【証言で綴る日本のジャズ】康 芳夫/第7話(最終話)「そのあとも波瀾万丈」

文/小川隆夫

2017.11.02

証言で綴る日本のジャズ3 #2

そのあとも波瀾万丈

——73年には、それまで日本に来たことがなかったトム・ジョーンズ(vo)(注44)も呼んでます。

これはぼくが独立してからですね。ギャラが破格で、赤坂の「ニューラテンクォーター」で、料金がひとり12万円。ラスヴェガスでは当時ひとり1万円ぐらいですから、当然、大問題になりました。そのほかにも契約問題とかがいろいろありましたけど、無事に来日して成功しました。トム・ジョーンズはまだラスヴェガスなんかでときどき歌ってますよ。ヴォイスが枯れてて、ちょっと黒人っぽいところがある、なかなかいい歌手です。

——この1年前(72年)には日本でモハメッド・アリ対マック・フォスター(注45)戦を実現させたり、73年にはネッシー探検隊(総隊長は石原慎太郎)を結成してネス湖に行ったりしています。76年にはアントニオ猪木(注46)対アリ戦にもコーディネーターとして参加し、同じ年にはチンパンジーのオリバー君も呼んでいます。

ぼくもジャズの世界から遠ざかっていましたが、今回、突然ご連絡いただいてびっくりしました。

——康さんのお仕事は多岐にわたっていますし、どれも面白い。マイルスを呼ぼうとしたところがさすがです。

マイルスはジャズメンのポイントですから、呼ばざるを得ない。最初の来日はさっきもいった本間芸能で、ダミー。それから5年後ですか。このときは先述の通り入国許可が下りずに断念しました。そのあとにマイルスは何度も来てるけど、一時、音が壊れちゃってね。死ぬ間際はよくなったけれど。

これは小川さんにお話しようと思っていたんだけど、マイルスは大前衛でありかつ大プロデューサーですよ。育てて世に送ったミュージシャンが数え切れないほどいるでしょ。ハービー・ハンコック(p)もそうですし、ウイントン・ケリー(p)、その他もろもろ。絶えず前衛でね。しかもその時代を代表するフュージョン、ポピュラー・ミュージシャンとも実に巧妙に交流して、要素として取り入れているところが本当にすごい。クインシー・ジョーンズ(arr)なんか典型的なケースでしょう。建築家の磯崎新(あらた)(注47)さんによく似てるんだよね。大プロデューサーで、世界中のほとんどの建築家が彼から影響を受けている。ロールプレイヤーとして、とても似てるんですよ。常にトップにいる。磯崎新さんとは大学時代から今日にいたるまで深い交流があるんです。

ぼくのところで呼ばなかったのはMJQ(モダン・ジャズ・カルテット)とかオーネット・コールマン(as)とか、そんなものかなあ。オスカー・ピーターソン(p)は、神さんから独立したときに呼びましたけどね。ピーターソンも死んじゃったし、ベースのレイ・ブラウンも死んじゃった。一緒に来たエド・シグペン(ds)、彼はまだ健在かな(2010年に死去)? スウェーデンのジャズ学校の校長を一時やってたの。

——長いことヨーロッパで活躍していましたから。

彼は堅実でいいドラマーだよね。

——渋いですね。リーダーにはならないけど、バックで。

ジャズ興行はいい思い出ですね。いまのジャズはどんな感じですか? 盛り上がってる?

——いろいろなタイプがあります。

ジャズ喫茶はどうですか?

——昔みたいに一生懸命に聴く店は減りました。ああいうカルチャーといまは違っていますから。

大学時代はほとんど新宿二丁目の「キーヨ」にいました。いまもしょっちゅう二丁目の近くで飲んでるけど、店の前を通っても「ああ、ここがキーヨだったか」と思い出せないくらい古い時代。

——今日は興味深いお話をお聞かせいただきありがとうございました。

いやいや、自分でもどこまでが本当で、どこからが嘘かわからなくなっちゃって(笑)。だけど、話には責任を持ちますから。

2017-09-16 Interview with 康芳夫
@ 虎ノ門「ホテルオークラ東京 バー ハイランダー」

 

(注43)松本清張(小説家 1909~92年)53年『或る「小倉日記」伝』で「第28回芥川賞」受賞。58年『点と線』『眼の壁』がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームが起きる。以後、『ゼロの焦点』(59年)、『砂の器』(61年)などで戦後日本を代表する作家に。
(注44)トム・ジョーンズ(イギリスのポピュラー・シンガー 1940年~)63年にデビュー。代表曲に〈思い出のグリーングラス〉(66年)、〈ラヴ・ミー・トゥナイト〉(69年)、〈最後の恋〉(69年)、〈シーズ・ア・レイディ〉(71年)などがある。
(注45)マック・フォスター(ボクサー 1942~2010年)60~70年代のヘヴィー級で活躍。72年「日本武道館」でモハメッド・アリとノンタイトル戦を戦い、大差で判定負け。
(注46)アントニオ猪木(プロレスラー・政治家 1943年~)13歳でブラジルに移住し、同地で力道山にスカウトされプロレス入り。66年東京プロレス設立。72年新日本プロレス設立。異種格闘技戦でも人気を博し、76年にはモハメッド・アリ戦も実現。89年スポーツ平和党を結成し、政界進出。落選も経験するが現在も参議院議員。
(注47)磯崎新(建築家 1931年~)54年東京大学工学部建築学科を卒業。60年丹下健三研究室で黒川紀章らとともに「東京計画1960」に関わる。63年磯崎新アトリエ設立。67年初期代表作の大分県立大分図書館竣工。70年大阪万博のお祭り広場を丹下と手がける。83年つくばセンタービル竣工。ポスト・モダン建築の旗手と目される。

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