2019.03.08

【発見!シティポップな海外バンド】ポリキャット from.タイ

文/高橋芳朗

【特集】シティポップの海外人気を検証!

70〜80年代の日本産シティポップが、いま海外でも注目されている。そんななか、シティポップの“サウンド的な流儀”を継承する、海外ミュージシャンも登場しはじめた。彼らは一体どんな感覚で“昔の日本のポップス”を聴き、自分たちの音楽に採り入れているのか?

邦盤マニアなバンコクの3人組

タイのバンコクを拠点に活動する3人組、ポリキャット(Polycat)。彼らはフリッパーズ・ギターのトリビュート盤『Flipper’s Players』を出したことで知られるインディのスモールルームより2012年に初のアルバム『05:57』をリリース。2017年にはミニアルバム『土曜日のテレビ』で日本デビューをはたした。

来日コンサートで山下達郎「いつか」(1980)や、久保田利伸「LA・LA・LA LOVE SONG」(1996)をカバーしていたポリキャットは、シティポップを「進歩したファンク」と定義。

特にアレンジ面で影響を受けたことを認めていて、「ギター・サウンドが好き」という安全地帯『IV』(1985)やオメガトライブの諸作に関しては楽曲制作の際にリファレンスとして使うこともあるそう。


竹内まりやさんのレコードは3000バーツで売られています

(日本語で回答してくれたので原文のまま掲載)
Q1. シティポップと呼ばれる、日本の70~80年代の音楽をいつどこで知りましたか?

私が聴きはじめた日本の歌の歴史はじつは少し複雑な感じになっているんです。というのも聴き始めた楽曲と時代の順序が一致していないんです。

経緯はこうです。まずはじめに私は子供の頃、アニメ『カラオケ戦士マイク次郎』を見て、尾崎豊の「I Love You」(1983)という曲に感銘を受けました。そこから私は日本の音楽を聴き始めます。次にX JAPAN、LUNA SEA、L’Arc-en-Cielを聴きました(CDショップに行って日本の音楽を紹介してもらおうとすると、店員さんは大抵これらのバンドをオススメします)。でも、私はそれほどメタルやビジュアル系には興味がなく、その後でHideとToshiのソロプロジェクトを知り、Toshiの「Always」(1993)という曲に出会いました。私はこの種の音楽が好きなんです。

そして、その頃テレビでは多くの日本のアニメが放送されていて、私はドラゴンボールやスラムダンクを見て育ちました。そこから私はWANDSの「世界が終わるまでは」(1994)のようなAORという音楽に出会いました(タイではAORという言い方はなく、単にRockと呼んでいます)。そして後に橋本潮さんの「ロマンティックあげるよ」(1986)をきっかけにcitypopという音楽に出会います。

AORという用語を知った後、私は多くの70-80年代のAOR音楽(世界のものと日本のもの)をチェックし始め、河内淳一さんの「Dream of you」(1989)などのシティポップ・サウンドが含まれているAORのアルバムをたくさん聴きました。そしてそこから、山下達郎さん、竹内まりやさん、大貫妙子さん、杏里さん、そして彼女のプロデューサーの一人である角松敏生さんなどの70年代後半のシティポップをさがのぼって聴いていきました。

Q2. どこに魅力を感じましたか?

シティポップは進歩したファンク・ソングだと思っています。もともと黒人のファンクやブギー・ファンクは曲に歌詞が1文しかありません。多くとも2文。それなのに、シティポップはファンクの雰囲気がちゃんとあって、さらにバース、プレ・コーラス、ブリッジなども入っています。ある曲ではソロのところで、コード・モジュレーションで違うキーに変えたりと、バラエティがすごく、何回聞いても飽きることがありません。


Polycat/ポリキャット
2011年に結成。デビュー後、メンバーの脱退を経て Na(ボーカル)、Tong(キーボード)、Pure Watanabe(ベース)の 3ピースバンドとして活動中。タイの国内レーベルより、アルバム『05:57』(2012年)、『80 Kisses』(2016年)を発表後、2017年リリースのアルバム『土曜日のテレビ』が日本盤で流通。同作は7曲中4曲で日本語詞を採用している。

Q3. お気に入りのアーティスト名および作品を教えてください

いま答えるなら、大橋純子さんの『Magical』(1983)というアルバムですね。Funk, Fusion Jazzのコンビネーションがしっかり出来ていて素晴らしいです。 もしCitypopを初めて聞いてみたいとタイの方に聞かれたら、竹内まりやさんか大橋純子さんが浮かびますが、まずはじめにこのアルバムを勧めたいと思っています。竹内まりやさんのアルバム『Variety』(1984)はすでに知っているという方も多いと思いますので。

Q4. それらの音源はどのように入手しましたか? または現在どうやって入手していますか?

僕はレコードを集めているんですが、日本のAORを集めているかという質問に対しては 本当は集めたいと思っていたという感じです。どういうことかというと、確かに僕は前の質問で答えたようにAORから日本の音楽に入っていったんですが、日本のAORの情報はなかなか掴むことが難しいんです…(タイにはAORという言葉を知っている人がほとんどいないからあまり情報がないんです)。

それに比べてシティポップは、それらに詳しい方たちがたくさんいらっしゃいますし、シティポップや昔のアイドルの情報はウェブやFacebook groupにも多くあり、情報が集まっているので日本の曲ではAORよりシティポップを集めています。AORは洋楽の方が集めていますね。 今はYouTubeのストリームでシティポップ・ミックスをよく聞いています。あとはいろいろなFacebook groupにシェアされている曲を聞いて、好きになったら曲名をメモして、後でレコードを手に入れています。

Q5. あなたたち以外にも、日本のシティポップ周辺を聞いている人たちは国内に多いですか? それはどういうタイプの人たちですか?

以前に比べるとだいぶ増えていますね。 例えばタイのレコードショップで、竹内まりやさんのレコードは3000バーツ(日本円で約1万円)で売られていますが結構売れているそうです。タイ人がシティポップを聞き始めるきっかけは竹内まりやさんだと思いますね。YouTubeのアルゴリズムというシステムで多くの人がシティポップを知るようになったのだと言う人もいますが、僕個人の意見で言うと、タイでの広まりは宣伝やモデリング業界が出発点ではないかと思っています。この業界の人はいつも新鮮な幅広いジャンルの曲を聞いていますし、さらに彼らは周りの人に対して影響力があります。

ファッションみたいなもので、みんなが着る服は他の人も着るし、みんなが聞く曲は他の人も聞く。すごく魅力的なことだと感じます。他のきっかけはデザイナーさんかなと思います。 デザイナーさんはインターネットでモチベーションを探すことが多いのですが、その時に永井博さんのグラフィックデザインを見つけ、シティポップにたどり着くようです。 ヴェイパーウェイヴなどもそうですが、こういったものはまるで足跡かのように他の人をシティポップに導いていますね。

Q6. 日本のシティポップがあなたの音楽制作に影響を及ぼしているとしたら、どんなところでしょうか?

全体的に言うとアレンジですね。 日本ではファンク、ジャズ、70年代後期のソフトロックを自らの音楽に混ぜた結果、シティポップという新しいジャンルが生まれたわけなんですが、新しいジャンルを作るなんて音楽制作者として夢のようなことだと思っています。つまり、シティポップはいろいろなジャンルを混ぜてそのままコピー&ペーストしたものではなく、それぞれの国における人々の物事に対する見方を通しているので、それを含めてサウンドの選び方を私たちに教えてくれるんです。

また、日本料理屋さんで上田正樹さんの曲「悲しい色やね」(1982)を聞いたことがあるんですが、この曲のスネア・サウンドは短く、強く、とても綺麗でユニークなものなんです。シティポップから僕の音楽制作はかなり影響を与えられました。特にコード進行やコードのテンションで影響を受けていますね。(シティポップは)ジャズのコンビネーションなども入っていますが、それほど複雑ではないので一般の方にもわかりやすいものだと思っています。 あとは安全地帯のアルバム『iv』(1985)とオメガトライブの多くのアルバムのギターサウンドと全体的なまとまりが好きです。サウンド・リファレンスをやる時にはいつも聞いています。


ポリキャット『土曜日のテレビ』
日本語詞で作られた4曲にタイでヒットした2016年のセカンド・アルバム『80 Kisses』の人気曲を加えた、2017年10月発表のミニアルバム。なんといっても聴き物は、角松敏生に代表されるシティポップの影響を今様シンセポップの感覚で伝える日本語曲。特にアーバン・ミディアム「たくさんの花」の甘酸っぱさには悶絶必至。