投稿日 : 2025.07.09
【桑原あい|インタビュー】新天地ロサンゼルスでアルバム制作─『Flying?』に投射した “素顔の自分”

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Photo/Makito Umekita
ピアニストの桑原あいが新作『Flying?』を発表した。このアルバムはベーシストのサム・ウィルクスと、ドラマーのジーン・コイとのトリオを軸に、アメリカを拠点に活躍するミュージシャンたちをゲストに迎えてレコーディング。新たに書き下ろしたオリジナル曲と、いくつかのカバー曲で構成されている。
そんな本作に対して彼女は「これまででいちばん素直なアルバムかもしれません」と屈託のない笑顔で語る。その要因は、まず制作環境の変化である。
現在、桑原あいは日本を離れてロサンゼルスに創作の拠点を移している。本作『Flying?』も新天地で作り上げたわけだが、まずはアメリカ移住に至った経緯から聞いてみよう。

スランプの危機
──アメリカに拠点を移したのが2024年の冬。渡米しておよそ1年半くらい経ちましたね。
じつはその前から、アメリカに拠点を移す計画はあったんです。2019年に結婚して、主人(ドラマーの山田玲)とも以前からアメリカに行きたいという話をしていて。少しずつ準備を進めていました。そんな矢先にコロナ禍になって、まったく動けなくなってしまって。
──渡米どころか、音楽活動じたいが制限されるような状況でしたね。
以前なら当たり前のように海外のステージに出演していたし、海外からもいろんなミュージシャンが来日していたのに、それが完全に遮断されてしまって、ものすごいストレスを感じました。窮屈さというか、息苦しさのような感覚です。
ミュージシャンにはいろんなタイプがいて、そういう状況でも素晴らしい創作ができる人もいると思います。でも私は逆で、生きているのが楽しければ音楽も楽しいし、生活がつまらないと感じると、音楽もそうなってしまう。音楽と生き方をうまくセパレートできなくて…。
──コロナ禍の窮屈さは、桑原さんにとって死活問題だった。
まさにその通りで、かなり追い詰められました。このままだとスランプに陥ってしまうという危機感もあって、同時に、以前から計画していたアメリカ行きの欲求がどんどん強まっていきました。
でも、いま無理してアメリカに行ったとしても向こうも同じ状況だし、行って何もできないのであれば意味がない。だから、パンデミックが収束したらすぐにでも行けるように準備だけはしておこうと。それでも全て順調に進んだわけではなくて、いろんな障壁を乗り越えながらようやく2024年の1月に渡米しました。
──アメリカだと、まず東と西の選択肢がありますよね。ロサンゼルスを選んだ理由は?
もちろんニューヨークという候補地もありましたけど、これまでに私が関わってきた「人」を考えたときに、ロサンゼルスだったんです。このアルバムにも参加しているメンバーたちの存在も大きかったですね。
──このアルバムの中心的なユニットは、サム・ウィルクス(ベース)、ジーン・コイ(ドラム)とのトリオですね。
まさにその二人は、私がLA行きを決めた動機の一つです。彼らに出会ったのは…8年くらい前かな。ロサンゼルスで一緒にライブをしたんです。その時に彼らのサウンドに大感動しまして。またいつか必ず一緒にやろうという話になりました。しかも私にとって恩人でもあるクインシー・ジョーンズが生前長く住んでいたところでもあるし、他にも大好きなアーティストたちがLAには大勢いる。
それに加えて、気候も好きなんです。空気がドライなせいか、うまい人はめちゃくちゃ楽器の鳴りがいいし、音が綺麗。逆にイマイチだとスカッ…ってなる。そういういろんな理由が積み重なってLAになりました。
助けてくれた仲間と家族
──で、実際に住んでみて、どうですか? こんなはずじゃなかった…って出来事もあったのでは?
いちばんショックだったのは…最近荷物を盗まれまして(笑)。あと、日々の生活の中では、いろいろ細かい苦労はありました。日本では普通にできているようなことでも…たとえばネット回線の工事を依頼したり銀行口座を開設するにしても、外国でやるのは初めてだから何かと大変で。毎日がそんなことの連続です。
──音楽づくりの面でも苦労はありましたか?
今回のアルバム制作にしても、メンバーのキャスティングからエンジニアとのやりとりまで全部、自分でやらなければならない。英語の会話はある程度できますけど、例えば「こういう音にしたい」みたいな細かなニュアンスを伝えるときは、正確にやらないと自分の希望が伝わらない。言い方次第では、怒っていると誤解されることだってあるわけです。それで、あとから「あの言い方は失礼だったのかな…」とか気になったり(笑)。
これまでレコード会社の方々やマネージャーさんに頼り切っていた部分を自分でやってみて、改めてみなさんの凄さがわかったというか、今さらながら、尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。
──そんななか、現地で手を差し伸べてくれる人もいたのでは?
このアルバムにも参加してくれたベーシストのツヤマタイキくん。彼が道しるべというか、いろんなことを教えてくれました。タイキくんはもう15年LAに住んでいて、今はLAの音楽シーンのど真ん中で活躍している人なので、言葉の使い方から、仕事の進め方、ちょっとした生活のヒントまで(笑)、あらゆる面で助けてもらいました。
──ツヤマさんは、演奏と作曲の両面で参加していますね。
そうです。「Éclat」という曲を、私とタイキくんで共作しました。ちなみにタイキくんとは以前から面識があったのですが、私がLAに住み始めて少し経った頃に、ふとしたきっかけで偶然に再会して。こうして共演するに至りました。
──ほかにも参加メンバーは、ジェフ・リトルトン(ベース)や、ケヴィン・リカルド(パーカッション)、ゴードン・キャンベル(ドラムス)、ホレス・ブレイ(ギター)、山田玲さん(ドラムス)といった、桑原さんと縁のあるLAの名手たち。
楽曲についても同様で、LAで生活しながら作っていったものです。ただし1曲だけ「The day you found us」は、日本でつくった原型みたいなものがすでにあって、アメリカに行ってから仕上げました。この曲は、うちのワンちゃんに関係していまして。
──こむぎちゃんですよね。
名前、ご存じなんですね(笑)。その子が5年前にうちにやって来たとき、あまりに小さくて可愛らしくて…、抱きかかえたときに思わず泣けてきちゃうくらい感動して。なんだかその日は興奮してなかなか眠れなかったんです。それで、私のそばで眠っている彼女を眺めながら、このメロディを書きました。ただ、そのときは未完成のままにしておいたんです。
それから時が経って、こむぎちゃんも一緒にアメリカに来た。でも、とにかく心配だったんです。病気しがちな子なので環境が変わって大丈夫だろうか…と。ところが、毎日すごく健やかに過ごしていて、食欲も旺盛で、日本にいた時よりも元気。これってもしかして私たちに迷惑をかけないように、頑張って、いい子にしてくれているのかもしれない…、と思うとまた泣けてきて(笑)。そんな彼女をみているうちに「あの曲をきちんと仕上げなくては!」と思って「The day you found us」が完成しました。
── “you” って誰なんだろう? と謎でしたが、こむぎちゃんだったのですね。
そうです(笑)。ちなみに「Éclat」も私とこむぎをイメージして作った曲なんですよ。
飛ぶエネルギーと覚悟
──先ほどの話だと「Éclat」はツヤマタイキさんとの共作でしたね。
はい。先ほども話した通り、タイキくんはLA在住のベーシスト。加えて、こむぎちゃんの彼氏でもありまして。
──親公認ですか(笑)。
もう、認めざるを得ないです。タイキくんを見る目が違うんですよ。うっとりして、目がハートになってる。他にも仲良しの友達はたくさんいるけど、彼にだけちょっとぶりっこしちゃう(笑)。そんなタイキくんが、あるとき作曲に関する提案をしてくれたんです。彼が言うには「音楽をやっている時のあいちゃんは “桑原あい”になってしまうから、普段の、こむぎちゃんと遊んでいるような “素の自分”を楽曲として表現してみては?」と。
──なるほど。でもそれって難しくないですか? だって曲をつくるときは “桑原あい状態”になってしまうわけだから。
ですよね、だから「それは(客観的に見ている)タイキくんじゃないと書けないよ」ということで、一緒に作ってみようという話になって、この曲「Éclat」が完成しました。
──ちなみに、もうひとつ “動物” に着想を得た曲がありますね。
ハミングバード(ハチドリ)ですね。ハミングバードって日本にいないから見たこともなかったのですが、私にとって印象深いのは、童話みたいなお話で『ハチドリのひとしずく』っていう本がありまして。
──ああ、南米の先住民に伝わる伝説の…。
そう、それです! あと、レイ・チャールズの伝記映画『Ray』のなかで、彼がハチドリの羽音を聞き取るシーンがあって。その印象が強く残っていました。ハチドリの羽音ってどんなサウンドなんだろう…って、ものすごく興味がありました。
──ロサンゼルスなら、本物を見ることができるのでは?
そうなんです。ある日、うちの庭に現れたんですよ。窓の外になんかいるなーと思って眺めていたら、見たこともない生き物が浮遊していて。「あれ何 !?」って思った瞬間、レイ・チャールズとか絵本の情報が全てリンクして「ハチドリかも!!」って。
──映画でレイ・チャールズが聞いていた音を、ついに体感できた。
そっと近づいて耳を澄ますと、聞こえるんです。飛び方も普通の鳥とは全然違って、ヘリコプターみたいに浮いている感じ。調べてみると、本当にヘリコプターみたいにものすごい速さで羽を動かして飛んでいることを知りました。あのスピードで羽ばたき続けるためにものすごいエネルギーが必要で、彼らは花の蜜から得た糖分のほとんどを飛ぶために使っている。そんなハチドリの生態を調べたり観察しているうちに、彼らを敬う気持ちというか(笑)そういうものを感じて。
──実際に、古代の人たちもハチドリを崇高な存在として見ていたそうです。
そう、愛と幸福のシンボルなんですよね。そんな知識や体験も得て、心を動かされて書いたのが「What hummingbirds teach us about flying」なんです。
── “飛ぶ” ってどういうことなのか、ハチドリたちが教えてくれる…。そんなニュアンスのタイトル。このイメージは、アルバムの1曲目「Flying?」にもつながります。ちなみに Flying にはクエスチョンマークがついていますが、この意図は?
もちろん飛びたい気持ちはあります。だからと言って「!」は付けられない。私はこの新たな場所に来たばかりで、飛び方もわかっていないので。だから「飛べるのか?」くらいにしておこう、と。
──この曲「Flying?」は、桑原さんとサム・ウィルクス、ジーン・コイの基本ユニットに、ギターのホレス・ブレイを加えた編成ですね。
じつは私、これまであまりギターの魅力がわかっていなかったというか、興味が薄かったんです。
──そうなんですか? 意外です。
いや、もちろんギタリストの凄さは知っているし、リスペクトもありますよ。ただ、ちょっと雑な言い方ですけど、楽器の特性としてピアノに近いというか、コードも弾けてメロディーも弾けて、っていう意味でピアノと重なるな…と。
──なるほど。そこはピアノで表現できるから無理してギターに頼らなくてもいいかもな…という、ピアニストならではの感覚。
ところが、こっちに来て何人ものすごいギタリストたちを見まして。プレイもサウンドもとにかくかっこいいんですよ。ピアノとぶつかるとか、そんなこと関係ないと思わせてくれるほど圧倒的にかっこいい。いつのまにか、ギターを聴きに行くことにハマっている自分がいて。そんな中で出会ったのが、ホレスでした。
──ホレス・ブレイのどんなところに魅力を感じましたか?
彼には独特の間合いや呼吸があって、音もかっこいいだけじゃなくて、私が共感できる “侘び寂び” みたいなものや、どこかセンチメンタルな雰囲気も持っている。しかも、人間的にも超ナイスなんです。
──彼の重要度はすごくよくわかります。アルバムのオープニング曲「Flying?」と、エンディング曲「Heal The World」双方で起用されているという意味でも。
そうなんです。もう「Flying?」と「Heal The World」は絶対この4人でやるって決めていましたから。
──その「Heal The World」ですが、原曲はマイケル・ジャクソン。これを含めて3つのカバー曲を採用しています。この3曲もすべて、いま暮らしている場所と関連のある人物やグループの曲です。
そうですね。「This Love」(マルーン5/2004年)と、「Parallel Universe」 (レッド・ホット・チリ・ペッパーズ/1999年)、それから「Heal The World」(マイケル・ジャクソン/1992年)を私なりにアレンジして。
なかでもいちばん悩んだというか、考えさせられたのが「Heal The World」でした。
──どういう点で?
この曲が候補に挙がったとき、ちょっと抵抗感というか、うまく表現できるのか不安を感じました。特にこの曲はマイケル・ジャクソンのブランドイメージとも強く結びついている感じがして、いいアレンジが成立するのかも見えにくかった。
──しかも “ありきたりで安易なチョイス” と思われてしまう危険性すらありますね。
そうなんです。どっちにしても手ごわいというか、かなり勇気のいる曲です。そんなことを思いつつ悩んでいたところ、今年の1月にロサンゼルスで大規模な山火事が起きまして。私が住んでいるエリアにも避難勧告が出たので、海沿いに住んでいる友達の家に避難しました。
火災が収まるまで1か月くらいかかったと思いますが、その間は、いつも眺めている美しい空が、黒とオレンジの不穏な色に変わってしまって、この世の終わりみたいな雰囲気でした。空気汚染もひどくてマスクを手放せないし、飲食店やライブハウスの営業も止まってしまっている。まるで、あのコロナ禍が再来したような感覚になってしまって。
人も動物も自然もすべて…
──パンデミックの閉塞感でストレスを抱えて苦しんで、今やっと解放されたのに、また…。
さらに追い打ちをかけるように、治安が悪くなったり、地域全体が壊れていく感じもあって、すごく気分が沈みました。
ただし、その一方で「今こそ音楽が必要だ」っていうムーブメントも起きたんです。 こんな災害があって、これからどう動けばいいのか、みんな手探りでしたけど「ミュージシャンはやっぱ音楽でなんとかしよう」みたいな感じになって。そのときに、ふと「今こそ、ヒール・ザ・ワールドやるべきなのでは?」と思って。なんか腑に落ちたというか、素直に受け入れられたというか。丸焦げになった景色を見て、これはヒールしなければならないと切実に思ったんですね。
そうした気持ちは、いろんな分野の人たちが同じように持っていて、たとえば住処を失った動物たちを命がけでレスキューしたり、日々のニュースでも “クマの親子が助かった” みたいなトピックが挙がったり、そんな様子を見ながら、本当にいろんなことを考えさせられました。
それと同時に「大変だったし不幸な出来事だったけど、ここにいないと経験できなかった、貴重な体験をしたんだな…」とも思えてきて、自然や動物たちへの愛着も一層強くなりました。そういう気持ちを、このアルバムの最後の曲「Heal The World」に込めました。
──渡米してから現在までを振り返って、いま率直に思うことは何ですか?
ロサンゼルスに1年半住んでみて「やっぱここ好きだな」って強く実感します。街も好きだし、音楽を取り巻く環境もすごく好き。何より、呼吸できるようになったというか、「ああ、生きていて楽しい」って心から思えるようになった。広い空や、雄大な風景を見ていると、なんか飛びたくなるんですよ。勢いよく走り出して飛べるかも、みたいな気持ちになってくるんです。
──それ、まさにアルバムの表題「Flying?」じゃないですか。
たとえば車でフリーウェイを走りながら、ふとした景色に感動することもよくあって。車窓から見える山に、思わず「かっこいい〜!」って声が出ちゃいますから(笑)
──わかります。かっこいいですよね、あの山肌。
そう! かっこいいんです。日本にいるときは海の方が好きで山にはあまり興味がなかったのですが、カリフォルニア州の山岳の美しさを目の当たりにして、日本の山や自然の魅力も改めて見直すきっかけになりました。
やっぱり私は、生き方と音楽が一緒になっちゃうタイプの人間なので、生活する環境はすごく重要なんだと実感しました。そういうことも含めて考えると、今回のアルバムは、これまででいちばん素直なアルバムかもしれません。何のひねりもない、そのままの自分が映し出されている。自分としても「そのまんま出しちゃえ」と素直に割り切れた。そんなアルバムですね。
取材・文/楠元伸哉
桑原あい『Flying?』(ユニバーサルミュージック)
https://www.universal-music.co.jp/kuwabara-ai/products/uccj-2246/
桑原あい オフィシャルサイト
http://aikuwabara.com/