【証言で綴る日本のジャズ】川崎 燎/第9話(最終話)「エルヴィン・ジョーンズのグループで多忙を極める」

文/小川隆夫

2017.10.09

ジャズ・ジャーナリストの小川隆夫が“日本のジャズ黎明期を支えた偉人たち”を追うインタビュー・シリーズ。連載スタートとなる今回、登場するのはギタリストの川崎燎。本邦ジャズ史の知られざる事実が、氏の“証言”によって明らかになる。

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エルヴィン・ジョーンズのグループで多忙を極める

——ギル・エヴァンスのオーケストラからエルヴィンのバンドに移籍というのもすごい。

エルヴィンのところにはローランド・プリンス(g)がいたけど、彼が抜けたんで、ギタリストを探していたんです。それで、ぼくがよく出ていたニュージャージーの「ガリバーズ」のオーナーが推薦してくれたんだと思います。彼は才能の発掘に関して、エルヴィンが信頼してたひとだったから。

エルヴィンとの最初は「カーネギー・ホール」の仕事で、ジョン・コルトレーンに捧げたコンサート。それがギルの日本公演直後にあったんで、ギルに「エルヴィンの仕事があるんだけど」といったら、「リョウはエルヴィンのバンドでやったほうがいい」といわれて。そこで、ギルのバンドはいちおう終わったんです。このときのエルヴィンの仕事は1回の出演で3千ドル。びっくりしました(笑)。

エルヴィンはギグの数が多くて、ツアーが年に約10か月。だから、かけ持ちの仕事もニューヨークでの活動もできなくなっちゃった。そのためエルヴィンとやっていた約二年間はニューヨークで忘れられた存在になったけど、彼のトップ・シンバルの真ん前で毎日演奏するのはすごい経験になりました。

——エルヴィンのバンドではアルバムも2枚、『Elvin Jones/Main Force』(Vanguard)(注38)と『Elvin Jones/Time Capsule』(同)(注39)を作りました。

サックスのレギュラーはパット・ラバーバラだったけど、デイヴ・リーブマン、フランク・フォスター、ジョージ・コールマン、スティーヴ・グロスマンとか、当時いちばんのサックス奏者が入れ替わり立ち代わりで来て、非常に面白かった。記憶に残っているのは、「ロックフェラー・センター」でエルヴィンとジミー・ギャリソン(b)とぼくとのトリオでやった仕事です。デヴィッド・ウィリアムス(b)がレギュラーだったけれど、彼ができなくて、エルヴィンがジミーに声をかけて。それと、パットが飛行機に乗り遅れちゃった。

——エルヴィンとジミー・ギャリソンといえば、コルトレーン・カルテットのふたりです。

偶然の出来事だったけれど、楽しい思い出です。エルヴィンとの最初のツアーは南米だったんです。文化交流の一環で、アメリカの政府がお金を出して。このときは二か月くらいツアーをしたのかな? ペルー、ブラジルを除いたすべての南米諸国、北はヴェネズエラから南はアルゼンチンまで。チリを訪れた際はCurfew(門限)が実行されてて夜は外出禁止だったけれど、ベーシストのデヴィッドとぼくはホテルを抜け出して街を見に行ったのを覚えています。このツアーの間に書いたチリでの「アンデス」は『ジュース』に収録、そしてウルグアイで書いた「モンテヴィデオ」は『エイト・マイル・ロード』に収録されています。それから中南米もハイチとかプエルトリコとかサントドミンゴとか、そういうところも回ったツアーで。

——エルヴィンとの共演が2年間で終わった理由は?

やってて面白かったけれど、やっぱり疲れて、76年の終わりごろには辞めさせてもらいました。もうひとつの理由は自分の音楽を作ろうと思ったから。それで最初に作ったアルバムが77年の『Ring Toss』(Chiaroscuro)(注40)です。

——これが『ジュース』の次に発表したアルバム。その前後にタリカ・ブルーというグループでも2枚吹き込んでいます(注41)。

タリカ・ブルーは『プリズム』に入っていたフィル・クレンディナン(key)が作ったグループで、ギンギンのニューヨークのフュージョン・バンドです。フィルの大学時代の友だちがメンバーで、そこにぼくが入って、やっていたのはほとんどがフィルの曲。

——そのタリカ・ブルーがいま再評価されています。

メンバーも優秀で、ユニークなサウンドをしてたと思うんです。このバンドは、エルヴィンの仕事がないときにリハーサルをしていました。

——『Ring Toss』に続いては、78年にドイツのMPSで『Nature’s Revenge』(注42)、79年に日本のソニーが作った新レーベルのオープン・スカイで『ミラー・オブ・マイ・マインド』(注43)を録音します。それぞれの作品についてはどのように思っていますか?

76年から77年にかけての長期にわたるエルヴィンとのツアーで、ヨーロッパ各都市のクラブやジャズ・フェスティヴァルなどに出演する機会に恵まれました。それらがヨーロッパのレーベルやブッキング・エージェントたちの目に留まり、彼らからのオファーが来るようになったんです。その中のひとつが、MPSレコーズのヨアキム・ベーレント氏からのアルバム制作依頼でした。

——どんな内容の依頼だったんでしょう?

基本的には予算と録音日程、その直後に録音メンバーによるツアー、これは2週間以上にわたるドイツ語圏内(ドイツ、オーストリア、スイス)の各都市を回るというものでした。「音楽の内容やメンバー選択は好きにやってくれ」といったオファーでしたので、ニューヨークで活動していたぼくのライヴ・グループからバディ・ウィリアムス(ds)とアレックス・ブレイク(b)、それとエルヴィンのレコーディングやライヴで客演したデイヴ・リーブマンに声をかけて、録音が実現しました。

——目指したサウンドは?

『Ring Toss』から始まったこの時期、次の5年間くらいまでですが、ぼくのアルバムの特色はクラシック・ギターの素材や奏法をフュージョン・ジャズに導入し始めたことです。純粋なジャズ・ファンにはかなり異色で消化しきれない感もあったと思われます。ですが、ぼく自身はギタリストなり音楽家として自分を捉えていましたので、ジャズという狭いジャンルに拘ることは意識しておらず、好きな楽曲やギター・サウンドを集めて表現していました。

——きっかけはあったんですか?

プロではありませんでしたが、十歳くらい年上だったいとこがクラシック・ギターの名手だったんです。それがあって、幼いころから彼のクラシック・ギターに魅せられて、いつかは弾けるようになりたいと思っていました。エルヴィン・バンドでの長旅の間、ステージで演奏すること以外にやることもないので、持参したアコースティック・ギターでクラシック・ギターの素材や奏法を研究、練習し始めたんです。

——どんなことをやられたのでしょう?

2~3年の間に、バッハ、タルレガ、ヴィラ・ロボス、ロドリーゴなど、クラシック・ギターの名曲を30曲くらいひと前で演奏したりアルバムに録音できる程度まで、自分なりの解釈で習得・上達できました。エルヴィンもクラシック・ギターが大好きだったので、そのあとは彼のライヴでもセットごとに数分間、ぼくのクラシック・ギターによるソロ演奏が披露できる時間を与えてもらいました。それ以来、ラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキーの名曲を自分用に編曲する作業も始めて、そのうちの数曲はのちのアルバムに収録してあります。

——『ミラー・オブ・マイ・マインド』についても、お聞かせください。

イースト・ウィンドのアルバム制作で関わったプロデューサーの伊藤八十八さんと伊藤潔君が「ソニーの中でオープン・スカイという新レーベルを立ち上げるけれど、アーティストとして3枚契約で参加してほしい」という依頼から始まりました。1枚目(『ミラー・オブ・マイ・マインド』)は彼らの要望で、当時のバンドではなく、ぼくのスタイルと上手く溶け合うような売れっ子のハーヴィー・メイソン(ds)とアンソニー・ジャクソン(b)を主体としたリズム・セクションを使い、素材はすべてぼくのオリジナルとアレンジ。加えて、ロバータ・フラック(vo)の音楽監督・編曲者で売れっ子だったレオン・ペンダーヴィスにピアノとブラス&ストリングス・セクションのアレンジャーとして参加してもらいました。

——豪華なレコーディングでした。

好きなサックス奏者にも数曲で参加してもらうことにして、デヴィッド・サンボーンを希望しましたが日程が合わず、マイケル・ブレッカー(ts)が快く引き受けてくれたので、基本のバンドはこれで成立しました。

加えて、「女性シンガーをフィーチャーした作品にしてほしい」という要望があり、チャカ・カーンやパディ・オースティンが候補で挙げられました。だけど、77年以来ぼくのバンドに参加していたインド人のユニークなシンガー、ラーダ・ショッタムを起用したいと思い、無名でしたが彼女に決めました。

その後の数か月は毎日のように彼女とふたりでデモテープの制作に取り組み、曲が出来上がるたび伊藤君たちに送って確認を取り、最終的な編曲が完成したところで、ニューヨークに新しく出来た「パワー・ステーション(スタジオ)」でレコーディングを行ないました。1日目は全曲のギター・ソロも含めたスタジオ・ライヴの音録り、2日目はギターとヴォーカルのオーバー・ダブ、ブラスとストリング・セクションのオーバー・ダブ、3日目はミックス。これでアルバムが完成したと記憶しています。

——このころから川崎さんはシンセ・ギターの開発にも取り組み、ご自身のライヴ活動とレコーディングもさらに活発化させていきます。そのあたりの話は次の機会ということで、今回は長い時間、さまざまな質問に答えていただきどうもありがとうございました。

2017-07-01 Interview with 川崎燎 @ 丸の内「コットン・クラブ」
2017-07-23 Interview with 川崎燎 @ エストニア「川崎燎邸」via Skype
2017-08-21 Interview with 川崎燎 @ エストニア「川崎燎邸」via E-mail

(注38)メンバー=エルヴィン・ジョーンズ(ds) パット・ラバーバラ(reeds) デイヴ・リーブマン(reeds) スティーヴ・グロスマン(reeds) フランク・フォスター(reeds) アルバート・デイリー(key) 川崎燎(g) デヴィッド・ウィリアムス(b) デイヴ・ジョンソン(per) エンジェル・アレンデ(per) 76年 ニューヨークで録音
(注39)メンバー=エルヴィン・ジョーンズ(ds) フランク・ウエス(fl) フランク・フォスター(ss) バンキー・グリーン(as) ジョージ・コールマン(ts) ケニー・バロン(elp) 川崎燎(g) ミルト・ヒントン(b) ジュニ・ブース(b) エンジェル・アレンデ(per) 77年 ニューヨークで録音
(注40)メンバー=川崎燎(g) ウォルフレッド・ヴェレズ(as) スティーヴ・ゴーン(fl) サム・モリソン(ss as fl) チャールス・ステフェンズ(tb) ビリー・ノフトシンガー(tp) オットー・A・ゴメス(tp) ラリー・ウィリス(key arr) アレックス・ブレイク(elb) バディ・ウィリアムス(ds) マーサ・シーガル(cello) バーダル・ロイ(tabla) アブドゥラ・ムハマッド・アブドゥラ(per) アーメン・ハルブリアム(per) ラーダ・ショッタム(vo) バーナード・カスカ(concertmaster) ストリングス 77年9-10月 ニューヨークで録音
(注41)1作目『Tarika Blue/The Blue Path』(Chiaroscuro) メンバー=フィル・クレンディナン(key) マーヴィン・ブラックマン(sax) 川崎燎(g) バリー・コールマン(b) ケヴィン・アトキンス(ds) ブラディー・スペラー(per) 76年 ニューヨークで録音2作目『Tarika Blue/Tarika Blue』(同) メンバー=フィル・クレンディナン(key) ジェームス・メイソン(g) 川崎燎(g) バリー・コールマン(b) ケヴィン・アトキンス(ds) ブラディー・スペラー(per) 77年 ニューヨークで録音
(注42)メンバー=川崎燎(g) アレックス・ブレイク(b) バディ・ウィリアムス(ds) デイヴ・リーブマン(sax) 78年3月 ニューヨークで録音(注43)メンバー=川崎燎(g) ラーダ・ショッタム(vo hand clap) レオン・ペンダーヴィス(p elp) アンソニー・ジャクソン(elb) ハーヴィー・メイスン(ds) ルーベンス・バッシーニ(cga per hand clap) マイケル・ブレッカー(ts) 79年 ニューヨークで録音

 

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