2019.09.30

ディーバの才気が爆発した唯一無二のステージ 【ライブ盤で聴くモントルー /Vol.14】

文/二階堂 尚

米国初の黒人クラシック・ピアニストを目指した才女であり、卓越したシンガーであり、公民権運動の闘士でもあったニーナ・シモン。彼女が自己の人生を凝縮させたような圧倒的なパフォーマンスをモントルー・ジャズ・フェスティバルでおこなったのは1976年のことだった。激情がほとばしるそのステージの記録を紹介する。

奔放にしてやがて悲しき「ニーナ劇場」

ニーナ・シモンにとって、モントルー・ジャズ・フェスティバル初出演の記憶は、黒人公民権運動の挫折感と密接に結びついていたようだ。彼女が最初にモントルーのステージに立ったのは、1968年の7月だった。ピアノの前に座ったとたんに「涙が頬を伝い、もう止まらなかった」と彼女は自伝で振り返っている。「客席はしんと静まりかえり、好奇心にかられた人たちがステージの前に集まってきて口々に大丈夫かなどと言った」(『ニーナ・シモン自伝──ひとりぼっちの闘い』)

この年の4月、公民権運動最大の指導者であったマーティン・ルーサー・キングが暗殺され、6月には運動に理解のあったロバート・ケネディ司法長官が殺されている。当時、公民権運動に最も深くコミットしたアーティストのひとりであったニーナにとって、モントルーでのライブは深い失意の中でのパフォーマンスだった。


ニーナの最初のヒット曲「アイ・ラヴ・ユー・ポーギー」が録音されたのは1957年のこと。アメリカ南部のアーカンソー州で黒人学生の登校が拒否される「リトルロック高校事件」が起こったのがこの年だ。チャールズ・ミンガスはのちにそれに抗議する「フォーバス知事の寓話」を発表した。公民権運動はこの頃から過熱していく。

自伝におけるニーナの記憶は混濁していて、最初にモントルーに出演したのは65年であるとしている。これが明らかな誤りなのは、モントルー・フェスの第1回開催は67年だったからだ。65年はやはり公民権運動の指導者のひとりだったマルコムXが暗殺された年で、これも公民権運動の悲劇とモントルー出演が彼女の中で一体となって記憶されているがゆえの誤述であると思われる。

現在公式にリリースされているのは、2回目の出演となった76年のステージの映像である。このときのニーナは1回目とは別種の失意の中にいた。キングなきあと次第に先鋭化していった黒人解放運動から彼女は距離を置くようになり、友人であった南アフリカの国民的シンガー、ミリアム・マケバのサポートを得て74年にリベリアに移住している。その地での2年間の生活を終えて、娘の教育環境を整えるためにスイスに居を移したのが76年である。リベリアをあとにすることは、恋人との別れを意味した。演奏中、彼女はしばしば「イモジャ」という名を口にしている。それが恋人の名である。

それにしても、この一幕の即興芝居のようなステージの異様な魅力を何と形容すればいいのだろうか。黒いドレスでステージに現われたニーナは、深々と一礼をすると、女王のように直立して、トカゲのような目で会場を見回し、観客を睥睨する。そのあまりの迫力に会場は静まり返る。張りつめた空気を和らげたのは、セッティングの甘かったマイクスタンドだった。マイクの位置がいまひとつ決まらず、ニーナが思わず笑顔を漏らすところで、最初の緊迫したシーンが終わる。そうして彼女は、ピアノを弾きながら、誰にも真似のできないあのドスのきいた声で、デビュー・アルバムからの曲「リトル・ガール・ブルー」を歌い出す。

そこから始まるのは、「ニーナ劇場」とでも呼ぶべきあまりにも自由なパフォーマンスだ。どこまでが語りで、どこからが歌なのか。どこまでが原曲の歌詞で、どこからが即興なのか。どこでピアノを弾き出し、どこで踊り出すのか。観客はただ、彼女の一挙手一投足を見つめるだけである。

とりわけ圧巻なのは、一度袖に履けた後のアンコール曲である。長い語りのあとで、彼女は唐突に「デヴィッド・ボウイ、来てる? いないの?」と会場を見回し始める。その2年ほど前にニーナとボウイはニューヨークで知り合っていて、ボウイは当時の最新アルバムにして黒人音楽に最接近した大傑作『ステイション・トゥ・ステイション』でニーナの愛唱歌だった「ワイルド・イズ・ザ・ウインド」をカバーしていた。ニーナがモントルーに出演した76年の夏、ちょうどボウイもスイスに滞在していたらしい。

冒頭、ピアノから立ち上がり会場にデヴィッド・ボウイがいないか探し始める。2:00〜観客席に向かって「座りなさい」と発する様子も映像に収録されている。

ボウイが会場にいないことを確認すると、ニーナはピアノの前に座って、ジャニス・イアンの「スターズ」を静かに歌い始める。ショービジネスの世界で生きることの苦しみと悲しみを歌った歌である。立ち上がって歩いている観客がいたのか、途中彼女は一度演奏をやめ、「座りなさい。座れ!」と会場に向かって叫ぶ。「客に失礼な態度を取られた時には、それは私の音楽に対する冒涜であるから、ただちに演奏を中断することにしている」とニーナは自伝に書いている。「60年代半ば以降、私は絶対に観客を思い通りにしてやろうと心を決めてステージに上がった」のだと。そのとおりのことを実行したまでだろう。

その後、「この曲知ってる?」という語りとともに曲はモーリス・アルバートの「愛のフィーリング」に移っていく。途中から半ば泣き声になりながら「イモジャ」と愛する男の名をつぶやき、即興のメロディに乗せて「いつになっても、あなたは私の心の中にいるわ」と彼女は歌う。2015年にNetflixで公開されたドキュメント『ニーナ・シモン~魂の歌』では、「スターズ」を歌うこの場面がドキュメント全体のクライマックスになっていた。そうして、パーカッションとのインスト・セッションでこの唯一無二の独演劇は幕を閉じるのである。

Netflixが制作したオリジナルムービー『ニーナ・シモン〜魂の歌』

『ニーナ・シモン自伝──ひとりぼっちの闘い』は、ひとりの黒人女性の「女の一生」を描いた優れたノンフィクションであり、裏切りの子細な記録でもあった。彼女は白人社会に裏切られ、レコード業界に裏切られ、男たちに裏切られ、家族に裏切られた。しかしついに音楽だけは彼女を裏切らなかったと言うべきだろう。アメリカ初の黒人クラシック・ピアニストになるという幼少期からの夢は叶わなかったが、ニーナはジャズ、ブルース、ポップス、R&B、ゴスペルなどあらゆるジャンルをミックスさせた音楽を、あの空前絶後の歌声で世界中の人々に届けた。

「私の人生は本当の仲間がいる所を探し求める旅のようなものだった」──。その辛く過酷だった旅も2003年に終わった。今は浮世の苦しみから逃れて、ビリーやベッシーやエラやマヘリアやミリアムやアレサら素晴らしい仲間がいる世界で、音楽の純粋な喜びに浸っていると願いたい。

※引用は『ニーナ・シモン自伝──ひとりぼっちの闘い』(ニーナ・シモン、ステファン・クリアリー著、鈴木玲子訳/日本テレビ)より


『ライヴ・アット・モントルー1976』(DVD)
ニーナ・シモン
■1.Little Girl Blue 2.Backlash Blues 3.Be My Husband 4.I Wish I Knew (How It Would Feel To Be Free) 5.Stars/Feelings 6.Aftican Mailman (現在リリースされているDVDには他に、1987年、1990年の出演の模様も追加収録されている)
■Nina Simone(vo,p)、他
■第10回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1976年7月3日