【証言で綴る日本のジャズ】増尾好秋/第4話「ソニー・ロリンズのグループに抜擢」

文/小川隆夫

2017.11.30

証言で綴る日本のジャズ3 #3

エルヴィン・ジョーンズ、ラリー・ヤング、アシュフォード&シンプソン

——ロリンズはどういう感じのひと?

ソニーは大きく歌うところは歌うというか、スケールが格段に大きかった。彼の音楽はハッピーで、みなさんにもそういうイメージがあると思うけど、ぼくにとってのソニーは繊細で、深く考えるひと。悩んでいる部分もきっとあるし、複雑なひとだと思います。

——教わることも多かった?

一緒に演奏して得たものが教わったことだと思います。無言の教えですね。そういう点で貞夫さんもそうだったし、ソニーも「ああやれ、こうやれ」というひとではなかった。一緒にやって、なにもいわなくてもできるヤツなら使うということじゃないですか?ぼくは貞夫さんのバンドでもソニーのバンドでもサイドマンですよ。サイドマンは、リーダーをバックアップする。それができるひととできないひとがいるんです。ぼくは、バックアップが自然とできる。

1973年。ソニー・ロリンズのグループ。

ソニーのバンドには73年から76年までいました。そのあと、81年からまた3年ほどやりますが、最初の参加が終わって、すぐに川崎燎のトラでエルヴィン・ジョーンズのツアーをやっているんです。ヨーロッパを廻る1か月以上のツアーで、それはそれですごく面白かった。

その直後、今度はラリー・ヤング(org)のバンドに入ったんです。これがとんでもないバンドでした。そのころ、彼はモスレムになったんで、ハリド・ヤシンという名前になって、ターバンと白衣姿で。

最初はジョー・チェンバース(ds)とウォーレン・スミス(per vib)のカルテットだったけど、それがすぐに変わって、ドラムスがふたり、コンガがふたり、ギターがふたりのバンドになりました。もうひとりのギターが(ジェームス)ブラッド・ウルマーですよ。シカゴから出てきたばかりで、自分のバンドをやる前です。

音楽はジャングル・ミュージックというか、ラリーがオルガンを弾き始めて延々といくんです。いってみるなら、砂漠があって、ラクダが歩いていて、太陽が出て、風がビューって吹いたりとか、そういうような……まあドラッグですね(笑)。それはそれでものすごく面白かった。ぼくはグラント・グリーンのレコードを聴いてましたから、彼とやっていたラリー・ヤングと一緒にできたことは本当に楽しかったですけど。

——YouTubeにアップされていますが、アシュフォード&シンプソンのバンドにも入っているんですね。

クイーンズのミュージシャンでドゥワイト・ギャサウェイという体のでかいヴァイブラフォンのひとがいたんです。彼が当時のR&Bのヒット曲をやるバンドを作っていて、そのバンドにも入っていました。そういう繋がりから、アシュフォード&シンプソンがギターを探しているというんで、紹介されて。

——ツアーにも出るんですね。

ちょっとですけどね。

——それでグリーンカードを取ったとか。

そのときはソーシャル・セキュリティ・ナンバーです。グリーンカードはもうちょっとあと。テレビに出ると、ソーシャル・セキュリティ・ナンバーがないとギャラがもらえない(笑)。それで申請しに行ったら、ヴィザも調べられないでパッとくれました。

——ミュージシャン・ユニオンには入ったんですか?

そのときは入ってなかったです。

——でも問題にはならなかった

どうだったんだろう? あのころはいい加減だったんじゃないですか? あのふたりもすごく大切にしてくれて、いま考えてみると本当にいい体験でした。

——増尾さん的には違和感がなく。

ぼくはああいう音楽も好きだったから、楽しんでやってました。

——アメリカではスタジオ・ミュージシャンはやっていない?

ないです。

——日本にいたときは?

やりました(笑)。佐藤允彦さんがアレンジした曲や、シャープス&フラッツにトラで入ったとか。シャープス&フラッツではウエス・モンゴメリー風のものもありました。劇伴もあったんじゃないかなあ。ぜんぜんできないけど、カントリー&ウエスタンみたいなものを弾かされたり。

——そういうときはスタジオに行って、譜面を渡されて、すぐレコーディングですか?

そうでしたね。譜面なんて強くないから必死ですよ(笑)。

第5話(12月7日掲載予定)に続く

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