2019.01.31

【証言で綴る日本のジャズ】 峰 厚介/第4話「テナーサックスに転向。そしてニューヨークへ」

文/小川隆夫

峰 厚介/第4話

ジャズ・ジャーナリストの小川隆夫が「日本のジャズ黎明期を支えた偉人たち」を追うインタビュー・シリーズ。今回登場するのはサックス奏者の峰厚介。

──前話のあらすじ──
ジャズミュージシャンとして本格的な活動を開始した峰。菊地雅章や本田竹広らと行動を共にしつつ、ライブハウスやナイトクラブ、米軍キャンプなど、ひたすら演奏の日々が続く。そんな折に初のレコーディングを経験。さらに自身のリーダー作発表の機会にも恵まれる。

テナー・サックスに転向

——プーさんのバンドが解散しますよね。それでニューヨークに行く。そのときはチンさんと一緒だった。

解散してすぐではなかったけど、行ったのは一緒です。その間に、プーさんのバンドで一緒だった宮田英夫(ts、fl)君と村上寛を誘って、少しだけ活動しました。そのころはテナー・サックスが吹きたかったんで、それもバンド結成の理由です。というか、もう吹いていたけど、プーさんのバンドでは吹かせてもらえなかったんで。

吹かせてもらえないというか、解散するかなり前にプーさんに「テナー・サックスを買って練習してるんだけど」といったんだよね。プーさんが「ああそう、じゃあ持ってきてみたら」みたいなことをいってくれるかと思ったら、「ああそう」で終わっちゃった(笑)。バンドにはテナーの宮田君がいたからね。とはいえ、なにかいってくれてもいいのに、とは思いました(笑)。

それでじゃないけど、板橋(文夫)(p)君と望月英明(b)も誘って、「半年ぐらいやったら、アメリカに行きたい」と宣言して、やってたグループなんで。

——73年に4枚目のリーダー作として『ダグリ』(日本ビクター)(注12)を吹き込んでいます。それがこのクインテットによるアルバム。

(注12)メンバー=峰厚介(as, ts) 宮田英夫(ts) 板橋文夫(p) 望月英明(b) 村上寛(ds) 73年6月21日、25日 東京で録音

当時は鯉沼ミュージックに所属してたから、同じ事務所のケメコ(笠井紀美子)と抱き合わせで、レコーディングのあとにツアーをしました。ライヴが終わると打ち上げをして、それでもまだ演奏がしたい。音が出せるところを探して、よくやってました。

あるとき、「キャバレーなら、営業が終わったあとに音が出せる」といわれてやってたら、騒音防止条例(騒音規制法)かなにかで捕まって。こちらは目をつぶって吹いているから警官が来たのがわからない(笑)。サックスを吹いてたら、トントンと肩を叩かれた。そのときは始末書で済んだけれど。

——テナー・サックスが吹きたくなったのはどうして?

けっこう前から、前からというのは加藤さんの横で吹いて何年かして、「テナーいい」「テナーいい」「テナーいい」となって。聴くのも、そのころからテナー・サックスのほうが多くなって。

——ソプラノ・サックスはいつから?

プーさんのバンドに入ってから。

——そうすると、順番は、アルト、ソプラノ、テナー。

そうです。その前にクラリネットがあるけど。

——だけど、テナー・サックスはプーさんのバンドでは吹いていない。

チンさんの『フレンズ』(CBSソニー)(注13)がテナー・サックスの初レコーディング。

(注13)当時ライヴ・シーンで交流のあった精鋭と組んで吹き込んだ鈴木の初リーダー作。メンバー=鈴木良雄(b) 峰厚介(ss, ts) 本田竹曠(p) 村上寛(ds) 宮田英夫(fl) 73年5月10日、11日 東京で録音

——アルト・サックスは、そのあと吹かなくなっちゃうんですか?

ほとんどっていうくらい吹かなくなりました。

——ぼくのイメージでは、あるとき急にテナー・サックスにスイッチした感じです。

そうかな。ニューヨークに行く前に宮田君とかとやっていたクインテットではまだアルト・サックスも吹いていました。ふたりのサックスの組み合わせがいろいろできて、サウンドがヴァラエティに富むでしょ。宮田君がテナー、ソプラノとフルートで。フルートもアルト・フルート。それでいろいろな組み合わせができたから。

——ニューヨークに行く前に日野皓正さんのクインテットでもツアーをやってませんか?

プーさんのバンドが解散したあとですね。ピアノがミッキー(益田幹夫)で、ベースが岡田勉、ドラムスがトコ(日野元彦)ちゃん。ツアーのときは岡田じゃなくて井野(信義)(b)だったかもしれない。東北のツアーはそうでした。

——京都でライヴを観たひとがいるから、ツアーは1か月くらい続いたんですか?

そんなに長くはなかったです。

——日野さんとのツアーはそのときだけ?

そのずっとあとで、レギュラーだった川嶋哲郎(ts)が体を壊したときに頼まれたことがあります。そのときはけっこう長かった。山陰と山陽の2回にわけて。ピアノも最初が野力(奏一)で、2回目のときは中島政雄、いまはクラシックのコンダクターをやってるけど。

——峰さんがニューヨークにいるときに日野さんもニューヨークに移ってきた。

日野さんのほうがあとです。たぶん、入れ替わりのタイミングで。来たから、帰ってきたわけじゃないよ(笑)。

——一時期、プーさんのバンドのメンバーのほとんどがニューヨークにいました。峰さん、チンさん、村上さん、岸田恵士(ds)さん。向こうでバンドを組むんじゃないかと思っていましたけど、1回もやらなかったですか?

ないですね。

2年間ニューヨークに

——それで、チンさんと一緒にニューヨークに行く。

貞夫さんも一緒で。貞夫さんは取材で行ったんだよね。

——最初はチンさんと同じアパートにいて。

2か月くらいはいたかな。着いた最初は、アパートが見つかるまでホテルで。貞夫さんも一緒だったから、3人同じところ。「プリンスなんとか」というホテルで、貞夫さんが「あそこがいいよ」といって、決めたと思います。貞夫さんがひと部屋、ぼくたちはツインの部屋で。

チンさんが日本からインスタント・ラーメンを持ってきて、それを食べようとなった。部屋には電熱器みたいなものがついてたけど、貞夫さんが「中華なべをひとつ買っておくとなんにでも使えるから、買っておいたほうがいいぞ」。「ああそうですか」って、次の日、中華なべを買いに行って、「これでラーメン、ラーメン」ていってたんだけど、ぜんぜん沸騰しない(笑)。「ダメだよ、これ」。そのあと貞夫さんが帰って。だから、1週間くらいはホテル住まい。

そのころ、日本とアメリカを行き来していたスティーヴ・ジャクソンてドラマーがいたのね。彼がジャーマン・タウンにアパートを探してくれて。安全だけど高かった(笑)。最初はチンさんとシェアだから、よかったけど。

チンさんも行ったばかりのころは仕事がないから、部屋で「トレーニング」とかいって、腕立て伏せをやったり、いろいろなことをして、「走ってみるか」。79丁目にアパートがあったから、イースト・リヴァーが近いんで、「そこを走ろう」。それでヘトヘトになるところまで行って、それから帰ってきたから、ヘトヘトどころじゃない(笑)。「ハー」って。マラソンはそれ1回だけ(笑)。「三日坊主にもなんないな」とかいって。

——しばらくして、別々のアパートに。

そう。チンさんがヴィレッジのほうを探して。

——そのころは、増尾さんはもう行ってましたよね。プーさんも、もう。

いましたね。バンドを解散して、エルヴィン・ジョーンズ(ds)のグループに入るんで、ぼくたちより前に来てました。

——川崎燎(g)さんもいた。

燎もいた。岸田恵士もいた。ちょっとあとの話だけど、大野俊三(tp)が来たときに、うちに電話がかかってきたの。「峰さん? 大野俊三です」「おお、どうした。元気か?」「いまケネディ(JFK国際空港)なんだけど」「なに、それ?」「貞夫さんに『コースケのところに行け』っていわれたから」「ええッ?」(笑)。それで、「どうやって行けばいいの?」。来る気になってるし、「イヤイヤイヤ、そこで待ってろよ」といって、迎えに行ったの。

それで聞いたら、貞夫さんに、「向こうに行く」と挨拶したら、「だれか知り合いはいるのか?」「イヤー、特別いない」「それならコースケに連絡すればいい」。だけど、貞夫さんからぼくのところには連絡が来てないんだよ(笑)。俊三もケネディ空港に着いてから連絡してきたんだから。らしいといえばらしいけど。それで俊三が2週間くらいうちにいて。

——峰さんは、向こうで誰かと演奏しているんですか?

そのころはあまりしてなかった。たまに中村照夫(b)さんが仕事をくれたけど。あとは、何度かギル・エヴァンス(arr)に頼まれてやったことがあるとか。

——ニューヨークにいたのは2年ぐらいですよね。峰さんにとってはどんなことだったんですか?

ジャズの本場の空気に触れたというのもあるけど、それよりニューヨークの空気に触れたことが大きかったかな? プーさんのバンドをやってる最中に、プーさんが「エルヴィンの仕事があるから、1か月休憩」って。そのときもチンさんと「ニューヨークに行こう」となって、1か月だけ行ったことがあるんです。増尾ちゃんのところに1か月ずっと居候させてもらって。それで、今度来るときは長くいたいなという感じで。

——それじゃあ、2年間のニューヨークではずいぶん練習もして。

練習もしました。仕事が多くなかったんで、演奏する楽しみが強くなったというか。日本に戻ってから、その気持ちがさらに強くなりました。

第5話(2月1日 掲載予定)に続く

 

峰厚介 最新作

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