投稿日 : 2022.02.12

上演禁止曲「奇妙な果実」をめぐる物語─映画『ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』

ビリー・ホリデイ映画

© 2021 BILLIE HOLIDAY FILMS, LLC.

アメリカが怖れた「自由」

9.11のテロが起こった時、アメリカの放送局の多くが、「イマジン」を放送自粛のリストに入れた。たったひとつの曲が社会で大きな力を持つことを、ポップ・カルチャーを生み出してきたアメリカは知っているのだ。

そんななかで、「イマジン」に先駆けて社会を揺るがせる強烈なメッセージを持った名曲が「奇妙な果実」だ。黒人差別がおおっぴらに行われていた1940年代のアメリカ。ジャズの女王、ビリー・ホリデイはリンチにあって木に吊るされた黒人を「奇妙な果実」に例えて歌った。それがいかに衝撃的なことだったのか。映画『ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』はビリーの晩年に焦点を当てて、「奇妙な果実」を巡ってアメリカ国家と戦い続けたビリーの姿を描き出している。

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1947年、ビリーは人気の絶頂にいた。白人と黒人が同席できる当時としては珍しいクラブ、「カフェ・ソサエティ」の専属シンガーとして毎晩、ステージに立っていたが、夫でありマネージャーのジミー・モンローから『「奇妙な果実」は歌うな』と釘を刺されていた。当時、FBIは「奇妙な果実」を人種問題を煽る危険な曲とみなし、ビリーが「奇妙な果実」を歌ったら逮捕する、とクラブやモンローに圧力をかけていたのだ。

さらに連邦麻薬取締局のアンスリンガー長官はビリーがドラッグに手を出していることを知り、黒人捜査官のジミー・フレッチャーを送り込む。麻薬が黒人社会を滅ぼす、と信じていたフレッチャーは、ビリーと親しくなってうえで彼女を麻薬の現行犯で逮捕。ビリーは実刑判決を受ける。しかし、ビリーが子供の頃に負った心の傷から逃れるためにドラッグに手を出したこと。そして、危険な目に遭いながらも「奇妙な果実」を歌う勇気を知って、ジミーは次第にビリーに惹かれるようになっていく。

© 2021 BILLIE HOLIDAY FILMS, LLC.

ビリー・ホリデイの伝記映画といえば、ダイアナ・ロスがビリーを演じた『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』(1972年)があるが、本作の特徴はビリーと国家権力との戦いを中心に据えていること。それは『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』では描かれてはいなかった。その背景には、近年のブラック・ライヴス・マターの運動の高まりがある。アンスリンガーは権力側だけではなく、多様な価値観を認めようとしない差別主義者の象徴だ。

また、本作ではジミーの存在も重要だ。彼はアンスリンガーに都合よく利用されていたことを知り、これまでとは違った見方で社会を見つめ、自分のやるべきことを考え直す。映画ではビリーの歌や「奇妙な果実」がどんな風に社会に影響を与えたのかは詳しく語られない。あくまでビリーの日常を中心に物語は進んでいくが、ビリーがキリストのごとく裏切り者のジミーを許し、彼の人生観を変えることができたことを描くことで、ビリーの影響力を観客に伝えている。

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とはいえ、映画ではビリーをいたずらに美化せず、彼女の弱さも描き出す。ビリーはジャンヌ・ダルクのような理想に燃える闘志ではない。いつも暴力的なダメ男に身を委ねてしまい、ドラッグとも縁が切れない。それでも歌うことには激しい執念を燃やし、歌手として全盛期の時に「奇妙な果実」という危険な歌を歌う勇気を持っている。

壊れやすくてタフ。そんな複雑なホリデイを演じるのは、グラミー賞にノミネートされたこともある R&Bシンガーのアンドラ・デイ。彼女はビリーに影響を受けてシンガーの道を目指し、ビリーの愛称、「レディ・デイ」からステージネームをとったくらい熱烈なファン。それだけに映画では渾身の演技を見せている。やはり見せ場はパフォーマンス・シーン。アンドラはビリーの名曲の数々を劇中で歌っているが、「奇妙な果実」をフルヴァージョンで歌うシーンには鬼気迫るものがある。このシーンの歌はライヴレコーディングされたそうだが、その生々しい歌詞にアンドラが血を通わせ、映画の中にもうひとつのドラマを立ち上げる。こんなに強烈な歌だったのかと、驚く観客も多いに違いない。

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本作の監督を務めたのは、『プレシャス』(2009年)、『大統領の執事の涙』(2013年)などでアメリカ社会における黒人問題を描いてきたリー・ダニエルズ。ホリデイの過酷な闘いに焦点を当てながらも、同時にエンターテイメントの世界の華やかさも描き出していて堅苦しさはない。ビリーとジミーが一緒にドラッグをやってトリップし、ビリーの胸の奥にしまい込まれた悲しい記憶が、作り込まれたセットと巧みなカメラワークを駆使して走馬灯のように描かれていくシーンは幻想的だ。ジミーとのロマンスはメロドラマ的なところもあるが、晩年は辛いことばかりだったビリーに美しい時間をプレゼントしたい、というダニエルズの思いが込められているのかもしれない。

冒頭にジョン・レノンの話をしたのは、ジョンもまたFBIから目をつけられていて、その事実を描いた『PEACE BED アメリカ VS ジョン・レノン』(2007年)というドキュメンタリー映画があったからだ。国家と対決できるミュージシャンがいる。権力に対抗できる歌がある、ということを知るだけでも大きな意味がある。挑発的なタイトルだが、この映画は一人の歌手の人生を通じて、今もどこかで理不尽な圧力と闘っている人たちに捧げられた物語なのだ。

文/村尾泰郎

ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ

2022年 2月11日(金)新宿ピカデリーほか、全国公開

監督:リー・ダニエルズ『大統領の執事の涙』『プレシャス』
脚本:スーザン=ロリ・パークス
原作:「麻薬と人間 100年の物語 薬物への認識を変える衝撃の真実」ヨハン・ハリ著(作品社)
音楽:クリス・バワーズ『リスペクト』
出演:アンドラ・デイ、トレヴァンテ・ローズ『ムーンライト』、ギャレット・ヘドランド『オン・ザ・ロード』
原題:THE UNITED STATES VS. BILLIE HOLIDAY/2021年/アメリカ/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/131分/字幕翻訳:風間綾平/配給:ギャガ/© 2021 BILLIE HOLIDAY FILMS, LLC.