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【ソロモン・バーク】60年代のR&B界を救った偉大なシンガー─ライブ盤で聴くモントルー Vol.41

ソロモン・バークのサムネイル
「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

ソロモン・バークは、その風貌も含めまさに「R&Bの巨人」と呼ぶにふさわしいシンガーだった。名門アトランティック・レコードの先輩レイ・チャールズと後輩アレサ・フランクリンのはざまにあってその功績はかすみがちだが、60年代のR&B界をオーティス・レディングらとともに支えたのがソロモンであることは間違いない。牧師として教会でも歌い続けていた彼は、その晩年にモントルー・フェスに出演して変わらぬ存在感を見せつけたのだった。

アメリカを襲ったビートルズ旋風

1964年のビートルズ初渡米時の騒動は、まさしく旋風と呼ぶにふさわしいものだったようだ。ジョン・F・ケネディ空港では絶叫する群衆が4人を取り巻き、彼らが2回出演した音楽番組「エド・サリバン・ショー」の視聴者数は、いずれの放映も7000万人を超えたと伝わる。2カ月後のビルボードのポップ・チャートでは、上位5曲をビートルズの曲が占めるという異例の事態に至った。ちなみにその5曲は、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」「ツイスト・アンド・シャウト」「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」「プリーズ・プリーズ・ミー」である。

初渡米の1964年、NYで記者会見をするビートルズ

この旋風のあおりをくらったのが、アメリカのインディ・レーベルだった。ほとんど一夜にして変わった時代の潮目に対応できなかったレーベルの多くはたちまち経営難に陥ったが、R&Bの名門アトランティック・レコードが持ちこたえることができたのは、圧倒的な力量と人気を備えた一人のシンガーがいたからだった。

「アトランティックがどうにか生き残れたのは、ソロモンのおかげだ」

同レーベルの取締役であり、「R&Bの父」と呼ばれたジェリー・ウェクスラーはそう語っている(『アトランティック・レコード物語』)。

少年期から教会で歌っていたソロモン・バークがアトランティックのシンガーとなったのは1960年である。その前年、会社の3分の1の売上に相当するレコードを売っていたと言われるレイ・チャールズが去って、スター不在となっていたアトランティックの救世主となったのがソロモンだった。その後アレサ・フランクリンがアトランティックと契約する67年まで、彼こそがアトランティックの看板歌手だった。

ローリング・ストーンズのしたたかな戦略

ビートルズ人気にブラック・ミュージック界が翻弄されるのは、ビートルズがブラック・ミュージックを手本とした音楽で世に出たことを考えれば皮肉な現象だったが、ビートルズよりもアメリカ市場を強く意識していたもう一方の英国ロックの雄、ローリング・ストーンズは、むしろブラック・ミュージックを巧みに利用することでアメリカ人にアピールした。

彼らは、ビートルズ訪米の翌年2月に発売したアメリカにおける3枚目のアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!』の1曲目でソロモン・バークの「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」を取り上げ、次作の『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』にもソロモンのヒット曲「クライ・トゥ・ミー」のカバーを収録している。「クライ・トゥ・ミー」のオリジナルがヒットしたのは62年、「エヴリバディ・ニーズ~」は64年だから、いずれも過去の名曲というわけではない。

ストーンズが立て続けにソロモンの同時代の曲をレコーディングしたのは、ミック・ジャガーがこのシンガーに心酔していたからだが、一方に一種のしたたかさもあったと思われる。「ソロモンの最近の曲を演っているイギリス若いグループがいるって? じゃあ、ちょっと聴いてみるか」とストーンズのレコードを買って、本家のR&Bとはひと味異なるエッジをもつ歌と演奏に魅了されてストーンズのファンになってしまった。そんなアメリカ人が当時は少なくなかったはずだ。

驚愕の音域を備えた芸人歌手

「ソロモン・バークは、サーカスの余興や巡回遊園地の見世物小屋から出てきてもおかしくない男だった。なおかつ、正式に叙任された牧師であり、同時に、類い稀なる腕前と驚愕の音域を備えた芸人歌手だった」とウェクスラーは言う(『私はリズム&ブルースを創った』)。レイ、アレサ、あるいは彼の直接的な影響下にあるオーティス・レディングなどに比べ、ソロモンは日本では言及されることの少ないシンガーだが、アメリカにおける彼の存在感は相当のものだった。ウェクスラーの発言をもう一つ。

「ソウル歌唱の全特性のなかで、私は甘美(スウィートネス)が最も重要だと考えている。歌声の性質に宿る甘美、歌詞の解釈における甘美、メロディの紡ぎ方の甘美。この流派の偉大なる主導者がサム・クックであり、次なる偉大な支持者がソロモンだった。それから10年ほどのち、ダニー・ハサウェイがそのスタイルを昇華させ、甘く美しく柔らかな響きを現代のシンガーに広めることになる」(前掲書)。

ソロモンが後年その大物ぶりを示したのが、2002年のアルバム『ドント・ギヴ・アップ・オン・ミー』と、その翌年のブルース生誕100周年イベント「サルート・トゥ・ザ・ブルース」だった。『ドント・ギヴ・アップ~』は、米英のソングライターが書き起こした曲をソロモンが歌うという趣旨のアルバムだったが、驚くのはそのライターの面子である。ボブ・ディラン、ヴァン・モリソン、ブライアン・ウィルソン、トム・ウェイツ、エルヴィス・コステロ、ニック・ロウ、ジョー・ヘンリー──。

当初はキャロル・キングの曲も収録する予定だったが、曲づくりが間に合わずやむなく見送ったという。これほどの顔触れが曲を提供しようというシンガーが、果してほかにいるかどうか。ソロモンもまた、それぞれのアーティストに多大なリスペクトがあったのだろう。曲ごとに作者の歌い方に微妙に寄せて歌っているのが微笑ましい。

一方の「サルート・トゥ・ザ・ブルース」は、ブルースやR&B界の重鎮が一堂に会した一大ライブで、B・B・キング、バディ・ガイ、ルース・ブラウン、ナタリー・コール、エアロスミスのスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーといった出演者の中に名を連ねていたのがソロモンだった。ライブはマーティン・スコセッシの指揮によって『ライトニング・イン・ア・ボトル』という映画になったが、その中でまとめて2曲分の枠をもらっていたのはソロモンのみだった。映画の最後もソロモンのコメントで締めくくられている。私たちの想像をはるかに超えて、ソロモン・バークは大物なのだった。

R&Bの巨人の晩年の記録

オランダの空港に到着した飛行機の中でソロモンが死んだのが2010年だから、彼がモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演した2006年は晩年と言っていい時期だった。「サルート・トゥ・ザ・ブルース」の頃からソロモンはステージ上で立って歌うことができなくなっていて、モントルーでも終始椅子に座ったままでのパフォーマンスだった。足が悪いとか、体調が悪いということではない。太りすぎて長時間立っていられなかったのである。

プロレスラーのような巨大な体躯で王様のような荘厳たる椅子に座って歌うソロモンの歌が絶頂時と比べ一切衰えがなく、むしろ迫力を増しているように感じられるのは、彼が牧師として教会で説教しながら歌い続けていたからだ。教会音楽と世俗音楽の世界を行き来しながら、彼は死の直前まで歌うことをやめなかった。

モントルーのステージには、あるいはアメリカの大衆音楽の歴史を振り返るというコンセプトがあったのかもしれない。ジミー・リードのブルースから始まり、途中自身のヒット曲を挟みながら、サム・クック、レイ・チャールズ、オーティス・レディング、ルイ・アームストロング、アル・グリーンらのそれぞれの代表曲やゴスペル・スタンダードを、ほとんど切れ目なく歌い続けるパワーには圧倒されるほかない。黒人音楽だけではなく、カントリーや主に白人シンガーによって歌われてきたスタンダードを取り上げているところは、聖職者としての懐の深さと見るべきだろう。途中、ゲイ・アンセムとして知られる「愛のサバイバル(I Will Survive)」を女性シンガーに歌わせているが、これはディスコ・ソングと性的マイノリティにも気配りをしたということか。まさに海のように広いスケールをもったシンガーだった。

聴衆の心をわしづかみにする「語り」の力

「この素晴らしき世界」の途中、トランペット・ソロをバックに彼は、「ルイ、ありがとう。あなたは今どこにいるのですか」と天界のサッチモに語りかける。この「語り」の強さこそが彼の歌の力だった。とりたてて変哲のないラブ・ソングを、一人ひとりのリスナーに語りかけるような歌声で特別な曲に変えてしまうマジックを彼はもっていた。ストーンズがカバーした「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」の冒頭には、1分弱の語りがある。若きミック・ジャガーの吐き捨てるような語り口も大いに魅力的だが、やはりソロモンの深みある語りの敵ではない。

アレサ・フランクリンのゴスペル・ライブを記録した映画『アメイジング・グレイス』は、実際に教会の中でアレサの絶唱を聴いているような気持ちにさせる素晴らしい映画だった。ソロモン・バークの歌もまた、同様の力をもって聴き手の心をわしづかみにする。モントルーのオーディエンスたちは、師の言葉に酔う信徒の如き心持ちで彼の歌声に身を預けていたのではあるまいか。

文/二階堂 尚

〈参考文献〉『アトランティック・レコード物語』ドロシー・ウェイド、ジャスティン・ピカーディー著/林田ひめじ訳(早川書房)、『私はリズム&ブルースを創った』ジェリー・ウェクスラー、デヴィッド・リッツ著、新井崇嗣訳(みすず書房)


『Live at Montreux 2006』
ソロモン・バーク

■1.Baby What You Want Me to Do 2.Cry to Me 3.Diamond in Your Mind 4.Got to Get You Off My Mind/Having a Party 5.Down in the Valley 6.Georgia on My Mind
7.(Sittin’ On) The Dock of the Bay 8.Just Out of Reach 9.Don’t Give Up on Me 10.What a Wonderful World 11.I Will Survive 12.None of Us Are Free Tonight 13.The Lord Will Make a Way Somehow/This Little Light of Mine 14.That’s How I Got to Memphis 15.May the Good Lord Bless and Keep You 16.Everybody Needs Somebody to Love 17.When the Saints Go Marching In
■Solomon Burke(vo)ほか
■第40回モントルー・ジャズ・フェスティバル/2006年7月13日

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