【証言で綴る日本のジャズ】増尾好秋/第3話「新時代のジャズ」

文/小川隆夫

2017.11.23

証言で綴る日本のジャズ3 #3

ニューヨークに移住

——貞夫さんのバンドに入って、一方では自分のグループでも演奏していました。

そっちはたいしたことないけど、ちょびっとはやってました。

——渋谷にあった「オスカー」で増尾さんの演奏を聴いたことがあります。先日インタヴューした川崎燎(g)さんによれば、「オスカーで別格にすごいのが増尾さんとチンさんがいた早稲田のバンドだった」とのことです。「オスカー」にはよく出ていたんですか?

あそこは学生時代に。いま考えてみると特別な場所でした。

——あちこちの大学のバンドが出ていて。

この間も思い出していたんですけど、ぼくたちが演奏していたときに白木秀雄(ds)さんが来て、2、3曲一緒に演奏してくれたことがあるんです。どうして学生のバンドをあんなにたくさん出してくれたんだろう?

——これは貞夫さんのバンドに入る前?

入るちょっと前じゃないですか?

——増尾さんは、川崎さんと直居隆雄さんとで「若手ギター三羽烏」と呼ばれていました。ふたりのことは意識していました?

もちろんですよ。燎は日大(日本大学)、直居君は青山(青山学院大学)、ぼくは早稲田。楽器が違っても学校が違っても、同級生で音楽をやっているのはみんな仲間でした。面白いのは、そのころの燎はケニー・バレル(g)にハマっていて、直居君はジム・ホール、ぼくはウエス・モンゴメリー。三者三様で、ライヴァルでした。

——3人でやったことは?

「オスカー」でもやったし、ほかのところでも何度かやりました。

——話は変わりますが、貞夫さんのグループで70年に「ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル」(注24)に出ます。そのときに、増尾さんはギターを買おうと持っていったお金やパスポートを火事でなくしてしまったとか。

ホテルが貞夫さんの泊まったことのあるタイムズ・スクエアのそばだったんで、近くのチャイニーズ・レストランで食事をしていたんです。たまたまぼくは、その日買ったショルダー・バッグにトラヴェラーズ・チェックからパスポートから、ガールフレンドにもらった日記とか、大切なものをぜんぶ入れて。

それで食べている最中に煙が出て、「火事だ。みんな出てくれ」。でも緊急な感じじゃないから、水でも飲んで、ぼくなんかスペアリブをひとつ持って(笑)、「じゃ、行きますか」。外に出て見ていたら、あっという間にどんどん燃えて。消防車も来てワーワーやり始めて、「アーア、燃えちゃった」みたいなときに、バッグを忘れてきたことに気がついたんです。あのときは貞夫さんにも迷惑をかけたと思います。

——それが増尾さんにとって初めてのアメリカ?

そうです。

——ニューヨークに移るのは翌年。

そのままぼくたちは日本に帰って、翌年の1月にバンドが解散することになったんです。貞夫さんのバンドも同じメンバーで3年ぐらいやって、煮詰まってきたとかいろいろあって、「ここで解散するか」と。

さし当たってぼくには「なにをやろう」というのがなかったんで、ニューヨークならレコードでしか聴けなかったミュージシャンがやっているし、「そこに半年ぐらい行こう」と。そう決めて、チンさんと直居君との3人で行くことにしたんです。そのあといろいろ音楽の仕事をしてお金を作り、6月に行きました。その時点で、チンさんは「しばらく行くのはやめるわ」となってドロップアウトしたので、直居君とふたりです。

ニューヨークで知っているのは中村照夫(b)さんだけだったので、ラガーディア空港まで迎えに来てもらい、アパートが見つかるまで、ぼくはクイーンズにあった照夫さんのうち、直居君は照夫さんの友だちのベーシストが借りていたマンハッタンのアパートに居候して。そのあと一週間くらいでマンハッタンにアパートを見つけて、ふたりで引っ越しました。

——半年で戻ってくるつもりだったけれど、居ついてしまった。

クリスマスのころに直居君は帰りましたが、ぼくは帰る気持ちじゃなかった。だからもうちょっといようと決めて、そのまま居残ったんです。

——そのころは、あちこちでジャズを聴いていただけですか?

できるときは飛び入りしたり、ジャム・セッションをやっていればそこに行ったりとか。いろんなミュージシャンと会うのはそれしかないですから。最初は照夫さんにずいぶんヘルプしてもらいました。彼がやっている仕事、マンハッタンの中じゃなくて、ブルックリンとかクイーンズとか、そういうところにも音楽のできるところがあるんです。街角のバーで演奏するとかね。そういうレヴェルのものもあれば、彼がロイ・ヘインズ(ds)のバンドでやるようになったので、そこでも演奏しました。

友だちに「マンハッタンでリハーサルをやってるから来い」といわれて行ったら、リー・コニッツ(as)がいて、彼のバンドでもやるようになったとか。そういう感じで少しずつ広がっていきました。

第4話(11月30日掲載予定)に続く

 

(注24)54年にプロモーターのジョージ・ウェインがロードアイランド州ニューポートでスタート。58年の模様は、映画『真夏の夜のジャズ』でドキュメント化されている。72年からはニューヨークで開催。現在は世界各地で「ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル」の名を冠したコンサートが開かれている。

 

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