2019.01.17

【証言で綴る日本のジャズ】 峰 厚介/第2話「キャバレー、サーカス、ジャズクラブ…なんでもやった17歳」 

文/小川隆夫

峰 厚介/第2話

ジャズ・ジャーナリストの小川隆夫が「日本のジャズ黎明期を支えた偉人たち」を追うインタビュー・シリーズ。今回登場するのはサックス奏者の峰厚介。

──前話のあらすじ──
小学校で少年合唱団。中学ではブラスバンドでクラリネットを担当。その後、音大の付属高校に進学し、クラリネットを専攻した峰はジャズに傾倒。校則でアルバイトは禁止されていたが、高校2年時にキャバレーのバンドに加入。若いながらも、バンドに必要な存在として、周囲も一目置くほどに成長していった。

アルト・サックスに転向

——ジャズを演奏するのはどのあたりから?  

そのときはまだクラリネット一本だったけれど、そのあとに鶯谷のキャバレーに出たときに、アルト・サックスを買って、練習を始めて。

——アルト・サックスを買ったのは、どういう理由で?

聴いてて、クラリネットよりアルト・サックスのほうがいいなと思ったからです。

——それは、ジャズがやりたくなったから?

そうです。

——誰か、アルト・サックスのひとのレコードを聴いて、「いいな」と思ったとか?

うーん、誰かのを聴いてかな? ポール・デスモンド(as)かな? そのころの彼は人気がありましたから。ジャズを最初に聴いたのは有楽町にあったジャズ喫茶の「ママ」で。例のませた同級生に連れて行かれて。

そこでは、アート・ブレイキー(ds)とかホレス・シルヴァー(p)とかドナルド・バード(tp)とかを聴いてました。そのころはファンキー・ブームといってたらしいけど。初めて店に入ったときは、「なんだ、これは?」(笑)。全員がスピーカーに向かって一心不乱に聴いてるんですから。そこで聴いたのが、そういう音楽。

——それでだんだんジャズがやりたくなって、アルト・サックスを買って。

そういうことかな。

——ジャズは独学で?

習ってないです。

——アルト・サックスでもクラシックはやったんですか?  

クラシックはクラリネットだけ。

——アルト・サックスを買ったのも高校のとき?

高校というか、キャバレーの仕事をするようになって、高校は行かなくなりました。

——辞めちゃったんですか。

二年の三学期で。自分の中じゃバイトが仕事に変わったというぐらいで、特別大きく変わった感じではなかったですけど。

——それがプロとしての第一歩。ということは、17、8でプロになっていた。

「チャイナタウン」を入れれば、そうですね(笑)。

——仕事はいくらでもあったんですか?

いやあ、わかんないです。でも「チャイナタウンを辞める」といってるときに、声がかかってバンドネオンのひとのバンドに入れたんだから、仕事はありましたね。

——そこにはどのくらいの期間いたんですか?

3、4か月かな?

——次が鶯谷です。

そのころにジャズに興味を持って、アルト・サックスを買って。

——そのバンドではアルト・サックスを吹いて。

まだ吹いてないです。クラリネットだけ。

——じゃあ、家で練習してた?

家でというか、楽屋で吹くと迷惑になるから、ホステスさんたちが着替えてホールに出ると更衣室がガラガラになるでしょ。そこで練習してました。

ジャズを演奏し始めたころ

——アルト・サックスで仕事をするようになったのはいつから?

そこを辞めてからかなあ。いちばん最初は地方のキャバレーです。群馬の足利辺り。そこは通いじゃなくて、寮があって。いくつか部屋があるアパートですね。そこにバンドのメンバーで入って、そのときが最初。

——それが18とか?

まだ17でした。

——それでアルト・サックスを吹いて。だけど、まだジャズではない?

そこではジャズの曲もやってました。そのキャバレーでは、メンバーが全員で8人くらいだったかな? それをふたつのバンドにわけるんです。全員でやるのと、数人が抜けた編成のバンドと。そこは1か月で辞めましたけど。

——でも、ジャズらしきものを始めた最初のバンド。

ドラムスのひとがジャズをやってたんで。

——徐々にジャズの仕事が増えてくる。

ジャズっぽいというか、ぼくもそっちを目指したけど。足利のあとも友だちの紹介というか、友だちが「辞めるんだけど、あとがいないと辞められないから、やってくれ」といわれて行ったのが木下サーカス。

——ええ! 木下サーカスで全国を廻ったんですか?

「後楽園(現在の東京ドームシティ)」だけです。そいつが辞めるんで、その期間だけという限定で、1か月ぐらいでした。そのころにピアノの市川秀男が。

——市川さんが東邦の1年下ですね。

1年下だけど、ぼくが一年のときに、中学三年で編入で入ってきたんです。それで、いっちゃん(市川)はぼくが二年になったときに国立(国立音楽大学附属高校)に行ったんで、学校ではぜんぜん会っていない。

——市川さんは、60年代の始めに、峰さんと「銀座で一緒に仕事をした」とおっしゃっていたけど。  

ああ、「ACB(アシベ)」とか。いっちゃんがリーダーになって、松島アキラ(注2)のバックバンドに誘われたことがあります。

(注2)松島アキラ(歌手 1944年~)61年、ビクター・レコードから〈湖愁〉でデビュー。主に青春歌謡を歌う。62年、『第13回NHK紅白歌合戦』に〈あゝ青春に花よ咲け〉で初出場。タレントとしても活躍し、『シャボン玉ホリデー』『私の秘密』『ジェスチャー』『ザ・ヒットパレード』などのテレビ番組に出演。

——ジャズじゃないんだ。

でも、間にはジャズをやって、歌手が出てくると伴奏をするスタイル。いっちゃんとは、どこかの店でレギュラーというのではなく。

あのころはツイストが流行ってて、ツイスト大会に誘われて、「どんなのやるの?」「ああいう感じのリズムだったらなんでもいいから、あれやろう」。〈ソー・タイアード〉とかね。ちょっと踊れそうな曲を「なんでもいいんだよ」といって。そういうのはよくやってました。それはすごく若いころです。

ジャズを演奏するのは、その後にいっちゃんの紹介で入ったバンドで、それが自分の中では「ジャズ・バンドに入ったな」という感じです。

——それは誰のバンド?

加藤久鎮(ts)さんのバンドに入れたんです。

——メンバーは覚えています?  

ぼくが入ったときはクインテットで、ベースが工藤金一、のちの井沢八郎(注3)。

(注3)井沢八郎(歌手 1937~2007年)63年レコード・デビュー。次の〈あゝ上野駅〉が大ヒット。娘は女優の工藤夕貴。

——井沢さんはビッグ・バンドでベースを弾いてた話も聞いたことがあります。  

そのころは本名の工藤金一だったけれどね。

——まだ、歌ってはいない。

歌手志望だったから、習ってはいたみたいだけど。ピアノは誰だか覚えていない。ドラムスは川上だけど、やっぱり名前は覚えていない。

——それがいつごろ?

18になる前ぐらい。

——じゃあ、木下サーカスのちょっとあと。このバンドはどういうところに出ていたんですか?

入ったときは、新宿の「ミラノ座」の地下にあった「クラブ・ミラノ」というところ。形はキャバレーだけど、名前はクラブで。

——ジャズをやっていいんですか?

リーダーの加藤さんがすごいひとなんですよ。すごいというのは、店のマネージャーとかそういうひとを手なずけるのが上手くて。ぼくが入ったときは手なずけたあとだったから、やりたい放題(笑)。ショウの伴奏以外は、ですけど。

——ショウがあって、そのあとは演奏だけの時間がある。

ショウの時間のほうが短いです。

——どんなジャズをやっていたんですか?

ぼくが入ったときは(ソニー)ロリンズ(ts)志向だったけれど、その前はスタン・ゲッツ(ts)とか、そのころのウエストコースト派っぽいというか。昔は「なになに派」みたいなのが受けていたでしょ。イーストコースト派、ウエストコースト派みたいにわかれて。そのころのオリジナル、たとえばリー・コニッツ(as)のオリジナルとかウォーン・マーシュ(ts)のオリジナルとか、レニー・トリスターノ(p)とか、そういうのがスタンダードより多かったかな。

——そのころにはジャズが演奏できるようになっていた?

まだぜんぜんできてないです(笑)。

加藤久鎮のバンドで成長

——加藤さんのバンドには市川さんの紹介で入ったということですが。

いっちゃんがやっていた渋谷のお店に、加藤さんがトラ(エキストラ)で行ったことがあって。そのあと、いっちゃんが夜中までやっている新宿の「ポニー」(ジャズ喫茶)とかそういうところにいたら、加藤さんがアルト奏者を探しに来たんです。それでいっちゃんの顔を見て、「探してるんだけど」「ああ、いま遊んでいるのがいますよ」。

——オーディションはあったんですか?  

オーディションはライヴ中です。いまよりはそうとう譜面が読めていたんで(笑)。それで、「〈ドナ・リー〉をやるから」「はい」。

——〈ドナ・リー〉は難しいじゃないですか。

「オリジナル・キーじゃないから」。そんなことをいわれてもやったことがないから、関係ない。「けっこう速いからね」とかいわれて、カウントするでしょ。あんまり速いんで、こちらは「はあ?」。目が点になっちゃった。「それじゃ、いくよ」「はい」。「トゥルルル?」。そのへんでぼくはフェイドアウト(笑)。あとは譜面を見てるだけ。

——それでも合格して。

その曲以外にも演奏したから。〈ドナ・リー〉では、加藤さんとピアノのひとがソロをやっている間、ずっと譜面を追いかけて、それでなんとなく終わりのテーマは吹けたんです。なんとなくですけど。

——アドリブはできたんですか?

できてないです。そのバンドでいっぱい勉強しました。

——加藤さんのバンドにはどのくらいいたんですか?

そこの店は2、3か月で替わることになって、「替わるけど、どうする?」。それで、「次は決まってないけど」といわれて、「実家にいるんで、仕事がなくても食わしてもらえるから、待ってます」。それで次の店が決まるまで、ちょっと間があったけれど、そのときやったメンツがまた集まって、あとはギターのひとが増えて。今度の店は池袋の「女の世界」という店で(笑)。

——そこでもジャズをやっちゃうんですか?

オーディションのときは〈ハーレム・ノクターン〉とかのダンス・ミュージック、それふうのいい曲があるんですよ。それをやると一発で通っちゃう。通ったら、入ってすぐじゃないけど、ちょこちょこ始めて、1か月しないうちにやりたい放題ですよ。

——結局、加藤さんのバンドにはトータルで。

6年かな。

——エエッ、そんなに長くいたんですか?

18ぐらいからね。

——ということは、24歳。68年前後ですね。そろそろ「ピットイン」とかそういうところに誰かのバンドで出始めるんじゃないですか?

いちばん最初に「ピットイン」でやったのは、本田(竹広)(p)君がウィークデイを毎日やってたんで、そのときだよね。

——週末は渡辺貞夫(as)さんや日野皓正(tp)さんのバンドが曜日を決めて出ていました。

夜の部はね。こっちはキャバレーで仕事をしてるから、早く行ってやらせてもらう。本田君は「福生に行く」とかね。

第3話(1月24日 掲載予定)に続く

 

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