投稿日 : 2022.08.02

『ゴッドファーザー』で描かれたシナトラの虚構と真実【ヒップの誕生】Vol.39

文/二階堂尚

日本、そして世界のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする連載!

アメリカ映画の最高傑作とも言われる『ゴッドファーザー』。その第1作目に登場する歌手、ジョニー・フォンテーンのモデルがフランク・シナトラであることはよく知られている。映画、およびその原作小説で描かれたジョニーとマフィアとのつながりは、当時噂されていたシナトラと裏社会との関係を如実に想起させるものだった。物語の中で描かれたジョニー・フォンテーンは、シナトラの真の姿をどの程度反映したものだったのだろうか。『ゴッドファーザー』とシナトラをめぐる虚構と真実を検証する。

話題を集めた「馬の首」のシーン

マリオ・プーヅォ作の『ゴッドファーザー』が1969年に出版されてベストセラーになった際、とりわけ大きな話題を集めたのが「馬の首」のシーンだった。

かつての大スターで、現在は落ち目になった歌手ジョニー・フォンテーンは、映画に出演してキャリアの立て直しを図ろうとするが、ハリウッドの撮影スタジオのボスであり、映画へのキャスティング権を握るジャック・ウォルツは、ジョニーに役を与えようとしない。彼が頼ったのは、自分の名づけ親(ゴッドファーザー)であり、ニューヨーク・マフィア界のトップに君臨するドン・コルリオーネだった。コルリオーネは、相談役のトム・ハーゲンをハリウッドに向かわせ、ウォルツと交渉させる。しかし、ウォルツはジョニーを絶対に映画には出さないと断言する。理由は、彼が手塩にかけた女優の卵をジョニーが誘惑して、自分の愛人にしてしまったからである。

数日後、ウォルツはおびただしい血にまみれた姿で目を覚ます。ベッドの足元には、彼が何より大切にしていた60万ドルの競走馬の生首がころがっていた。

「その物をはっきりと見定めたとたん、ウォルツの身体は変調をきたしてしまった。心臓の上を巨大なハンマーでぶん殴られたようで、鼓動が不規則になり、胸が悪くなった。そして次の瞬間、彼はぶ厚い絨毯の上に胃袋の中味をぶちまけていた」(『ゴッドファーザー』)

映画を見た人ならば、ウォルツの断末魔のような叫びが払暁の屋敷に轟く場面を憶えているだろう。小説が出版されたとき、物語の冒頭でマフィアの恐ろしさを見せつけるこのくだりが注目を集めたのは、読者にあからさまに実在の人物を想起させたからである。ジョニー・フォンテーンはフランク・シナトラジャック・ウォルツはコロンビア映画の独裁的経営者だったハリー・コーン「女優の卵」はマリリン・モンローである。とりわけ、ジョニーはほとんどシナトラそのものと言ってよく、1950年代初頭に彼の人気が大きく陰っていたこと、それを挽回するために戦争映画『地上より永遠に』(1953年)への出演を悲願し、ハリー・コーンにさまざまな形でアプローチしていたことはすべて事実である。

シナトラが『地上より永遠に』に出演できた理由

小説に描かれたジョニー・フォンテーンとコルリオーネの関係を、読者がシナトラとマフィアの関係としてそのまま受け入れたのは、それ以前からこの人気歌手と裏社会との関係が取り沙汰されていたからである。彼がスターの座から引きずりおろされたのも、その黒い噂が広まったことが一つの理由だった。

最終的にシナトラは、8000ドルという破格のギャラでこの映画に出演することになった。人気の絶頂にあった頃の彼の映画出演料が一本当たり15万ドルだったことを考えれば、ほとんど小遣いのようなはした金である。ハリー・コーンは最後までシナトラ起用を固辞していたと伝わる。では、彼の出演を可能にした要因は何だったのか。

生前のシナトラのゴシップを執拗なまでの熱意をもって書き込んだ長編評伝『ヒズ・ウェイ』(キティ・ケリー著)や、前回にも紹介したピート・ハミルの『ザ・ヴォイス』によれば、明らかになっている事実が少なくとも3つある。1つは、シナトラの2番目の妻で、『殺人者』『モガンボ』『渚にて』などへの出演で知られる女優エヴァ・ガードナーが、ハリー・コーンに「映画に出られなければ、フランクは自殺するかもしれない」「もし彼を出してくれるなら、自分がノーギャラでコロンビア映画に出演してもいい」と懇願したこと。1つは、当時のシナトラのマネージャーが裏で工作したことである。しかし、いずれも特筆すべき事実であるとも思われない。おそらく決定打となったのは3つめ、すなわち、シナトラが望んだマッジオというイタリア人兵士の役柄とシナトラのイメージがあまりにもよく見合っていたという事実である。

1953年に公開され、アカデミー賞8部門を獲得した『地上より永遠に』(原題:From Here to Eternity)の劇場ポスター。日本軍による真珠湾攻撃前夜のハワイの米軍基地を舞台にした物語だ

成功した「レピュテーション・ロンダリング」

『地上より永遠に』に出演するシナトラに対して誰もが抱く印象はおそらく、「ちょこまかと動く小さなおじさん」というものではないか。物語の中心人物を演じるバート・ランカスターやモンゴメリー・クリフトらは、いかにもアメリカ人好みの堂々たるタフ・ガイであって、それに比べて170センチをわずかに出る身長で、55キロ程度の体重しかなかったシナトラは、いかにも貧弱だった。ステージであればスポットライトが当たるのは彼一人だから肉体的な貧しさは目立たなかっただろうが、軍人役の筋肉質な男たちに周囲を囲まれると、彼一人がまるで少年のように見える。シナトラが55キロしかない小男であることはそれ以前からしばしば揶揄の種になっていて、それを耳にした妻のエヴァ・ガードナーは、「そうなの。そしてそのうちの50キロはペニスなのよ」という腹の据わったジョークを飛ばしたという。

しかし、まさしくその肉体によってシナトラは念願の役を手中にしたのだった。映画の脚本を手掛けたダニエル・タラダッシュは、「フランクはいかにもやせて痛ましく、哀れを誘うほどに小さかったから、このかわいそうな小男がさんざん殴られたら客たちは泣くだろうと思わせた」と語っている(『ヒズ・ウェイ』)

映画のワンシーン。写真右がフランク・シナトラ

シナトラ演じるマッジオは、上官から「イタ公(Wop)」と罵られ、営倉で殴る蹴るの暴行を受けて、脱走の末に死亡する。スター・シンガーにふさわしいとはとても言い難い、まさしく「哀れを誘う」役柄だったが、台本を読んでこの役を熱願したのはシナトラ自身だった。賭けは吉と出たと言うべきだろう。観客たちはマッジオとシナトラを重ね合わせ、シナトラに大いに同情したのだった。映画は大ヒットしたばかりでなく、アカデミー賞で8部門の賞を受賞した。その中には、シナトラの助演男優賞も含まれていた。この作品によって、彼は再びスターの座に返り咲いたのである。ピート・ハミルは言う。この映画は結果として、それまでのシナトラの悪い噂を払拭したのであり、物語上の死によって彼は勝利を手にしたのだと。

犯罪で得た資金を口座移転などによって出所不明にしてきれいな金にする行為をマネー・ロンダリング(資金洗浄)と呼ぶが、シナトラが行ったのは意図したものか偶然だったかはともかく、いわばレピュテーション(評判)のロンダリングであった。こののち彼は、コロムビア・レコードから移籍したキャピトル・レコードで、シンガーとしても黄金時代を築くことになる。

表の事実の裏にあった別種の事実

さて、問題はそのような表の事実の裏に別種の事実、つまり「馬の首」に相当する事実があったかどうかである。『ヒズ・ウェイ』の著者であるキティ・ケリーは、「暗黒街の首相」と呼ばれたマフィア界の大物、フランク・コステロが多少なりとも動いた形跡があることを匂わせている。シナトラの親友であったコステロが、ハリウッドの労働組合を事実上支配していたマフィア、ジョン・ロセッーリに依頼してハリー・コーンに圧力をかけたというのが、ケリーが示唆している裏の事実である。ハリー・コーンが競走馬を所有していた事実はないので「馬の首」は完全なフィクションだとしても、何かしらの脅しがあったという説は現在までまことしやかに語られている。

ちなみに、フランク・コステロは独特のしゃがれ声で知られていて、映画『ゴッドファーザー』でドン・コルリオーネを演じたマーロン・ブランドは、コステロの話し方を真似てあの人物の役づくりをしたのだった。

シナトラは、原作出版時に、犯罪組織の力によって彼が映画の役を得たと報道したBBC(英国放送協会)を告訴して裁判に勝利したほか、1972年の『ゴッドファーザー』第一作めの公開時には上映禁止キャンペーンに資金を提供している。事実に蓋をしようとしたのか、濡れ衣を晴らそうとしたのか。今となっては真実はわからないが、彼とフランク・コステロの間に密接な関係があったこと、それ以外のマフィアとも深いつきあいがあったことは公然たる事実だった。シナトラと最も関係が深かったマフィア、サム・ジアンカーナについては次回に詳述したい。

「トミー・ドーシーとの一件」は真実だったか

小説の読者や映画の観客が「馬の首」のくだりを事実と考えたのには、もう1つの伏線があった。シナトラが専属歌手を務めていたトミー・ドーシー・オーケストラを脱退する際の逸話である。

映画の冒頭、コルリオーネ家の末娘コニーの結婚式のシーンで、のちに父親の跡を継ぐことになるマイケル・コルリオーネが恋人のケイ・アダムスにそれに該当するエピソードを語るシーンがある。

「ジョニーが駆け出しの頃、ビッグ・バンドのリーダーとつまらない契約を結んでいた。彼が有名になるにつれて、その契約は邪魔になった。親父にとってジョニーは名づけ子だ。親父はそのリーダーと会って1万ドルで話をつけようとしたが、相手は拒否した。翌日、親父はルカ・ブラージを連れてもう一度彼と会った。話は1時間で終わった。1000ドルで話がついた」

ルカ・ブラージとは、コルリオーネ・ファミリー最恐の殺し屋の名である。「どうやって話をつけたの?」と尋ねるケイ。

「断り切れないオファーをしたのさ。ルカに銃をつきつけさせて、書類にサインをするか、頭を吹き飛ばされるか、どちらがいいか聞いたんだ」

ケイは呆気にとられた表情でその話を聞いている。その間、ジョニー・フォンテーンはシナトラのクルーナー・ボイスそのままの美声で、祝宴の客に向けて歌を聞かせる。これも映画を見た人には説明の要のないシーンだろう。

シナトラとトミー・ドーシーの逸話を元にした場面だが、この逸話はあくまでも噂にとどまるようだ。事実は音楽エージェンシーのMCAがシナトラの権利をトミー・ドーシーから買い取ったというもので、それによってシナトラはソロ・シンガーとしての第一歩を踏み出すことになったが、そこにマフィアの助力はなかったというのが通説になっている。

「ギャングによってシナトラがスターになったと考えるのは馬鹿げている。もしそうなら、あと二百人くらいのスターをギャングたちは作っていたはずだ」(『ザ・ヴォイス』)

原作で表現されたシナトラへのリスペクト

映画『ゴッドファーザー』3部作のうち、1作めと2作めの中頃までは原作小説にかなり忠実な内容だが、大きく異なる点もいくつかある。そのうちの1つがまさにジョニー・フォンテーンの扱いで、映画では冒頭のみに登場するジョニーは、原作ではのちのちまで断続的に登場する主要人物の一人となっている。全9部の構成のうち、第2部が丸々ジョニーに割かれているほか、後半ではポリープによって声を失いかけたジョニーが再び声を取り戻すシーンが描かれている。

『ゴッドファーザー 上 / 下』著・マリオ・プーヅォ/訳・一ノ瀬直二/刊・ハヤカワ文庫NV 原作に書かれているのは映画2作めの途中までだが、著者のマリオ・プーヅォは映画の脚本にも関わり、物語の世界を広げるのに一役買っている

若い女性を連れ込んだ別宅の一室で、彼はピアノを弾きながら恐る恐る歌を歌ってみる。恐れていた喉の痛みはない。声は以前とは違っていたが、陰影に富んだ豊かな声がむしろ新しい魅力に感じられる。すぐに彼は録音装置を部屋に運ばせて、レコーディングを始める──。

シナトラ復活を想起させて感動的なシーンである。結局、ジョニーにとって最も大切だったのは、映画でも、金でも、女でもなく、歌だった。小説中、そのおそらく「最も真実に近い真実」を読者に知らせて、マリオ・プーヅォは彼を物語から退場させる。この場面に、原作者のシナトラへの愛を感じる読者は少なくあるまい。彼の歌がもつ力は絶対的にリスペクトされなければならない。マフィアとの関係がどれほどのものであったにせよ──。映画ではついに描かれなかったそんな作家の思いを味わうだけでも、原作を読む意味はある。

(次回に続く)

〈参考文献〉『ゴッドファーザー 上 / 下』マリオ・プーヅォ著/一ノ瀬直二訳(ハヤカワ文庫)、『ザ・ヴォイス──フランク・シナトラの人生』ピート・ハミル著/馬場啓一訳(日之出出版)、『ヒズ・ウェイ』キティ・ケリー著/柴田京子訳(文藝春秋)、「集英社クオータリー kotoba」2022 Spring Issue No.47(ゴッドファーザー特集号)

二階堂 尚/にかいどう しょう
1971年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、フリーライターとなる。現在は、ジャズを中心とした音楽コラムや、さまざまなジャンルのインタビュー記事を手がけている。本サイトにて「ライブ・アルバムで聴くモントルー・ジャズ・フェステイバル」を連載中。

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