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挾間美帆の新作と「ラージ・アンサンブルの歴史」を一気に解説 ─おすすめ作品リストも

挾間美帆はいま最も注目度の高い日本人作曲家のひとり。彼女はジャズのビッグバンドラージ・アンサンブルと呼ばれる分野で活躍し、2018年発表のアルバムはグラミー賞候補に選出。また、指揮者としてヨーロッパの有名バンドに招聘されるなど破天荒の活躍を続けている。

そんな彼女が新作を発表した。今回もまた国際的な評価を期待される本作は一体どんな内容なのか。また、彼女が主戦場とするジャズのビッグバンドやラージ・アンサンブルとは、どんな世界なのか─。挾間美帆の新作『イマジナリー・ヴィジョンズ』日本盤CDのブックレットで解説を担当した村井康司氏に話をきいた。

挾間美帆が目指したもの

──挾間美帆の新アルバム『イマジナリー・ヴィジョンズ』がリリースされました。この作品は、デンマークラジオ・ビッグバンド(以下、DRBB)との共演なんですね。

村井 彼女は2019年にこのバンドの首席指揮者に就任して、DRBBとの録音作品としてはこれが最初ですね。

挾間美帆『イマジナリー・ヴィジョンズ』

──DRBBはデンマーク放送公社を母体にもつグループで、1964年に設立。国内最高峰のビッグバンドとして、これまで世界的なソリストたちと盛んに共演してきました。今回の作品で、挾間美帆がどんな表現に挑戦しているのか。そこを探る前に、彼女の過去作を軽くおさらいしてもいいですか?

村井 彼女はこれまで4作のアルバムを発表していて、そのうちの3作がm_unit(エム・ユニット)という13人編成のユニット名義です。

──m_unit は彼女が編成したグループで、2018年に発表したアルバム『ダンサー・イン・ノーホエア』はグラミー賞の候補にもなりました

村井 そして、もう1作がオランダのメトロポール・オーケストラ・ビッグバンドとの『Miho Hazama+Metropole Orkestr Big Band / The Monk : Live at Bimhuis』(2018年)。これは、セロニアス・モンクの曲をカバーしたトリビュート・ライブ・アルバムです。

『ダンサー・イン・ノーホエア』(左)/『Miho Hazama+Metropole Orkestr Big Band / The Monk : Live at Bimhuis』(右)

──つまり、海外のビッグバンドと組んだ作品としては今回で2作目。

村井 とはいえ、今回はすべて自身のオリジナル曲で固めたビッグバンド作品。これは、彼女にとって初めての試みだと思います。

彼女はもともとクラシックとジャズの両方やっていて、国立音楽大学に在籍時は同校のニュー・タイド・ジャズ・オーケストラのために譜面も書いていたので、ビッグバンドの経験はあるんですね。ただ、こうしてオリジナルでビッグバンドのアルバムを作ったことはなかった。一体どんな作品になるのか。そこは僕にとってすごく興味が湧いたところですね。

──聴いてみて、どんな感想を持ちました?

村井 素晴らしい内容でしたよ。デューク・エリントン以来のジャズ・ビッグバンドの歴史を総括したようなアルバムです。本作のスペシャルサンクスに、サド・ジョーンズボブ・ブルックマイヤージム・マクニーリーという3人の名前が入っているんですよ。

──ジャズ・ビッグバンドの偉人たちですね。

村井 これはひとつのスクールみたいなものなんですね。60年代に「サド・ジョーンズ=メル・ルイス・ジャズ・オーケストラ」というビッグバンドがあって、ほとんどの曲はサドが書いたものだったのですが、そこにボブ・ブルックマイヤーがいて、彼の曲も何曲か演奏されていました。メル・ルイスがサド・ジョーンズと別れて結成した「メル・ルイス・ジャズ・オーケストラ」にも、ブルックマイヤーは曲を提供しています。

サド・ジョーンズ(左)とメル・ルイス(右)。1976年、モントルー・ジャズ・フェスティバルのステージにて。

村井 そして、もうひとりのジム・マクニーリーは、彼らよりもひとつ下の世代で、いま72歳です。彼も「メル・ルイス・ジャズ・オーケストラ」のために曲を提供していました。メル・ルイスの没後は、ヴァンガード・ジャズ・オーケストラに名義は変わりますが、そこでも彼は曲を書いたり、ピアノを弾いたりしています。

つまり挾間美帆は、サド・ジョーンズからつながる、ジャズ・ビッグバンドの中心となる人たちがやってきたことを、彼女なりに集大成みたいな感じのサウンドに仕上げたんだと思うんですね。

──なるほど。そう考えると、今回のアルバムのジャケットデザインは、ボブ・ブルックマイヤーのアルバム『ボブ・ブルックマイヤー&フレンズ』(1964年)の抽象画を、現代的に再ビジョン化しているように見えてきました。かなり強引な説ですが(笑)

──ちなみに前述の3人(サド・ジョーンズ、ボブ・ブルックマイヤー、ジム・マクニーリー)は皆、かつてDRBBの首席指揮者を務めています。現在はそのポジションに挾間美帆がいて、まるで彼らのバトンをつなぐように今回のアルバムを制作したわけですが、そもそも彼女はいつからこのバンドと繋がりがあったのでしょうか。

村井 DRBBは2017年に「東京JAZZ」に出演しているのですが、そのときは「ジャズ生誕100年」というテーマのステージで、挾間美帆が音楽監督。そこで強く繋がったんじゃないかな。ちなみにそのときは、ニューオリンズのブラスバンドのパレードから現在のジャズまで、というメドレーで、2020年にコロナで亡くなったリー・コニッツがゲストで登場して、マイルス・デイヴィス『クールの誕生』の「バップリシティ」を吹いたことが記憶に残っています。

●挾間美帆がDRBB首席指揮者に就任時、空港でサプライズ

村井 彼女は2020年からオランダのメトロポールオーケストラという、かなりたくさんの弦楽器が入っている52人編成のビッグバンドの常任客演指揮者に就任して、さらにドイツのWDRビッグバンドのためにも曲を提供していて、ここ数年はヨーロッパで人気がすごく出てきたんですね。

──なんか凄いですね。アメリカの音楽賞にノミニーしたり、ヨーロッパの楽団に招聘されたり。

村井 ヨーロッパのビッグバンドってね、とにかく上手いんですよ。クラシックの伝統があるので、きちんとした演奏をするバンドが多い。そこに、たとえばパット・メセニーや、ジョン・スコフィールド、ランディ・ブレッカーといった著名なアメリカのジャズミュージシャンをフィーチャーすることも結構あるんです。

ところが今回のアルバムはすべて挾間美帆のオリジナルで、特に有名なゲスト奏者もいない。これって結構チャレンジングで、すごいなと思ったんですよ。コマーシャル的にはかなり不利な設定だけど、敢えてそれをやる。これはやはり彼女自身が注目されているから。期待されているのは明らかですよね。

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挾間美帆の最新作─その中身は?

──アルバムの建て付け自体が非常にチャレンジングとのことですが、作曲や演奏の面で、彼女の “チャレンジ”を感じたところはありますか?

村井 リズムですね。たとえば4拍子とか3拍子だけじゃなくて、7拍子とか変拍子が入り混じったり、速い4ビートからディープなシャッフルになって、また違う拍子になったり。リズムの面はかなり冒険的だと思いますよ。

それから楽器の使い方も。ビッグバンドの基本的な動かし方というのは “サックスセクション対ブラスセクション” なんですね。つまりサックスが何か動くとブラス(金管)は別の動きをする、という演奏が普通なのですが、ときにはセクションをまたぐこともあります。

──セクションをまたぐ?

村井 そう、このアルバムにもそうした配置があって、たとえばサックスセクションの何人かと、トラペットセクションの何人かが、臨時にひとつのセクションを作って同じ動きをしたり、サックスセクションの中で3つに分かれるとか。そういった複雑な絡み方で、すごく面白い世界をつくり出している。

あとは、フルート、クラリネット、バスクラリネットといった木管楽器をサックスセクションの中で使って、すごく美しいものを作るとか。いろんなことをやっていますね。

──そうした書き方や手際に、先人への意識が見え隠れしている?

村井 そうですね。デューク・エリントンから、ギル・エヴァンススタン・ケントンサド・ジョーンズ……それから、穐吉敏子とかマリア・シュナイダーまで。そうした偉人たちが、これまでビッグバンドという編成を使ってどうやって新しいサウンドを表現してきたのか。そうした財産みたいなものを、彼女は自分の曲の中でいろいろと試しているようにも思えます。

今回はトロンボーン5人でその中のひとりはチューバも吹き、トランペットとフリューゲルホーン合わせて5人、サックス5人にリズムが4人ですから、まあビッグバンドの標準編成と言っていい。彼女はそこで「どれだけ新しいことできるんだろう?」みたいなチャレンジをしていますよ。

ビッグバンドとラージ・アンサンブル

──「ビッグバンドの標準編成」というワードが出ましたが、昨今は “大人数で奏でるジャズ” をラージ・アンサンブルと呼んだりしますね。

村井 「ビッグバンド」「ジャズオーケストラ」「ラージ・アンサンブル」など、いろんな言い方がありますが、最近は「ラージ・アンサンブル」という言葉が定着したようですね。結局、何人いればラージなのか、そこは曖昧ですね。グラミー賞を見ていると6人編成でも入ったりしていますよね。

──ちなみにグラミーだと、現在の部門名は「ラージ・ジャズ・アンサンブル」ですが、60年代は「ラージ・グループ」という言い方をしています。その後、1972年から91年は「ビッグバンド」でした。ただ、なんとなくニュアンス的に、ラージ・アンサンブルとビッグバンドは違いますよね。

村井 そうですね。ラージ・アンサンブルというのは弦楽器が入っていても構わないし、なんだったらラージのうち、3人コーラスでもいいわけですよね。

ビッグバンドという言い方をしてしまうと、もう少し概念的には狭いという印象。特にジャズ・ビッグバンドというと、トランペット、トロンボーン、サックス+リズムセクションという、カウント・ベイシーなどの編成のイメージですよね。

あと、ビッグバンドというのは、ビッグバンドだけで演奏するというケースと、むしろオーケストラと同じだから、ソロの人が別にいるというケースもありますよね。歌手の後ろにいたり、フィーチャード・ソリストがいたり、あるいはダンサーという主役がいて、その後ろで演奏したり。

──ダンサーもOKですか。

村井 歴史的にはね、おそらく最初の主役はダンサーだったと思うんですよ。ジャズ・ビッグバンドの最初の形は軍楽隊で、当時のポップスを演奏していたんですね。1910年代にはジェームス・リース・ユーロップという黒人の軍楽隊の隊長がいて、彼の所属する軍楽隊が第一次世界大戦でヨーロッパに行って、たとえばパリなどで演奏していました。

つまり、このとき初めてヨーロッパ人にジャズを聴かせたんですね。その時代に、ヴァーノン・キャッスル夫妻という、映画にもなった男女のダンサーチームがいるんですよ。その2人のために、ジェームス・リース・ユーロップの軍楽隊は伴奏したそうです。

──おもしろいですねー。オペラやバレエの本拠地に、アメリカ産の新しい「音楽と舞踏」が伝わるという出来事。

村井 そうした軍楽隊が、だんだんジャズのビッグバンドに特化していって、1910年代の終わり頃にはすでにフランス人はジャズが好きになっていたといいますよね。

──ジャズが発祥したのはアメリカのニューオリンズと言われていますが、当時のニューオリンズはフランス領だったわけですよね。そのことを踏まえると、まるで “生き別れになった我が子が、立派な姿で目の前(フランス本土)に現れた” みたいな話。なんか歴史のロマンを感じますね…。

ビッグバンドの歴史

村井 一方、それとは別に1910年代の終わり頃には、ポール・ホワイトマン・オーケストラというのがありました。ポール・ホワイトマンはもともとクラシックの人なのですが、彼のやっていたことは、いわば今のメトロポール・オーケストラ・ビッグバンド注:挾間美帆が常任客演指揮者を担当するオランダのバンド)と同じですよね。弦楽器セクションが大勢いて、それと一緒に管楽器主体のビッグバンドがあって、それを一緒にやりましょうということです。

ポール・ホワイトマン(手前右)とオーケストラ。1954年、テレビの音楽番組の収録風景。

村井 ポール・ホワイトマン・オーケストラが演奏するのは当時流行していたポップスやジャズの曲なのですが、注目すべきは、ジョージ・ガーシュウィンによるアメリカのオリジナルのクラシック曲「ラプソディ・イン・ブルー」。これは、コンサートのためにホワイトマンがガーシュウィンに委嘱した曲だ、ということです。

──そうだったんですね。有名な曲ですが、そんな経緯があったとは。

村井 ジョージ・ガーシュウィンはピアノが上手い作曲家なのですが、オーケストレーションができなかった。そこで「ラプソディ・イン・ブルー」をオーケストラにするときに、ホワイトマン楽団の専属作家だったファーディ・グローフェというクラシックの作曲家に協力してもらったんですね。つまり、これはグローフェと一緒に作った曲なんです。

ポール・ホワイトマン・オーケストラというのは数分間のポップスもやりつつ、クラシックとジャズをうまく組み合わせたような「ラプソディ・イン・ブルー」のような10分、20分かかるような曲も20年代にやっているんですね。

──大衆受けもキープしながら、かなり先鋭的なこともやってたんですね…。

村井 ただし、20年代には人気があったのですが、だんだんアフリカン・アメリカンのジャズが本物だと言われるようになると、彼らはインチキとか偽物といわれるようになる。しかし、今にして思うと、彼らはオリジナルなことをやっていたわけです。そういう意味では、現代のラージ・アンサンブルは、ポール・ホワイトマンが蘇った感じがしますよね。

ご本人がどう思っているのかはわかりませんが、挾間美帆はポール・ホワイトマンがやっていたことの21世紀バージョンみたいに捉えることもできると思うんです。

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デューク・エリントンの異常さ

──ポール・ホワイトマンが「ラプソディ・イン・ブルー」をやり始めた頃には、デューク・エリントン・オーケストラも登場しますよね。

村井 エリントン楽団のスタートは1920年代半ばですね。こちらは基本的に弦楽器は入ってない編成。他人の曲も演奏しつつレパートリーの中心は自分の曲で、これまで誰もやったことがなかった楽器の使い方やハーモニーをつくり上げていきます。聴くと「なんか変だよね」と感じることを、30年代からやっていた。その特有の響きが、ジャズを新しいところに持っていったんですね。

たとえば「キャラバン」という有名な曲がありますが、いくつもあるエリントンの録音の中には、不協和音の塊が平行移動しているようなバージョンもあったりします(笑)。

デューク・エリントン楽団のリハーサル風景。1945年頃の写真。

村井 同じ時期に人気を博したベニー・グッドマンと比べると、圧倒的に不協和音。だけどなんかかっこいい。当時のデューク・エリントンはダンスの伴奏なども普通にやっていたそうなのですが、いま聴くとやはり飛び抜けて変です。彼と比べるとカウント・ベイシー・オーケストラは、スウィングするけどハーモニーとしては普通なんですよね。

──エリントンって、かなり特殊だったんですね。てっきりビッグバンドの保守本流だと思い込んでいました。

村井 現代のアマチュアのビッグバンドで、カウント・ベイシーの楽曲を演奏しているバンドは世界中に何百も何千もいて、その多くがきちんと演奏できています。ところが、デューク・エリントンの楽曲を、当時の彼らと同じように演奏できているバンドはほとんどいません。

──え? どういうことですか?

村井 いくつか理由があって、まず、ちゃんとした楽譜がない。デューク・エリントンの楽譜の書き方は複雑すぎて、なかなかトランスクライブ(耳コピ)できないんです。たとえばサックスが5人一斉にパーッと吹くとき、エリントンは時としてバリトンサックスに高い音を出させる。そうすると、かなり変な感じになります。音色が普通ではないんですね。無理していますから。そういったことを曲中いろんなところでやるので、耳で聴いているだけだと「なんか変なんだけど、これどう鳴っているんだ?」と、わからなくなるようです。

──すごいオリジナリティの出し方ですね(笑)

村井 生前のデューク・エリントンが使っていた楽譜はスミソニアン博物館に保管してあるそうですが、そう簡単に見せてくれないそうです。もちろん、それを借りてコピーもできない。現在、いくつか信頼できる楽譜も売られていますが、それは現代のミュージシャンが必死で耳コピして書いたものなんです。

レコーディング・スタジオで譜面に手を入れるデューク・エリントン。

村井 さらに、デューク・エリントンは同じ曲を何度も書き換えます。同じ曲の演奏でも、1年後には全然違っている、みたいなことも起きるわけです。ニューヨークにあるリンカーン・センターという総合芸術施設では、エリントンの曲をビッグバンドの優秀な人が耳コピしているのですが、それぞれの楽譜には曲名と「19◯◯年◯月◯日バージョン」と書かれています。

──エリントンの音楽を本気で再現するとなると、それなりの覚悟が必要なんですね…。

村井 エリントンは個性的な音色を持つメンバー、たとえばジョニー・ホッジス(アルト・サックス)やクーティー・ウィリアムズ(トランペット)のことを意識して譜面を書いているということもあり、なかなか本人たちのような音にはならない。もちろん、普通に演奏が難しいということもあるんですけどね。

──エリントンと同じ時期に、カウント・ベイシー楽団も人気を博しました。しかも、こちらは現在のラージ・アンサンブルにつながる重要な人間関係がありますね。

村井 そうですね。カウント・ベイシーが30年代後半ぐらいにバッと出てきたとき「ものすごく気持ちよくスウィングする」ということで、瞬く間に人気者になった。50年代にこのバンドに在籍していたサド・ジョーンズがのちに独立してつくったのが、前出のサド・ジョーンズ=メル・ルイス・ジャズ・オーケストラです。

カウント・ベイシー(左)と楽団。1970年頃のコンサート。

──トランペット奏者だったサド・ジョーンズと、ドラム奏者だったメル・ルイスが結成したグループですね。

村井 彼らはカウント・ベイシーゆずりのスウィング感と、エリントン的な曲の面白さも兼ね備え、さらに60年代以降のモード・ジャズ的な作法も加味して、ハーモニー的にはかなり難しいことをやります。しかも、サド・ジョーンズはカウント・ベイシー・バンドの出身ですから当然、気持ちよくスウィングもする。リズムセクションにも素晴らしい人材を揃え、管楽器の演奏者も当時のモダンジャズの重要どころが在籍していました。

で、このグループに在籍していたのが、前出のボブ・ブルックマイヤー。彼はもともとスウィング・ジャズ出身の人なのですが、作る曲はハーモニー的には高度で難しく、洗練されていてモダン。そういう流れが60年代以降ビッグバンドの主流になっていきました。

──サド・ジョーンズ=メル・ルイス楽団は、78年に(サド・ジョーンズが欧州に移住したため)メル・ルイス・ジャズオーケストラとなり、このバンドはメル・ルイスの死後(1990年)もヴァンガード・ジャズ・オーケストラとして続行して、現在に至りますね。

村井 そこでピアノを弾き、曲も提供したのがジム・マクニーリー

──さっき話に出た “挾間美帆がスペシャルサンクスに入れた3人”が、ここで一気に出揃いました。

ビバップ時代のビッグバンド軍師たち

──デューク・エリントン、カウント・ベイシー以降はどんなバンドが?

村井 たとえば40年代に人気があったスタン・ケントン楽団。彼らはロサンゼルスを拠点に、なんでも演奏するバンドだったのですが、スタン・ケントン自身はかなり変わってるというかチャレンジングな人です。

彼は50年代のはじめぐらいにイノベーション・イン・モダン・ミュージック・オーケストラという、ストリングスを含む40人以上の楽団を結成して、無調の曲を演奏していたようですね。ほとんどイーゴリ・ストラヴィンスキーじゃないか! みたいな曲をね(笑)。それでもって、50人編成ぐらいで全米ツアーをやって大損したそうです。

正面向きに座っているのがバンドリーダーのスタン・ケントン。1956年3月、アルバート・ホール(ロンドン)での公演前のリハーサル風景。この公演における彼らの音楽は「統制されたカオスと不協和音を用いた、激しく現代的な超モダン・ジャズ」と評された。

──チャレンジングにも程があるぞ、と。しかしスタン・ケントンもエリントン同様、そこまでユニークな印象を持っていなかったので意外です。

村井 そうやって彼がアバンギャルドなことをやっていた時期に、スタン・ケントン楽団に曲を提供していたのがピート・ルゴロという人物で、この人はマイルス・デイヴィスの『クールの誕生』のプロデューサーでもあります。

──へぇ〜!

村井 つまり、マイルスがニューヨークでやっていたのは、ピート・ルゴロがケントン楽団でやっているようなことをわかりやすくして、9人くらいの小編成にして演奏した感じなのだと思います。

マイルス・デイヴィス『クールの誕生』(1957)

村井 さらに、40年代はじめ頃のニューヨークにはクロード・ソーンヒル・オーケストラという、白人ダンスバンドがありました。美しい演奏で知られていたのですが、そこにアレンジャーとしてギル・エヴァンスが入るんですね。彼は新しいことをいろいろやりたがった。クロード・ソーンヒル・オーケストラは、もともとフレンチホルンが2人いたため、クラリネットも合わせてクラシックっぽいアレンジもできる。で、これを使ってもう少し面白いことできないか? ということで、ギル・エヴァンスはたくさん譜面を書いたようですね。

それらの曲は今聴いてもかなり尖ったハーモニーが出てきておもしろいし、「ドナ・リー」なんかも演奏しているんですよ。

──“チャーリー・パーカーの曲” として有名な、ビバップのアンセムですね。

村井 クロード・ソーンヒル・オーケストラはあの曲を、チャーリー・パーカーが出てきてすぐにギル・エヴァンスのアレンジで演奏しているんです。「ドナ・リー」を書いたのは実はマイルスで、ギルとマイルスの付き合いはそこから始まったらしいですね。その影響は以降のビッグバンドへと続いていきます。

1962年8月。マイルス・デイヴィス(左)とギル・エヴァンス(右)。アルバム『クワイエット・ナイト』のレコーディング風景。

村井 で、そんなギル・エヴァンスのアシスタントをやっていたのが、マリア・シュナイダーですからね。

──現代のラージ・アンサンブル界における最重要人物のひとりですね。

村井 彼女はギル・エヴァンスのアシスタントをやりながら、同時にボブ・ブルックマイヤーにも習っていて、両者の影響を強く受けている人物。もう60代になりましたが、いまだに若い世代にものすごい影響を与え続けていますよね。

──挾間美帆もその影響を受けたひとり。というわけで、ここまで “挾間美帆の新作を読み解くうえで重要な人物とバンド”を挙げつつ、ビッグバンド史の要点を掻い摘んでお話ししていただきましたが、それでもこのボリュームになってしまうんですね。

村井 本当はもっといろいろありますけどね。とりあえずここまでの話をまとめると、1910年代の軍楽隊に始まって、20年代にポール・ホワイトマンがクラシックとジャズを融合させようとし、30年代にエリントンが不思議なハーモニーを奏で、カウント・ベイシーが生き生きとスウィングし、その後、サド・ジョーンズは両者の良いところを組み合わせ、さらに60年代のモードが入ってきて発展していく。もちろん、その間にも横からスタン・ケントンほかいろんな作家たちが刺激を与えながら今に至る。といった感じでしょうか。

ここでは「20年代のフレッチャー・ヘンダーソン楽団から始まり、30年代のベニー・グッドマンへと続く流れ」のことは割愛していますが、実はそっちが「スウィングするビッグバンド」という点では主流だったりします。

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グラミーから見えるビッグバンド事情

──さて、ここまで1910〜60年代の大まかな流れとハイライトをお聞きしましたが、じつは60年代に入ると、ビッグバンドのトレンドを知るためのわかりやすい指標ができます。

村井 グラミー?

──そうです。先ほども少し話に出ましたが、グラミー賞の「ラージ・アンサンブル」部門が創設されたのは1961年。当時は「ラージ・グループ」という呼称でした。その後、70年代に入った頃に「ビッグ・バンド」となって、90年代の初め頃から「ラージ・ジャズ・アンサンブル」になる。ちなみに最多獲得者は誰だと思います?

村井 やっぱりデューク・エリントンとか、カウント・ベイシーなのかな。

──大正解です。1位はデューク・エリントン楽団で、7回受賞。次いでカウント・ベイシー楽団が5回。

村井 3位は?

──ウディ・ハーマンとマイルス・デイヴィスです。両者は3回獲っていますが、そこにマリア・シュナイダーが今年3回目を獲って並びました。ちなみに、これが獲得作品のリストです。ざっと眺めてみて、何かお気づきの点はありますか?

村井 (過去60年間のリストを見ながら)へぇ〜、いろいろ気になる点があるね(笑)。まず1971年、マイルスが初めてこの部門のグラミーを獲ってるんだけど、作品が『ビッチェズ・ブリュー』なんだね。そうか、あれはラージ・アンサンブルなのか…と。

マイルス・デイヴィス『ビッチェズ・ブリュー』(1970)

──面白いですよね。ロックやエレクトリックなイメージが先行する作品なので、「あれはラージ・アンサンブルです」と言われると、虚を衝かれる感じ。

村井 あと、サド・ジョーンズ=メル・ルイスの受賞が1回(79年)というのは意外。その流れを組むヴァンガード・オーケストラでも獲ってる(09年)けど、もっとあるかと思ってた。

──そうですね。獲得数ではなくノミネート数を調べるとまた別の実態が見えるかもしれません。ちなみに、この部門で最初にグラミーを獲得したのは、1961年のヘンリー・マンシーニなんですが、彼も1回だけなんです。ところが、58年から70年にかけていろんな部門で計10回のグラミーを獲得していて、ノミネート数はなんと72回。

村井 ああ、なるほど。マンシーニは『ティファニーで朝食を』(61年)とか『ピンクパンサー』(64年)とか有名な映画で音楽やってたし、普通にヒット曲もつくってたから。

ヘンリー・マンシーニ(1924-1994)。グラミーだけでなく、アカデミー作曲賞やゴールデングローブ賞など映画関連の受賞多数。

──その通りです。むしろアルバム・オブ・ザ・イヤーとか主要部門で獲りまくってるんです。ビッグバンドやジャズオーケストラという“装置”は、60年代もメインカルチャー側にあったことがよくわかりますよね。

村井 あと、グラミー賞はラテン・ジャズ部門が別にありますよね。あそこでも結構ビッグバンドが顔を出していて、たとえば最近の常連になっているアルトゥーロ・オファリル。彼はメキシコ出身でいまはニューヨークに住んでるんだけど、父親はキューバ出身のチコ・オファリルという有名なアレンジャー。ここ数年、彼のバンドが3回ぐらい連続して獲っているんですね。

ニューヨークにはそういうラテンジャズのビッグバンドがすごくたくさんあって、2020年に(ラージ・アンサンブル部門を)獲ったブライアン・リンチ・ビッグバンド。これもある意味ラテン・ジャズですから、そういう意味ではラテン・ジャズもビッグバンド的には重要。今でもすごく盛んですしね。

──ラテン・グラミー候補者の多くは、ヒスパニック系と呼ばれる(メキシコや南米、カリブ海諸島に出自を持つ)人たちですが、いまやアメリカ国内のヒスパニック人口はアフリカ系を抜いて、マイノリティとしては最大規模ですからね。

村井 そう考えると、いま “ラテン的なもの” の数や質が上がってるのは当然なのかもしれませんね。

──加えて、アメリカでは昔から “非ラテン系”の作曲家たちもオーケストラやビッグバンドでエキゾチックなラテン要素をさかんに採用していて、それらも大衆音楽として親しまれてきました。

村井 いわゆるイージーリスニングやムードミュージックと呼ばれるようなジャンルですよね。あと、70年代以降のソウルミュージックも豪華なストリングスを使った作品は多い。

──そうですね、特にシカゴやフィラデルフィアのソウルに顕著です。たとえばマーヴィン・ゲイのアルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』(1971年)はソウルの名作として知られていますが、ある意味、見事なラージ・アンサンブル作品だと思いますよ。

村井 うん、そう考えると、アメリカにおけるオーケストラやビッグバンド・アンサンブルって、ポピュラー音楽やダンス、映画、テレビなどと結びついた、非常に大きな存在だったことが分かりますよね。

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老舗ジャズ・オーケストラの凄さ

──挾間美帆のような新しい才能とともに、先鋭的なパフォーマンスをおこなうビッグバンドがある。その一方で、伝統芸能的なスタンスで一貫しているバンドもいますね。

村井 グレン・ミラー・オーケストラとかね。コロナ前までは年間300回ぐらいライブをやっていましたよ。

──日本でもよく公演やってますよね。

村井 一昨年の来日公演では全国30か所ぐらい廻っていて、郊外の街でもよく興行するんです。私は相模大野の公演で聴きましたけど(笑)、めっちゃ上手いんですよ。なぜそんなに上手いのかっていうと、年間300回演奏しているから(笑)。

──いわゆるスタンダード曲をやるんですよね。

村井 そう、「ムーンライト・セレナーデ」や「イン・ザ・ムード」といった30年代、40年代のレパートリーです。もちろん、結成から80年以上も経つグループなんでメンバーも入れ替わりながら若い人も演奏しているのですが、とにかく上手くて。ちょっとビックリしたんですよ。

たとえば「ムーンライト・セレナーデ」のテーマの部分。クラリネットがリードで、その下がアルト・サックス2人にテナー・サックス2人の、計5人のアンサンブルなんですけど、ヴィブラートの揺れまで完璧に一致してるんですよ(笑)。もう完璧すぎて呆気にとられる。

──文字通り “息が合ってる” わけですね(笑)。でも、その微細な響きのシンクロって、現場にいて空気の揺れを体感しないと分からないかもしれませんね。

村井 そうなんです。これは生で聴かないとわからないかもしれない。昔のグレン・ミラー楽団のレコードもありますけど、モノラルの昔の録音物だと倍音や高音の細かいところはわからないですよね。だから、もしかしたらグレン・ミラーって生で聴いたら死ぬほど美しかったのではないかと思いますね。あれはいっぺん見ておいたほうがいいかもしれません。演奏技術などあまりわかっていなくても、生で聴くと気持ちいいと思います。

1940年頃のグレン・ミラー・オーケストラ。

──大人数で完璧にハモる。これってプレイヤー側も、ものすごく気持ちいいんじゃないですか? 村井さんは演奏者としてビッグバンドを経験していますよね。

村井 はい、めっちゃ気持ちいいですよ(笑)。

──ははは、やっぱり。

村井 特にサックスがハモるのは気持ちいい。たとえばサックスでアルトテナーバリトンが、2:2:1 の編成があるんですけど、アルトとバリトンはE♭管。ドのつもりで全部押さえて吹くとE♭が出ますよね。でも、テナーはB♭管なので、ドのつもりで吹くとB♭が出ます。つまり、倍音構造が違うんです。その2種類の倍音構造を持つ楽器同士が1オクターブぐらいの間でいくつも密集してハーモニーになると、なんだかサックスの音で空気が歪む感じになるんですよ。

──異次元(笑)

村井 だからサックスの5人がハーモニーをつけて速いフレーズ吹いたりするとね、サックス・ソリっていうんですけど、不思議な気持ちよさがある。トランペットとかトロンボーンのアンサンブルは同じ楽器なので音色がなめらかというかスムーズに行くのですが、サックスはちょっと引っかかる感じがする。そのフィーリングがまさに “ジャズっぽさ” だと思うんですよね。

──挟間美穂の新作アルバムにもまさに、そんなサックス・セクションの見せ場がありましたね。

村井 たとえば1曲目「I Said Cool, You Said… What?」の始まりの部分ですよね。アルバムの幕が開いて40秒近くずっとサックスの5人だけで吹いている。もう、いきなり最初からかっこいい。

──その後、ベースとドラムが入ってくるんですが、なんとも鮮烈なビート感。あれは何拍子なんだろう…。

村井 8分の7拍子と6拍子が交互に出てくる。

──中盤でフルートが前に出るところも超カッコいい。

村井 木管だと、フルート、クラリネット、バスクラリネットの構成で、持ち替える場面というのがありますが、これはまたサックスとはちょっと違う気持ちよさがありますよね。

ビッグバンドでは「ダブリング」といって、サックスが途中で木管楽器に持ち替えることがよくあるのですが、この持ち替えを得意な技としていたのが穐吉敏子です。以前、彼女にインタビューした際、かつてアメリカの大学バンドには、サックスセクションがクラリネットやフルートを吹けない者が多くいたので、苦肉の策として木管楽器の奏者だけ、メンバーとは別で5人用意して、並んでいてもらって「はい、サックス吹いて! この人たち休んで!」みたいにやっていたらしいですよ(笑)。

――へぇ〜! しかし、この(コロナ以降の)ご時世で、大人数の管楽器奏者を一堂に集めるのは、かなりハードルが高いですよね。しかも大所帯のバンドを稼働させるのはお金もかかる。

村井 ライブをやるにも大きなステージが必要だし、それに見合う観客を入れるのも困難な状況が続いていましたね。ようやく日本のビッグバンドは少しずつコンサートホールで見られるようにはなってきていますけど。

――すごい逆風が吹いているわけですが、そんな状況下でラージ・アンサンブル作品を鑑賞するのは感慨深いというか、ありがたみを感じますよね。

村井 そうですね、いまこそ素晴らしい録音物を楽しむ機会かもしれません。そして一日も早く、海外の素晴らしいビッグバンド、ラージ・アンサンブルのステージを楽しめる日が来るといいですね。


──次のページでは、ジャズ・ビッグバンド/ラージアンサンブルの面白さがわかるアルバムを一挙紹介──

次ページ>>ビッグバンド/ラージアンサンブルの傑作アルバム紹介

ジャズ・ビッグバンド/ラージアンサンブルのおすすめ15作

選・文/村井康司

挟間美帆の『イマジナリー・ヴィジョンズ』に至るビッグバンドの流れ、という意図で選んだ15作品だ。ビッグバンドを「サウンド派」と「スウィング派」に分けるとしたら、ここで選んだバンドは、「スウィング派」代表選手のカウント・ベイシー以外は「サウンド派」だと言っていい。

クラシックとジャズの融合を1920年代に目指したポール・ホワイトマン楽団、特に作曲者のガーシュイン自身がピアノを弾いた「ラプソディ・イン・ブルー」も聴いてみてほしいし、ここでは敢えて採り上げなかった30年代のスウィング・バンド、ベニー・グッドマンやグレン・ミラーも機会があればぜひ。

なお、現在CDで入手しにくいタイトルもあるが、それらもストリーミングや配信で聴けるものを選んである。


『ザ・ポピュラー・デューク・エリントン』(RCA 1966)
デューク・エリントン・オーケストラ

エリントンは1920年代から70年代までの間に膨大な数の作品を遺したが、最初に聴くならこれをお薦め。ステレオのいい音で、エリントンの代表曲が楽しめるというだけでなく、よく聴くと「なんじゃこりゃ!」と驚愕する不思議なハーモニーや楽器の組み合わせが隠されているから油断できない。特に「ムード・インディゴ」「ソフィスティケイテッド・レディ」がとんでもない響きだ。


『ビリー・ストレイホーンに捧ぐ』(RCA 1967)
デューク・エリントン・オーケストラ

1939年から亡くなる67年まで、エリントンと一心同体となって活動した作編曲家、ビリー・ストレイホーンの楽曲を演奏した追悼作。二人の作曲と編曲は非常によく似ているのだが、「ブラッドカウント」「ロータス・ブロッサム」など、ストレイホーンの曲の方がメランコリックな色彩が強い。ここでも随所に謎のハーモニーが登場している。


『ベイシー・イン・ロンドン』(Verve 1956)
カウント・ベイシー・オーケストラ

ややこしいこと言わずにとにかくスウィング!というベイシー楽団の長所が全開になったライヴ盤。ソニー・ペインのドラムスを中心に速いテンポでぶっとばす「ブリー・ブロップ・ブルース」などの曲もいいけど、ミディアムの「シャイニー・ストッキングス」や「コーナー・ポケット」での、フレディ・グリーンのリズム・ギターにしびれます。


『Claude Thornhill and His Orchestra Play the Great Jazz Arangements of Gil Evans, Gerry Mulligan, and Ralph Aldrich』(Fresh Sound 1942~52)
クロード・ソーンヒル・オーケストラ

40〜50年代に活躍したソーンヒル楽団は、もともとはセンスのいいダンス・バンドだったが、ギル・エヴァンスがアレンジャーとなって先進的なサウンドを奏でるようになった。これはギル、ジェリー・マリガン、ラルフ・アルドリッチが編曲したレパートリーを集めたもので、マイルスの『クールの誕生』に直結するサウンドがたっぷり聴ける。


『スタン・ケントン・プレゼンツ』(Capitol 1950)
スタン・ケントン・オーケストラ

ケントン楽団はアート・ペッパーやジューン・クリスティなどの素晴らしいミュージシャンをずらりと揃えたビッグバンドだったが、このアルバムは45人編成(!)によるゴージャスかつアヴァンギャルドな異色作。メンバーの名前をタイトルに付けた曲と、ほとんど現代音楽としか思えない「ハウス・オブ・ストリングス」にのけぞってください。


『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』(Solid State 1967)
サド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラ

作編曲家でトランペッターのサドとドラマーのメルが、ニューヨークの一流どころを集めたビッグバンド。ハード・バップ的だけどハーモニーが先鋭的なサドの曲を、腕利きたちが伸び伸びと演奏し、各人のソロもさすがの出来栄え。「リトル・ピキシーⅡ」での、ブラスとサックスの延々と続く掛け合いアンサンブルに興奮しましょう。


『ニュー・ライフ』(Horizon/A&M 1975)
サド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラ

初期からかなりメンバーが交替したが、70年代のサド=メルも実にクオリティの高いビッグバンドだった。フレンチ・ホルンやチューバを加えた曲、サックス・セクションが木管楽器に持ち替えて美しいアンサンブルを聴かせる曲など、ヴァラエティに富んだ選曲がいい。メンバーのセシル・ブリッジウォーターの「ラヴ・アンド・ハーモニー」は名曲。


『サンダリング・ハード』(Fantasy 1974)
ウディ・ハーマン・オーケストラ

ハーマン楽団は40年代後半の「フォー・ブラザーズ」の頃も素晴らしいけど、新しいサウンドに挑戦していた70年代もお薦めしたい。ここではコルトレーンの「レイジー・バード」が特にいい出来で、トレーンのサックス・ソロを採譜して、フリューゲル・ホーン+サックス・セクションのアンサンブルで聴かせるのが実にかっこいい!


『プリースティス』(Antilles 1983)
ギル・エヴァンス・オーケストラ

ギル・エヴァンスは70年代に入ってエレクトリック・サウンドを採り入れるようになったが、77年のこのライヴが個人的にはいちばん好きだ。タイトル曲でのデヴィッド・サンボーンとアーサー・ブライスのアルト・ソロ・バトル、気合いが入りまくっているルー・ソロフのトランペット・ソロ、寄せては返す波のようなホーン・アンサンブルが快感です。


『Mel Lewis & the Jazz Orchestra Play the Compositions of Herbie Hancock Live in Montreux』(MPS 1980)
メル・ルイス・オーケストラ

サド・ジョーンズと別れてからのメル・ルイスはさまざまな作編曲家と仕事をしたが、このハンコック曲集のアレンジャーはサックス奏者でもあるボブ・ミンツァー。モダンで重層的なハーモニーを持つハンコックの曲を、ミンツァーはごく自然にビッグバンド・アンサンブルとして落とし込んでいる。80年代の学生ビッグバンドの憧れの的、でした。


『Bob Brookmeyer – Composer/Arranger』(Gryphon 1980)
メル・ルイス・オーケストラ

このアルバムでメルが楽曲を依頼したのは、50年代からの付き合いでサド=メル楽団にも参加していたボブ・ブルックマイヤー。モダニズム建築のように精緻に構成された「スカイラーク」から、クラーク・テリーのトランペットをフィーチュアして楽しく盛り上がる曲までヴァラエティに富んだ仕上がりで、ブルックマイヤーの手腕が光っている。


『ミュージック・フォー・ラージ・アンド・スモール・アンサンブル』(ECM 1990)
ケニー・ウィーラー

ウィーラーはカナダ出身でイギリスで活動していたトランペッター。ラージ・アンサンブルの作編曲家としても超一流で、ここでは50分近くの大作や、サンバのリズムだけど実にクールでスタイリッシュな「ソフィー」など、他の誰とも違う個性的な曲作りを全開にしている。メンバーはイギリス・ジャズ界の大物とアメリカの名手の混成チーム。


『Centennial』(artistShare 2012)
ライアン・トゥルースデル

1988年に亡くなったギル・エヴァンスが遺したスケッチを元に、作編曲家のトゥルースデルが「もしかしたらこうだったかもしれないギルの曲」を構築し、大編成バンドで録音した作品で、ギル生誕100周年の2012年に発表された。半音がぶつかったり不思議な楽器の組み合わせが随所に出てくるギルは、やはりエリントンから大きな影響を受けていたのだろう。


『Real Enemies』(New Amsterdam 2016)
ダーシー・ジェームス・アーギューズ・シークレット・ソサエティ

ダーシー・ジェームス・アーギューもギル・エヴァンスやサド・ジョーンズの影響下にあるコンポーザーだが、ダークでパンキッシュでもある独自の世界観を持った存在だ。ここでの監視社会や「内なる敵」についてのシアトリカルな構成は、社会が分断され緊張感が増していくアメリカ社会の投影なのかもしれない。コロナ禍の今こそリアリティを感じる音楽。


『Data Lords』(artistShare 2020)
マリア・シュナイダー・オーケストラ

21世紀のラージ・アンサンブルをリードしてきたマリアの最新作は、共演したデヴィッド・ボウイからの影響を感じさせる暗い緊張感を湛えた楽曲が多く含まれている。それまでピースフルな曲が多かったマリアだが、2枚組の1枚目が「データ社会の暗黒面」を語るダークなサイドになっている。2枚目は従来の延長といえるゆったりとした曲が中心。

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