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ドラッグを生きた男たちの証言─チャーリー・パーカーと石丸元章【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.11

戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日本の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日本のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする連載!

ジャズとドラッグの関係を考察する際に最も困難なのは、ドラッグがもたらす効用を実際に体験してみるわけにはいかないということだ。ドラッグと音楽が常に結びついてきたのはなぜなのか。ドラッグが人のインスピレーションを増幅させるというのは本当なのか。それを明らかにするには、ドラッグに深く耽溺した経験のある人の言葉に耳を傾けるほかはない。人生の半分以上をヘロインとともに生きたビバップの創始者、チャーリー・パーカーと、ハードな覚醒剤経験の語り部である文筆家の石丸元章。二人の発言にドラッグの真実を探る。

覚醒剤を感じさせる音楽

「覚醒剤を感じさせる音楽ってあるんですよ。ビバップはまさにそれです。とくにライブ演奏を聴くと、強烈に覚醒剤を感じます」

1996年に出版した『スピード』で自身の壮絶な覚醒剤体験を描いた文筆家の石丸元章はそう語る。

「覚醒剤をやると、気持ちが軽くなって、眼が冴えて、楽しくなると言われます。でも、それはあくまで表層的な効果です。覚醒剤の本質は “緊張感” です。常軌を逸した緊張感。それを味わうドラッグが覚醒剤です」

ヘロインは安らぎをもたらし、コカインは多幸感をもたらす。しかし、覚醒剤がもたらすのは、怒りや恐怖という感情であり、それにともなう極度の緊張感であると石丸は言う。

「そして、孤独感。究極の孤独感です。人はそれをバッドトリップと呼びますが、あの感覚を一度体験すると、忘れられなくなります。あの緊張、あの孤独感をもう一度味わうために人は覚醒剤にはまっていくんです」

戦後の日本に蔓延した覚醒剤の商品名がヒロポンであり、その名前がギリシア語の「philoponos(フィロポノス)」に由来することは以前に書いた。「philo」は「愛する」を意味し、「ponos」は「仕事」もしくは「苦痛」を意味する。ギリシア神話に登場するポノスは労苦の神である。製薬会社の命名の意図は「仕事を愛するようになる薬」だったが、それは期せずして同時に「苦しみを愛するようになる薬」を意味した。まさしく、このドラッグの本質をついた名前だったというほかはない。

その覚醒剤の本質とビバップの本質には共通するものがあると石丸は感じるという。人前で延々と死闘を繰り広げるような音楽。極限までの緊張を追い求める音楽。それを生み出したのは、あるいは覚醒剤なのではないかと。

チャーリー・パーカーが絶頂期にあった1940年代の演奏を録音したのは、当時新興のインディー・レーベルであったダイアルとサヴォイだった。現在では、アウト・テイクを含めたほぼすべての音源を聴くことができる。

15歳でヘロイン中毒に

ビバップの生みの親であるチャーリー・パーカーがヘロインの常用者となったのは15歳のときだった。しかし、アルコール、鎮静剤、興奮剤などにはすでに12歳の頃から手を出していたと言われる。彼が初めて体験したハード・ドラッグがアンフェタミンだったということにもすでに触れた。今日、覚醒剤もしくはスピードと呼ばれるドラッグは、薬名で言えば日本で開発されたメタンフェタミンとドイツで開発されたアンフェタミンの総称である。欧米で流通していたのはアンフェタミンで、それをコーヒーに溶かして飲んだのがパーカーの最初のドラッグ経験だった。つまり、彼のドラッグ初体験は覚醒剤だったということである。

そのことをもって、「ビバップを生んだのは覚醒剤だった」というのはいかにも牽強付会だが、チャーリー・パーカーがジャズ・ミュージシャンとしてデビューする以前に、すでに本格的なジャンキーとしてのデビューを果たしていたという事実には着目しておいてもいいだろう。

チャーリー・パーカーの3番目の妻であるドリスは、彼がドラッグ中毒になったのは「カンザスシティー特有の雰囲気のせい」であると証言している(『チャーリー・パーカー─モダン・ジャズを創った男─』カール・ウォイデック著/水声社)。その「特有の雰囲気」は、ロバート・アルトマン監督の映画『カンザス・シティ』(1996年)で確認することができる。舞台となっているのは、悪名高い市会議員トム・ペンダーガストが闇社会を牛耳っていた1930年代のカンザスシティで、チャーリー・パーカーはこの地で生まれ19歳まで暮らした。映画にはレスター・ヤングの演奏に心酔する少年として登場している。

カンザスシティは、カウント・ベイシーのビッグ・バンドが活躍した地としてジャズ・ファンには馴染みであり、映画では90年代の現役ジャズ・ミュージシャンが30年代のレジェンドを演じて話題になった。レスター・ヤングを演じるのはジョシュア・レッドマン、カウント・ベイシーを演じるのはサイラス・チェスナットである。

彼らが延々とジャム・セッションを繰り広げるナイト・クラブを経営するギャングのボス役はハリー・ベラフォンテで、彼がヘロインの粉末を鼻から吸引しているシーンが劇中にしばしば出てくる。主要登場人物の一人である大統領顧問の妻がアヘン・チンキ(アヘンをアルコールに溶解したドリンク剤)中毒であるというのもリアルな設定で、これは当時白人中年女性の間に蔓延していたドラッグだった。

悪徳政治家とギャングによって支配され、ドラッグの取り締まりも極めて緩かった当時のカンザスシティには、まさしくジャズ・マンを夢見る少年を容易にドラッグ中毒にする「特有の雰囲気」があったのである。

映画『カンザス・シティ』は、1990年代のジャズ・シーンの最前線で活躍するミュージシャンたちが出演したことで話題を集めた。ドン・バイロン、ジョシュア・レッドマン、ジェームス・カーター、ニコラス・ペイトン、ジェリ・アレン、クリスチャン・マクブライドらの顔が見える。

極度の緊張状態と時間感覚の喪失

石丸によれば、覚醒剤には時間感覚を大きく変える効果があるという。

「覚醒剤をやると、例えば30分という時間がひと晩くらいの長さに感じられることがあるとよくいいます。しかし、そんなにわかりやすいものではありません。地下鉄に乗っている間に、人生の端から端までを往復してしまう。そんな感覚です。完全に異次元の時間軸に入ってしまうわけです」  

その時間軸の変容もまた、覚醒剤とビバップの共通点と思えると石丸は話す。インプロヴィゼーションを繰り広げるプレーヤーにとっての10分間は、我々の日常の10分間とはまったく別のものであるに違いない。ときに一瞬に、ときに永遠に感じられるようなその10分間の極度の緊張感こそがビバップであり、音を通じてその緊張を共有することがすなわちビバップの演奏を聴くということなのではないか──。ジャズに決して詳しいわけではないと自ら言う石丸の、それが覚醒剤経験者としての直感である。

「極度の緊張状態と時間感覚の喪失から生まれた自分の演奏の録音を後から聴いて、自らぞっとする。初期のビバップのプレーヤーにはそんなこともあったのではないでしょうか」

「ビバップには覚醒剤を感じる」と語る石丸元章

『カンザス・シティ』を観ると、その直感がまさしく正鵠を得ていると感じられる。物語が進行する裏で一貫してナイト・クラブでのジャム・セッションが続いているのがこの映画の構成で、それはまさしく時間感覚を失った者たちの疲れを知らぬバトルとして描かれている。時代はビバップ以前のスウィング期だが、この時間軸の狂った空間に観客として身を置いていたチャーリー・パーカーが、ドラッグ体験を得て生み出したのが、速度、コードチェンジ、アクセント、音のレンジなどを極端化したビバップであった。そう考えてみたい誘惑は確かにある。

人間の中にある常軌を逸した何か

ビバップを実践するようになる以前、チャーリー・パーカーは、ジャズの演奏には「何か他の方法がある」と考え、その何かが「耳の中で聞こえるんだけど、それを演奏できないんだ」と感じていたという。その感覚を「コードの高い方の音をメロディラインとして使って、それをふさわしいコードチェンジに戻す」という方法で解決したことによって、ビバップのイディオムの基礎が生まれたと前掲書『チャーリー・パーカー』の著者は記す。

パーカーの耳の中で聞こえていたものを音にしたのがビバップであるとすれば、ビバップはまさしく彼の体内から生まれたということになる。この点でも、石丸の指摘は鋭さを見せる。

「おそらく、人間の中にそもそも常軌を逸した何かがあるんだと思うんです。その発現とドラッグの効果は極めてよく似ているように思います。天才と呼ばれる人は、通常の人がドラッグの力によって感じるような異世界をドラッグなしでも生み出すことができる。人間が本源的にもっているポテンシャルをドラッグの力を借りることなく引き出すことができる。そんな気もします」

例えば、ベートーベンの交響曲や、グレン・グールドが演奏するバッハ、あるいはジョン・ケージやスティーヴ・ライヒのような現代音楽家の表現にドラッグに通じるものを感じると石丸は言う。そう考えれば、天才の能力を自らのものとしようとする表現者たちがドラッグの力を借りたがることには理解の余地があるとも思える。

しかし、そのような行動を戒めていたのはチャーリー・パーカー自身だった。ジャズ専門誌『ダウンビート』の1949年のインタビュー記事で、彼はこう語っている。

「ティー〔マリファナ〕を吸ったりドラッグを注射したりすれば、ドラッグが効いていればいい演奏ができるなんて言うミュージシャンは、全くの嘘つきだ。……上手いサックス奏者になるためには、完全に酔っ払わなければならないと考えているませたガキは、はっきり言って正気じゃない。そんなのは嘘だ。信じて欲しい」(前掲書)

パーカーが戒めているのは、あの「誤った三段論法」である。あらためて、『ドラッグinジャズ』(第三書館)から引用しておく。

「われわれは悲しいことに、誤った三段論法から引き出される論理になじみすぎている。バードはジャズの天才だ。バードはヘロインなしでは生きていけない。ゆえに、ヘロインはジャズの天才になくてはならないものだという三段論法だ」

誰の邪魔もしないでいい場所へ

パーカーの天才に果たしてドラッグは寄与したのか否か。それを明らかにすることは不可能である。事実としてわかっているのは、ヘロインとその禁断症状をやわらげるための大量のアルコールによって、彼が35歳という若さで人生に終止符を打たなければならなかったということだけだ。

石丸は、ミュージシャンからドラッグの効能について意見を求められることがあるという。

「絶対やめた方がいい。やったらアウト。いつもそう言っています。ミュージシャンとしてキャリアを手放したくないのなら、クスリには絶対に手を出すべきではありません」

覚醒剤保持で逮捕され、その後、脱法ドラッグの依存症で精神病棟に入院した。父と息子の二人の生活は崩壊し、家も奪われた。もはや世の中に居場所はないと思ったと石丸は話す。原稿を書かせてもらうことも、テレビに出ることも、イベントに呼んでもらえることももうないだろう、と。脳卒中で倒れたのは一昨年のことだ。医者は4回目の脳卒中だと石丸に告げた。以前の3回の自覚がないのは、ドラッグによる酩酊状態の中にいたからだ。今もフラッシュバックの症状に年中見舞われ、血圧は上が230、下が180という極度の異常値を示している。次に覚醒剤をやるときは死ぬときだろう。そんな自覚がある。「今もクスリは常用しています。降圧剤ですが」と言って笑う。

チャーリー・パーカーがヘロインをやめたのは、先天的に心臓に疾患のあった幼い娘をなくしたことがきっかけだった。その後、二度の自殺を企てた彼は、自分の死期を悟っていたらしい。娘の一周忌の前日、チャールズ・ミンガスに彼はこう言ったという。

「ミンガス、俺はもうすぐ、誰の邪魔もしないでいい場所に行くよ」  

誰の邪魔もしないでいい場所」とはどこか、そのときのミンガスにわかりようもなかった。ビバップの創始者が死んだのはその6日後である。死因には諸説あるが、アルコールによる胃潰瘍と肝硬変が原因であったというのが有力である。むろん、20年にわたるヘロインとのつき合いが体中を蝕んでいたとこともあっただろう。

石丸は、最初に覚醒剤を経験してから30年近くが経ち50代半ばとなった今、ドラッグと縁のない別の人生もあったかもしれないと思うことがあるという。

「ドラッグをやると、人生とドラッグはほとんどイコールになってしまいます。特に覚醒剤はそうです。ドラッグをそんなに簡単なものと考えないほうがいい。そう思いますね」  

チャーリー・パーカーは死の間際、短かった自分の人生をどう振り返ったか。私たちにできるのは、彼が残した音楽からそれを思いはかることばかりである。 (敬称略)

▶︎Vol.12:娼館が育てた音楽──セックスと退廃のBGMとしてのジャズ

二階堂 尚/にかいどう しょう
1971年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、フリーの編集・ライターとなる。現在は、ジャズを中心とした音楽コラムやさまざまなジャンルのインタビュー記事のほか、創作民話の執筆にも取り組んでいる。本サイトにて「ライブ・アルバムで聴くモントルー・ジャズ・フェステイバル」を連載中。
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