投稿日 : 2020.03.06

最高のアナログ盤を生み出す「ハーフスピード・マスタリング」とは? 世界屈指のエンジニアが解説【ARBAN Records】


アナログ「原盤」づくりの難しさ

この数年、アナログレコードの生産枚数が増加し続けている(注1)。日本国内のみならず、アメリカ、イギリスなど諸外国でも同様の傾向。「音」へのこだわり。そして「物」への愛着が、この市場を活性化させているようだ。

注1:一般社団法人「日本レコード協会」の発表によると、2019年のアナログレコード生産数は約122万枚。6年連続の増加となった。

そんな状況のなか、アナログレコード制作の現場で脚光を浴びているのが、ハーフスピード・マスタリングという技術。これは、アナログレコードのマスタリングおよびカッティング時に使われる手法で、その音の良さが高く評価されている。

順を追って説明しよう。そもそも「マスタリング」とは、音楽ソフトを量産するために必要な「マスター(原盤)」を作成する作業。このマスタリングとともに、アナログレコードの製造工程で、最初に造作されるのが「ラッカー盤」という円盤だ。

ラッカー盤は、レコードを量産するための元になる物体で、木版画の「板木」に相当する部分。板木に彫刻をほどこすように、ラッカー盤に「音の信号」を刻み込む。この工程をカッティングという。ハーフスピード・マスタリングとは文字通り、このマスタリング&カッティングを、通常の半分のスピードで(音源を)再生しながら実行するというもの。

そんなハーフスピード・マスタリングのノウハウを持つ、数少ないエンジニアのひとりが、マイルス・ショーウェル氏である。彼はイギリスの名門「アビーロード・スタジオ」を拠点に、数多くの名作を手がけるマスタリング・エンジニア。世界中のオーディオファンと音楽ファンを魅了する名匠だ。

◆マイルス・ショーウェル氏によるハーフスピード・マスタリング解説動画

 

彼は、ハーフスピード・マスタリングがもたらす効果についてこう説明する。

ハーフスピード・マスタリングでは、まず “レコード盤に録音される音源” を半分のスピードで再生します。同時に、その音をマスター盤に記録するために、カッティング・マシンの回転スピードも半分にして、両者を連携させるんです。ノーマルスピード(通常のマスタリング)と比較すると、使用する電流が半分以下。つまり、マシンにかかる熱の負荷も減るし、システム全体の電力にも余裕ができます

結果、綺麗にカッティングできて自然な音になるという。もちろん、それなりの苦労もある。

最大の難点は、ボーカルのS音(注2)が軽減されることです。結果、すべてのS音を手作業で修正しなければなりません。ヘッドフォンをして、鋭いS音があったら止めて、その部分だけを少し下げて、書き出す。時間はかかるけど、そのやり方がいいんです

注2:日本語の「サ行」で発生する音。歯擦音(しさつおん)とも呼ばれる

頭がおかしくなりそう…

エンジニアにかかる負荷は、そうした手作業だけではない。

もう一つ、苦労することがあります。作業中はずっと “半分の(遅い)スピードで音楽を聴き続ければならない。これは結構キツい(笑)」

これまでいちばん辛かったのは、14時間ものあいだずっとスローモーション状態の音楽を聴き続けたこと。その時はさすがに「頭がおかしくなりそうだった」と冗談まじりに話す。そんな苦労に耐えられるのは、もちろん大きなリターンがあるから。

作業を終えて、数週間後に工場からレコードが届きます。再生してみると、とにかく最高なんです。これは、通常のリアルタイム・カッティングでは得られない別世界の効果。その価値を知っているから、私はこの大変な作業に努力をつぎ込むことができる

なぜそこまで「音」に執着できるのか…。その動機は、若き日の音楽体験にあった。

80年代のはじめ頃、父はレコードショップを経営していた。おかげで私は高音質なレコードを手に入れることができました。その多くは、カリフォルニアのモービル・フィデリティ・ サウンド・ラボ社(注3)のものでした。その会社にはスタン・リッカーというエンジニアがいて、ピンク・フロイドの『狂気』やビートルズの『アビー・ロード』、『マジカル・ミステリー・ツアー』などのカッティングを手がけていたんです。とにかく音質がよかった

注3:1977年に設立されたアメリカのレコードレーベル。さまざまな名盤のライセンスを取得し、オーディオマニアに向けた高音質盤を製作。その多くにハーフスピード・マスタリングが採用された。アルバムジャケット上辺に「ORIGINAL MASTER RECORDING」の文字が入るのが、同レーベル製の証。

この体験が、彼の人生に強く影響する。のちにマスタリング・エンジニアとなった彼が、まだ若手だった頃。“あの音” を求めて、ハーフスピード・マスタリングを提案したこともあった。しかし、周囲は「やめとけ、すごく大変だから」と冷淡な反応。その意味を知って、彼は愕然とする。

私がそれまで学んできた方法が、ハーフスピードではまったく使えなかった。すべてが違うんです。楽曲にどう反応するか、どう設定するか、カッティングの温度にいたるまで、多くを変更する必要がありました

システム面でも大きな障壁があった。

ノーマルとハーフスピードを切り替える特別なフィルターが必要なんですが、これを作るのはかなり複雑で大変。だから、誰もやりたがりませんでした

しかし救世主が現れる。

この状況を、ある変わり者のテクニカル・エンジニアに話したら『おもしろい。やってみよう!』と。それでテストカットを作成したところ、評判がよくてね。そこから、ハーフスピード・カッティングとともに私の名前が知られるようになった

アナログ盤の不思議な力

彼を救ったのは “変わり者のエンジニア” だけではなかった。ほかでもない、彼が青年時代に憧れた(モービル・フィデリティ・ サウンド・ラボの作品を手がけた)エンジニアのスタン・リッカーその人である。

スタン・リッカーにメールを送ったんです。『あなたの作品に触発されて、ハーフスピードをやってみました』と。すると彼から『アセテート盤(テスト盤)を送ってくれたら聴いてみるよ』と返事があった。さっそく送ったら『いい音だね』と言ってくれて、とても役立つアドバイスをくれました

その後も彼はスタン・リッカーからさまざまなアドバイスを受け、ハーフスピード・マスタリングとカッティングの勘所を押さえていった。

彼の存在は、大きな助けになってくれました。私の熱意を刺激してくれて、手助けもしてくれた。残念なことに彼は3年ほど前に亡くなりましたが、彼からの協力は決して忘れません。ほんとうに偉大な人だった

最高のアナログ盤を作る。という職務から離れ、いち音楽愛好者としての彼もいる。カセットテープであれCDであれ、そこに収められた音楽を愛でる気持ちは変わらない。「料理をするとき、キッチンで聞いているのは Spotifyだよ」とも語る。それでもアナログレコードは彼にとって特別な存在だ。

アナログレコードには不思議な力がある。“音楽を聴くこと” に意識を集中させてくれるんです。ちなみに私はレコードを聴くとき、40分間ずっと再生することを心に決めます。着席し、音盤を丁寧に取り出して、プレイヤーに置き、深く腰掛けて、聴く。人生の中の40分間を『音楽』というアートに捧げると心に決めるのです。これはなかなか価値のある体験だと思いますよ

マイルス・ショーウェルによる「ハーフスピード・マスタリング」も発注可!
アナログレコードのプレスサービス ARBAN Records スタート

ARBAN Records とは?
https://www.arban-mag.com/article/49672

アビーロード・スタジオによるマイルス・ショーウェルのプロフィール
https://www.abbeyroad.com/engineer/miles-showell