【TOSHIO MATSUURA GROUP】松浦俊夫が初の自己名義アルバム『LOVEPLAYDANCE』発表

取材・文/原 雅明 写真/天田 輔

2018.02.21

松浦俊夫 インタビュー

松浦俊夫がTOSHIO MATSUURA GROUP名義でアルバム『LOVEPLAYDANCE』を完成させた。その内容を端的に言えば、U.F.O.時代からのクラブ・ジャズがフロアでかけてきた音楽を再提示し、新しい世代に繋げていくためのアルバムだ。本作は、かつて“90年代の衝撃”を経験した者にとって「記憶の中にある懐かしい音楽体験」を刺激されもするだろうし、同時に、アップデートされた新たなサウンドとして、当時を知らない世代にも開かれたものになっている。

同時に、本作はジャイルス・ピーターソン監修のもと、現在のUKジャズ・シーンを活性化させているプレイヤーたちが参加していることでも注目される。たとえば、ハロー・スキニー名義でも活動するトム・スキナー。彼はドラマー兼プロデューサーとしても参画。同じくドラマーで、元ユセフ・カマールのユセフ・デイズも参加。また、ジ・インヴィジブルやポーラー・ベアーといったグループでも活躍するトム・ハーバート(ベース)や、ザ・コメット・イズ・カミングのダナログ・ザ・コンカラー(キーボード)といった俊英をすべての曲で起用している。さらに、バーレーン出身のヤズ・アハメド(トランペット)や、キューバ出身のダイメ・アロセナ(ボーカル)といった、女性プレイヤーもその辣腕を発揮。本作は、こうした彼らと松浦俊夫との「スタジオでのスリリングなセッション」が記録された作品でもあるのだ。

“クラブジャズの聖典”誕生から25年

——まず、この企画が発足した経緯から教えてください。

「去年、“Loud Minority(注1)”を作って25年が経って、自分が音楽業界に足を踏み入れて30年が経った。その間、海外では新しいジャズも登場してきて活性化も進んでいますよね。でも、そんななか『日本ではまだ足りない部分があるな……』という思いが心のどこかにあって。いままで自分がいたシーンを振り返って、新しい世代に引き継ぐことを、敢えてやりたくなった。本当は(次の世代に)バトンを渡して、引き継いでもらっているつもりだったんです。でも意外と引き継がれていなかったんじゃないか? と感じて」

注1:1992年、United Future Organization名義でリリースしたセカンド・シングル曲。英音楽誌のアワードやトップチャートに食い込むなど大きな話題となった

——それは、U.F.O.以降の、2000年代に何か遮断された状況があったのでしょうか?

「自分がU.F.O.を抜けたことで、結果的にシーンを牽引する役割を担えなくなったことも大きかったのではないでしょうか。多面性を持ったクラブ・ジャズのシーンが、ちょっと細分化してしまったとは思いますね。個々に求めるものがピンポイントになって、昔のジャズや知られていないレアなジャズだったり、すごく細かくなってしまって、それをまとめ上げることがシーンになくなってしまった。このアルバムで解決するなんて思ってはいないですけど、自分がその中にいた者としてやったらリアリティがあるかとは思います」

——逆に近年はクラブ・ミュージックを聴いてきたジャズ・ミュージシャンが登場してきましたよね。リチャード・スペイヴン(注2)のように。そこにバトンを渡したのもあるのでは?

「それも大いにありますよね。あと、キング・クルール(注3)のお母さんがジャイルス(ピーターソン)のパーティに昔通っていたり、彼のアルバムのコ・プロデューサーがディーマス(注4)だったり、バトンはちゃんと渡されている例もありますね。だから、この企画も新しい世代が出て来ている中で、きっかけの一つになってくれるといいなと思うんです。べつに“いま90年代が来てるから”ってわけではなく」

注2:イギリスのドラマー。フライング・ロータス、ホセ・ジェイムス、シネマティック・オーケストラとの共演をはじめ、自身名義のアルバムもリリース。“現代ジャズ最高峰ドラマーのひとり”との呼び声も高い。
注3:イギリスのアーティスト、アーチー・マーシャルによるソロ・プロジェクト。「BBC サウンド・オブ2013」に18歳でノミネートされ脚光を浴び、以降もソングライターとしての高い評価を獲得。
注4:ディリップ・ハリス。元ヤング・ディサイプルズのエンジニアで、のちにトゥ・バンクス・オブ・フォーとしても活躍。

現UKジャズの俊才たちが結集

——今回の楽曲はすべてロンドン録音で、イギリスのミュージシャンを起用していますね。

「ドラムのトム・スキナーがミュージカル・ディレクターとして全体のアレンジも見て、そのディティールをヤズがサポートしていたような形ですね。ジャイルスが紹介してくれたのがトムで、僕の希望と彼が連れてきたミュージシャンが一つになった感じです」

——さらに、このアルバムの大きな特徴として、収録曲のほぼすべて「カヴァー曲である」という点が挙げられます。

「そうですね。“L.M. II”という1曲を除いて、すべてカヴァーです」

——カヴァーされた原曲は70年代から2000年代のものまで、さまざまな系統の曲を採用していますが、起用したミュージシャンたちは、この辺りの音楽を知っていましたか?

「トムは30代後半なのでいろいろな音楽を知ってますが、20代のミュージシャンはほぼ知らなかったですね。でも結果的には、オリジナルを知らないから自由な発想でできたのかなと思います。一緒に試行錯誤してくれたので、ハプニング的に新しいアレンジになったことも含めて良かったです」

——収録曲について具体的に聞きたいんですけど、まず“I Am The Black Gold Of The Sun”がリードトラックとなっていて、これはアナログ盤でもリリースされますね。

「そうですね。原曲はニュー・ロータリー・コネクション。ニューヨリカン・ソウルのカヴァーでも有名ですね。このアルバムの発想の源になっている曲です。2年前のWorldwide FestivalのJapan Day(2016年フランスで開催)に参加したとき、ビーチでの昼間のDJだったんですが、何かアイディアの実験ができるかなと思って、ニューヨリカン・ソウルのこの曲の4ヒーロー・リミックスをかけてみたんです。すると、自分が思った以上に盛り上がって。楽曲の良さもあるし、いまも映えると思い、そのとき(現場で)たまたま一緒だったダイメをボーカルに立てて、ラテンにして歌えばいいじゃないか? というアイディアが浮かんだ。翌日、ダイメにホテルでアイディアを伝えて“歌ってくれる?”と訊ねたら、“いいよ”と言ってくれて」

——途中のブレイクでラテンに転換されますね。

「前半と後半でミュージシャンも入れ替わるんですが、普通はこういうことはないんですが、それもDJじゃないとできなかった発想だったと思います」

——同じく70年代の楽曲で、バイロン・モリス&ユニティ “Kitty Bey”を採用しました、これはアシッド・ジャズやレアグルーブのムーブメントによって“発掘された曲”とも言えますね。

「日本にアシッド・ジャズが広がり始めた当時、パルコのCMにこの曲が使われていたんですよ。編集でループして途中でリワインド(巻き戻し)してて、それがとてもイギリスっぽかった。ケニー・ドーハムの“Afrodisia”が僕にとって初めて聴いた踊るジャズだったんですけど、これが少し日本で広まって、まだ“Loud Minority”もないときに、早いジャズと言えばこの曲だったんです。非常にスピード感のある、ロンドンのジャズ・ダンサーが踊るようなジャズですね」

90年代に体感した“あの衝撃”

——“ダンスミュージックとしてのジャズ”という意味では、このアルバムのオープニングに配された“Change”も、性質が似ているのかもしれません。原曲はブッゲ・ヴェッセルトフトですね。

「この曲の出現によって『フロアでダンスミュージックとしてジャズを表現すること』が、さらに一歩進んだと思ったんです。当時はサンプリング・ミュージックが一段落して、ミュージシャンがクラブ・ミュージックという文脈の中で楽曲を作り始めた。そんな状況下での作品ですよね。DJとして『これはやられたな…』と思いました。ハウスなんだけど、自分にはジャズにしか聞こえなくて、4つ打ちのジャズの到達点ですね」

——同じく2000年代の楽曲で、フライング・ロータス “Do The Astral Plane”も選ばれていますね。

「フライング・ロータスがカマシ(・ワシントン)を世に出したのは、ジャズへの思いもあるだろうと思うんですね。じゃあ、仮にコルトレーンが生きていて、フライング・ロータスが(コルトレーンを)フィーチャーしたらどうなるかな? というのが、このカヴァーのコンセプト。アレンジがいろいろ変化して、結果的にファンカデリック、Pファンクみたいになって、宇宙に飛んでいくような展開になっていった。でも、これはこれで“移り変わっていく感じ”を楽しんでみようという気になって、演奏を止めることもなかった。当初考えていたアレンジのアイディアからいちばん変わったのはこの曲かもしれないです」

——ところで、「ジャズで踊る」という現象について。そのムーブメントの始まりをいま改めて振り返ってみて、何か思うことはありますか?

「10代のころにクラブに行き始めたタイミングで、映画『ビギナーズ』(1986/英)が日本で紹介されたんですけど、当時、アクセントでジャズをかけるDJの人はいたんですよね。ただ、ジャズを中心には考えられてなかった。ピークタイムにジャズをかけるために“その前に何をかければいいのか?”を考え始めたところからですかね。その起爆剤になってくれたのが、Nu Grooveのハウスのプロデューサーたちのプロダクション。あとはジャズをサンプリングしたヒップホップのおかげで、まったく踊らない状態から変化が現れた。『今ならジャズをかけられる』というタイミングを虎視眈々と狙っていて、それがやっと繋がった瞬間というのが、90年代の頭だったと思います」

——そんな90年代に、さまざまな“ジャズ系の分岐”が起きましたが、この(収録)曲も象徴的ですね。ロニ・サイズ・レプラゼントの“Brown Paper Bag”。

「ロニ・サイズ周辺の、ファンクとジャズを意識したドラムンベースが出てきたときの衝撃は大きくて、レプラゼントで来日して新宿のリキッドルームでライヴを見たときに、生で再現している感じもあって、もの凄い音圧感だし、ライヴ感もあって、倒れるくらいの衝撃だった。それが現在も残っている感じです。たぶんライヴを観なければ、ここまでの衝撃はなかった。今回、出来上がった曲は、ドラムンベースでもベース・ミュージックでもない、どのグルーヴにも属してない。でも、フリーフォームのジャズと考えれば、かっこいい曲ができたんではないかと思います」

——同じく、原曲は90年代に発表された、クルーダー&ドルフマイスター“High Noon”については?

「トリップホップが出始めの時期で、彼らはヒップホップじゃなくて、ロックの影響下にあったのかな、ビートはそれほど強くなかった。今回のアレンジでもビートは強くせず、いまのトリップホップ感って何だろうな? とDJとして考えたときに、中近東のイメージが浮かんで。ヤズもいたのでハマるだろうと。ちょっとセンチメンタルなムードもロック的かと思って」

演奏で対峙する「Loud Minority」

——アルバムの最後に配置された“At Les”も、オリジナル(インナーゾーン・オーケストラ)は90年代ですね。

「99年にモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでインナーゾーン・オーケストラとMJコールとU.F.O.とジャイルスが出ていて、そのとき初めてライヴを見たんですが、凄くジャズだったので、かなり衝撃を受けました。あとから、93年のオリジナル・ヴァージョンを知ったんですが、99年の方はもうちょっとジャズとエレクトロニクスというアレンジでしたよね。それを20年ほど経って『元のアレンジのように戻していったらどうか』というところから、この曲の制作はスタートしました。93年版はドラムが入ってくるところにピークを感じたので、今回もそこにどう持って行けるか、試行錯誤してあの形に落ち着きました」

——では最後に “L.M. II”について。このアルバム中で唯一のオリジナル曲というか、セルフカバーと呼んでもいいのでしょうか? “Loud Minority”に着想を得た楽曲です。

「25年経って、“Loud Minority”をどう新しくアレンジできるか、そこがこのアルバムの肝でもあった。この曲はU.F.O.を辞めてからHEX(注5)と、ソイル(SOIL & “PIMP” SESSIONS)で生でやってみたことがあるんです。ところが、サンプリング・ミュージックの完成形としてあるものを生でやっても“Loud Minority”にはならないというところに行き着いて。だったら“Loud Minority”の主要となるネタをどれだけ抜けるか? というところで勝負してみようというのが自分の中にあって、ミッシェル・ルグランやリー・モーガンのフレーズを使わないでやってみたんです」

注5:松浦俊夫が始動したプロジェクト。佐野観、みどりん、伊藤志宏、小泉P克人が参加。2013年にBlue Noteレーベルより“松浦俊夫 PRESENTS HEX”名義でアルバム『HEX』がリリースされた。

——具体的には、どう組み立てたんですか?

「まずはキーボード、ベース、ドラムで基本のグルーヴをどのくらいできるか、リズムから作り始めていった。で、早さが落ち着いてフレーズも生まれたんで、テープを回して録り始めたら、結局彼らは30分演奏を止めなかったんですよ。僕は“このプレイでもう出来上がった”と判断しました。何か根拠のない自信があって。TOSHIO MATSUURA GROUPのアルバムですけど、この曲だけはHEX2に繋がっているような気がしたんです。次のHEXは何となくこういう感じなのかな……と、その瞬間に思った。だったら、これを“Loud Minority”というのは失礼だし、U.F.O.に対しても違うんじゃないかなと。事前に矢部(直)さんには『(カヴァーを)やろうと思っている』と伝えてあったけど、だとしたら違うものとして彼に聴いてもらう方が喜んでもらえるんじゃないかというのも含めて、これだけ“違う曲”としてこのアルバムに残そうと決めたんです」

——アルバムでは異質な曲で、いい意味で違和感を与える、明らかに成り立ちが違う曲だと感じました。

「そうですね。結果的にHEX2のイントロダクションになっているというのが、その違和感に繋がっているんだと思います。自分としてはこの曲からHEX2に繋げたいという思いが強いです。もう次が見えたんですね、このレコーディングのときに」

——このグループでライヴを実現させる予定は?

「話はありますが、なかなかミュージシャンのスケジュールが合わない。HEXの時もそうだったんですけど、どうも拘りが強いので『メンバーが揃わないなら、やらない』ってなっちゃうんですよ。でも、あまり拘らない方が物事うまくいくのかな……と、この歳になって少し頭が柔らかくなってきました(笑)。今回、自分の名前をグループ名に付けたのも、自分の名前を出したいという気持ちではなく、『(バンドの)中のミュージシャンが入れ替わるかもしれないけれど、その都度、面白いものをアウトプットするので、ご理解ください。そこは自分が責任を取ります』ということでもあるんです」

 

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