投稿日 : 2025.06.05
ジョン・スコフィールドのアイバニーズ AS200【名手たちの楽器 vol.8】

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ギタリストの「個性」をつくるもの
ミュージシャンの個性はサウンドに表れる。音を聴いてすぐにその人とわかるぐらいの個性を確立することは、ミュージシャンにとっての究極目標のひとつだ。
加えて、使用する楽器のビジュアルも、個性を形づくる要素のひとつ。たとえばギタリストの場合。スラッシュやジミー・ペイジ、ゲイリー・ムーアならギブソン・レス・ポール。エリック・クラプトンやジェフ・ベック、イングヴェイ・マルムスティーンならフェンダー・ストラトキャスター。エディ・ヴァン・ヘイレンなら赤地に白のストライプがランダムに描かれた自作の通称 “フランケン”といった具合だ。
今回の主役であるジョン・スコフィールドも同様、彼は長らく、アイバニーズのAS200というセミ・ホロウのエレクトリック・ギターを愛用している。いまやトレードマークともこのギターを使い始めたのは、彼がリーダー作『Still Warm』(1986年)を発表した頃。1982年にマイルス・デイヴィスのバンドで世界的な名声を確立したのち、ソロ・アーティストとしての活動を本格始動させた時期である。以来、現在に至るまでAS200愛用し続けている。
AS200とジョン・スコフィールドの結びつきの強さを示すエピソードとして、筆者の少々恥ずかしい実体験を披露することをお許しいただきたい。
メデスキー・マーティン&ウッドという、ジャズ/ファンクバンドがある。彼らとジョンは1998年から数回にわたってコラボレートしており、10年ほど前にもメデスキー・スコフィールド・マーティン&ウッド名義で来日した。そのとき彼としては非常に珍しく、フェンダー・テレキャスターと、アイバニーズが彼のために特別に製作したテレキャスター・スタイルのギターを使っていた。
そのショーは、始まってしばらくのあいだジョン無しの3人で演奏し、途中でジョンが呼び込まれてアンサンブルに加わるという形式だった。筆者はバンドのドラマー、ビリー・マーティンの取材で通訳を務めた後にこのショーに招待していただき、何の前知識もなく観に行ったのだが、テレキャスターを抱えたギタリストが演奏に加わってしばらくの間、それが誰だか全くわからなかったのである。
誘われるままにボーッと観に行った筆者自身もどうかと思うが、ギターが違うだけで誰だかわからなくなるほど、ジョン・スコフィールドとAS200のつながりは深い……と、苦しい言い訳をさせていただく。
プロ活動後に様々なギブソンを愛用
前置きが長くなったが、まずはジョンのギター遍歴から話を聞こう。
「初めてギターを手にしたのは11歳のとき。母親が地元の楽器店から月10ドルぐらいでレンタルしてくれたアコースティックギターだった。いきなり買わずにレンタルにしたのは、僕がギターを気に入るかどうか様子を見るためだったんだろうな。安物でかなり弾きにくかったけれど、レッスンにも通い始めて、2、3か月ほど使ったと思う。その後、初めて“自分のギター”を手に入れる。ハーグストロームという、スウェーデン製のエレキだった」
ハーグストロームはフェンダーのギターに似ているところが気にったそうだが、手に入れて間もなく、ニューヨークはマンハッタンの48丁目にあるマニーズという、有名な楽器店でリッケンバッカーに買い替えた。
「ビートルズが好きだったんだ。僕の世代の、おそらく世界中のギタリストは、ビートルズの影響でギターを始めている。女の子にモテるためにね(笑)。で、そのリッケンバッカーは2、3年ぐらい使ったと思う。最初は60年代半ばに流行っていたポップスをやっていたけれど、13、4歳の頃からビートルズを通じて知ったチャック・ベリーやリトル・リチャードといった50年代のロックン・ロールが好きになって、さらにR&Bにものめり込むようになった」
その後、ジャズもやるようになったジョンは、パット・メセニーも愛用していたフル・アコースティックのギブソンES-175を使い始め、彼にとっては初めてのアルバム録音となるジェリー・マリガンとチェット・ベイカーの双頭バンドによるライブ盤『Carnegie Hall Concert』(1974年)でも使用した。
しかし、そのすぐ後にビリー・コブハムのプロジェクトに参加するにあたって、より大きな音の出せるギターが必要になった。
「最初はギブソンの ES-330というセミ・ホロウのギターを買って、フィードバックを抑えるためにサウンドホールにテープを貼って使っていたけれど、どうも具合が良くなくて、ソリッド・ボディのレス・ポール・ジュニアに買い替えたんだ。僕が買った時にはすでにピックアップがディマジオのものに交換されていたね」
来日時にギターの不具合…アイバニーズに出合う
1976年にはギブソンES-335を手に入れたが、このギターは彼が1981年に日野皓正と来日した際にネックが反るトラブルに見舞われた。
「楽器のことはよくわからないから、自分でネックを調整できるなんて知らなかった。70年代の初め頃、スティーヴ・スワロウが僕のギターのネックを調整できると言って、ネジをグイッと回して壊しちゃったことがあってね(笑)。それで、自分でいじるのが余計に恐くなっていたんだ……」
困っていたところに日本のアイバニーズ(もともとは輸出向けのブランドだった)のスタッフが、サンバースト仕上げのAS200を試してみないかと持ってきた。基本的な形状やサイズ、構造はES-335と同系統と言えるAS200は、サウンドのキャラクターは異なるものの、音域による音質のムラが無いところが気に入ったという。現在はこのAS200と、今回のブルーノート東京公演のために持ってきた1986年製のブラック仕上げのAS200の2本を愛用している。
「家にはもっとたくさんのギターがあって……あり過ぎるぐらいだけれど(笑)、仕事で使うのはAS200だね。ピックアップは、サンバーストのほうは元のままで、ブラックのほうはギブソンのPAFをコピーしたVoodoo製のものに交換してもらった。元のピックアップのほうがパワフルで、ブリッジ側のピックアップを使ってロックっぽいものをやる時に使っている。ブラックのほうは、ネック側のピックアップでメロウな音楽をやるのに向いているんだ」
“自分のトーン” を探るための試行錯誤
今回、ブルーノート東京でのソロ・パフォーマンスをメインに来日した彼は、ブラックのAS200を持参した。完全なソロによる最近作『John Scofield』でも、多くのトラックでブラックのほうを使用したという。このアルバムはジャズのスタンダード曲やアメリカのトラディショナルな曲を中心に取り上げており、通常よりも半音低くチューニングしているという。
「ソロをやる時には、より深みのある、低域寄りのサウンドが欲しかった。通常のチューニングのほうが楽器は“よく歌う”ような気がするけれど、半音低くチューニングすると楽器の “鳴り” が変わるみたいなんだ。とはいえ、ギターはシャープ系のキーのほうが鳴りが良いから、ライブではFやBフラットといったフラット系のキーのスタンダード曲をシャープ系のキーで演奏することもあるし、今回のショーでもチューニングは下げずに演奏するけれどね」
アルバム『John Scofield』の収録曲を見渡してみると、彼のこれまでの音楽経験を総括するような内容になっている。
「僕はロックン・ロールも大好きなジャズ・ミュージシャンなんだ。スウィングするジャズも大好きだし、これからも演奏したいと思うけれど、ウェス・モンゴメリーみたいな世代のギタリストとはルーツが違うから、ロックもやりたいんだよね」
伝統的なジャズの様式でスタンダード曲を弾いてもサマになるジョンだが、ソロ・ギターでは伴奏用にルーパーという、リアルタイムの演奏をそのまま録音して繰り返し再生するエフェクターも活用している。
「完全なソロでコンサートをやっている自分の姿は想像できないんだ(笑)。僕はアンドレ・セゴヴィアみたいなギタリストじゃないから……そうなれれば良いけれどね。ステージでは雰囲気を変えるために完全なソロでも2、3曲弾くけれど、ルーパーを使った、よりオーケストラ的なサウンドでやりたいんだ。愛用しているBoomerangというメーカーのルーパーは、他の製品とは違って全てを足だけで操作できるから、その場で思いついたパートをループさせるにも便利だよ。そのために靴を履かずに、靴下のままで操作しているんだ(笑)」
最後に、若いギタリストへのアドバイスはあるかと尋ねると、彼はこう答えた。
「大事なのは、自分の指から生み出されるトーンなんだ。ギターは美しいサウンドで演奏することができる。時間はかかるけれど、出来る限り美しいサウンドを出すために、弦をはじく位置や強さ、機材、アンプなどをいろいろと試してみるといい。練習する時にはアンプを鳴らすことも大切だ。70年代の自分のアルバムを聴くと、正しい音を弾くのに精いっぱいで、トーンなんかひどいものだからね(笑)。でも、そうやって努力を続けていれば、きっと良いサウンドが出せるようになるよ」
取材・文/坂本 信
撮影/山元良仁
取材協力:BLUE NOTE TOKYO