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THE POET SPEAKS/THE COMPLETE ETUDES

パティ・スミス×フィリップ・グラス
ギンズバーグの詩で吠える

ニューヨーク・パンクの女王パティ・スミスと、ミニマル・ミュージックの巨匠フィリップ・グラスとの共演。そしてその題材は、世界で最も広く読まれ、1960年代以降のカウンター・カルチャーに多大な影響を与えた詩人アレン・ギンズバーグ。さらにそのギンズバーグの詩を日本語に翻訳するのは、村上春樹と、柴田元幸(アメリカ文学研究者)という、普段活動しているフィールドも、ジャンルも、世代も違ったアーティストたちによるコラボレーション・コンサートが開催された。

パティ・スミスとフィリップ・グラスは生前のギンズバーグと交流があったそうで、ギンズバーグという強烈なカリスマに、才能溢れるアーティストたちが引き寄せられてきた、という感じだろうか。  まずオープニング・アクトとして、パティの娘ジェシー・スミスと、チベット人シンガー・ソングライターのテンジン・チョーギャルが登場。ジェシーがピアノを弾き、テンジンがさまざまな民族楽器を奏でながら、ワードレス・ボーカルを聴かせていく。その声の存在感と歌唱力は圧巻だ。力強く、そしてプリミティヴな歌声に圧倒されてしまった。

そしていよいよ、パティ・スミスとフィリップ・グラスが登場。まずはパティが、ステージ後方のスクリーンに映し出されたギンズバーグの写真に一礼し、そして先日のオバマ大統領の広島訪問に敬意を表して「核兵器を廃絶して、戦争が無くなるまで、闘い続けましょう」とメッセージを発信。そこから、パティが、ギンズバーグや彼女自身が書いた詩を、グラスのピアノをバックに朗読し、後方のスクリーンには、村上春樹と柴田元幸による日本語訳が映し出されていく。スケールが大きく、アグレッシヴで、でもどこか退廃的で、ときとしてエロティックなギンズバーグの世界観を、寄せては返す波のような独特のうねりを生み出すグラスのピアノとともに、パティが、ときには淡々と、ときにはささやくように、そしてときには叫ぶように朗読していく。その表現力は圧倒的だ。ストーリーテラーとしてのパティのすさまじさみたいなものを実感させてくれるパフォーマンスだった。

4編が朗読されたあと、グラスが一旦ステージを降り、ジェシー・スミスと、パティの“盟友”ともいうべきギタリストのレニー・ケイが登場して、「Dancing Barefoot」「Wing」「Pissing In A River」の3曲が歌われた。アコースティックなサウンドだったが、パティのロック・スピリットがストレートに聴き手に伝わってくる。その姿はとても凛々しく、勇ましい。別に、破れたTシャツを着たり、チェーンや安全ピンをアクセサリーとして付けたり、髪の毛を逆立てたりすることがパンクなのではなく、またエキセントリックに叫びながら歌うことがパンクなのでもない。自分の信念をけっして曲げず、何物にも染まらず、常に体制と闘い続ける姿勢こそがパンクなのだ、ということを、パティが身をもって体現しているように感じた。
続いて、再びフィリップ・グラスが登場し、ソロ・ピアノを披露した。淡々と、だが緻密に抑揚を付けながら、独特のフレーズが繰り返されていく。聴いているうちに、一種のトランス状態に入り込んでしまうような、彼ならではの世界観が展開されていった。スクリーンには、ギンズバーグとグラスが一緒に写った写真なども映し出されていた。

そして再びパティとグラスによる、ギンズバーグの詩の朗読。3編が朗読されたが、パティのパフォーマンスはさらに凄みが増し、まさに鬼気迫るものだった。その一言一言が、胸にズシッと響いてくる。

そしてラストは出演者全員で、1988年にリリースされてその後パティの代表曲となった「People Have The Power」が歌われた。ジェシーがピアノを弾き、グラスはコーラスをやっていたが、その楽しそうな姿もほほえましかった。最後は観客たちも総立ちで、会場全体で大合唱となり、コンサートは感動的に幕を閉じた。

ギンズバーグという希有な感性と、個性的なアーティストたちの卓越した表現力がぶつかり合い、まるで原色が混ざり合うことによって、今までにはなかったような色彩が生まれたような、不思議だがとてもアーティスティックで、ステキな一夜だった。それにしても、パティ・スミス、やっぱりムチャクチャカッコいい!

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