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ビル・エヴァンスのメガネ【ジャズマンのファッション/第1回】

現在のハリウッドスターやポップスターと同様、かつてのジャズマンはファッションリーダーだった。本連載では、そんな「ジャズのレコード・ジャケットとともに記憶されたファッション」について、さまざまな角度から考察していきたい。

メガネがトレードマークのジャズマンといえば……ハービー・ハンコックや、ジョー・ヘンダーソン、あるいは往年のディジー・ガレスピーが思い浮かぶ。が、その筆頭に挙げるべきは、やはりビル・エヴァンスではないか。そして「ビル・エヴァンスのメガネ」と聞くと、多くの人は『ポートレイト・イン・ジャズ』(1959年)のジャケット写真を連想するのではないだろうか。

ジャズ史に燦然と輝く名作として、そのサウンド面は世界中の識者によって語られてきた『ポートレイト・イン・ジャズ』だが、本稿のテーマはファッション。「あのウェリントン型メガネは、一体どこのブランドなのだろうか?」というのが今回のテーマである。

さっそく、このジャケット写真の “メガネだけ”をじっくり観察してみよう。まず、フレームの上部は黒緑。アンダーリムにかけて透明にグラデーションしている。左右のレンズをつなぐブリッジはキーホール型(通称:キーホール・ブリッジ)で、リム正面の左右両端にはダイヤ型の飾り鋲がついている。

リサーチしてみると、それは米国のブランド TART OPTICAL(以下、タート社)の「アーネル」というモデルではないか? という記事を発見。確かに「アーネル」は前述したディテールのすべてを備えているし、フレームのフォルムも限りなく近い……。しかも“タートのアーネル”といえば、ミュージシャンや映画俳優に愛用者が多いと聞く。

しかしその一方で「タートのアーネル説」に異論や疑問点を挙げるヴィンテージ眼鏡マニアも存在するようだ。そこでまず “古い眼鏡の専門家”に話をきいてみた。世界でも有数のストック数を誇り、業界内でも独自のポジションを確立している表参道のショップ「ソラックザーデ」代表の岡本龍允氏である。ヴィンテージ・アイウェアに圧倒的な見識と経験を持つ同氏は、こう語る。

「いくつかの推察があるようですが、『ポートレイト・イン・ジャズ』のジャケット写真でビル・エヴァンスがかけているメガネは、アメリカン・オプティカル社のものです」

やはり「タート社のアーネル」ではない? その根拠を出してもらう前に、当時のアメリカの“メガネ事情”について。岡本氏はこう解説する。

「まず、この(ビル・エヴァンスがかけている)ようなセルフレームのメガネが一般的に普及するのは1950年代以降なんですが、それ以前(40年代)はメタルフレームのラウンド型かオーバル型が主流でした。メタルフレームの製造は特殊な技術・加工が必要で、これを担っていたのが先ほどのアメリカン・オプティカル社や、シュロン社、ボシュロム社といった大手メーカーでした」

そんな寡占状態の米メガネ業界だったが、第二次世界大戦後に新興勢力が登場したという。

「戦後に登場した新興ブランドの多くは、メタルよりも加工が容易なセル素材に注目しました。1948年に創業したタート社もそのひとつで、先ほどの(筆者が“ビルのメガネではないか?”と推察した)アーネルは、同社の人気モデルのひとつです。50年代に入ってからも、しばらくはメタルフレームが一般的だったため、タートのようなセルフレームは非常に斬新で個性的なメガネとして、当時の俳優やミュージシャンたちに好まれました」

事実、タート社のアーネルはジェームズ・ディーンに愛用されたことでその名を歴史に残し、同社の別モデル「ブライアン」はウディ・アレンの知的なイメージを決定づけた。では、なぜ岡本氏は「ビル・エヴァンスのメガネは“タート社のアーネル”ではない」と分析するのだろうか?

「確かにこれはアーネルと非常によく似ています。ちなみに、アーネルを作っていたタート社は当時、ごく小規模なブランドで流通量も限られていました。一方、大手であるアメリカン・オプティカルは、こうした新しいデザインにも対応することができ、多様なセルフレームを大量に販売していました。アーネルに似たデザインだけでも、約10種類も展開していたほどです。これらのモデルのデッドストックを入手して検証した結果、ビル・エヴァンスがかけているメガネとぴったり合致するモデルを発見しました。それがアーネルと非常によく似た、アメリカン・オプティカル社の製品だったのです」

ヴィンテージ・アイウェアに精通した岡本氏の導き出した結論は、非常に納得させられるものだった。加えて、現在ではトラッドなデザインの代表であるウェリントン型のセルフレームが、当時は“斬新なもの”として受け入れられていたことも注目に値する。

他人とは違ったインパクトあるメガネを求めた結果、ビル・エヴァンスはアメリカン・オプティカルのセルフレームを選んだ。そう推察してよいものか、今となっては、彼がどんな意図であのメガネを手にしたのか知る由もないが、いずれにせよ、件のアルバム『ポートレイト・イン・ジャズ』は発売当時、その内容とジャケット写真(=メガネ)の双方において“斬新さ”を顕示したアルバムであったと言える。

残念ながら、岡本氏のショップでは“ビル・エヴァンスと同じ年代の同一色フレーム”は売り切れてしまったそうだが、“同一シェイプの黒いセルフレーム”であれば、希少なデッドストックを在庫している(7月上旬取材時)という。

さて、結局「ビル・エヴァンスのメガネ」ではなかったが、タート社のメガネは、同時代の多くのミュージシャンや俳優たちに愛されていたようだ。往年のジャズマンの中にも、その愛用者はいたようで、タートを着用していると思しきジャケット写真も多数確認できる。例えば、ユセフ・ラティーフやジェームス・ムーディーのジャケット写真に見られるメガネは、タート社のFDRというモデルに極めて近い。

ソラックザーデで購入可能なデッドストック(未使用)のアーネル。同店が手がけるレストアによって、フレームの歪みや蝶番などのメタルパーツのくすみはほとんどなく、艶やかなアセテートの質感が当時のように楽しめる。顔の形によって、適正なレンズ幅、ブリッジの幅が異なるので、当時からサイズバリエーションが用意されていた。ただでさえ希少なデッドストックをサイズバリエーションまで取り揃えているのは、世界広しと言えど、おそらくここだけ。5万7000円/タート・オプティカル(ソラックザーデ)

先述の“アーネル”らしきものもいくつか発見できるが、(今回のビル・エヴァンスも同様)他メーカーからも似たシェイプの製品が多数発売されており、また、細部まで目視できないジャケ写も多いので、確実にブランド(およびモデル名)を特定できるケースは稀だ。

ちなみに、今回の検証に協力してくれたショップ「ソラックザーデ」では、タートのアーネルについても、20種類にも及ぶサイズバリエーションが保管されているおり(2017年7月上旬取材時)、希少なデッドストックから自分の顔型に合う、理想の一本を見つけることができるはずだ。もちろん、それなりの出費と手間を覚悟しなければならないが…。

さて、タート社のメガネについて、もうひとつ選択肢があることもお伝えしておこう。メーカーとしての歴史は70年代に終焉しているが、近年でもジョニー・デップがヴィンテージのタートを愛用するなど、その人気は衰えていない。そんな折(なんと今年の春)に、創業者ジュリアス・タート氏の甥にあたるリチャード・タート氏(※2)の協力によって「ジュリアス・タート・オプティカル」が創立されたのだ。

吉祥寺(東京都武蔵野市)井の頭公園入口近くにあるショップ、ザ・パークサイド・ルームでは、この新ブランドをほぼフルラインナップで取り揃えている。広報の根本氏と店長の志岐氏に、このブランドについて訊いた。

「ヴィンテージは保存状態によって、かなりの個体差があります。皆さんがセルフレームと呼んでいるものの多くはアセテートという素材が使われていますが、この素材の特性として、何十年も経つと油分が抜けて形状が変化してしまうこともあり、非常にデリケートです。その点、ジュリアス・タート・オプティカルの復刻版であればそうした心配もなく、ラフに普段使いしたいという人に最適です。ジュリアスはアメリカン・カジュアル好きの40代の方に特に人気が高いのですが、このビル・エヴァンスのようにスーツに合わせるのもかっこいいですよね」(志岐氏)

同店では、こうした復刻版だけでなく、ヴィンテージをリメイクした製品も扱っている。

「当時の“本物”にこだわる方には、デッドストックやヴィンテージを再構築して生み出されたタートもあります。これはアンティーク・アイウェアの収集家であるジェイ・オーウェンズ氏が手がける“ザ・スペクタル”というブランドで、おもにアメリカン・オプティカル、シュロン、ボシュロムといった米大手ブランドのデッドストックやヴィンテージパーツを元に、卓越したレストア技術で現代に甦らせるプロダクトです」(根本氏)

2015年のアカデミー賞ではジャズドラマーを主人公にした映画『セッション』が3部門で受賞。さらに今年は同監督の映画『ラ・ラ・ランド』でライアン・ゴズリングがジャズピアニストを演じ、ここ日本でも大ヒットを記録。同じく、イーサン・ホークがチェット・ベイカーを熱演した『ブルーに生まれついて』や、マイルス・デイヴィスを題材にした『MILES AHEAD』など、オールドスクールなジャズに大きな注目が集まるなか、あのタートがジュリアス・タート・オプティカルとして生まれ変わったのは、偶然ではなく必然なのかもしれない。

こちらはジュリアス・タート・オプティカルの「AR」と命名されたモデル(もちろんアーネルのことを指している)。フォルムも配色も、ビル・エヴァンスのそれにかなり近い。レンズ幅は42/44/46ミリの3種類が用意されているので、顔の大きさに合わせて選ぶことができる。全6カラーで展開。3万7000円/ジュリアス・タート・オプティカル(ザ・パークサイド・ルーム)。また同型のサングラスもあり、こちらは3万8000円。

注釈 ※2 ジョニー・デップが愛用したことで、一気にその名が広まったタート。ジョニーにそのデッドストックを販売し、LAでフォー・ユア・アイズというヴィンテージショップを経営していた(現在は閉店)のがデヴィット・ハート氏。2011年に彼がタートの復刻に携わったが、14年にはその復刻版も途絶えていた。

取材協力

●SOLAKZADE(ソラックザーデ)
東京都渋谷区神宮前4-29-4 Goro’s Bldg B1F
営業時間 15:00~20:00(水曜のみ完全予約制) 不定休
℡03-3478-3345
http://www.solakzade.net/

●The PARKSIDE ROOM(ザ・パークサイド・ルーム)
東京都武蔵野市吉祥寺南町1-17-1 バイオスフィア2F
営業時間12:00~21:00水曜定休、年末年始
℡0422-41-8978
http://www.tpr.jp

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