

いまでも自分の中には “フュージョンが好き“という側面があります。だから、フュージョンとかファンクとかも、機会があれば、ジャズとは違うプロジェクトとしてやってみたい。アメリカにいると、例えばファンクでも、日本人にはない、すごいフィーリングを持った人にいっぱい出会います。せっかくアメリカに住んでいるんだから、そういうのもやってみたいなって思っています。

──サックスを始めたのは、いつ?

9歳のときです。M&M‘s(チョコレート)の、サックスを持ってる人形をもらって、それがカッコいいな〜と思って(笑)。それで両親がジャズのライブに連れて行ってくれて、そこからジャズとサックスにハマりました。

──サックスの魅力に取りつかれていった。

練習すればするほど上手くなるし、自分がイメージする音楽に、どんどん近づいていく感覚がすごく楽しかった。だから学校から帰ると、ずっと練習してました。っていうか、サックスの練習しかすることがなかったんです(笑)。

──それは音楽教室とかに通って?

はい。近所の音楽教室で理論を習って、ジャズ・スクールではビッグバンドに参加して、別のところではフュージョンも習って。あとピアノとエレクトーンも習ってました。

──ちょっと頑張り過ぎじゃないですか?

そうですね。何かわからないけど、極めることが好きだったんでしょうね。

サマーキャンプで受けた洗礼

──小学生が通うジャズ・スクールというのは、どんな感じなのでしょうか。

札幌・ジュニア・ジャズスクールという小中学生のスクールがあって、その中に “SJF JUNIOR JAZZ ORCHESTRA”っていう小学生のビッグバンドがあるんです。だから同じぐらいの世代で楽器をやっている人も多いし、周りに誰もいなかったら練習しないかもしれないけど、上手い人がいっぱいいたら、それにも刺激されますし。

──そんな環境の中で「私、この世界で活躍するかも」と思っていた?

私は最初から、誰よりも上手かったんです(笑)。

──これは失礼しました!(笑)。

きちんと練習もしてたし、他の小学生よりは吹けていたと思います。でもみんなどんどん上手くなっていくから、絶対にトップをキープしたいという思いはずっとありました。

──偏見かもしれませんが、北海道は土地が広大だからサックスも思いっきり練習できたりするのかな……って。

うちの場合は、隣近所に迷惑をかけたと思いますよ(笑)。ヘタしたら、隣の話し声も聞こえてくるようなアパートでしたから。一応、夜の10時までということは決めていました。

──それで高校生のときに、バークリー音楽大学のサマー・スクールに行ったんですよね。

北海道グルーヴ・キャンプという、バークリーの各楽器の教授が1週間教えてくださる特別講座がありました。楽器別に、S、A、B、Cとクラスが分かれていて、私はSクラスだったんですけど、本州から受講に来ている人もいて、その中には大林武司(p)さんや、石川広行(tp)さんなどもいました。

みんな上手くて「本州にはこんなに凄い人がいるんだ…」って、すごく刺激になりました。そのキャンプで選ばれて、ボストンのバークリーのサマーキャンプに5週間行けることになったんです。

──実際に行ってみてどうでした?

こんなに自由で、いろいろな国の人と音楽が作れて、楽しいなって。それで5週間の講座が終わって帰国して、またいろんな刺激を受けて、次の年もまたそのサマー・スクールに行って。そのあとに奨学金をいただいて、4年制の本科に進むことになりました。

──それが2011年。しかもバークリー留学前にメジャー・デビューしましたよね。

そうです。

──日本でデビューしちゃったら、アメリカで学生やってる場合じゃないぞ、とは考えなかった?

どうしようかな…? って迷いましたし、いろんな人からいろんな意見も聞きました。スーパースターになって、豪邸に住めるかな、とか(笑)。でも自分は、チャーリー・パーカーやキャノンボールみたいには演奏できないというのはわかっていたので、それをバークリーでしっかり学ぼうと。日本国内の活動をセーブしてでも、ちゃんと音楽を学びたかったんです。

──それって潔いなって思います。

両親も「好きにしていいよ」って言ってくれましたし、私自身も、向こうに行って良かったなって思います。

米国ひとり暮らしで感じた“人生”

──バークリー時代は、寮に住んでいた?

そうです。

──知らない国の、言葉も通じない場所での寮生活はどうでした? ホームシックとかにはならなかった?

それが、ホームシックには全然ならなかったんです(笑)。ほんとうに毎日が楽しくて、ドラマや映画で見ていたキャンパス・ライフというか、いろんな人種のひとたちと一緒になって勉強するというが楽しかったですね。向こうにはタイガー大越さん(注1)という、頼れる日本人の方もいましたし。

注1:トランペット奏者として、1970年代半ばにマイク・ギブスやバディー・リッチのオーケストラに参加。1978年にはゲーリー・バートン・グループのレギュラー・メンバーに抜擢される。その後も自己のバンドTiger’s Bakuのリーダーとして、ビル・フリゼル、マイク・スターン、ヴィニー・カリウタらと活動。現在はバークリー音楽大学の教授職にある。

──言葉で苦労したことは?

いま思えば、あったかも知れないですけど、それで苦労した覚えはないです。札幌時代にインターナショナル科みたいな、英語専門のコースに行っていたので、なんとか通じて仲良くできた。

──食事は?

寮の食事は、3食バイキングなんです。でもアメリカの食事ですから、最初の頃はすごく豪華だと思うんですけど、それが毎日続くと、ちょっと疲れてくる(笑)。

──卒業後はニューヨークに移住して、ひとり暮らしですよね。

やっと慣れてきました。洗濯物を畳むのって、みんなこういう気持ちでやってるんだな、とか(笑)。以前は、ずっと音楽のことばかりを考えていたけど、洗濯の時間、掃除の時間、料理の時間とか、他のことも同時に上手くなっていかなきゃダメだなと思ったので、そういうことがわかってくると、人生がちょっと豊かになったような気がします。

──食事は自炊ですか?

毎日のことだから、手の込んだものとかは作れないですけど、そばとかうどんとか…、親子丼、カレー、シチュー、パスタとか簡単なものは作ってます。

理想の日本茶&急須を捜索中

──最近、急須でお茶を飲むのにハマっているそうですけど。

そうなんです! 友達が急須でお茶を淹れてくれて、おいしいなと思って、自分でも始めました。急須をわざわざ新聞紙にくるんで、スーツケースに入れて、アメリカに持って行ったんですよ。

──こだわりの茶葉とかはあるんですか?

知り合いが神楽坂で買ってくれた緑茶がすごくおいしくて。ランク的には、松竹梅の “梅”なんですけど、それでもすごくおいしいんです(笑)。

──お茶って、淹れている時間も、すごくゆったりした気分になりますよね。

最初はそう思っていたんですけど、買った急須と網の大きさが合わなくて、けっこう大変なんです(笑)。網が小さくて、ちょっとずつお湯を入れないとダメで(笑)。

──ニューヨークで理想の急須を探すのは難しいかもしれませんね…。きっと、この記事を読んだ人がプレゼントしてくれると思います(笑)。それにしても、日本人の若い女性ミュージシャンが、ニューヨークで、ひとり暮らしをしながら活動していくのって、苦労も多いのでは?

そうですね。まず日本人の女の子のミュージシャンはちょっと下に見られるというか……「なんか、また新しい日本人の女の子が来たよ」みたいな。まぁ、それは勝手に言ってればいいと思っているので、私は何も気にしていないです。

──その状況で、自分の演奏や、音楽に対する情熱を伝えていくというのは難しくないですか?

私は本気だ、というのを伝えるのには時間がかかりますね。何度も壁にぶち当たっていって、認められていくという。だから今まで、すごく時間がかかりました。

日本人のミュージシャンって、1年か2年いたら、帰って行く人が多いんですね。でも、そんな状況のなかで「お前、まだいるんだ」って(笑)ところから、徐々に信頼関係を築いていって。

──ナンパとか、言い寄られることも多いでしょ?

たくさんいますよ。声をかけてくる人は、ほとんどがナンパだと思っているから、全然相手にはしませんけど(笑)。

──日本人女性はモテるっていわれますもんね。

そうですね。特にジャズ界では、日本人の女性は人気だと思うから、そこには本当に気をつけたほうがいいなと思います。

──ライブのギャラの交渉とかも、自分でやるんでしょ?

はい、自分でやります。でも1か月に1本も仕事がないときもあるので、そんなときは子供たちにピアノやサックスやフルートを教えたりしていました。

意外と封建的?な米ジャズの現場

──北海道で生まれ育って、東京で活動して、現在はニューヨークに住んでいるわけですけど、いまの自分にとっていちばん好きな街は?

北海道はもちろん、東京も好きだし、世界のどこにいても私は自分らしく生きられると思うんですけど、今の自分にとっていちばん刺激的なのはニューヨークですね。自由で、いろいろな人がいて、決められたものがなくて……なんて表現すればいいかわからないですけど、とにかく歴史のある街だなって。

──住んでいて楽しい?

ドラマのワンシーンの中にいるような気分になったり、ディズニーランドの世界の中に住んでいるような気分になったり、面白いところだと思います。物価も高いし、生活はたいへんだから、すごくおすすめはできないかも知れませんけど、私は今のところはすごく気に入ってます。人との出会いとか、自分から開拓していくっていうのが、楽しいんです。

──日本とニューヨークのジャズ・シーン。どこが違うと思いますか?

アメリカでは “paying my due”って言うんですけど、下積みを経験して努力した上で一人前になるという意味です。アメリカに来て、すぐサクセス・ストーリーが待ってると思わずに、ジャズ・ミュージシャンになって、歴史に残るようになりたいんだったら、覚悟は必要だよ、という話はよくされます。お金儲けをしようと思っていたら、絶対にできないって。

──日本人の演奏ってすごくきっちりしているけど、ニューヨークのミュージシャンって、いい意味でラフですよね。

やっぱりフィーリングを大切にしているなって感じます。理論とか、リズムをキープするとか、そういったことよりもフィーリングを重視したプレイヤーが多い気がしますね。

──ニューヨークのジャズ・シーンの中で、自己アピールって、どんな風にやっているのですか?

私は日本人だし、アメリカ人にはなれないし、逆にアメリカ人ぶってもうまくいかないだろうから、普段の自分のままでいます。たぶんアメリカにも、それがいいって言ってくれる人もいると思うんです。

みんながみんな “私が私が”ってやったら、やっぱりみんな疲れちゃうから、そうじゃない女の子が一人ぐらいいてもいいんじゃないかなって。逆にアメリカでは “私が私が”って感じで出ていったら、すぐ潰されちゃう。そういう目に見えないルールみたいなものが、けっこういっぱいあります。

──ほかに“目に見えないルール”ってありますか?

自分よりも歳上のミュージシャンに何か言われたら、絶対に「Yes」としか言っちゃいけない、とか。あと、そういう方たちには、私から「こうやってください」とかはあまり言わないようにもしています。アメリカって、そういう文化ではないと思っていたんですよ。年齢とかに関係なく、みんな “hey, hey” って言うもんだと(笑)。でも、特に黒人のコミュニティでは、歳上を敬うのはすごく大切なことです。

「自然な会話」のような演奏を

──ニューヨークのライブの楽屋って、どういう感じなんですか?

ジャズ・クラブとかって、意外と楽屋がなかったりするんですけど、みんな普通にやってますよ。ずっと携帯をいじってる人もいるし(笑)。でも私一人が女性というシチュエーションも多かったりするから、その時は、ここ使っていいよって、ひとりで楽屋を使わせてもらったり。

──アメリカに行って、演奏面で注意されたことはありますか?

「リズムが違う」っていう指摘を受けたことがあります。そこはすごく微妙なニュアンスの違いだと思うんですけど、例えるなら“日本語を喋っているときと、英語を喋っているときの感覚や雰囲気の違い”みたいなものかな……と思って、他人の演奏と聴き比べながら直していきました。

──じつはニュー・アルバムの『LITTLE GIRL POWER』を聴いたときに、エレナさんのグルーヴが日本人とは違うなって感じたんです。

“息が合う”という感覚が、日本人は計算して合わせている感じなんですけど、向こうはただ話していて、そこで自然にピタッと合う、という感覚です。そのときの感覚が、すごくいいんですよ。音楽を聴いてても。そういうハプニングをもっと増やしていきたいなって思います。

──このアルバムの収録曲だと、私は「LITTLE GIRL POWER」と「HIGH TOUCH」がすごく好きです。

ありがとうございます。どっちも明るい曲ですね。

──そこがいいなと思って。

音楽って、その人の思っていることがダイレクトに出る、嘘がつけないものだと思っているんですよ。だからポジティブなものをやりたいな、と。私も、完璧な“お客さんが喜ぶものを”と、張り切ってやったこともあったんですけど、そうじゃなくて、自分のそのまま、平常心を音に出せばいいんじゃないかなって思って作曲しました。

──「WHEN YOU WISH UPON A STAR」は、ちょっと意外な選曲かなって思いました。

あの曲は小さい頃からずっと聴いている曲で、小さな子供にも、私と同じような年代の人にも聴いてもらえるかなって思って入れました。

──子供といえば、アルバム・タイトルも『LITTLE GIRL POWER(リトル・ガール・パワー)』ですね。このタイトルにはどんな思いが?

女性にがんばってほしい。女性にもっと強くなって、自分が思うままに、いきいきと生きて欲しいな、という思いを込めました。

──“LITTLE GIRL”というのは、エレナさんのこと?

アメリカにいて、2メートルくらいの身長の人と並ぶと、私はほんとうに小さいですから、そんな“LITTLE GIRL(体格的に小さい女性)のPOWER”という意味もあります。

──向こうだと、10代に見られたりしませんか?

IDを見せないと、お酒が飲めません(笑)。「何歳に見える?」って聞いたら「16? いや、14かな」って(笑)。でも “若いのにやるな”って思われるので、そこはラッキーかなって(笑)。

「とにかく練習をしろ」の真意

──ステージに立つ時、女性として気をつけていることとかはありますか?

ちゃんと運動をして、太らないようにしなきゃな、とは思っています(笑)。

──サックスのストラップもオリジナルで作ったということですが。

はい、キラキラのやつで、ジャズに合うように黒とシルバーが基調になってます。ライブでスパンコールのドレスとかも着ていたので、それとも合う感じで。寺久保エレナ・モデルとして発売されています。

──サックスをやってて、リップのケアとかはどうしているんですか?

毎日練習をしてると何でもないんですけど、練習を何日か休むと、なぜか唇の皮がむけるんです。だから練習していたほうが、唇の状態がいいですね。女子ジャズのサックス奏者だったら、みんな言うと思うんですけど、ライブ中に口紅を塗れないのも困りますね。誰かに、ライブでも、リードに色が移らない口紅を開発してほしいです(笑)。

──エレナさんみたいになりたいと思っているサックス少女たちに、何かメッセージはありますか?

練習をすることですね。私も10代の頃は練習しかしなかったし、10代の時に練習すると、あとですごく身になるというか。20代を越えると、生活もしていかなければならないし、お金とかの心配もあるし、そうなる前に、時間があるうちにいっぱい練習するというのは、すごくいいと思います。女子に限らず、楽器をやっている学生の人は、できるうちにどんどん練習したほうがいいです。

──とにかく練習をしろ、と(笑)。

あと、分からないことがあっても恥じないで、聞くということ。こんなこともわからないのか? って思われるから聞かない。っていう人もいると思うんですけど、それこそ“ド”って何ですか? から聞いていいと思います。先生というのは、自分の疑問を解くためにいるんだからと考えて、見栄を張らずに、全部質問すると、それだけ自分が成長できるって思います。

寺久保エレナ(写真右)
1992年札幌生まれ。アルト・サックス奏者。ボストン・バークリー・アワードを最年少(13歳)で受賞。渡辺貞夫、山下洋輔、日野皓正、佐山雅弘、本田雅人、タイガー大越、TOKU、エディー・ゴメス、向井滋春など有名ミュージシャンとの共演やセッションに多数参加。2010年(高校3年生時)に、ケニー・バロンやクリスチャン・マクブライドが参加した『ノース・バード』でメジャー・デビュー。2011年に2枚目のアルバム『ニューヨーク・アティチュード』をリリース。同年、日本人初のプレジデント・フルスカラーシップ(授業料、寮費免除)を獲得し、アメリカのバークリー音楽大学に留学。2013年、第3作『ブルキナ』を発表。2015年にバークリー音大を卒業し、活動の拠点をニューヨークに移す。2016年、アルバム『ア・タイム・フォー・ラブ』をカナダのCellar Liveからリリース。2018年3月、初めてのレギュラー・カルテットによるリーダー・アルバム『リトル・ガール・パワー』をキングレコードからリリース。

島田奈央子(写真左)
音楽ライター/プロデューサー。音楽情報誌や日本経済新聞電子版など、ジャズを中心にコラムやインタビュー記事、レビューなどを執筆するほか、CDの解説を数多く手掛ける。自らプロデュースするジャズ・イベント「Something Jazzy」を開催しながら、新しいジャズの聴き方や楽しみ方を提案。2010年の 著書「Something Jazzy女子のための新しいジャズ・ガイド」により、“女子ジャズ”ブームの火付け役となる。その他、イベントの企画やCDの選曲・監修、プロデュース、TV、ラジオ出演など活動は多岐に渡る。

寺久保エレナ
『LITTLE GIRL POWER』

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