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【インタビュー/海野雅威】レジェンドたちに導かれて “あの約束の場所”へ─ 新アルバムに映した畏敬と愛慕


史上もっとも偉大なジャズ・アルバムは何か? という問いに、多くの人がマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』(1958年)を挙げるだろう。同作はモダンジャズの歴史上きわめて重要なスタイルを標示し、セールス的にも抜きん出た傑作である。そんな名作のタイトルを最近、世界中のメディアが一斉に報じたことがあった。たとえば、米『ニューヨーク・タイムズ』紙はこんな見出しで記事にしている。

『カインド・オブ・ブルー』唯一の生存メンバーが死去──

2020年5月24日、ドラム奏者のジミー・コブ(91歳)が亡くなったのである。伝説のドラマーは齢九十を迎えても現役プレイヤーであり続けた。死の前年にも新作を発表しており、その “最後のアルバム” には、在米の日本人ピアニスト海野雅威が参加している。海野にとってそのレコーディングは、人生を変えるような事件に満ちていたという。あの日を振り返りながら、海野が語りはじめる。

“憧れの偉人” と交わした約束

あのアルバム(※1)を録音したのは2016年。場所はニュージャージーのヴァン・ゲルダー・スタジオです。ジミー・コブ・トリオのメンバーとして録音に参加できることは、僕にとって大きな喜びでした。さらにもうひとつ、ジャズファンなら誰もが知る “伝説的レコーディング・エンジニア” のルディ・ヴァン・ゲルダー(※2)に会える。そのことにも興奮しました

※1:Jimmy Cobb『Remembering U』(2019)
※2:Rudy Van Gelder(1924-2016)レコーディングエンジニア。ジャズの分野を中心に活躍。なかでもブルーノートやCTIレーベルで手がけた作品群は有名。

本稿の書き出しに倣って「ジャズ史上もっとも偉大な録音技師は誰か」と問えば、ルディ・ヴァン・ゲルダーは間違いなくその筆頭である。海野がジミー・コブとともにヴァン・ゲルダー・スタジオを訪れたのは2016年。当時91歳のルディはすでにレコーディングの現場から退いており、唯一の弟子として認められたモーリーン・シックラーが実務を担当していた。

ところが当日、ルディ・ヴァン・ゲルダー本人がスタジオに現れました。彼はジミー・コブとすごく仲良しなので『ジミーが来るなら俺がやる』と申し出たそうです。本当に幸運でした。彼は僕のプレイもつぶさに観察していたようで、『あそこの左手で弾いたフレーズがとても良かったよ』みたいな感じで、ちゃんと聴いて褒めてくれる

ルディは海野のプレイに感嘆しつつ、こう告げた。「君は本当に素晴らしいピアニストだ。連れてきてくれたジミーに感謝だね。君自身のプロジェクトがあったら是非またスタジオに帰ってきておくれ。また僕が録音するよ。それまでは元気でいるからね」。その様子を見て誰よりも驚いたのは、ルディの唯一の弟子であるモーリーン・シックラーだった。

彼がそんなこと言うのは本当に珍しいみたいで、すごく驚いていました。もちろん僕も驚いたし感激したけれど、基本的にミュージシャン以前にミーハーなジャズ小僧でもあるので(笑)、あの “生きる伝説” に会えたことがただ嬉しくて、別れ際にサインをもらって大満足でした

そう語る海野だが「いつか必ずここに戻ってきて、ルディに自分の作品を録ってもらう」と心に誓い、アメリカを本拠にふたたび精進の日々を歩み始める。ところがその2か月後、ルディ・ヴァン・ゲルダーは亡くなってしまう。悲しさと悔しさに苛まれた海野だったが、2023年の春、果たせなかった約束を胸にふたたびこのスタジオを訪れた。ほかでもない本作、海野雅威トリオI Am, Because You Are』を録るために。

海野雅威トリオ 『I Am, Because You Are』(ユニバーサルミュージック)

レジェンドたちに共通するもの

その録音を担当したのは前出の “ルディの唯一の弟子” モーリーン・シックラーである。演奏メンバーはリーダーの海野雅威(ピアノ)と、ダントン・ボーラー(ベース)、ジェローム・ジェニングス(ドラム)の3人。

写真左から、ダントン・ボーラー(ベース)、海野雅威(ピアノ)、ジェローム・ジェニングス(ドラム)/Photo by John Abbott

メンバーの3人は共通点が多い。演奏に対する考え方はもちろん、音楽家としてこれまで歩んだ道や境遇もよく似ています。お互いの特性もよく理解しあっているので、音を介した意思の疎通も確かなものがあると感じています

ドラムのジェロームはオハイオ州クリーブランド出身。1980年生まれなので海野と同年齢だ。さらに、ハンク・ジョーンズやソニー・ロリンズといった巨匠たちから薫陶を受け、バトンを引き継ぐ。その点も海野とよく似ている。

そんな彼のドラムで、アルバムは幕を開ける。シンプルなブレイクビーツではじまる4小節が、聴き手の心をぐっと掴む。打楽器の反響音が、彼らがいる空間の情報を、まるで目に見えるように伝えてくれる。“3人がそこに居てプレイしている” ことを鮮烈に視覚化するような、レコーディングの魔力を実感させる導入だ。

Photo by John Abbott

海野はこうして、ふたたびヴァン・ゲルダー・スタジオへ戻ってきた。しかも信頼できる仲間を連れて。そこにルディがいないのは残念だが、彼と最後に交わした言葉は何度も海野の頭を駆け巡る。「また、ここに戻っておいで。その時は、もっといい音で録るつもりだ」。

その一言を聞いて、ものすごく驚きました。彼は “もっといい音で録ることを目指す” と言うのです。すでに充分に “いい音” だし、それは世界中が憧れる最高の音なのですから。そう本人に返すと『私はまだ満足していないよ。もっといい音で録れるはず。日々そう思っている』と言う。これほどの偉人が、まだ高みを目指すのか…と、衝撃を受けました

その衝撃と同時に、海野はある出来事を鮮烈に思い出したという。

渡米して間もない頃、そんなに仕事もないから時間を持て余していて、よくハンク・ジョンーズ(※3)の家に行ってたんですよ。暇だからって気軽に家に行っていい人ではないですけどね(笑)。もちろん彼に対する畏敬の念があり、近寄り難い存在だとも感じていました。それでも彼に会いたいという気持ちの方が強くて

※3:Hank Jones(1918-2010)米ミシシッピ州出身のピアニスト。自身の名義で60作以上のアルバムを録音。キャノンボール・アダレイ『サムシン・エルス』(1958)など、ジャズ史に残る数多くの作品に参加。1962年、マリリン・モンローが当時の米大統領ジョン・F・ケネディに「ハッピーバースデー」を歌った際、傍でピアノを弾いたことも有名。

そんなハンク・ジョーンズも、日本から来た若きピアニストに心を開いた。海野をジャズのコミュニティの一員として迎え入れ、ともに演奏を重ねる日々が始まる。セッションに行き、1日6時間も連弾したこともあったという。が、そんな濃密な日々にもやがて終わりが来る。2010年5月。海野は、まもなく天国に旅立とうとするハンク・ジョーンズの手を握っていた。

そのとき彼は『家に帰って、練習したい』と漏らしました。僕は咄嗟に『きっとまたすぐに弾けますよ』と返しましたが、彼の死が迫っていることもわかっていた──。その時の光景が、ルディさんの言葉とシンクロしました。ふたりとも伝説の名人ですが、年老いてもなお “もっといいものができる” と、高みを目指し続けていたのです。過去の栄光に決してすがることなく、だからこそ最後まで若々しい精神を保ち続け現役でいられたのだと確信しました

あの日に出会った “もう一人の男”

残念ながら海野とルディ・ヴァン・ゲルダーは再会できなかった。が、じつはそれも “ルディとの出会い” に絡んだ因果だった。あの日、ジミー・コブのレコーディングに誘われてヴァン・ゲルダーと出会った海野だが、この時もうひとつ、運命の出会いがあったのだ。

そのレコーディングには、ゲストとしてロイ・ハーグローヴ(※4)が参加していて、そこで初めて彼と会いました。僕の演奏を見たロイが『お前、いいタッチだな。なんかハンク・ジョーンズを思い出すよ』って声をかけてくれて

※4:Roy Hargrove(1969-2018)米テキサス州出身のトランペット/フリューゲル・ホーン奏者。1990年のアルバムデビュー後、2度のグラミー賞獲得。 “トランペットの新星”として脚光を浴びる。伝統的なジャズの様式に則した作品のほか、ソウルやファンク、ヒップホップに接近した諸作品も高く評価される。2018年に49歳で死去。

ロイは海野に、亡きハンク・ジョンーズの幻影を見た。もちろん、ハンクと海野の関係などロイが知る由もない。

不思議な気分でしたね。僕のそういった過去や体験が、こうしてロイとの出会いに絡んで、こんなふうに未来につながっていくんだ…って

これを機に海野はロイ・ハーグローヴ・クインテットに誘われ、ミュージシャンとしてさらに大きく飛翔する。と同時に、ロイのバンドで多忙をきわめる海野は、自身の作品をのんびりレコーディングできない状況が続いた。そんなときにルディ・ヴァン・ゲルダーはこの世を去ってしまったのだ。さらに不幸が続く。

その2年後にロイも亡くなってしまった。そして、僕に彼らを引き合わせてくれたジミー・コブも2020年にこの世を去ってしまいました。3人とも、もういないんです

亡き彼らに対する想いはそのまま、海野の新作タイトル『I Am, Because You Are』に表れている。「あなたがいるから私がいる」あるいは「私がいるのは、君がいるから」といったところか。本作のレコーディングを担当したモーリーン・シックラーもきっと、師のヴァン・ゲルダーにこの想いを抱きつつ、アルバムを録ったことだろう。

録音現場に持ち込まれた“伝説の銘器”

生前のロイ・ハーグローヴが、海野によく投げかけた言葉「Put That Shit In De Pocket」も本作で曲名となった。「お前のそのヤバい演奏を、このグルーヴのポケットにもっと入れてみろ」といった感じだろうか。

そう、これはロイがよく僕に投げかけたセリフです。ロイのバンド入ったばかりの頃、僕はひたすら耳で聞いてレパートリーを覚えていくという大変な毎日を送っていました。楽譜もない新曲を次から次へとリハなしでやり続ける日々に、とにかく必死で食らいついていた

海野の演奏力や表現力にロイは十分満足していたが、ときに微細なフィーリングの違いを指摘することもあったという。

バンド特有のノリとか、それぞれの曲に対するノリみたいなものがあるんです。はじめの頃は、うまくそこに乗りきれていなかった。それでもロイは僕のタッチをすごく好きでいてくれて、僕がちょっとオフビートというかズレた感じになると、その言葉Put That Shit In De Pocketをよく投げかけていた。褒められ、励まされ、促され…、そんなニュアンスが入り混じったセリフですよね

そんな同曲は、ブルース・フィーリングあふれる演奏。憂いと愛嬌、重厚さと軽妙さが入り混じった(まさにロイが放った言葉のように)さまざまな表情を持つ楽曲だ。ちなみに、ここでベースを弾くダントン・ボーラーもかつてロイ・ハーグローヴのクインテットで演奏した俊英だ。

ダントンのベースの師匠はユージン・ライトで、生涯たくさんの名作でベースを弾いてきたレジェンド。なかでも有名なのはデイブ・ブルーベックのテイク・ファイヴです。あの演奏で使用されたベースはその後、ユージン亡き後にダントンが師から譲り受けていて、今回のアルバムではその 伝説のベース を使用しています

Photo by John Abbott

彼らの間で “テイク・ファイヴ・ベース” と呼ばれるその銘器。ダントンも弾きながら亡き師を思ったのではないか──あなたのおかげで今の私がいる。海野にとってその心情が極まるのは、収録曲「ユージーンズ・ワルツ」だ。

これは僕の息子にちなんだ曲です。パンデミックが起きた時期に息子を授かって、彼が1歳になる頃にアイディアが浮かんでつくり始めました。まさにロックダウンの最中、世の中に蔓延していく不安とは裏腹に、家の中にはピースフルな世界があった。そんな奇妙なバランスの中で生まれた曲です。彼の日々の成長に、自分自身がどれだけ救われたことか

愛おしい親族のために弾いたワルツ曲といえば、ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビィ」を思い出す。ちなみに海野のアルバム・ジャケットの裏面を見ると、彼の優しい眼差しの先に幼い子のシルエットがある。まさに「ワルツ・フォー・デビィ」を想起させるデザインが施されているのだ。僕はジャズピアニストであると同時に、熱心なジャズファンでもある。そう公言する海野らしい意匠だ。

そうした息子への想いはそのまま、アルバムタイトル『I Am, Because You Are』にも投影にされるわけだが、逆もしかり。幼い彼も海野と同じことを感じるはずだ。この世に僕が存在するのは、父がいるから──。そんなことを思いながら、いつか本作を手にするときが来るのだろう。

取材・文/楠元伸哉

海野雅威トリオ 『I Am, Because You Are』(ユニバーサルミュージック)
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