【マーク・ド・クライヴ・ロウ】日本をテーマにした大作“Heritage”完成で「先祖とのつながりを知った…」

2019.02.08

マーク・ド・クライヴ・ロウ/インタビュー

2年前の夏、ロサンゼルスでユニークなライブが開催された。タイトルは「未来の歴史/History of the Future」。篠笛や琴といった和楽器が使用され、楽曲もどことなく“伝統的な邦楽”を想起させる旋律。ジャズ的な演奏フォームを踏まえつつ、エレクトリックな要素も多分に加味された、なんとも魅惑的なステージだ。

このプロジェクトに参加したのは、日本人や日系の演奏家をはじめ、イタリア、アメリカ人のミュージシャンたち(注1)。

注1:カルロス・ニーニョ(パーカッション)/トマッソ・カッペラット(ドラム)/ブランドン・ユージン・オーウェンズ(ベース)/タイラナ・エノモト(ヴァイオリン)/Shing02(faderboard)/黒澤有美(琴)/渡辺薫(篠笛・フルート・太鼓)/マーク・ド・クライヴ・ロウ(ピアノ・キーボード)

「日本の童謡をジャズっぽくアレンジしてみました」的な企画にありがちな、軽易なオリエンタリズムとは一線を画す、高雅なパフォーマンスの数々。これを指揮したのが、ロサンゼルス在住の鍵盤奏者、マーク・ド・クライヴ・ロウである。コンポーザーを担いつつ演奏者としても参加した彼が、あの日のステージを振り返る。

「『日本の音楽と文化』というテーマを模索しながら、オリジナル楽曲を書き、ドリームバンドを結成したんだ。祖先と、古来の文化こそが、未来の基盤である。そのことを示したかった」

彼の言う「祖先」とは、すなわち日本人のことである。マーク・ド・クライヴ・ロウは現在、アメリカ西部を拠点に活動しているが、出身はオセアニア。ニュージーランド人の父と、日本人の母との間に生まれた、いわゆる「ハーフ」だ。

「僕には日本の血が“半分(ハーフ)”しか流れていないけど、この“半分”の内容は“100パーセントの日本人”だ。だから、僕みたいな人たちを“ダブル”とも表現する、その理由が僕にはよくわかるんだよ」

そんな彼が自己のルーツを探求し、具現化したのが、先述のステージである。そして、あのプロジェクトを契機に、アルバム『HeritageⅠ&Ⅱ』を完成させた。

 

日本で手にした最高のプレゼント

先日発表されたばかりの本作は、CDだと2枚組の大作。「日本」をテーマにしたアルバムだが、タイトル「Heritage(=先祖伝来の遺産)」が示す通り、彼自身のルーツと向き合った作品だ。

「このアルバムを作ったことで、自分と“日本の先祖”たちのスピリチュアルな結びつきや、その意味を、より深く理解することができた。そしてまた、これまで以上に自分の母親とよく会話するようになったよ。戦後の日本で育った彼女の人生や、親戚たちとの思い出についてね」

ニュージーランドで生まれ育った彼が、初めて日本を訪れたのは1984年。10歳のときだった。最初の訪日は驚きの連続だったという。

「東京のおばあちゃんの家に行ったんだ。真夏だったからすごく暑かった。湿気が多くて、空気が重く感じるほどの蒸し暑さを感じたのは、そのときが初めてだったよ。ニュージーランドでは経験しないような気候だからね。その家には、僕の叔父さん、叔母さん、そして、いとこたちも同居していて、彼らと仲良くなれたのは嬉しかったな…」  

見知らぬ「異国の親族」と初めて対面し、日本人との繋がりを実感した夏。このとき彼が手に入れたのは、それだけではなかったようだ。

「タカジおじさんが秋葉原に連れて行ってくれて、僕にとって初めてのウォークマンを買ってくれたんだ。それが1984年。あれは最高でパーフェクトなプレゼントだったよ!」

そのウォークマンが、以後何年もフル稼働状態だったことは想像に難くない。なにしろ彼が14歳になった頃には「ミュージシャンになる」と家族に宣言したというのだから。ちなみにその宣言が「決意」に変わったのは、またしても日本だった。高校生になった彼が、横浜にホームステイしていたときのこと。

「僕のホスト・ファザーがジャズオタクでね。ある日、彼が素晴らしい音楽を聴いていた。『それは何?』って訊いたら『今日発売されたマイルス・デイヴィス・アット・ザ・プラグド・ニッケルのボックス・セットだよ』って。もう信じられなかったよ。結局、その1年は、彼と一緒に東京と横浜中のジャズ・クラブを回った。いつでも最高のライヴ・ミュージックを聴けるなんて、本当に素晴らしかった。当時、僕の国にはそういうシーンが存在してなかったからね。ニュージーランドに戻ったら法律学校へ進む予定だったけど、あれで全てが変わった。プロフェッショナルのミュージシャンになろうって決心したのは、そのときだよ」

ブロークン・ビート界の名匠に

こうして彼は音楽家の道を歩み始める。4歳からみっちりピアノをやっていた彼がジャズの洗礼を受けたのだから、モダンジャズに傾倒するのは自然なことだった。が、自国でトラディショナルなジャズをプレイする彼に、転機が訪れたのは1998年。

「ある賞をもらって“1年間、世界各地を回りながら音楽の勉強をする”という機会を得たんだ。それで、サンフランシスコ、ニューヨーク、ハバナ、パリ、ロンドン、東京、そしてシドニーを回った」

そのとき「ここに留まりたい」と感じた都市があったのだという。

「当時の僕はジャングルやドラムンベースがすごく好きだったからね、ロンドンに行けて最高に嬉しかったんだ。ロニ・サイズや4ヒーロー、Talkin Loud(英レーベル)から新しいサウンドがどんどん生まれてきていた時期だったしね。ウエスト・ロンドンのクルー全員に会ったとき『自分はここにいるべきだ』と確信したんだ。以降、10年そこで生活することになるなんて思ってもいなかったけどね」

彼が国際的な認知を獲得したのは、この時期だった。西ロンドンを震源地とした、ブロークン・ビートやフューチャー・ジャズと呼ばれるムーブメントの渦中で名を馳せ、日本でも“ジャズ系のDJカルチャー“界隈では知られた存在になっていった。

Mark De Clive-Lowe‎『Six Degrees』(1999)

LAジャズシーンの中枢へ…

そんなマーク・ド・クライヴ・ロウが、現在はロサンゼルスで活動している。しかも、近年にわかに注目されるLAジャズのシーンで。彼がアメリカに居を移したのは、今からちょうど10年前のこと。

「イギリスで10年過ごしたあと、僕は変化を求めていた。環境を変えるときだったんだ。心は太陽がいっぱい輝く太平洋側へ戻りたいって思ってたんだろうね」

移住後しばらくすると、現地のジャズマンからアプローチがあった。

「LAに移住して6か月ぐらい経った頃、シークレット・ジャム・セッションに招かれたんだ。誰が参加するのか、誰も知らされてなかった。しかしこのセッションこそが、僕がミゲル・アトウッド・ファーガソンや、トッド・サイモン(Ethio Cali)、ニア・アンドリューズ、シャフィーク・フセイン(Sa-Ra Creative Partners)など、たくさんの素晴らしいミュージシャンに出会った夜なんだよ」

それから半年後、彼は自身が主催するクラブ・ナイト・パーティー「CHURCH」をスタート。クチコミで評判が広まり、前出のミュージシャンたちをはじめ、刺激的な音楽人が次々と集まった。

「最初はジャズクラブからスタートして、いつしかライヴ・リミックス・ダンス・パーティーへと形を変えていった。ある夜、ドワイト・トリブル(注2)がやってきて飛び入りで歌い始めたこともあったよ」

注2:ファラオ・サンダース・カルテットとの共演や、ホレス・タプスコット・パン・アフリカン・ピープルズ・アーケストラのボーカルディレクターを務めるなど、スピリチュアルジャズ屈指の伝説的ボーカリスト。のちにクライヴ・ロウと正式に共演する。

このパーティーの常連組には、カマシ・ワシントンもいた。

「2010年の終わりぐらいだったかな。その当時、僕はまだあまり彼(カマシ)のことを知らなかったんだけどね、毎月一緒に僕たちとジャムし始めるようになったんだ」

こうして交流を深めた面々と、彼は活動を共にすることになる。前出のドワイト・トリブルやミゲル・アトウッド・ファーガソン、さらには、ハーヴィー・メイソンからも「俺のグループでピアノを弾かないか?」との誘いが。

「彼のバンドでたくさんのレジェンドたちに出会って、一緒にプレイすることができるなんて、本当に最高だ。楽しく活動をさせてもらってるよ」

若手、中堅、ベテランまで、一流のプロジェクトに起用される一方、自身が主導する創作物も注目されはじめた。近年の彼は、演奏中の音をリアルタイムでサンプリング&ループ。この音に対して、さらに演奏を絡めながらサウンドを構築するという、変幻自在でスリリングな手法を導入している。

こうした手法はロンドン時代にエレクトロミュージックと向き合った成果ともいえよう。しかし、その一方で「ロンドン時代にはあり得なかったこと」も彼の身に起きた。

「ロンドンでの10年間、シンセやローズは弾いていたけど、ピアノはまったく弾かなかったんだ。ところが、LAでの生活の中で、再びピアノを弾き始めることになった。これは僕にとって大きなことだったよ。ピアノは、僕が最初に大切だと思った楽器。初恋と同じような存在だと気づいたんだ」

そんな10年ぶりの「ピアノとの対峙」は、最新アルバムのテーマ「自己との対話」とも呼応する。もちろん、本作におけるピアノの存在感は大きい。

「ピアノは僕にとって最もパーソナルな存在の楽器。今回のアルバムは自分のアイデンティティを探索するパーソナルなプロジェクトだから、ピアノが際立つのは自然なことだと思っているよ」

ピアノを使いながら“自身のルーツ”を探求する過程で、こんな発見もあった。

「エチオ・カリ(注3)ってグループでピアノを弾いていたときのことだ。そのバンドはエチオピアの音楽にインスピレーションを得たジャズをやるんだけど、僕はそこでの演奏がとても好きでね。プレイを通じて自分を表現することが、すごく自然にできてたんだ。それからしばらく経って気づいた。日本の伝統音楽がエチオピアの音楽と全く同じ音階を使用している、ってことにね。これにはすごく感動したよ」

注3:Ethio Cali。トランペット奏者で作曲家のトッド・サイモンが率いるグループ。60〜70年代のエチオピアの音楽や、中南米、カリブ海諸国のサウンドを基調にしたジャズ・アンサンブルを展開。

エチオピアの旋律に心地よさを感じ、結果、自分に日本の血が流れていることを実感する。不思議な体験だっただろう。本稿冒頭で述べたとおり、彼の作品が“通俗的なオリエンタル趣味”に堕さないのは、こうした(ロサンゼルスならではの)多様な人種やカルチャーから得た“話法”によるところも大きいのだろう。

武士道、赤とんぼ、南禅寺…

こうして完成した最新アルバム『HeritageⅠ&Ⅱ』には、彼の内的宇宙を写したオリジナル曲に加え、既存の邦曲をモチーフにした演奏も含まれる。例えば「Akatombo(赤とんぼ)」だ。

「母が歌ってくれたのを覚えてるんだよ。ずっと頭の中に残っていて、メロディがパーフェクトにフィットすると思ったんだ。日本人以外の人たちには、トゥインクル・トゥインクル(きらきら星)のような存在の曲だって説明するんだ。そうすると、みんなすぐに理解してくれるね」

一方、「Memories Of Nanzenji(南禅寺の思い出)」では、日本での幽玄な体験をフィードバック。

「仲のいい友達から、南禅寺(注4)のことを教えてもらって、去年、初めてそこを訪れたんだ。本当に心穏やかに、黙想的な時間を過ごすことができた。庭園を歩きながら、そこで聞こえる音、見える色や形を全て感じて、まるで瞑想しているような気分だった。この曲はその時の思い出そのもの」

注4:京都市左京区にある寺院。1291年に創建。日本で最初の勅願寺(天皇・上皇の発願により創建された祈願寺)であり、国内の禅寺のなかで最も高い格式をもつ。

そんな“体験”をもとにした作曲がある一方、彼のイマジネーションだけで構築される楽曲も多数。たとえば「BushidoⅠ」「BushidoⅡ」の2曲がそれだ。これは言うまでもなく武士道のことだが、彼は「武士道」をどう理解しているのか?

「僕が武士道と思っているのは、8つの道徳律──義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、そして自制だ。僕らがこの8つの道徳律を守って日々生きていたら、世界中の人々が幸せになると思うよ。武士道はあらゆる場面で適用することができるし、武士だけのための律ではない。これは“人生の律”だと思うんだ。それに、侍たちが“恐れを知らない戦士”から“クリエイティヴな職人”にもなれた、ってこともすごく好きなんだ。つまりこの武士道の律は、どちらの生き方にも通じるということ。だから(この曲名で)2つの違うヴァージョンを入れたかったんだ。どんな状況であろうと、武士道が通じるということを示すために」

おまえに武士道がわかるのか? とでも言わんばかりの、上から目線の質問に対し、この理路整然とした明澄な返答。しかも、返す刀で「2曲ある理由」まで言い添えるスキのなさ。

この「“武士道の律”は二つの生き方に対応している」という彼の弁は、すなわち自身の血脈(=ダブル)とも符合する。さらに、今回の大作が二対(ⅠとⅡ)で構成されていることや、アートワークの陰陽(太陽と月)から察するに、こうした“二元性”は、本作を理解するための重要な手がかりと言えるだろう。

アフリカ系アメリカ人における「霊歌(spiritual)」のごとく、本作は彼にとってスピリチュアルかつパーソナルな音楽だ。しかし同時に、我々日本人が、己のアイデンティティについて考える機会をも与えてくれる、不思議な作品なのである。

  


マーク・ド・クライヴ・ロウが語る『HeritageⅠ&Ⅱ』メンバーたち

ジョシュ・ジョンソン/Josh Johnson(alto sax, flute)
「ジョッシュはリリカル・マスターさ! 彼が綴る言葉のリリシズム…そして、音楽全体に溶け込むような音を出したり、前面に出たり、自由自在な彼のプレイが大好きなんだ。本当に好きなミュージシャンで、彼はいつもクリアで音楽的にクリエイティヴなアイディアを持っている人なんだ」

テオドロス・エイヴリィ/Teodross Avery(tenor sax) 
「テオドロスはパワーハウス。もう何年も前、バークリーに在籍していたときに彼のプレイを初めて聴いたんだ。それから一緒によくプレイしたよ。彼とジョシュ(sax)が一緒にプレイするのがまた大好きなんだ。だって、ふたりは全く正反対の存在だからね。まるで陰陽そのもの」

ブランドン・ユージン・オーウェンス/Brandon Eugene Owens(bass)
「ブランドンはもう何年も一緒にプレイしてくれてる。彼はいつもいろんなアイディアを出してくれるんだ。彼はディープなジャズ・プレイヤーであり、シンガーソングライター、プロデューサーでもある。すごく多才な人だ。僕がやりたいと思うことに対してすごくオープンマインドなアプローチをしてくれるんだよ」

カルロス・ニーニョ/Carlos Niño(additional percussion)
「カルロスは伝説的プロデューサーだ。彼のレコードはもう何年も聴いている。LAに移住するずっと前からね。ミゲル・アトウッド・ファーガソンと一緒に、彼のギグを聴きに行ったのが最初だ。彼は、パーカッションとシンバルで音楽を素晴らしいヴァイブで色づけしてくれるんだ。まるで、料理にふりかける魔法のスパイスみたいな存在だよ!」

ブランドン・コームズ/Brandon Combs(drums)
「ブランドンは僕のお気に入りのドラマーのひとり。僕が音楽を通じて発したいさまざまなエネルギーやフィーリングを、彼はすぐに理解してくれる。繊細な感情であっても、リズミカルでエネルギッシュなものでも、アコースティックなジャズのヴァイブでも、ディープ・エレクトロニック・ブロークン・ビート・ヴァイブでも、なんでも、彼は理解してくれる。本当に特別な才能を持ったミュージシャンさ」

タイラナ・エノモト/Tylana Enomoto(violin)
「彼女のことはLAに移ってすぐの頃からよく知っている。エチオ・カリ(Ethio Cali)で一緒にプレイしてたし、それ以外のバンドでも一緒にプレイしている。彼女は『未来の歴史』ショーでもバンドメンバーとして参加してくれたんだ。知り合ってからずっと彼女の名はTylana Rengaだと思ってたんだけど、じつはあまり使っていない本名があって、その苗字がエノモトだったんだ。本当にビックリしたよ。彼女が日本人のハーフだったなんんてずっと知らなかったんだから! タイラナは本当に美しい魂を音楽に込めてプレイする人で、このプロジェクトには絶対に参加してもらいたかったんだ」