ARBAN

【大西順子】ベテランピアニストが“真っ白な状態”で挑んだ復帰作

ジャズ・ピアニストとして抜きん出た作品を創っていた大西順子の突然の引退、そして復活。このたび、6年ぶりのニューアルバムを出した。ジャズあり、ラップあり、ビッグバンドありのバラエティーに富んだ秀作だ。まずは、気になる“引退宣言から復帰”までの経緯を訊いた。

「日野(皓正)さんという大先輩の大きな助言もあり戻ってきました。それが昨年の『東京JAZZ』への出演だったわけです」

——活動の再開には、日野さんが影響していたのですね。では、最新作をプロデュースした菊地さんとは?

「引退前からいろいろお話する機会ができた菊地さんとは交流を続けていました。もはや演奏家ではない、ピアノを弾かない私ですが何か面白いことをやりましょう、という私につきあって、新宿ピットインの昼の部でトークショーと称して、私が聴いたことのないジャズを、とことん私に聴かせ、フリートークするというイベントを開催してくださったり。長いあいだピアノを弾いていて、私自身として飽和している面がありましたし、引退した頃の私は、今の音楽シーンでどんなことが起こっているのかまったく分からない状況でした。そんな時に、菊地成孔さんにいろいろなアイデアを教えていただいて」

——“聴いたことのないジャズ”とは、どんな?

「ロバート・グラスパーの『Black Radio』とか。とくにインパクトを受けたのがジョージ・ラッセルでした。じつを言うと、私はこのときまでジョージ・ラッセルの存在を知らず、なんで今まで知らなかったのだろうって、驚いたのを覚えています。またDJをやってみるという私のなかにはまったくないアイデアのもと、そういう体験もさせていただきました。そういった形でイベントなどに参加させていただくなかで、しばらくして菊地さんに『私という素材を使ってアルバムを作るとしたら何か良いアイデアはありますか?』と聞いてみたら、菊地さんは『たくさんありますよ』って。いろいろなアイデアを具体的に言ってくださいました」

——アイデアを聞いていかがでしたか?

「これまでの私は、セルフ・プロデュースでアルバムを作ってきたので、菊地さんのアイデアは新鮮でしたし、具体的に音楽アイデアを提示することができたのは菊地さんだけだったと思います。嬉しい驚きでした。菊地さんのような、曲もかけて演奏もできて、それこそすべてができるプロデューサーっていないじゃないですか。そういう人がいるのであれば、第三者から私はどう見えているのか? というのを一度やってみたい。そう思って菊地さんにプロデューサーをお願いしました。あと今作では、私自身まるっきり白紙の状態でやっていました。それこそ、昔サイドマンをやっていた頃と同じ気持ちで」

——サイドマンとして演奏していると、どういう感覚になるのでしょうか。

「今回のレコーディングに関してはミックスダウンなどが全部終わって聴くと、『あ、こうだったんだ』とわかる、ということですね(笑)。作り手(今回は主に菊地氏)の作品のなかで“自分のピアノでどうその世界を膨らませるか”というのは、サイドマン時代の自分の腕の見せどころでした。さらに、自分のなかにない音楽を経験することで自分の音楽を広げていける貴重な時間です。長い間その時間がなく、自分の音楽と音楽観だけで作ってきた私は、完全に煮詰まっていたので今回はまったく理想的な刺激になりました。すべてをプロデューサーに任せるという方法は初めてでした。ポップスやジャズでも歌手の方ではこういう形を取る方は多いですが、ジャズミュージシャン、しかもプレーヤーでは珍しいかもしれません」

——すべてを委ねるということに違和感はありませんでしたか?

「私という素材をどう生かすのかというアイデアを、菊地さんはいくつも出してくれたので違和感はありませんでした。長い時間をかけて慎重に作ってきました。菊地さんはどれだけ過去の私の音源を聴きこんだんだろう、と考えると自分でも吐き気がするほどかも(笑)。ここまでやっていただけてありがたいです」

——菊地さんからはどういう提案があったのでしょうか?

「基本には私が若いころ参加していたM-Baseでしょうね。M-Base系のバンドには参加していたのですが、自分でやる音楽はちょっと違ったものをずっとやってきました。菊地さんは私のそういった経験からも今そこに焦点をあてることを考えてらしたようです。それから最近のウェイン・ショーターのようなことも考えていたと思います。もちろん、実際やってみるとまた変わっていく面もあるでしょうが。“Tea Times”は、クリックに合わせて生で何テイクか演奏しています。それで、いいところをPro Toolsで編集しているんです。これは便利だな、と(笑)。勉強になりました。“Tea Time 1”に関して言えば、ドラムに特徴があって曲は5拍子ですが、4拍子のパターンが基本になっているクロスタイムがトリッキーに聴こえると思います。ヒップホップで多用される基本トラックとは全然違うグルーヴでラップが入る、という昨今の新しいグルーヴに通じるアイデアだと思います。1小節に16分音符が20個あるので、4でも5でも自由に行ったり来たり。こういったアイデアは昔からありますが、それらは8分音符で考えられていたし、主にソリストが単独で使用していました。マイルス・バンドのトニー・ウイリアムス加入頃からリズム隊も一緒に自由に動くようになった現象の、さらに現代版だと理解しています」

レコーディングの風景

——“Tea Time 2”については?

「ジョー・ザヴィヌルっぽい感じですね。これも4ビートというよりは16分音符で感じるところが今風でありトリッキーなところであり、ミュージシャンが聴くと『おっ』と思うかもしれません。リズムの形態はデトロイト・テクノです。菊地さんの考えではスイングの系譜であるということなので、今現在のピアノトリオとしてうってつけの曲になったと思います」

——このアルバムを作ってみて、いまの大西さんが特に“面白い”と感じる曲は何でしたか?

「“Tea Time 1”もすごく面白かったんですけど、やはりジョージ・ラッセルの“Chromatic Universe”ですね。このオリジナルはベースとドラムがまったく違うリズムパターンの10拍子の上で、ビル・エヴァンスとポール・ブレイの2人のピアニストが同時にソロをとっていて、まず、リズムの複合性が今現在のジャズの動向に通じているところが面白いです。今作でピアノは私しかいないので4テイクくらい取ったと思いますがそれのいいところを2人いるようにかぶせました。面白い試みです」

——その魅力というのは?

「以前から菊地さんの曲にはコード進行がトーナリティされない曲が多いので、ソロの内容とか、だんだん全部一緒になってしまうのではないかなと危惧していました。でも、1曲や2曲“Chromatic Universe”みたいにある種の奇妙なグルーヴ、浮遊感のうえで、その日の気分でストーリーを作っていくっていうのが、いまハマっているのかもしれないです」

——大西さんが考える“グルーヴ”は、どういうときに生まれるものだと思いますか?

「言葉で表現するのがとても難しいのですが、音と音の間にただ空間があるだけじゃなくて、その空間、目に見えないものを“グッ”と掴んだっていう瞬間があるんですよ。8分と8分、まあ16分、4分でもなんでもいいですけど、見えない何かが動いているような感じですね。地殻変動みたいなものです。それがあると音が生きるというか。動いているというか。紙に書いた音じゃなくなるんです。特にソリストが出すグルーヴっていうのが私はそれだと思います」

——“浮遊感”というのはどういうことでしょうか?

「いちばん簡単に浮遊させるのはルーズに弾くことですが、タイムや音数を減らすとかそういう具体的なことだけではなく、音楽そのものが浮遊しているとでもいいますか…。音色やタッチの深さなどでもそれは表現できるし、1曲通して浮遊しているということもあり得ます。いま試そうとしているのが、コード進行だけの曲を書いて、それはリズムもテンポ自体もいろいろ動いたりするけど、それをトリオで試そうかなと思っています。組み替えは常に違うし、どの音から始まるかも絶対違うので、そういう意味で、何も束縛がないというやり方と、ある程度の束縛を作ったうえでやっていくやり方をやってみようかなと思いました」

——“Fetish”のピアノの音が肉厚であり艷ややかで魅力的でした。

「おそらくEQなどがかけられていますが、あの曲に関しては、軽く弾いてしまうと、とてつもなくかっこ悪くなってしまうと思いました。“Fetish”は、たとえばロリンズやモンクの音の重さが必要な曲だと思います。菊地さんは、5連符や5拍子など、とにかく“5”に凄くこだわっています。“5”へのフェティッシュなんです」

——なぜ“5”なのでしょうか?

「これは菊地さんが仰ってることで、私もなるほどと思うのですが、エルヴィン・ジョーンズやマックスローチ、あるいは、ピアノでは最近改めて聴いて5連が多いなと思ったんですが、アーマッド・ジャマルなどなど、アフロ・アメリカンの多くは“5”を自然に多用しています。この曲を気に入るという方は、かなりブラックミュージックが好きなんだと思います。私のトリオで一緒にやってくれている山田玲くんという24歳のドラマーがいます。彼に“Tea Time 1”をやらせるんですけど、最初できませんでした。でも全部“5”でできているよって言うと『ロイ・ヘインズとかなにを聴いても全部“5”が入っていてびっくりしました』と。すごく勉強になったみたいです。奇数で感じていくと、一拍が感覚として長くなっていきます。同じテンポでもゆとりが出てきます。そうすると、さっき説明した“グッ”みたいな感覚、グルーヴが出てくるのだと思います。アート・テイタムとかは“5”が山のように出てきます。あの人は指がとてつもなく動くので、10、11とかがあります(笑)」

——アート・テイタムですか?

「彼ほど革新的な人はいないと思っています。たしかにあの時代のピアノとしてアート・テイタムは、パッと聴いただけだとカクテル・ピアノなんです。でもやっている内容は、たった一人で、たとえば“Chromatic Universe”におけるリズムセクションの複合性の上で、さらに違うリズムの流れのメロディーといったようなことが、真にMusical Momentといった形でたった一人で再現している。リズムにしろ、ハーモニーにしろ。たった一人です。あんなことを即興でできる人はいない。明らかにその場の思いつきで偶然そうなったのではなく考えぬいてやっているということを、30歳くらいになってアート・テイタムを研究して痛感しました。結構な量の完コピをしました。譜面を作ってみると、ありえないようなことが行われている。最近流行りの16部音符など、より細かい音符を正確に感じながら、例えば9.5拍などでできているフォームを自由に弾きまくる、ということももちろん高いスキルが必要だし、そのアイデアは最近出てきたものかもしれません。が、アート・テイタムはたとえばスタンダード曲をミディアム4分の4拍子のインテンポでフォーム通りに弾いているなかで、その合計拍数はまったく犯さずにドラムやベースといったリズムサポート、もしくはタイムキーパーもいないなか、自由自在にまったく違うテンポやハーモニーのセンテンスを挟み込み、単調な曲をドラマティックに変化させる。絶対音感ならぬ絶対タイムというものがあるとしたら凄まじい絶対タイムですね。ピアノトリオでパパ・ジョーンズ、レッド・カレンダーとやっている“Just One Of Those Things”なんかは、バーラインどころかフォームも乗り越え、当時としては、と言うか、いま聞いても斬新で、しかもスピード感がありすぎてちょっと走っているんです。それも絶対タイムがあるからこそ、かっこいい走り方なのではないかと深読みしそうなほどです(笑)。彼を研究しすぎて、私自身、飽和してしまった面もあります。この人は独りで100年先まで行っているな、という感じですね。マイルスでもデュークもなくて、本当の天才はアート・テイタムだと私は思っています。クラシックの影響を受けているとは言えるかもしれないけれど。どうしてあのようになったのか、想像がつかない。ビバップのハーモニーもすでに30年代に入っているし。たったひとりで起こした改革で、誰もついてこられなかった。いまはある程度ついていけるようになってきたのかもしれません」

——ついていけるようになったというのは、いまのジャズはアート・テイタムに似てきているということでしょうか?

「昨今の音楽作品がアート・テイタムに似てきているわけではもちろんありません。リズム、ハーモニーなど、さまざまな可能性を貪欲に、時に聴衆を失うリスクをも恐れず多くのミュージシャンが開拓してきたことに聴衆もついてくるようになったように思います」

——今回ひとつの作品となってみて、再び完全自分主導でやってみたいという気持ちにはなりましたか?

「もちろんこのアルバムでそういう曲があっても良かったかなとは思うんですけど、もう少し時間が必要かもしれません。でも、弾いている内容は昔と変わりません。それでも『Tea Times』のような新しいジャズにも順応できたのは、ジャズのコアな部分をこだわって勉強し続けてきたからだと思います。もちろん、そこが菊地さんの狙いだったのでは、と思いますが。結局、音楽をやるうえでそういった姿勢が必要なのだと思いました。これを言うにはまだ早いかもしれないですけど、有能な若い子たちがでてきているので、少しでもいい経験を彼らにさせてあげられたらいいかなと考えています。いまはそこに、面白さを感じています。ピアノトリオでやっているので、出会う楽器や演奏者が限られてしまいますが、ドラマーの山田玲くんや石若駿くんには注目しています。若いと本当に吸収が早いから、日に日に良くなっていくじゃないですか。そういうのを見ているのは楽しいですね」

■Taboo公式サイト
http://taboolabel.net/info.html

公演情報
8月19日 Blue Note NAGOYA
http://www.nagoya-bluenote.com/schedule/201608.html

9月6日 billboard LIVE osaka
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&date=201609&shop=2

ARBANオリジナルサイトへ
モバイルバージョンを終了