投稿日 : 2025.05.19
【イギー・ポップ】70代半ばにして燃え続けるパンクのゴッドファーザー ─ライブ盤で聴くモントルー Vol.61
文/二階堂尚

MENU
「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。
この3月末に来日し、フェスと単独公演で2回のステージに立ったイギー・ポップ。77歳の肉体を駆使したそのパフォーマンスは激しく圧倒的であった。2年前、彼はモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演している。その記録が『Montreux Jazz Festival 2023』として1月に発売された。CDはBlu-rayとの2枚組となっていて、驚異というほかない彼のパフォーマンスを音と映像の両方で楽しむことができる。その内容を紹介しながら、イギーとジャズ、イギーとデヴィッド・ボウイの関係を掘り下げていく。
選曲にあらわれたイギーの信念
1曲目が始まった瞬間にベストを脱いで半裸となり、脈絡なく「Fuck!」を連呼しながらお前らも一緒に叫べと客を煽る。マイクスタンドを放り投げ、客席に幾度もダイブする。会場スタッフの裏をかいて客をステージに引っ張り上げようとして倒れ込み、横たわったまま歌い続ける。セットリストの半ば以上を占める20代の頃の曲を、20代の頃に劣らぬテンションで歌う──。
2025年3月末。あと20日ほどで78歳になるタイミングで来日したイギー・ポップのステージは、想像を超えて凄まじく狂暴であった。そのパフォーマンスの激しさは、ミック・ジャガーやロジャー・ダルトリーら、同じく肉体を重要な表現の具としてきたシンガーたちの現在とは次元を異にするもので、ロックの歴史上空前と言っていいと思う。ロックというジャンルの隆盛はすでにピークアウトしているとの情報を信じるならば、おそらく絶後ということになろう。
想像を超えて、と言うのは想像を助ける素材があったからで、それが来日の2カ月ほど前に発売されたモントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブ盤であった。2023年のモントルーのステージを完全収録したこの作品は、アナログ、CD、ストリーミングの3形態で発売されたが、CDにはBlu-rayがついていて、その映像によって最近のイギーの姿を確認することができた。
バンドは、ギター2人、ベース、ドラム、鍵盤、トランペットとトロンボーンのホーン・セクションからなる7人編成で、これは来日時と同じである。17曲中9曲は、イギーのキャリアのスタートとなったザ・ストゥージズならびにイギー&ザ・ストゥージズ時代から選ばれていて、その後のデヴィッド・ボウイとのコラボレーションによる最初期のソロ・アルバム『イディオット』『ラスト・フォー・ライフ』(ともに1977年)から4曲、それに続く『ニュー・ヴァリューズ』(1979年)から2曲、2022年の最新アルバム『エヴリ・ルーザー』から2曲と、極端かつ明確な意図を感じさせるセットリストであった。自分のマスターピースはキャリア初期と最新作にある──。その確かな信念に基づいた選曲であっただろう。
評価が高いとは言えない『ニュー・ヴァリューズ』からの2曲が意外と言えるが、イギーは90年代のインタビューで、このアルバム中の何曲かはとても高い水準にあるので、後年にも聴くに堪えるだろうと語っていた。
モントルーにおける選曲の方針は来日公演にも貫かれていて、ストゥージズ時代からさらに2曲、『ラスト・フォー・ライフ』から1曲追加されることで、方向性はいっそう明確になっていた。唯一の例外は、1986年に再び、正確には三たびボウイと組んでレコーディングした『ブラー・ブラー・ブラー』からの「リアル・ワイルド・チャイルド」であった。モントルーでは、すべての曲が終わったのちにこの曲の冒頭の文句を唱えている。
コルトレーンやマイルスからの影響
誰が最初にそう呼んだのか、イギー・ポップはパンク・ロックのゴッドファーザーとされていて、彼自身もそのパブリック・イメージに忠実に生きてきたように思う。一方、長いキャリアの中でジャズに接近した作品をつくったことも何度かあった。メデスキ、マーティン&ウッドが参加した1999年の『アヴェニューB』、シャンソンやボサ・ノバの曲を取り上げた2009年の『プレリミネール』、その続編に当たる2012年の『アプレ』(それぞれセックスの「前戯」「後戯」の意)、さらに2019年の『フリー』の4作がそれで、とくに、モントルーと来日のステージでもバックを務めたトランペッターのレロン・トーマスや、女性ギタリストのサラ・リップステイト(ノヴェラーの活動名でも知られる)を起用した『フリー』は、コンテンポラリーなジャズ・アルバムと呼んでも差支えのない作品であった。
モントルー・ジャズ・フェスティバルはもとよりジャズ・ミュージシャンだけを招聘するイベントではないし、ファウンダーにして総合ディレクターであったクロード・ノブスも、ジャンルレスの開かれたフェスを目指していた。しかし、歴史ある「ジャズ」フェスに出演するにあたって、ジャズをコンセプトにしたセットを組むこともイギーには可能だっただろう。
それはかなり興味深いものになったに違いないが、そうしなかったのは、年齢から見てこのステージが最後になる可能性があると彼が感じていたからだと思う。むろん来日公演においてもそうであっただろう。最後のパフォーマンスには最高の選曲が必要であり、それらはすなわちキャリア初期と最新作からの曲にほかならない。繰り返すが、それが彼の信念である。ジャズという余技にステージで戯れるゆとりは、70歳を過ぎた彼にはなかっただろう。
それでも、イギーとジャズには浅からぬ関係がある。ストゥージズでデビューする前の彼が初めて同時代のジャズ、すなわちジョン・コルトレーンやアーチー・シェップを知ったのは、のちにストゥージズの兄貴筋のバンドとみなされるようになるMC5のマネージャーで、左翼活動家であったジョン・シンクレアの影響であった。ジョン・レノンが1972年に発表した「ジョン・シンクレア」という曲によって彼の名を知る人も多いかと思う。これは、シンクレアがわずかなマリファナを所持していた罪状で懲役10年という不当と言っていい実刑を宣告されたことに対する抗議の歌だった。
コルトレーンの音楽を知って、イギーは当時ジャズ界の頂点にいたこのサックス・プレーヤーをかなり意識するようになったらしい。1994年のインタビューで彼はこう語っている。
「ライヴの時に俺はいつも、ちょうど(ジョン・)コルトレーンがサックスを扱ったように自分の身体を使うってことを念頭に置いてた。テーマに沿ってイマジネーションを働かせ、同じことを二度繰り返さない、そして自分はリフそのものだってね」
ストゥージズ時代のレコーディングはジャズ的に、より正確にはフリー・ジャズ的に展開された。とくに約束事を決めずにセッションを始め、どこかでリフになりそうなフレーズにたどり着けば、そこから曲をつくっていくというスタイルである。ストゥージズのオリジナル・メンバーであったロンとスコットのアシュトン兄弟は、このバンドを「サイケデリック・ジャズ・バンド」と表現していた。
ストゥージズの2作目『ファン・ハウス』がレコーディングされたのは1970年5月だった。これはマイルス・デイヴィスの『ビッチズ・ブリュー』の強い影響化でつくられたアルバムである。『ビッチズ』のリリースは70年3月末だから、影響の速度は極めて迅速であった。それだけこのアルバムの衝撃が大きく、かつイギーの音楽的感度が鋭敏だったということだろう。
もっとも、『ファン・ハウス』を聴いて『ビッチズ・ブリュー』の影響を即座に感じ取るのは簡単ではない。例えば、ジェフ・ベックの『ブロウ・バイ・ブロウ』のように、エレクトリック・ピアノの使い方を参考にする、といったストレートな影響の受け方ではないからである。音楽の原初的な力やジャンルの壁を越えようとする強い意志をイギーは『ビッチズ・ブリュー』から吸収しながら、『ビッチズ・ブリュー』とは大いに異なる音楽をつくった。天才と天才の間の影響関係とは、おおむねこういう形をとるのだと思う。
マイルスはイギーにとって常に重要なミュージシャンであり続けた。イギーは自身のフェイバリット・アルバムについて尋ねられると、何枚かの作品の中にマイルスの『スケッチ・オブ・スペイン』を入れるのが常である。
デヴィッド・ボウイとの真の関係
イギーとモントルーの最初の縁は1986年にさかのぼる。この年彼は、4年ぶりのアルバムにして彼のキャリアの再出発作となった『ブラー・ブラー・ブラー』をモントルーのマウンテン・スタジオでレコーディングしている。マウンテンはモントルー・フェスのメイン会場の一つであるモントルー・カジノ内にあったスタジオで、クイーンが所有していたことで知られる。
先に触れたように『ブラー・ブラー・ブラー』のプロデューサーはデヴィッド・ボウイであった。ボウイが自身のレコード制作でもマウンテン・スタジオを頻繁に利用していたのは、1976年以来彼が家族とともにモントルーに住んでいたからである。クロード・ノブスとボウイは昵懇の仲で、極めて頻繁に顔を合わせていたと伝わる。1995年のモントルー・フェスの公式ポスターを手掛けたのはボウイである。
76年にモントルーのステージに立ったニーナ・シモンが、MCの途中で唐突に「ボウイはいる? ボウイはどこ?」と言い出すシーンが映像に残されている。彼女はこの地にボウイが移ってきたことを関係者から聞いていたのだろう。ボウイ自身がモントルー・フェスに出演したのはようやく2002年になってからで、その頃すでに彼はスイスの自宅を引き払っていた。自身のプライベートな居住地でコンサートを行うことを彼はよしとしなかったのである。ニーナとボウイのそれぞれのライブについては、この連載で過去に取り上げた。
イギーの長い音楽生活を語るに当たってデヴィッド・ボウイとの関係に触れないわけにはいかないが、それはあまりに複雑で、端的に語るのは困難である。ストゥージズの3枚目、正しくはイギー&ザ・ストゥージズの1枚目のアルバム『ロウ・パワー』のオリジナル・ミックスはボウイの手によるもので、これがイギーとボウイの最初の共同作業であったが、このミックスはかなり評判が悪かった。それでもストゥージズ解散後、イギーはボウイに連絡し、彼の協力を得て先に挙げた2枚のアルバムをつくってソロ活動の地歩を固めたのだった。

3回目のコラボレーションは80年代に入ってからで、これはどちらかというとボウイからの一方的なアプローチであった。この時期の3枚のアルバム(『レッツ・ダンス』『トゥナイト』『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』)で彼は過去のイギーの曲を5曲も取り上げ、2曲を新たに共作し、イギーの『ブラー・ブラー・ブラー』のプロデュースを買って出た。それにとどまらず、かつてイギーと一緒につくった『ラスト・フォー・ライフ』に参加していたメンバーを呼び寄せて新たなバンド、ティン・マシーンを結成している。このバンドでレコーディングした曲の多くは、まるでイギーに歌わせるためにつくったような曲であった。
一般に2人の関係は、「支援する者ボウイ」と「支援される者イギー」という関係で見られることが多いし、ボウイが80年代にイギーの曲を取り上げたのは、この時期経済的に困窮していたイギーを印税によって助けようというボウイの意志があったとされている。しかし、事情は逆だったかもしれない。その頃ボウイは、初めての、そしてかなり長期にわたる音楽的低迷期に入っていた。ボウイはイギーの生命力に依頼することで、その混迷を打開しようとしていたふしがある。
すでに70年代から2人の協業関係は実は微妙で、ボウイは『ロウ』『ヒーローズ』という今では彼の代表作とみなされているアルバムをつくるにあたって、イギーをいわば実験台にしたのであり、その結果生まれたのが『イディオット』と『ラスト・フォー・ライフ』であったと、イギーは過去の発言で匂わせている。共作とされるこの2作のレコーディングにおいても、スタジオで2人が一緒になることはほとんどなく、まずボウイが先に作業し、それが終わる頃にイギーがスタジオに入って自分の仕事をするといった変則的なコラボであったらしい。
ストゥージズのメンバーは揃ってボウイを内心馬鹿にしていたというし、自身の名にちなんだ『ジギー・スターダスト』をイギーははっきり「大嫌いだった」と語っている。「いかにも小手先のロックンロール」に感じていたと。2人が世間で言ういわゆる親友的関係ではなかったのは確実だが、しかし強力にインスパイアし合う関係ではあった。イギーは語っている。
「俺たちの間には大きな軋轢があった。それと同時に、アーティストとしてお互いに対するリスペクトがあったんだよ」
2023年のモントルーのステージにイギーが立ったとき、『ブラー・ブラー・ブラー』のレコーディングから37年、ボウイの死からは6年の時間が経過していた。生前この土地を愛したボウイの気配のようなものをイギーはあるいは感じたかもしれない。しかしすべては過去のこととして、自分のステージに没頭しただろう。76歳のロック・シンガーに残された時間は多くはなく、その時間の中で悔いなく燃えることがすべてであるときに、過去を悠長に回顧するいとまはない。モントルーのライブ盤は、そのいわば覚悟に満ちたイギーの姿を見ることができる極めて貴重なパッケージである。
七十男の美しき肉体
映像版のみ1曲目に収録されているインストルメンタルは、サラ・リップステイトの曲で、バック・バンドでも彼女が演奏しているのが見える。その曲が終わるとイギーがステージに登場し、来日時のステージ同様すぐに半裸となって、ステージ上をせわしなく駆け回り始める。
肌は乾燥し、しわだらけで、肉はたるみ、下っ腹が出て、脊髄の病のために体幹は大きく歪んでいる。170センチに満たぬ短躯は、さらに縮んだように見える。その七十男の肉体がなぜこれほどに美しいのか。まるで、密林の奥深くで発見された未知の人類のような姿で、彼は一瞬たりとも動きを止めずに客を煽り続ける。
その身体的パフォーマンスがあまりに強烈であるために陰に隠れがちだが、彼は本当に優れたボーカリストであると思う。バリトンの声域を使うことを彼に勧めたのはボウイだった。その低音から高音でのシャウトまで一切声を枯らすことなく、また一切音を外すことなく、1時間半を全力で歌い切っている。
若い頃はステージでしばしば流血し、ライブ中に病院に搬送されたこともあった男。客席にダイブして前歯を折って唇を切り裂き、しかしその後70を過ぎた今日までダイブし続けている男。ドラッグ中毒で精神病院に強制入院させられた男。早々に死ぬと思われながら、誰よりも長生きしてしまった男。ショー・ビジネスのアウトサイドを歩み続け、ただ一つの大ヒット曲もないままに、気がつけばロック界の頂に立ってしまった男──。
モントルーのライブ盤には、その不屈の男が老いてなお燃え盛る姿が焼きつけられている。「自分ももう歳だ」と弱音を吐きそうになった日のために、このパッケージをこれからも手の届くところに置いておきたく思う。
※イギーの発言は、「CROSSBEAT Special Edition イギー・ポップ」(シンコーミュージック・エンタテイメント)より
文/二階堂 尚
『Montreux Jazz Festival 2023』
イギー・ポップ
■1.Rune(Blu-rayのみ) 2.Five Foot One 3.T.V. Eye 4.Modern Day Ripoff 5.Raw Power 6.Gimme Danger 7.The Passenger 8.Lust for Life 9.Endless Sea 10.Death Trip 11.Sick of You 12.I Wanna Be Your Dog 13.Search and Destroy 14.Mass Production 15.Nightclubbing 16.Down on the Street 17.Loose 18.Frenzy
■イギー・ポップ (vo)、レロン・トーマス (tp)、コーリー・キング (tb)、サラ・リップステイト (g)、グレッグ・フォーク (g)、ケニー・ルビー (b)、フロリアン・ペリシエ (kb)、ティボ・ブランダライズ (ds)
■第56回モントルー・ジャズ・フェスティバル/2023年7月6日