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【日野皓正】アート・ブレイキーに言われたんだ「自分の存在を証明しちゃだめだ」って

日野皓正、トランペッター。20歳のころから頭角を現し、1967年の初リーダー・アルバム『ALONE,ALONE AND ALONE』をリリース後、数々のヒット・アルバムを出し、日本におけるジャズ・フュージョン・ブームを作ったミュージシャンのひとり。マスコミに“ヒノテル・ブーム”と騒がれるほどの注目を集めていたが、人気絶頂期であった1975年にアメリカ・ニューヨークに移住し、それからは海外での活動が主になる。共演アルバムも多く、DJ系のミュージシャンとの共演も試みている。9月に開催される「第14回 東京 JAZZ」への出演が決定しているが、共演者はジャズ・フュージョン界を代表するギタリスト、ラリー・カールトン。さらに、ジャズ・ピアニスト大西順子も加わる。なぜこの三者が共演することになったのか? 「第14回 東京 JAZZ」のことをはじめ、これまでのミュージシャン活動について話を聞いた。

——日野さんは、過去にも「東京JAZZ」に出演されていますが、どのような印象をお持ちですか?

「国際的な一流ミュージシャンが集う場。ひさびさに顔を合わせるミュージシャンもいれば、新たな出会いもある。それが刺激的だよね。そんなフェスティバルに出演できることを光栄に思うよ」

——今年は「東京JAZZ」でラリー・カールトンと共演されますよね。これはどういうきっかけなのでしょうか?

「実は、ほとんどラリー・カールトンのことを知らないんだけど、周囲がこの2人でやったらいいんじゃないかと言ってくれている。2人でどういうものをつくっていこうかとする作業はすごく面白くなると思う。さらに、共演する大西順子ですら2回しか一緒に演奏したことがないんだよ。こういうのは、神とか仏の結びつきのようなもの、『運命』ということをいつも考えるんだ」

——大西順子さんをお呼びになったのは、日野さんなんですか?

「俺の発案じゃないんだ。俺のマネージャーが、大西順子さんと2013年の小澤征爾さんの共演などを知っていて、そこからだね。たまたまこれも偶然があって演奏することになったともいえるけど。以前から大西順子はすごいと思ったから、向井滋春に「大西順子を使ったら」って言ったんだよ。そしたら、『それ、だれですか?』って言ってきた(笑)。まだほとんど知られていなかったからね。でも1994年に一緒にアルバム『J5』をリリースしているしね、結局」

——最近、オーネット・コールマンが亡くなりましたが、日野さんは、オーネット・コールマンから受けた影響などはありますか?

「ああいう自由さ、それと度胸のよさに影響を受けたかな。『清水の舞台から飛び降りる』というか『冷水に身を投ずる』というか。こういう度胸があれば、この世の中けっこう成功すると思ってるんだよ。でもみんな恐れてそれをしない。やってきたこととか、名声とかがあると、恐れて次にいけなくなっちゃうんだよね。あのころのビバップの時代にフリー・ジャズをやったことはすごいなと思った。これは反感を買う人がいるかもしれないけれど、ジャズやビバップを継承してやらなければならない人たちって、可哀想だなと思っちゃう。なんであんな古いことに固執してるんだろう。自分のフレーズじゃないんだよ。昔からあるフレーズを組み合わせているだけでしょ? 自分が考えてるわけじゃない。チャーリー・パーカーが考えたことでしょ? そんなのがクリエイティブなんて冗談じゃない! もっと新しい音楽をやりたいんだよ。レジー・ワークマンが僕のバンドに入ってくれたときに、彼は、『俺はジャズをやるつもりはない。モダン・ミュージックをやりたいんだ』って言ったんだ。その考えを聞いて、もうなんでもよくなってきた。壊して次に行く。アイツがどうのとか、コイツがどうのっていう、小さいことじゃなくてね。そういうのがオーネット・コールマンにもあるんじゃないかと思う」

——オーネットに関して、何かエピソードはありますか?

「1960年代に新世紀音楽研究所というのがあって、そこの菊地雅章さんから電話があった。『日野くん、僕たち今までにない音楽をやっているんだけど、今度一緒にやらない?』って言われた。俺が『どんな人がいるんですか?』って聞いたら、高柳昌行さんや冨樫雅彦さんといった、雑誌で名前を聞く人たちばっかりで。菊地さんが『君、どこに住んでるの?』って聞くから、『僕は代々木です』って答えたわけ。そうしたら『僕は千駄ヶ谷だから、1回ウチに来いよ』っていうことになったのね。それで、初めて会ったときにいきなり『日野君、オーネット・コールマンをどう思う?』って聞かれたんだ。それで、僕は『気持ち悪いですよ、一緒にやっているドン・チェリーのトランペットとか』って言ったら、『そうか、俺はそう思わないんだけど』って。それから菊地さんがそう言うならと思って聴いていたら、だんだん好きになっていったんだ」

——トランペットを吹いているときに、ここはリバーブを掛けていこうとか、ここはオープンでいこうというときに、なにを考えていますか?

「自分がやっているものをアートとしてとらえたときに、『この世の中にあるものは、なんでも使え』と思ってるんだ。そこにあったものを適材適所に使って、みなさんに『おお、いいじゃない』と思ってもらえるし、自分もそう思える演奏がしたいと思っている。人がどう反応するか、そしてメンバーたちも反応するか。どういう風に終わらせるか。そこがアートで、他の部分だけがよくてもダメなんだよ」

——そのアートというのは?

「例えば、マイルス・デイビスがバンドを作るでしょ? そうすると、忙しい(音をたくさん吹く)サックス奏者を連れてくる。それで、自分はスペースを使って武満徹のように(音を少なく)演奏してるじゃない? この対比をやりたいんだよ。白があったら黒がある。昼があったら夜がある。そういう対比のバランスでアートはできていると俺は思うわけ。このバランスをうまく配置できたらいいアートになるんだ。それをやりたい」

——その配置に関しては、演奏中も考えていらっしゃいますか?

「考えているというより、かっこよすぎるけど『無』って言ってるんだよ。たとえば、ロックやジャズのミュージシャンが、いろいろな方法でハイになって演奏している。でも俺が思ったのは、日本には禅がある。お坊さんによると『庭の草木が息をしているのが見えるようになった』という。その境地になれば、最初から『そこ』にいけるんじゃないかと思うようになった。身体をだめにするようなものを使わなくても、トレーニングして無になって。神か仏か、そういうものに委ねて、やらされてると考えてるんだ」

——いい意味で、とても受け身というか、オープンな状態という理解でよろしいですか?

「なにかが入ってきたら、それをやればいいんだから。以前、アート・ブレイキーに『自分を証明するな』って言われたのもそういうことなんだろう。『Hino, You don’t prove yourself, right? Everybody knows you(日野よ、みんなお前のことは知ってる。自分の存在を証明しちゃだめだ)』って言われたから。でも、アート・ブレイキーだって証明してるんだよ(笑)。がくっと来たね」

——それはショックですね。

「ショックだったよ。何十年もずっとショックだった。俺が60歳を超えたころに、『待てよ、アート・ブレイキーもこれを誰かに言われたのかもしれないな、ヤツも自分を証明してたじゃないか(笑)』って思ったわけ。だから証明するのはしょうがないけど、無意味な証明の仕方はダメだよっていうことなんだろうな。『オレがオレが』っていうのはダメだよっていうことなんだろうね」

——若い人に、あまりジャズが聴かれなくなって、ずいぶん時間が経ちます。日野さんはこういう状況をどう思われますか。もうひとつ、2000年代も15年経ち、この後のモダン・ミュージックはどういう方向になってゆくと思われますか。

「インテリジェントなものに興味を持ってほしいと思う。みんなイージーなものに行っているし、逃げてしまっている。それはコンピューターの文化だからよくわかる。いっぽう、モノがない時代は、人間の本心とか本音をみんな聴きたかったわけです。だからそういう音楽に凝った。たとえば昔にパリでピカソやモディリアーニが生まれたように、誰かが本物を追求して。そういう本物を僕は若い人たちがもっと掘り下げて聴いて涙を流せたらいいなと思うんだよね。自分でも、ビバップだけをやっているわけには当然いかない。12音のセリー(十二音技法のこと)を、いまやってもそんなものはなんの新しさもない。もちろん自分も考えるけど、考えても『ない』わけだ。いまの時代に生きているDJやヒップホップの音楽の中に重さが入っているといいなと思う。『なんかこれ違うよね』というようなものをやりたい」

——いまは重さが出にくい時代なのでしょうか? 出さないのか、出せないのか……

「重さを出すのは簡単。うめき声とか(笑)。この前パリに行って、6人のお坊さんに『般若心経』を読んでもらって一緒に演奏をしたんだ。それは重いものかもしれないけれど、受け入れられないでしょう。前のアルバム(『Unity-h factor-』)を2013年に発表したあと、なにがいま俺に必要なのかを考えた。でも、『これとこれを結びつけて新しい音楽を作ろうか』と思うこと自体、もう壁にぶつかっている証拠。自然に新しいものが出てくるようになるには、もう人間としてでかくなるしかなくて、愛を与えられる人になること。それをいま待ってるところ。『もっと人間を勉強をしなさいよ』と言われているんだろうね」

——人間の勉強はどうやってらっしゃるんですか?

「音楽をやってるのは、みんなに幸せになってもらいたい、みんなのためにやりたいと思っているから、音楽ができるんだと思う。愛を増やしていくんだよ。そうすれば、ルイ・アームストロングのような愛にあふれた音楽ができるかもしれない。いまはそのための訓練中なんだと思う。いつか一音だけを出して、それですべてがわかってもらえるような音楽を作りたい。ギル・エヴァンスのオーケストラにはそういう愛があった。彼はメンバーに『演奏したいの? じゃあやりなさい』っていうオーケストラなんだよね。メンバーは変わっても音が変わらないのはそういうことなんだろう。マジックだね。僕のアルバムに入っている『ミワヤマ』はプーさん(菊地雅章さんの愛称)と一緒に作ってくれて、このアレンジもギルなんだけど、『いいよ、やってやるよ』って、ほんとに温かい人なんだよ」

——そのマジックとはなんなのでしょうか? そういう面は菊地雅章さんにもありませんか?

「俺はいつも『100人の敵を作れ。1人の味方がやってくる』って言ってるんだけど、あの2人は1000人の敵を作ってるのかもしれないよ(笑)。だからコマーシャル寄りに入っていかないじゃない。ハービー・ハンコックがエレクトリックで売れた。そしたら、プーさんは、『日野、俺が書けば、もっといいものができて大ヒットするよ!』って言ってたんだ。それで『ススト』を書いたんだよ。すごいアルバムだよね。でもあれはものすごく売れるアルバムじゃないんだ。売れるのを狙っているんだけど、本物指向になってるからできないんだ。俺みたいに、ステージのことを踏まえながら芸術のことをやっている自分と、最初から芸術指向の人の違いかもしれないね」

このように溌剌としていて、常に自然体であろうとする日野皓正。そして「第14回 東京 JAZZ」でのラリー・カールトン、大西順子との共演もどういう音になるのか、どこまでチャレンジングな演奏を繰り広げてくれるのか、たいへん楽しみなプログラムだ。日野皓正は、9月6日(日)にthe HALLで出演予定。

■東京JAZZ
http://www.tokyo-jazz.com/

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