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【グッド・サウンド・シアター】vol.1『トーク・トゥ・ハー』

 映画で使用される「音楽」は、ときにセリフや映像以上に雄弁である。そんな、楽曲の魅力を最大限に引き出した映画作品や、音楽が効果的に使われるシーンを選出し、映画と音楽の素敵な関係、そして、その愉しみ方を探ってみたい。

『トーク・トゥ・ハー』でカエターノが代弁したこと

“歪んだ愛”は映画にとって格好のテーマだ。例えばチャールズ・ブコウスキー原作でリュック・ベッソンが製作に関わった『つめたく冷えた月』(監督:パトリック・ブシテー)。この作品のテーマは「屍姦」だ。美しすぎる死体に心奪われる二人の主人公。禁断の行為に至るその事実は、確かに作中で重要なスパイスとなっているが、最も印象的だったのは、終盤その死体を弔うべく海の中へと運んでいく二人の眼がとても美しかったこと。それは彼らの心情(=歪んだ愛)がいかにピュアであったかを物語っている。

2002年に公開されたスペイン映画『トーク・トゥ・ハー』もまた“歪んだ愛”とも取れる純愛が描かれている。『つめたく~』と同様、主人公は二人の男。両者はピナ・バウシュの舞台に心を奪われていて、ともに愛するひとりの女性は植物状態。決して目覚めることのない相手に向かって二人は語り続け、過ぎ去った過去に想いを馳せる。主人公のひとりマルコは、パートナーである女闘牛士リディアとかつて堪能したカエターノ・ヴェローゾ(ブラジル人音楽家)の歌声を、病床の傍で思い出す。

夜が来るたび
ただ泣くだけだったという
何も食べようとせず
ただ酒を浴びていたという
その叫びを聞いて
空さえ震えたという

彼女を想って苦しみ
死の床についても彼女を呼んでいた

彼は 歌っていた
彼は うめいていた
歌っていた
心を焼きつくし
彼は死んだ

悲しみにくれたハトが
朝早くから彼のために歌うだろう
扉から扉へと
孤独な彼の家に向かって

きっと そのハトは
彼の魂そのものなのだ
いまだに彼女が
戻ってくるのを待っている

ククルクク
ハトよ
ククルクク
もう泣かないで

「Cucurrucucu Paloma」
『talk to her』日本語字幕より引用

作中、唐突に差し込まれるカエターノの「歌唱シーン」は決して劇的なものではないが、驚くほどに美しく、無力なマルコの心象風景を代弁しているかのよう。ブラジル音楽が持つ“サウダージ”とは、郷愁や哀愁に近い感覚だというが、この話の流れや登場人物の心情を汲みつつ聴くと、やたらと沁みる。とは言ったものの、この原曲はブラジルではなくメキシコのウァパンゴ(民族舞踏曲)で、1954年にトマス・メンデスによって作詞作曲された歌だ。さらに余談だが、昨年2016年のモントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパンで来日したカエターノは、関係者の予想に反してこの「Cucurrucucu Paloma」を歌唄。これを生で聴けたファンは、まさに僥倖としか言いようがない。

さて、忘れてならないもう一人の主人公、ベニグノについて。ベニグノが想いを寄せるアリシアは決して目覚めることはないが、彼はひたすらその美しさを脳裏に焼き付ける。「女性の脳は神秘的だ」と語り、病院で親交を深めるマルコにも「Talk to her」と促す。ベニグノにとってアリシアは、看護師として看病する対象でありながら、同時に、生活をともにする恋人のような存在なのだ。

そんな生活が4年間守られたのち、ベニグノはアリシアとの結婚を主張し、そしてアリシアは妊娠をする。その要因が説明されることはなかったが、ベニグノが投獄されることがすべてを物語る。あぁ、純愛ってやっぱり難しくて歪みがちなのね…と思った矢先、スクリーンにはアリシアが4年の眠りから覚め、少しずつかつての生活が取り戻されていく様子が映し出される。

世間の「常識」に当てはめることのできない、いびつな色恋沙汰は、映画の中に限らず世の中にあふれ返っているだろう。しかもその正邪に、明快な基準などない。これを決められるのは結局のところ、主人公である“愛の当事者”でしかないのだ。
そんな当たり前で“ややこしい事実”と、理解しがたい“男の心情”を、カエターノの歌唱はシンプルに、そして明快に劇中で教えてくれるのだ。

『トーク・トゥ・ハー』(2002)
原題:CON ELLA / TALK TO HER

監督・脚本:ペドロ・アルモドバル
出演:ハビエル・カマラ、ダリオ・グランディネッティほか
音楽:アルベルト・イグレシアス
配給:ギャガ・コミュニケーションズ

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