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トゥーツ・ヒバート死去 ─最初期の「レゲエ」を牽引した名匠

1960年代から音楽活動を続け、レゲエ、スカ、ロックステディの人気確立に貢献したバンド「トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ」の中心人物のミュージシャン、フレデリック・“トゥーツ”・ヒバートが9月11日、ジャマイカの首都キングストンの病院で死去、77歳だった。

詳しい死因は明らかにされていないが、新型コロナウイルスに感染した疑いがあり治療を受けていることが報じられていた。

1942年ジャマイカ生まれ。牧師の両親の影響で幼少時から教会でゴスペルを歌って育った。キングトンに移住し、床屋で働いていた時に音楽活動を初めた。60年代始めにバンド「トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ」を結成し、バンド名義やソロとして活動。故ボブ・マーリーやジミー・クリフらとともにレゲエ音楽の知名度を世界に広めた。68年の曲「ドゥ・ザ・レゲエ」で世界で初めて「レゲエ」という単語を使い「レゲエのアンバサダー(大使)」とも呼ばれた。

代表曲「54−46(ザッツ・マイ・ナンバー)」「モンキー・マン」「プレッシャー・ドロップ」などで知られ、ザ・スペシャルズや・ザ・クラッシュ、キース・リチャーズなど多くのミュージシャンがカバーした。

ジミー・クリフ主演でジャマイカの社会問題を描いた1972年公開の映画「ハーダー・ゼイ・カム(The Harder They Come)」にも出演、サウンドトラックにも参加した。米誌ローリング・ストーンは2008年に発表した100人の「史上最も偉大なシンガー」で71位に選出。アルバム「ファンキー・キングストン」も同誌が12年発表の500枚の「史上最も偉大なアルバム」で380位に選ばれた。

米黒人音楽に影響を受けたソウルフルでファンキーな歌声でも知られ、日本には12年のフジ・ロックで来日、往年のファンを喜ばせた。

訃報には、ボブ・マーリーの息子ジギー・マーリーやジミー・クリフ、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、ロニー・ウッド、ザ・フー、マッシヴ・アタック、テデスキ・トラックス・バンド、UB40などが相次いで追悼メッセージを出した。

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