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ディアンジェロ

ディアンジェロといえば1995年にリリースした『Brown Sugar』のタイトル曲が大ヒットして、当時の“ネオ・ソウル・ムーヴメント”の旗手として一躍メジャーになったアーティスト。しかし、彼は他のネオ・ソウルの人たちとは異なり「自分をR&Bシンガーだと思ったことはない。いつだってR&Bなんてくだらないと思っていた」と発言している通り、本人はR&Bやソウルよりもヒップホップに愛着を持っている。また、作品発表のインターバルが異様に長いミュージシャンとしてのイメージも定着してしまった。セカンド・アルバムの『Voodoo』こそ2000年にリリースされたものの、その後はライブ活動などのインフォメーションもほとんどなく、沈黙。そんな彼が「ディアンジェロ・アンド・ザ・ヴァンガード」というバンド名義で新作『Black Messiah』を発表したのは2014年の暮れ。実に約15年の空白を経てのリリースだった。その間に彼を取り巻く環境も、そして楽曲作りも大きく変化した。デビュー当時は『Brown Sugar』に代表されるようにファンキーなエレピがサウンドの要になっていたし、続く『Voodoo』では引き締まった筋肉質のファンクが印象的だった。しかし『Black Messiah』はコード感が希薄で粒立ちの曖昧な音像とジャンクなリズム感覚のサウンドが不穏な空気を纏った作品になっている。

折しもアメリカでは再び人種差別が問題になり、相次ぐ警察官による黒人の射殺事件などが発生して、国内が騒然としているときにリリースされた『Black Messiah』。冒頭の「Ain’t That Easy」がマイケル・ブラウン射殺事件やエリック・ガーナー窒息死事件を受けて前倒しされてリリースされたり、アルバム・タイトルの「黒い救世主」が物語る通り、これはディアンジェロによる現代アメリカ社会へのレベル・ミュージックと捉えることもできる。

果たして、そんな背景を持った新作を携えて、昨夏に引き続き来日したディアンジェロ。案の定、定刻より1時間遅れてライブは始まった。照明が落ちると、それまで流れていたヒップホップのBGMが焦らされた観客の声で掻き消される。異様な盛り上がりの中、ステージ中央の奥から登場したディアンジェロは、スタンドマイクを握ると、いきなりフル・スロットルで歌い始める。会場は歓声と喧騒が入り混じったようなカオスの様相を呈している。1曲目の「Devil’s Pie」でいきなりピークに達したかのような空気と共に、強烈なオーラを放つディアンジェロ。彼の脇を固める7人のメンバーは、黒子に徹するように黙々と演奏を続ける。2曲目からギターを抱えたディアンジェロを中心に、3本のギターがラウドに響きわたる。その中でもひと際目立つのが、80年代の一時期、プリンスと行動を共にしていたジェシー・ジョンソンだ。彼のギターはファンカデリックとミネアポリス・ファンクの影響を滲ませ、ときにサイケデリックに、また別の瞬間にはメロウな旋律を添えてくる。彼と共に印象的だったのがドラムスのクリス・デイヴだ。拍の前に細かいアクセントをつけたリズムは前にのめり、ヒップホップと共鳴するような性急なビートを叩き出す。これが今のストリートのリズムでありビートなのか? 踵をつけて歩くのではなく、つま先だけで小走りしなければならないような切迫した空気感を醸し出している。明らかに20世紀のソウル・ミュージックとは違う感覚とアプローチ。ラウドなギターの音は、リヴィング・カラーやバッド・ブレインズとも共通するブラック・ロックの色彩が強く感じられ、ライブの中盤に歌われた「Brown Sugar」では印象的なエレピのサウンドさえなくなっていた。

タイトなリズムを叩き出し、ラウドにうねるサウンドをバックに、ディアンジェロはマッチョ風のポーズをキメたり、猥雑な動きをして見せたり――。ステージを左右に忙しなく歩きながら、コール&レスポンスを要求し、馴染みのナンバーを繰り出してくる。意外だったのは3曲目に歌われた「Feel Like Makin’ Love」のカバー。まさにディアンジェロ流に換骨奪胎され、まったく別の意味を孕んだ曲に生まれ変わっていた。

観客が総立ちの中、「Left And Right」や「Chicken Grease」といったレギュラー・ナンバーが演奏され、アンコールで初めてエレピの前に座ったディアンジェロは、この日、最もメロウな「Untitled(How Does It Feel)」を弾き語りで歌い始め、メロディ・メイカーとしての片鱗を窺わせた。しかし、それも束の間、曲の後半はバンド・メンバー全員でロッキッシュな演奏が展開され、全10曲、1時間半のライブはハードでヘヴィなサウンドで最後まで貫かれていた。

先の黒人にまつわる事件が影を落とし、今のアメリカの空気が殺伐としていることを肌で感じ、危機感や焦燥感を表現するような作品とライブを米国と同じように展開しているディアンジェロ。果たしてその本意が、日本のオーディエンスにどこまで伝わったのか。

もちろん、ライブはエンタテイメントであり、観客を楽しませなければならない。しかし、そんなアメリカの状況と観客の期待のギャップに少しジレンマを感じながら、僕はステージの上の彼の姿をずっと追っていた。

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