2019.08.23

映画『ジョアン・ジルベルトを探して』─ 監督ジョルジュ・ガショが見た “ボサノヴァの神と殉教者”の痕跡

取材・文/村尾泰郎 撮影/平野 明

ジョルジュ・ガショ/インタビュー

映画の発端になった一冊の本

“ボサノヴァの神様”と称される音楽家のジョアン・ジルベルトが、今年7月にこの世を去った。まもなく公開される映画『ジョアン・ジルベルトを探して』(8月24日〜)は、そんな “神様”にまつわるドキュメンタリー作品だ。ただし本作は、ジルベルトを紹介する映画ではなく、ジルベルトを感じる映画といえるかもしれない。

映画制作の発端になったのは一冊の本だった。著者はドイツ人ジャーナリストのマーク・フィッシャー。彼はジョアン・ジルベルトの音楽に惹かれ、ジョアン本人にひと目会うためリオに渡る。しかし、そう簡単に会うことはできなかった。ジョアンは2008年8月にリオ・デ・ジャネイロで行われたコンサートに出演して以来、公の場に姿を現さなくなっていたのだ。

結局、フィッシャーはジョアンに会えなかったが、その旅の記録を一冊の本にまとめた(2011年に発表)。そして彼は、この自著が出版される1週間前、みずから命を絶った。

フィッシャーが著した『HOBALALA – A PROCURA DE JOAO GILBERTO』

一体、彼はどんな思いでジョアンを探し求めたのか…。この本を読んで心動かされたのは、フランス人の映画監督、ジョルジュ・ガショ。彼はフィッシャーの本を手がかりに、みずからジョアン・ジルベルトを探す旅に出た。現地のミュージシャンたちに話を訊き、ジョアンゆかりの地を訪ね歩いた彼は、そこで何を感じ、どんな思いで映画を完成させたのか。

ジョアン・ジルベルトに近づくな

──映画の発端となった「マーク・フィッシャーの本」のどんなところに惹かれたのでしょうか?

「まず、とてもよく書かれていて、映画の台本としても最適だと思った。同時に、フィッシャーが残した写真や録音、録画はまさに“贈り物”だと感じました。私はジョアン・ジルベルトに会ったことがなかったけど、この本と出会ったことで、ジョアンに関する映画を作ることが可能だと感じたのです」

映画『ジョアン・ジルベルトを探して』の監督ジョルジュ・ガショ氏。静かに、淀みない口調で制作秘話をかたる。

──映画のなかでフィッシャーの文章が引用されますが、彼は音楽に対して繊細な感受性を持った人だということが伝わってきました。

「彼は(気質が)典型的なドイツ人。だから、周到に準備してしてブラジルに渡りました。ところが彼の期待どおりには話が進まなかった。さらに周囲の人間からは『あまりジョアン・ジルベルトに近づこうとしないほうがいい』と言われてしまうわけです。大きな期待を抱いていた彼の気持ちは次第に打ちのめされていく。その心の変化は、映画のなかにも反映されています」

──監督自身にとっても(この撮影は)困難な旅でしたか?

「私は、過去にブラジル音楽に関するドキュメンタリーを撮ったことがあったので、ミウシャやジョアン・ドナートとは知り合いだった。だから彼らはとても協力的でした。私がフランス人であり、違った文化圏から来た人間がブラジル音楽に興味を持って映画を作ろうとしていることが、彼らには面白かったんじゃないかと思います。それに彼らはジョアン・ジルベルトを偉大な先駆者として尊敬していますからね。ジョアン・ジルベルトは種であり、そこからブラジル音楽という大樹が育ったのではないかと私は思います」


──映画のなかで、マルコス・ヴァーリ
(注1)が「一度、電話でジョアンと話をしたことがある」と誇らしげに語りますね。

「この映画を編集しているとき、ジョアン・ジルベルトについて “ひと言で多くを語ってくれる” ようなシークエンスを使いたいと思って。マルコス・ヴァーリのシークエンスは、まさにそのひとつでした」

注1:鍵盤奏者/ギター奏者/歌手。1943年生まれ。少年時代にジョアン・ジルベルトの曲を聴き、ミュージシャンになることを決意。1964年にデビューアルバム『サンバ・ヂマイス』を発表。以降、ボサノヴァやサンバ、ジャズ、ロック、ソウルなどを融合した作風で人気を博す。

現地ミュージシャンたちの償い

── 一方、ホベルト・メネスカル(注2)の「ジョアンの呪いに気をつけろ」という発言も印象的でした。

「初めてメネスカルに会ったとき、彼は私に対してどう対応すればいいのか迷っている感じでした。というのも、メネスカルはかつてフィッシャー(本の著者)にも会っていて、同じことを言った。それがフィッシャーを追いつめることになったのではないか、と思っていたようです」

注2ボサノヴァの先駆者のひとりとして知られる作曲家/ギター奏者/歌手。1937年生まれ。50年代半ばにプロ活動を開始し、63年にファーストアルバム『ボサノヴァ』発表。

©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

「じつはメネスカル以外にも、フィッシャーに対して罪の意識を感じている人たちがいました。ミウシャ(注3)もそのひとりです。彼女も、フィッシャーをジョアン・ジルベルトに会わせてあげられなかったことを、気にしていました。そういうことも、彼らがこの映画に対して協力的だった理由のひとつでした」

注3:1937年リオデジャネイロ生まれの歌手。65年にジョアン・ジルベルトと結婚し、娘のベベウ・ジルベルト(のちに歌手として活躍)をもうけたが離婚。2018年12月27日にリオデジャネイロの病院で死去。81歳だった。

──そういった “ジョアンを知る人々”の発言から、ジョアンの素顔が垣間みえる。と同時に、ジョアンとゆかりがある場所や、リオの街角など、映画のいたるところに “ジョアンの気配”を感じることができます。

「私はジョアン・ジルベルトを追うように、いろいろな風景を撮影しました。カメラは私の視線であり、同時にフィッシャーの視線でもありました。その一方で、撮影をしながら、通りの角からジョアン・ジルベルトが私たちを見ているような気がしていました。彼の視線を感じていたんです。そして、私はジョアン・ジルベルトだけではなく、フィッシャーと視線を交わしたように感じる瞬間もあった。そのひとつが、浴室のシーンです」

──ジョアンがボサノヴァの演奏スタイルを完成させた場所ですね。あの浴室(注4)はファンにとって聖域のような空間です。

「フィッシャーもあの浴室を訪れ、“ジョアン・ジルベルトの存在”を実際に感じられる場所に行けたことに興奮し、とても喜んでいたようです。ただ私の場合は、自殺してしまったフィッシャーのことを考えてしまいました。それで私は精神的に不安定になってしまい、あの場所では少しナーバスな状態だった…」

注4:若き日のジョアン・ジルベルトが居候していた姉の家の浴室。彼はここにギターを持ち込んでひきこもり、試行錯誤の末にボサノヴァ・ギターのスタイルを編み出したという逸話がある。

──その浴室にこもっていたときのジョアンも、似たような精神状態だったかも。

「私もそう思いました。当時の彼は、決して“良い時期”ではなく、姉弟の家に住まわせてもらいながら、ちょっと鬱な状態で、何か新しいものを生み出そうとして、もがいていた。私も何かを作り出さなければいけない人間なので、当時の彼の不安感がわかるような気がします」

©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

──そうした苦労が実ってボサノヴァという音楽が生まれます。監督にとってボサノヴァの魅力は、どんなところですか?

「研ぎすまされた完璧さを持っていること。その一方で、大変オープンな音楽であるということです。オープンというのは、インプロビゼーションの可能性が大きいということ。即興でいろんなふうに弾くことができる。日本のコンサートとパリのコンサートでは、同じ曲でも弾き方が違うかもしれない。観客は同じ曲をさまざまな演奏で聴くことができるんです」

ボサノヴァの快楽と危うさ

──ボサノヴァにとって重要な感覚といわれている「サウダーヂ」については、どう理解していますか?

「サウダーヂはボサノヴァに限らず、ブラジル文化のキーワードです。それは『良い思い出が残っている “あの場所” に戻りたい。けれど戻れない』という気持ちだと思います。“あの場所”というのは土地だけではない。たとえば、老人が自分の青年時代を思い起こすときに感じる気持ちもそう。若い頃に戻ることはできないけれど “あの頃に戻りたい”と望む。それもサウダーヂなんです」

©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

──手の届かないものへの強い思い、ということでしょうか。

「そうです。ボサノヴァというのはそういうエッセンスを持っているので、自分をコントロールできないと危険な音楽でもあるんです。ひょっとしたら、フィッシャーはそういう危険な部分に呑み込まれてしまったのかもしれません。人というのは、危険なものに惹かれてしまうところがありますからね」

──まさに「ボサノヴァの呪い」ですね。あなたが知る限り、ジョアン・ジルベルトはどんな人物だったのでしょう。

「まず、面白い人。彼が口にする言葉や言い回しには独特なものがある。それが苦手だった人もいたみたいだけど、彼には自分なりの表現方法があった。そして、冗談好きでとても気前のいい人だったと思います。彼の晩年は、権利関係が複雑に絡みあって、なかなか解決できないお金の問題や家族の問題もあったようですが、それでも幸せな気持ちで亡くなったのではないでしょうか。そうであって欲しいと願っています」

──いま、天国のジョアンと話ができるとしたら、どんなことを伝えたいですか。

「『私はあなたの映画を作って、いま日本に来てるんですよ』と伝えたい。これは絶対に喜んでくれると思います。彼は日本のことを気に入っていたようですからね。そして、この映画のことも気に入ってくれるんじゃないでしょうか。とくに “自分が登場しない” ってところをね(笑)」

ジョルジュ・ガショGeorges Gachot
1962年10月8日、フランス近郊のヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。フランスとスイスの国籍を持つ。俳優、音響アシスタントとして映像業界に入り、映画製作のキャリアをスタート。1990年にアカデミー賞 (外国語映画賞)を受賞したクサヴァー・コラー監督作『ジャーニー・オブ・ホープ』に参加。その後、ヨーロッパのテレビ番組から依頼を受け、ミュージシャンや作曲家、演奏者を取り上げた音楽映画を監督。2002年にアルゼンチンのピアニスト、マルタ・アルゲリッチを取り上げた映画『Martha Argerich, Evening Talks(原題)』で、イタリア放送協会最高賞のイタリア賞を獲得。2005年には、ブラジル音楽にまつわる映画3部作の1作目『Maria Bethânia: Música é Perfume(原題)』を完成させ、世界10か国で配給。次いで2本の長編ドキュメンタリー映画『Rio Sonata:Nana Caymmi(原題)』(2010)、『O Samba(原題)』(2014)を監督。1996年から2012年の間、コロンビアに関する5本のドキュメンタリー映画を手がけている。

『ジョアン・ジルベルトを探して』◆ 監督・脚本:ジョルジュ・ガショ
◆ 出演:ミウシャ、ジョアン・ドナート、ホベルト・メネスカル、マルコス・ヴァーリ
◆ 2018年/スイス=ドイツ=フランス/ドイツ語・ポルトガル語・フランス語・英語/111分/カラー/ビスタ/5.1ch
◆ 原題:Where Are You, João Gilberto?
◆ 字幕翻訳:大西公子 字幕監修:中原仁
◆ 後援:在日スイス大使館、在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本、ブラジル大使館
◆ 協力:ユニフランス 配給:ミモザフィルムズ 宣伝協力:プレイタイム
©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

8月24日(土)より、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開

http://joao-movie.com/