2015.08.10

【カマシ・ワシントン】LAのジャズ遺産とヒップホップを繋ぐサックス奏者

取材・文/バルーチャ・ハシム、原雅明 写真/バルーチャ・ハシム 構成/原雅明

カマシ・ワシントン インタビュー

フライング・ロータス主宰のレーベル〈Brainfeeder〉から、CDにして3枚組(全17曲)というボリュームのフル・アルバム『The Epic』をリリースした、サックス奏者のカマシ・ワシントン。最近ではケンドリック・ラマーの『To Pimp A Butterfly』にもフィーチャーされ、ジャズのみならず、ヒップホップのシーンでも、その名を聞くようになった。

そんな彼が、新アルバムのリリース・コンサートを実施した(5月4日)。場所はロサンゼルスのリージェント・シアター。出演メンバーも、今回の “壮大なアルバム” にふさわしい布陣。カマシ自身のバンドに加えて、サンダーキャットやミゲル・アトウッド・ファーガソン、ダディ・ケヴやラス・Gなど、ジャズとビート・ミュージックを横断するアーティストが出揃った。そんな記念すべきコンサートの直後、このインタビューは敢行された。

——まずは、これまでのキャリアについて教えてください。音楽を始めたきっかけは? 

父はサックス奏者で、母はフルート奏者。だから俺も2歳から楽器を演奏してたよ。最初に演奏し始めたのはドラムで、5歳からピアノ、8歳からクラリネットを演奏し始めた。

——クラリネットからサックスへ?

本当はサックスをやりたかったんだけど、クラリネットが先だった。これには理由があって、父の時代(70年代)のサックス奏者は、サックス、フルート、クラリネットの全部を演奏できることを求められた。だから、サックスより難しいクラリネットを先に習わされたんだよね。

で、10歳か11歳くらいからジャズにのめり込んで、ウェイン・ショーター、チャーリー・パーカーみたいな人にハマった。彼らが演奏していたレコードを、クラリネットでコピーしようとしたんだけど、すごく難しかったよ(笑)。

そんなある日、父がサックスを家の中の見えるところに置いてたんだ。触ってはいけないと言われてたけど、俺はそれを手に取った。そのとき何故か、すぐに自分の好きな曲を演奏できたんだよ。ただ、どの音符を演奏しているかもわかってなかった。ウェイン・ショーターの「Sleeping Dancer Sleep On」という曲だったんだけど、サックスの仕組みがクラリネットと似ていたから演奏できたんだろうね。

——ロサンゼルスのどのエリアで育ったんですか?  

サウスセントラルだよ。

——そのエリアで、ジャズを聴く子供は珍しかったんじゃないでしょうか?

そうだね。けっこう危険なエリアだった。小学生の頃、友達はみんなN.W.A.(注1)とかギャングスタ・ラップを聴いてたよ。でも俺は、父の影響でジャズに慣れ親しんでいた。年上の従兄もジャズを聴いていて、あるときアート・ブレイキーのミックステープをくれたんだ。そのテープを聴いていくうちに、俺はなぜかアート・ブレイキーの音楽がN.W.A.に似ていると思うようになったんだ(笑)。

注1:1986年に米カリフォルニア州コンプトンで結成されたヒップホップグループ。イージー・E、アイス・キューブ、ドクター・ドレーなどが在籍していた。

叔父や親戚もジャズが好きでね。俺が真剣にジャズを演奏したがっていることを知って、レコード、テープ、CDを聴かせてくれた。あのエリアでジャズが好きな若者がいることを喜んでくれてるみたいだった。

——リリース・コンサートで、ドラマーのロナルド・ブルーナー・ジュニアや、ベーシストのサンダーキャット(二人は兄弟)も出演していましたが、彼らは子供時代からの友達だとか。

そうなんだ。俺の父親と、ロナルドたちのお父さんが一緒にゴスペル・フュージョン・バンドをやってて、それで友達になったんだ。俺が6歳か7歳のときに、父はそのバンドを辞めたから、以来、ロナルドとサンダーキャットとは会わなくなった。でもその後、高校生になった俺はマルチ・スクール・ジャズ・バンド(さまざまな地域の高校から才能あるミュージシャンを集めたバンド)に加入して、そこで、ロナルドたちと再会したんだ。

——師事したミュージシャンはいましたか? 

父はミュージシャンから音楽の先生に転身したんだ。だから、父親が俺の先生だった。音楽理論も父から学んだよ。あとは、アイザック・スミス、ロナルド・ブルーナー・ジュニア、テラス・マーティンといった、友人のミュージシャンからも学んだね。

サックスにのめり込んでからは、仲間と毎日8、9時間は練習してたよ。これには、ピアノ奏者のキャメロン・グレイヴスの父さんやロナルドの父さんも関わってたから、家族ぐるみの “小さな音楽村” みたいなものができあがっていた。そこでレコードを見せ合ったり、お互いのプレイに影響し合いながら、自然に学んでいく感じだね。だから堅苦しい環境のなかで勉強してたわけじゃないんだ。

——練習場所は家のガレージだった聞きましたが。

そう。父の家の裏に部屋があって、そこにロナルドやキャメロン、サンダーキャットが来て、ジャム・セッションをやったりしてた。そのあとはワールド・ステージ(注2)に行って演奏したりした。家に戻ってから、さらにまたみんなで朝の4時まで演奏した理。そんな日々だったよ(笑)。

注2:故ビリー・ヒギンズがロサンゼルスのラマート・パークに設立したジャズ・ミュージシャン育成のための文化センター。

——音楽以外の関心事は?

俺たちは音楽しか興味がなかったから、パーティも行かなかったし、クラブにも行かなかった。ただ、ジャズ・ミュージシャンが来ると、クラブに行ったんだけど、お金がなかったから忍び込んでたよ(笑)。

高校生のときに、ロナルド、サンダーキャット、キャメロンと一緒にザ・ヤング・ジャズ・ジャイアンツというバンドを始めた。ジョン・コルトレーン・コンペティションというジャズ大会があって、それに出場するために結成したんだ。結果、俺たちが優勝したんだけど、そのときの会場にはラヴィ・コルトレーンがいて、まだ13歳のフライング・ロータスを連れてきてたよ。そのときがフライング・ロータスとの初対面だったね。これが、ザ・ヤング・ジャズ・ジャイアンツが今やってる、ザ・ウェスト・コースト・ゲット・ダウンというバンドの出発点だね。

——セロニアス・モンク・インスティテュート・オブ・ジャズでも演奏したそうですが、どんな組織なのでしょうか? 

学生にジャズを広める団体だよ。マルチ・スクール・ジャズ・バンドをスポンサーにしたり、ジャズのレジェンドを招待して、一緒に演奏させてくれたり。そのときにウェイン・ショーターに会って、ジャズ・フェスティバルで一緒に演奏させてもらえた。そのプログラムで、テラス・マーティンとも出会ったんだよ。一緒に演奏して、仲良くなったんだ。テラスの紹介で、俺はスヌープやケンドリック・ラマーと仕事できるようになったんだ。

——大学でも音楽を勉強したんですか? 

UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に入って、そこで民俗音楽学と作曲を専攻した。ワールド・ミュージックの勉強はもちろん、クラシックの作曲法を学んだり、ビッグバンドに加入して演奏したり。インドネシアのガムランとか、いろいろな音楽に触れて幅広い勉強ができたよ。

——近所の他の子供と同じように、ヒップホップには傾倒しなかった?

ヒップホップも好きだったよ。ジャズもヒップホップも俺の人生の一部で、子供の頃、ヒップホップは友達と一緒に聴く音楽だった。そんな時期に、ジャズやサックスにのめり込むことで、ジャズとヒップホップの関係性も見えるようになったんだ。ア・トライブ・コールド・クエストの曲を聴くようになったとき、すぐに元ネタのジャズがわかったんだ(笑)。

わかりづらいかもしれないけど、俺の音楽にはヒップホップの要素も入っている。 高校生のときに、初めてサックス奏者としてプロの仕事をしたのが、スヌープのライブ・バンドだった。大規模なツアーで演奏するようになったのも、スヌープやラファエル・サディーク、ローリン・ヒル、パフ・ダディのようなヒップホップ・アーティストだったよ。ジャズを仕事としてできるようになったのは、ずっと後のことだ。 だから、俺のジャズの演奏は、間違いなくヒップホップに影響されてる。

ヒップホップのアーティストは、独特のアングルからジャズをとらえてるんだ。スヌープと演奏したときは、技術的なことよりも、どういうフィーリングで演奏しているか、を重要視された。だから俺がジャズを演奏するときも、どんなフレーズを演奏するかだけじゃなくて、どういう気持ちで演奏するかが大事なんだ。それはジャズではなく、ヒップホップから学んだことなんだ。あと、ジャズのエモーショナルな面に魅力を感じた。ウェイン・ショーター、ジョン・コルトレーン、ファラオ・サンダースのようなパワフルな音楽を演奏している人が大好きなんだ。彼らから多大な影響を受けたね。

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