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サムライチャンプルーとNujabes─ 渡辺信一郎 監督が語った “無名のNujabes” を起用した理由【Think of Nujabes Vol.2】

サムライチャンプルーの画像2
近年、ローファイ・ヒップホップが世界的な人気を博している。このムーブメントの、楽曲面におけるキーパーソンとされるのが、日本のサウンドクリエイター Nujabesである。2010年に急逝した彼が、昨今のムーブメントにどう作用しているのか。そして、Nujabesとは何者か。生前の彼を知る人々を訪ねた、ルポルタージュ第2弾。   >>第1部はこちら

1990年代後半から2000年代にかけて残した作品により「ジャジー・ヒップホップ」のブームを生み出し、今では「ローファイ・ヒップホップ(Lo-Fi Hip Hop)」のオリジネーターとも呼ばれる日本人ヒップホップ・プロデューサー、Nujabes(ヌジャベス)。彼が生前にリリースした2枚のアルバム『Metaphorical Music』、『Modal Soul』までの流れを追った第1部に続き、アニメ『サムライチャンプルー』によってファン層がワールドワイドになり、さらにはローファイ・ヒップホップへと繋がっていく過程を追う。最後には、彼の音楽が今も愛される理由についても探っていきたい。

アニメ『サムライチャンプルー』への楽曲提供

1stアルバム『Metaphorical Music』がリリースされた翌年(2004年)、深夜にフジテレビ系列で放映されたアニメ『サムライチャンプルー』。それは時代劇とヒップホップという、まったく異なる要素を掛け合わせた斬新な作品であった。生み出したのは、アニメ監督の渡辺信一郎氏。まずは氏の音楽的なルーツから紐解いていきたい。

「マニアックに音楽を聴くきっかけになったのは、中学生のときに聴いたYMOからです。彼らを通じて、オールジャンルな音楽を聴くようになっていきました。大人になってからは、クラブ系を中心にテクノやハウスといった、そのときどきの勢いがある音楽を聴くようになって。90年代から2000年代にかけてはヒップホップのゴールデン・エラ(黄金時代)だったので、毎週、渋谷の宇田川町のレコード屋に通って、新譜を全部チェックしていました」(渡辺信一郎)

(C)下井草チャンプルーズ

アニメ『サムライチャンプルー』には、ヒップホップの重要な要素であるグラフィティやブレイクダンスの動きが映像に取り入れられていた。その背後には当然、ヒップホップの音楽が流れている。とはいえ、当時はまだ世間的にはアンダーグラウンドな存在であった Nujabesのようなアーティストを、サウンドトラック(アニメ業界用語で「劇伴」)になぜ起用しようと思ったのだろうか。

「前作のアニメ『カウボーイビバップ』がヒットしたので、次はもっと好きにやっていいよと言われたのが大きかった。内容だけでなく、音楽に関しても好きにやって構わないと。それで、以前から知り合いだった Shakkazombieの Tsutchieさんには前から声をかけてあったので、他のミュージシャンを誰にしようかなと。当時はジャジー・ヒップホップが流行り始めた頃で、なかでも Nujabesと Fat Jonが良いなと思っていました。あとは、単調にならないようにヒップホップを基盤にしつつも、もっと幅広い音楽性を持つ Force of Natureにも参加してもらうことにしたんです(渡辺信一郎)

渡辺信一郎:アニメ演出家、監督、音楽プロデューサー。1994 年、OVA『マクロスプラス』で監督デビュー(共同監督)。1998年『カウボーイビバップ』、2004年『サムライチャンプルー』など革新的な映像表現で知られる。また、音楽好きが高じて音楽プロデューサーも務める。

音楽と映像が50:50で競い合うようにしたかった

サウンドトラックに参加した計4組の個性派メンバーたちのなかでも、渡辺氏はやはり Nujabesの音楽性に対して特別な思いがあったという。

「レコード屋通いをしていたので、彼の初期の12インチシングルは全部聴いていました。サンプリングのネタ感が特徴的で、メロディアスで、彼独特の叙情感のようなものがあって、映像が頭に浮かんでくる感じがした。そこが他のプロデューサーとはまったく違うと思ったんですよね。一般的に、映画音楽はあくまで映像を補佐するための脇役として、映像を手助けするようなやり方をするんです。でも、『カウボーイビバップ』のときから、僕はそういうことはやりたくなかった。音楽をもっと立てて、音楽と映像が50:50で競い合うようにしたかったし、ときには音楽が立ち過ぎるくらいのほうが面白いと思っていた。そのためには、それだけの力を持つ音楽でないといけないし、映像と拮抗できるくらいのクオリティも必要になってくる。そういう意味も含め、ヒップホップのなかで最適だったのが Nujabesでした」(渡辺信一郎)

渡辺氏のオファーを快諾したNujabesは、主題歌の制作も自ら申し出て、Shing02をフィーチャーしたオープニング曲〈battlecry〉と、MINMIをフィーチャーしたエンディング曲〈四季ノ唄〉のプロデュースも手がけ、名実ともに、『サムライチャンプルー』のサウンド面を象徴する存在となる。ちなみに、世界的にヒットした『サムライチャンプルー』だが、日本での放映当初の評判は芳しくなかったという。

「一部のカルトファンは盛り上がっていましたが、ほとんどのアニメファンには不評だったみたいで(苦笑)。大雑把に分けると、当時、アニメを観ている人はオタクで、ヒップホップを聴いているのはヤンキー。今ではオタク系ラッパーも多いですが、当時このふたつは天敵だったんです。それを混ぜ合わせたもんだから、どちらの層にも不評だった。コンビニの前でたむろしているヤンキーが『サムライチャンプルー』の話をしていたという情報を耳にしたり、歌舞伎町で知らないヤクザに褒められたこともあります。つまり、局所的な人気はあるけど、広がりに欠けるみたいな感じでした」(渡辺信一郎)

2004年6月に発売されたオリジナル・サウンド・トラック「samurai champloo music record 『departure』」。サムライチャンプルーに関するアルバムは計4枚発売されたが、いずれもストリーミングなどはされていない。

日本で放映された約1年後、アメリカのアニメ専門チャンネル、カートゥーン・ネットワークの深夜帯に組まれていた大人向けの番組枠「Adult Swim」にて、『サムライチャンプルー』の放映がスタートする。さらにヨーロッパ、南米、オセアニアなど、放映される国々は広がってゆき、『サムライチャンプルー』のファンが世界中に増殖していくことになる。

「日本では一度きりでしたけど、アメリカでは何度も再放送されているので、段々とファンが増えてきて。当時から、『アメリカで多少人気があるらしい』というのは聞いていたんです。実際、現地のアニメイベントへ行くと、デカい怖そうな黒人が『サインくれ』ってくるんですよ。『どの作品が好きなの?』と聞くと、『サムライチャンプルー』と答える。ブラジルに行ったときも、ギャングみたいな奴がサインの列に並んでいて、やっぱり『サムライチャンプルー最高!』って。日本でもヤンキーに好まれていたし、悪そうな奴に人気という傾向は世界共通でしたね(笑)」(渡辺信一郎)

ここで、子どもの頃にテレビで観た『サムライチャンプルー』を通して、Nujabesのことを知ったというニューヨーク出身の若きビートメイカー、ninjoi.(ニンジョイ)に実体験を語ってもらった。

週末の夜は、サムライチャンプルーを観てから寝ていた…

「2008年頃、自分はまだ12歳くらいで、週末の夜はいつも〈Adult Swim〉で『サムライチャンプルー』を観てから寝ていました。その後、インターネットを通じて、Nujabesが『サムライチャンプルー』の多くの楽曲を手がけていることを知って。自分は父親の影響で90年代ヒップホップを聴いて育ちましたが、Nujabesの音楽を聴いたとき、それまで慣れ親しんできたヒップホップと共通したものを感じる一方で、どこか感情を揺さぶられるところがあった。それは明らかに今まで聴いてきたヒップホップとは違うものでした。

当時、自分の住んでいた辺りは荒れている状況で、すごくハードな世界。でも、Nujabesの音楽を聴くことで気持ちを落ち着かせて、自分の心に向き合えるようになったんです。音楽によってそういう感情を持ったのは人生で初めての経験でした」(ninjoi.)

ninjoi.:ビートメイカー。NYクイーンズ出身で現在はLAを拠点に活躍するニンジョイは、日本のジャジー・ヒップホップからの影響を公言している。2019年、アルバム『Masayume』をP-VINEよりリリース。

今も音楽を作る上で「Nujabesが自分の最大のインスピレーション」と言い切るninjoi.。そこで、Nujabesのサウンドがローファイ・ヒップホップというムーブメントへ直接的な影響を与えているのかどうか、単刀直入に意見を聞いてみた。

「自分が『サムライチャンプルー』を通じてNujabesを知ったように、たくさんの人たちが同じような経験をしたのは間違いない。あのアニメはすごく日本的な作品だけど、同時に西洋的な価値観も含まれていて、誰もが簡単に理解することができる。そして、この作品を観た人にNujabesのスムーズでジャジーなヒップホップのヴァイブスが伝わり、のちにローファイのコミュニティが形成されていったというのは、大いにありえる話だと思う」(ninjoi.)

『サムライチャンプルー』というアニメ作品が、最終的に「ローファイ・ヒップホップ」というムーブメントへと繋がっていったのは疑わざる事実であろう。ちなみに、2018年にSpotifyの「急成長したジャンル」の第2位になったことで、日本でも広く知られるようになったローファイ・ヒップホップ。アニメ監督の渡辺氏がその存在を知ったのは、TBSラジオの番組『アフター6ジャンクション』にて特集が組まれたことによる(2019年3月)。そこで渡辺氏もコメントを求められ、『サムライチャンプルー』がローファイ・ヒップホップ誕生の一要因になったことを知ったという。

「予想外というか、15歳くらいの隠し子が突然現れて、『本当に俺の子なのか?』みたいな(笑)。ちなみにローファイを作っている人たちがアニメを観てくれていたのは、子供の頃なんですよね? 幼少期の経験って刷り込み度合いが強いから、そこから音楽を掘っていくなかで、ローファイ・ヒップホップというムーブメントが生まれたのかもしれない。もちろん『サムライチャンプルー』だけがルーツではないし、他のいろんなものに影響を受けているんだと思いますけど、もし『サムライチャンプルー』がそのきっかけのひとつになったのなら、素直に嬉しいですね」(渡辺信一郎)

ブラジル音楽、ニューエイジ、アンビエントからのサンプリング

ここからは、さらに音楽的な部分でのNujabesとローファイ・ヒップホップの共通点を探っていきたい。まずは本稿の 第1部から再び登場の選曲家/DJ、橋本徹氏による分析から。

「Nujabesはサンプリングのネタを探すために、しょっちゅう僕のところに来ていて、『これを聴いて、欲しいのがあったら言って』みたいにCDを50枚くらい束で渡したりしていたんです。けど、彼が実際にレコーディングするときはCDではなく、必ずアナログ盤からサンプリングしていた。それは、粗さのある音質のソウルやジャズのレコードから生み出される、温かみのある音へのシンパシーがあったからだと思うし、そこはローファイ・ヒップホップの音響と通じる部分がある。

もうひとつは、ローファイの人たちの曲って、J Dilla(注1)みたいな、手打ちのよじれたビートとかズレのあるグルーヴ感もあるんだけど、3拍目だけ硬い抜けのあるスネアで合わせてきたりする。そこは Nujabesのビートの気持ち良さとすごく通じるなって。メロウなループ感や、ハイハットのスウィング感とかもそうだけど、彼の曲は女の子とかでもリズムが取りやすいし、そういう誰もが心地良いと感じている部分は、ローファイ・ヒップホップと共通している。あとはやっぱり、『最高の2小節を見つけたい』第1部参照)という言葉とも繋がるけど、ループの気持ち良さと、上もののメロウネスやメランコリックな要素があることによって、良い意味で流し聴きしやすくなるんです」(橋本徹)

注1:Nujabesと共に「ローファイ・ヒップホップのゴッドファーザー」と呼ばれている、デトロイト出身のヒップホップ・プロデューサー。ファーサイドやトライブ・コールド・クウェストなどさまざまなアーティストの作品に関わり、2006年、自身のアルバム『Donuts』リリース直後に血液性の難病により亡くなった(享年32歳)。なお、NujabesとJ Dilla、ふたりの生年月日がまったく同じ(1974年2月7日生まれ)というのも、ローファイ・ヒップホップのファンの間では有名な話である。

V.A.『Mellow Beats, Rhymes & Vibes』 「ジャズとヒップホップの蜜月」をテーマに、橋本徹(SUBURBIA)氏が選曲し、Nujabesもとても気に入っていた、ホームリスニングに適したヒップホップ・チルアウトの決定版コンピCDシリーズ『Mellow Beats』。シリーズ最終作『Mellow Beats, Friend & Lovers』にはNujabes自身も新録で参加した。「Mellow BeatsのコンピCDが出たときは、橋本さんの手がけたもののなかでも最上級に良いんじゃないですかと、Nujabesがわざわざ電話をくれました。チルアウトをテーマにしたループの心地良さとメロウネスを重視した音楽性は、たしかにNujabesやローファイ・ヒップホップと共通しますね」(橋本徹)

このような Nujabesサウンドに見られる音楽的構造が、ローファイ・ヒップホップの元にもなっていったという橋本氏の説明は納得がいく。そしてもうひとつ重要なのが、セレクトするネタのセンスだ。初期の Nujabesサウンドの基盤は、本稿の第1部で橋本氏が語った「メロウなソウルミュージックとスピリチュアルなジャズ」であったわけだが、2000年代前半以降は、ブラジル音楽やニューエイジ、アンビエントといったジャンルのレコードも、サンプリングのネタとして積極的に取り入れていった。

「J Dillaも90年代からやっていたけど、ボサノバとかブラジル音楽のサンプリングは、イージーリスニング的に聴かれているローファイ・ヒップホップとも当然相性がいい。さらに、Nujabesはニューエイジ、アンビエントのサンプリングに関しては、J Dillaよりも全然早くやっていた。巨勢(こせ)典子(ピアニスト/作曲家)さんの〈I Miss You〉を使った〈refletion eternal〉であったり、Gigi Masin(イタリア出身のアンビエントのパイオニア的存在)をFive Deez〈Latitude(Remix)〉で使っていて、それが今では舐達麻の〈FLOATIN’〉に受け継がれていたり。

ヨアヒム・キューンなんかも然りですが、ニューエイジ、アンビエント的なピアノやキーボードを誰よりも早くサンプリングして、ループしていたという意味では、彼がローファイ・ヒップホップの祖と言われるのも納得かなと思いますね。鳥のさえずりや波の音、花火などの環境音をアンビエンスに用いるのも、両者に共通するセンスとして象徴的です」(橋本徹)

実際、ローファイ・ヒップホップと呼ばれるサウンドには、ニューエイジ、アンビエントからのサンプリングであったり、それらの音楽的な要素がふんだんに盛り込まれている。Nujabesの音楽が世代や国籍を超えて今も聴かれ続けている理由もそこにあるのではないだろうか。ちなみにSpotifyが発表した、2018年「海外で最も再生された日本人アーティスト」のランキングにおいて、ONE OK ROCK、RADWIMPSに次いで、Nujabesはなんと第3位に輝いている。それは約10年前に作り出した彼のサウンドが、今の時代にもフィットしている証拠だ。

チルと物悲しさを求める時代にフィットした

「今の時代にフィットしている音楽って、だいたいチルで物悲しい感じがあると思うんです。ロックとかポップスの世界でも、最先端のものってちょっとチルな感じがあって。ハウスとかテクノとかもそうだし、トラップだってだいたい物悲しいじゃないですか。多分それが今の空気なんだと思うけど、そういう時代にNujabesの音楽がフィットしているのかな、という気はするんですよね」(渡辺信一郎)

アニメや食の文化も、すべてが相乗効果的に繋がっている

現在、アメリカで「Nujabes追悼ツアー」なども行なっているShing02は、Nujabesに対する若者たちの熱狂を、今もステージからダイレクトに感じているという。

「僕のバンドが自主的にNujabesのカバーをしていて、それが前座みたいになっているんですよ。彼らが演奏を始めた瞬間、イントロクイズみたいな感じでみんなすぐに反応する。今やローファイ・ヒップホップ層から神格化されて、名前がひとり歩きしている部分もあると思うんですけど。それでも、今の20代たちが彼のディスコグラフィのすべてをじっくりと聴いて、新しく評価しているのは凄いことですし、彼の音楽にはそれだけの価値があるんだと思います」(Shing02)

Shing02は Nujabesの音楽が愛され続けている理由を、日本のカルチャーが世界で愛されていることとも結びつけて語ってくれた。

「Nujabesの音楽には、日本的な哀愁が含まれている。それは、ブラジル音楽のサウダージという言葉にも当てはまるし、英語だとノスタルジアという言葉に繋がる。ローファイって、最近はアメリカの大きなメディアでも記事になっていて。ひとつ面白い考察だと思ったのが、『アメリカ人は自分たちのカルチャーをノスタルジアも含めてすべて消費し尽くして、他の国のノスタルジアにまで手を出すようになった』と。それはファッションでも同じことが起きていて、日本のファッションデザイナーが評価されたりしている。音楽もファッションも、もともとはアメリカにインスパイアされているものだけど、日本人のフィルターを通して洗練されたり、お洒落なものになって、海外の人が夢中になっている。アニメや食の文化もそうだし、すべてが相乗効果的に繋がっている」(Shing02)

いつも自分は弱者だと語っていた

さまざまな理由がありながらも、Nujabesの音楽が今も愛され続けている最大のポイントは、Shing02の言葉にも出てくる「哀愁」にあるように思う。A&RとしてNujabesのアルバムに関わってきた竹内方和氏は、それが確信的なものであったことを教えてくれた。

「一緒にアルバムを作るなかで、2000年代に向けて『これからは絶対にメロディやサビで展開していくヒップホップが流行る』と言っていました。そういう意味では、やっぱり先見の明があったんだと思います。また、若い頃にたくさん辛い思いをしたみたいで、いつも『自分は弱者』だとも語っていました。弱者だからこそ『人が辛いと思ったとき、悲しいと思ったとき、感情の琴線を刺激するようなメロディを作りたい』と、そういう思いが彼の音楽の根底にあったんだと思います」(竹内方和)

「弱者の視点」で作られたNujabesの音楽が、リアルとバーチャルの狭間で孤独を感じている世界中の若き音楽リスナーに響いている。それはある意味必然的なことなのかもしれない。最後に、前出の橋本徹氏がNujabesの納骨の際に彼の父親と初めて出会ったときのエピソードで話を締めたい。

森屋陽介による撮影。鎌倉2009年夏。

「彼の原初的な心象風景に触れられるという意味で、〈Kumomi〉(アルバム『Metaphorical Music』収録)という曲はぜひ聴いてほしい。Nujabesが2010年2月に亡くなり、まだ桜が咲いている季節に多磨霊園へ行ったんです。そのときに初めて彼のお父さんとも会って、『夏休みには淳(Nujabes)たち兄弟を連れて、毎年必ず西伊豆の雲見(Kumomi)に行っていた』という話をしてくれました。じつは本人からもその話を聞いたことがあって、家族との思い出も含め、描きたい心象風景の原点があの曲にはあると言っていました。まさにサウダージというか、郷愁を誘う、心の琴線に触れる。そういう感性が、日常のなかでふっと心を落ち着かせてくれるサウンドとして表現され、今でもリスナーを惹き付けているんだと思います」(橋本徹)

Nujabesが死去した2010年2月、このとき当然ながら、制作途中の楽曲や進行中のプロジェクトがあった。Shing02との〈Luv(sic)〉シリーズもそのひとつだ。Nujabes関連作の中でも特に人気の高い〈Luv(sic)〉だが、共作者であるShing02とNujabesは幾度も衝突し、歩み寄りを繰り返したという。次項では、当事者のShing02の証言を交えつつ〈Luv(sic)〉の魅力とNujabesの素顔に迫りたい。

取材・文/大前 至 編集/富山英三郎

>>第3部  Shing02が語る「Nujabes との〈Luv(sic)〉シリーズ誕生秘話」

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