【証言で綴る日本のジャズ】市川秀男/第4話(最終話)「テーマがなくて、いきなり即興演奏。いまはそれが理想です」

文/小川隆夫

2018.06.21

ジャズ・ジャーナリストの小川隆夫が“日本のジャズシーンを支えた偉人たち”を追うインタビュー・シリーズ。今回登場する“証言者”はピアニストの市川秀男。現在も自身のバンド活動はもとより、椎名林檎の作品にも客演するなど、精力的な活動で知られる同氏。往年の自己名義トリオ(72年結成)や、富樫雅彦、鈴木勲と結成した「ザ・トリニティ」(80年結成)による諸作は、どんな経緯で作られたのか。そして、ジョージ大塚トリオや日野皓正グループといった国内重要ユニットの当事者として、何を語るのか。

前話のあらすじ】
60年代の終わり頃、ジョージ大塚トリオの一員としてシーンの最前線で活躍していた市川秀男。同時期に、フィル・ウッズやジョー・ヘンダーソンなどの来日ミュージシャンとの共演も経験するなか、ジャック・ディジョネットとのレコーディングを機に独立を決意する。また、当時はあまり知られていなかったフェンダーローズをいち早く導入し、新しい表現を模索する日々が続いた。

さまざまなジャズを追求

——そのあとはスリー・ブラインド・マイス(TBM)からアルバムが出ます。最初は、A面が森剣治(sax)さんのソロで、B面が市川さんのトリオ(注28)によるライヴ盤。

このトリオは杉本喜代志さんのバンドにいたメンバーです。杉本さんが抜けたあと、この3人でやるのが面白いから引き受けたの。それで何回かジャズ喫茶でやりました。

——この少しあとに、ジョージ大塚トリオで『ユー・アー・マイ・サンシャイン』(TBM)(注29)も録音します。あれはゴスペル・ライクな演奏で。

ハッピーなのを作ろうということで、ベースは関西の宮本直介さん。ジョージさんのトリオにいたときは割とシリアスな演奏をしていたから、疲れると「ハッピーなのをやろう」「みんなが知ってる曲をやろう」と。そのことを思い出して、あのときは〈ユー・アー・マイ・サンシャイン〉とかを吹き込んだんです。

——TBMからはもう一枚、リーダー作の『明日への旅立ち』(注30)を出します。

これは自分のオリジナルばかり。いろいろダビングして、凝った内容になっています。このときは福井五十雄(b)さんと山木秀夫(ds)さんのトリオで。

——そのあと、このトリオにパーカッションの中島御(おさむ)さんを加えて『スカイ・スクレイパー』(ユニオン)(注31)と『オン・ザ・トレイド・ウインド』(Planets)(注32)を吹き込む。

『スカイ・スクレイパー』は、中島さんも入っていますけど、トリオの初リサイタルを録音したものです。『オン・ザ・トレイド・ウインド』はマイナー・レーベルでの録音。ジョージ川口(ds)さんのところにいたギターの藤田正明さんがそのレコード会社のディレクターで。それで「作らない?」といわれて。これはスタンダードとオリジナルの組み合わせで、スタジオではなくてホールを借りて録音しました(埼玉会館大ホール)。HSC(デジタル録音方式の一種)だったかな?  高音質で録音した作品です。

——80年に結成したのが富樫雅彦さんと鈴木勲(b)さんとのザ・トリニティ。

亡くなったRVCの木全信(きまた まこと)(プロデューサー)さんが担当していたクール・ファイブ(注33)のラテン・アルバム(注34)を、横内章次(g)さんと半々でアレンジしたことがあるんです。その繋がりから、木全さんが「ジャズのレコードを作ろう」となって、3人をピックアップしたのがザ・トリニティで、アルバムを2枚作りました(注35)。

——富樫さんには、昔、バンドに誘われたことがありますが、鈴木さんとはどういう縁で?

オマさん(鈴木勲)は、「タロー」でやってたときに、いつものぞきに来てたの。でも、ふたりともこのレコーディング以前にはあまり一緒に演奏したことがなかった。富樫さんは脚が使えなくなってからのほうが演奏に広がりが出て(注36)、ぼくは好きです。ほかのドラマーとはハートが違う。もちろん、ジャズのエッセンスも持っていますし。4ビートのジャズに限らなくなったから、面白いこともできるようになったし。

——リーダーとして活動する一方、76年にはジョージ川口さんのビッグ・フォアにも入られる。

東京オリンピックのときに、ぼくが出ていたナイト・クラブに川口さんが自衛隊のお偉いさんと来たことがあって。あのころは有名人がお忍びでナイト・クラブなんかによく来てたんです。

——そのあとはどういう繋がりが?

年代が違うから、ぜんぜんあるわけがない。村岡建(たける)(ts)さんから「手伝って」といわれたのが始まり。でも、建ちゃんはすぐ辞めちゃった。ぼくが入ったときは建ちゃんと水橋孝さんがやってたんだよね。そのころの川口さんは、クラブのショウがメイン。新宿のナイト・クラブなんかにバンドで入れるのは川口さんのバンドしかない。

——それまでやっていた演奏とはタイプが違います。

だから、「懐メロ・ジャズ」みたいな感じで、あまりやりたくなかった。最初に聴いたのが〈ジス・ヒア〉や〈モーニン〉とかのファンキー・ジャズじゃないですか。「スケジュールが空いてない」と断ると、「次の週は?」といわれちゃう。あんまりそういわれたんで、断れなくなっちゃった(笑)。

——何年ぐらいやっていたんですか。

76年から亡くなるまで(2003年に死去)。本当の急死で、次の週もスケジュールが入っていたんです。メンバーは建ちゃんのあとが中村誠一(ts)さんになって、水橋さんとぼくはそのまま。川口さんは、ぼくたちのように若いプレイヤーと演奏するのが楽しかったみたい。世代が近いひとはかしこまっちゃうけど、ぼくたちは平気で冗談をいってましたから。誠一ちゃんなんか「どうせ走るんだから、ゆっくり始めよう」なんて、川口さんにいいますからね。われわれの先輩はそんなこといえないから、楽屋見舞いに来たひとたちが「ワー、そんなこといえちゃうんだ」でした(笑)。

コンサートで渡辺貞夫(as)さんを呼ぶと、必ず上がっちゃう。雇われていた時代に戻るんだって。だから、追悼コンサートがいちばんよかった(笑)。ジョージさんがいなかったから。あれは受けました。

——ジョージさんは怖いひとじゃなかった?

すごく優しかったですよ。

——松本英彦さんが飛び入りしたことはなかったんですか?

本当は誠一ちゃんじゃなくて、ビッグ・フォアは松本さん(注37)。プロモーターとしては、松本さんがいたほうが華やかなので、希望しますよね。だから松本さんとの仕事もずいぶんありました。それがビッグ・フォアで、誠一ちゃんが入ってからはニュー・ビッグ・フォアといってました。そこに岡野等(tp)さんが入るとビッグ・フォア・プラス・ワン。

——上田剛さんが2代目のベーシストですが、上田さんもときどき来ていましたか?

そうですね。でも、もうミュージシャンは辞めていたからちょっと弾くだけで。

ジャズ以外の活躍も多彩

——最近は椎名林檎(注38)さんのレコーディングなどをやっています。

ぼくの一番弟子が斎藤ネコ(注39)。藝大の作曲科にいた19のときからうちに来ているんです。作曲科だから譜面の清書を頼んだり、スタジオに連れて行っていろいろなことをやらせました。実はジャズ・ピアノが習いたくて来たんです。でもぼくはそのことを知らなかったし、作曲科だから勘違いしてたんです。いまは林檎ちゃんのプロデューサーでしょ。それで頼まれて、山木秀夫と高水健司(b)がリズム・セクションでいくつかやってます(注40)。

——市川さんにとって、ジャズの面白さはどんなところでしょう?

いちばん面白いのは、曲を弾くことじゃなくて、そのときになにが表現できるかですね。本当は曲なんかなくて始めたいと思っているんですよ。テーマがなくて、いきなり即興演奏を始めたい。それが理想だと思っています。

——そういう演奏をやられたこともあるんですか?

いまはそれに近いです。

——フリー・ジャズとは違う?

ぼくを「セミ・フリー」と呼ぶひとがいます(笑)。それはテーマ・メロディがあるときですね。曲を作ってアレンジをして、そこにソロのスペースを作れば、それがセミ・フリー。

——曲もなく演奏を始めるとおっしゃるけど、市川さんは作曲家になりたかった。まったく逆ですよね。

だからピアノを弾くときはせめてね、ということです。作曲家としては、1000曲まではいきませんけどコマーシャルもけっこう書きました。CMのアルバム(注41)もあります。このアルバムには、ぼくの大恩人である大森昭男(注42)プロデューサーと一緒に制作したものが収められています。

——有名なものは?

ジャズっぽい曲ではサントリーのジョン・ファディスとクラーク・テリーの2トランペットによる曲(〈テイク・ダブル〉)。レコーディングもしています(注43)。あと面白いのは、レイ・チャールズ(vo/p)が、桑田佳祐(注44)君の曲(〈エリー・マイ・ラヴ〉)の演奏部分をぜんぶ消して、バックをジャズのトリオにして、ライヴ・ハウスにフラッと来て歌うセッティング。これはサントリーの商品のオマケで、カセット・テープです。

——それは市川さんがピアノを弾いて。

はい。そういうの、面白いですよね。

——映画音楽は?

竹下景子(注45)さんが初めて映画に出たときの作品(注46)。その音楽を担当しました。映画音楽はあまりやってないけれど、テレビは多いです。『火曜サスペンス』とか『消えた巨人軍』とかね。『火曜サスペンス』にはジャズ好きのプロデューサーがいたんです。

——クラシックの作曲をやろうとは思わないんですか?

思わないですね。

——学校を出てからクラシックの仕事もしていない?

してません。

——クラシックのピアノも弾かない。

とんでもないです(笑)。

——ジャズ一辺倒。

ジャズも自己流ですけど。

——作曲家になろうと思っていたわけですから、ジャズでも曲を書きたいと考えていたんですか?

演奏するのは自分の曲がやりたいから。そのほうが面白いことができる。いまは年に3回、目白のレストランでライヴをやっていますが、みんなオリジナルの曲で。

——クラシックの道に進まずジャズ・ピアニストになって、どうでしたか?

楽しいですよね。いろんな過程があって、いろんなひとと知り合って。これからもいろいろやりたいですね。そのためには元気じゃないと。

——そうですね。これからも健康に気をつけて、多くのファンを楽しませてください。

2年前にやっと煙草が辞められたんですよ。

 

2018-02-17 Interview with 市川秀男 @ 初台「市川秀男邸」

注28)A面に森剣治の無伴奏ソロ、B面に市川のトリオ演奏を収めた『ソロ&トリオ』のこと。メンバー=市川秀男(p) 川端民生(b) 倉田在秀(ds) 1974年3月22日 東京赤坂「都市センターホール」でライヴ録音
注29)レコーディングのために大塚と市川が再会。メンバー=ジョージ大塚(ds) 市川秀男(p) 宮本直介(b) 1974年10月31日 東京で録音
注30)TBMに残した唯一のリーダー作。メンバー=市川秀男(p, elp, recorder, per) 福井五十雄(b, cello, per) 山木秀夫(ds, per) 1976年7月27日、8月17日 東京で録音
注31)メンバー=市川秀男(p) 福井五十雄(b) 山木秀夫(ds) 中島御(per)1976年12月2日 東京芝「ABCホール」でライヴ録音
注32)メンバー=市川秀男(p) 福井五十雄(b) 山木秀夫(ds) 中島御(per)1977年7月1日 埼玉県「埼玉会館大ホール」で録音
注33)内山田洋が率いる歌謡コーラス・グループで、67年に長崎市のキャバレーでデビュー。68年にメイン・ヴォーカルの前川清が加わり、69年〈長崎は今日も雨だった〉でレコード・デビュー。以後数々のヒットを放つ。
注34)83年に発表した『内山田洋とクール・ファイブ/愛・トリステ』(RVC)のこと。〈リラの恋人〉〈オルフェの朝〉などを収録。
注35)ザ・トリニティによる1作目が『ワンダー・ランド』(RVC)。メンバー=市川秀男(p, elp, vocoder, per) 鈴木勲(b, piccolo b, marimba) 富樫雅彦(ds, per) 1980年3月26日 東京で録音
2作目の『微笑み(スマイル)』(RVC)はスタンダード集。メンバー=市川秀男(p) 鈴木勲(b, piccolo b) 富樫雅彦(ds, per) 1980年11月24、25日 東京で録音
注36)70年に脊髄を損傷し下半身不随となる。以後は、独自で考案したドラム・セットで個性的な音楽とサウンドを追求した。
注37)53年にジョージ川口が、松本英彦、中村八大(p)、小野満(b)と結成したコンボ。ジャズを超えて広い人気を獲得し、ジャズ・ブームの中心的役割を果たした。54年には宮沢昭と上田剛を迎え、第2期ビッグ・フォア結成。58年ごろには渡辺貞夫を加えたビッグ・フォア・プラス・ワンで注目を集めた。
注38)椎名林檎(音楽家1978年~)98年デビュー。デビュー作『無罪モラトリアム』(東芝EMI)と2作目『勝訴ストリップ』(同)がミリオンセラーを記録。2004~12年は東京事変の活動も並行。映画、舞台、TVドラマなどの音楽も手がけ、演歌からポップスの歌手やグループにも楽曲を提供。16年のリオデジャネイロ・オリンピック/パラリンピックにおいて、フラッグハンドオーヴァー・セレモニーのクリエイティヴ・スーパーヴァイザーと音楽監督を務める。
注39)斎藤ネコ(vln 1959年~)東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。多くのCM音楽、アーティストの作編曲、アルバム・プロデュースなどを手がける。範囲はクラシックからハード・ロックまでと幅広い。主な作品に、新国立劇場「城」、世田谷パブリックシアター「審判」、シアターコクーン「黴菌」、群馬交響楽団「100万回生きたねこ」、椎名林檎「Ringo EXPO 08」などがある。
注40)2009年『三文ゴシップ』(EMI)収録の〈旬〉、17年『逆輸入〜航空局〜』(ユニバーサル)収録の〈薄ら氷心中〉などがある。
注41)『市川秀男CM WORKS ON・アソシエイツ・イヤーズ』(Solid)のこと。セイコー、資生堂、ヤマギワ電気、伊勢丹、NIKKA、象印、グンゼ、丸井、ブリヂストン、Sony、雪印、日立、サントリー、TOTO、明治製菓、日清食品などのCMを47曲収録。
注42)大森昭男(CM音楽プロデューサー 1936~2,018年)60年三木鶏郎の「冗談工房」入社。65年作曲家の桜井順とブレーンJACK設立。72年、ONアソシエイツ音楽出版設立。CM音楽に、大瀧詠一、山下達郎、坂本龍一、鈴木慶一、大貫妙子、井上鑑などをいち早く起用。77年「三ツ矢サイダー」、78年「資生堂・サクセスサクセス」、79年「資生堂・君の瞳は10000ボルト」、81年「ミノルタ・今の君はピカピカに光って」などの話題CMを手がける。
注43)『テイク・ダブル』(Philips)のこと。メンバー=クラーク・テリー(tp, fgh) ジョン・ファディス(tp, fgh) ドド・マーマローサ(p) ジミー・ウッド(b) エド・シグペン(ds) ハロルド・ランド(p) ジョージ・ムラツ(b) テリ・リン・キャリントン(ds) ミノ・シネル(per) 1986年2月27日 ニューヨークで録音、5月19日 スイスで録音
注44)桑田佳祐(ミュージシャン 1956年~)シンガー・ソングライターで、ロック・バンド、サザンオールスターズのリーダー。楽曲の作詞作曲、ヴォーカル、ギターを担当。妻は同バンドの原由子。78年に〈勝手にシンドバッド〉でデビュー。現在まで多くのヒット曲を放ち、日本を代表するアーティストのひとりとして活躍している
注45)竹下景子(女優 1953年~)中学1年のときにNHK『中学生群像』(『中学生日記』の前身)でデビュー。75年『日本任侠道・激突篇』で映画初出演。77年『雨のめぐり逢い』で映画初主演。76年10月からTBSテレビ系列『クイズダービー』のレギュラー回答者。以後も映画、テレビ、舞台などで活躍中。
注46)77年製作の松竹映画『雨のめぐり逢い』のこと。野村孝の監督で、音楽を市川が担当した。

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