2019.09.16

ミュージシャンからのリスペクトを一身に集めたソウル・アイコン 【ライブ盤で聴くモントルー /Vol.13】

文/二階堂 尚

70年代のニュー・ソウル・スターのひとりであり、90年代以降のレア・グルーヴ・ブームの中で圧倒的なリスペクトを集めたソウル・アイコン、カーティス・メイフィールド。彼がモントルー・ジャズ・フェスティバルのステージに立ったのは1987年のことである。小編成のバンドによるそのパフォーマンスは、彼の復活劇の始まりでもあった。

復活への第一歩を記録した80年代のステージ

優れたミュージシャンには、音楽の神が憑りついたように歴史的傑作を連発する時期がある。例えば、『トーキング・ブック』(1972)から『キー・オブ・ライフ』(76)までのスティーヴィー・ワンダー、あるいは『1999』(82)から『サイン・オブ・ザ・タイムス』(87)までのプリンスは、まさしくそんな神憑りの時期にあった。カーティス・メイフィールドにとって、インプレッションズ脱退後に最初のソロ・アルバム『カーティス』(70)を発表してから、『スーパー・フライ』(72)を経て、最高傑作といわれる『ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ』(75)に至る6年間がその絶頂期に当たる。

70〜75年の間にリリースされた傑作。『カーティス』『スーパー・フライ』『ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ』

コーラス・グループで磨いたファルセット・ボイス、ワウワウを多用したリズム・ギター、ストリングスとホーンとパーカッションによって織りなす華麗なアレンジがその頃のカーティスの音楽の特徴だった。彼はそのサウンドに乗せて、ときに米国に生きる黒人の苦しみを静かに語り、ときに同胞を力強く鼓舞するメッセージを発した。その音楽の頂点をなすのが『ゼアズ・ノー・プレイス~』である。発売時のチャート・アクションは低調だったものの、その重く、悲しく、クールなファンクは、のちに高く評価されることになった。

このアルバム以降、彼は社会派ミュージシャンから、ラブ・ソングを歌うシンガーへの移行を鮮明にし、それにともなってシーンの前線からも徐々に後退していった。彼が再び注目を集めるようになるのは、80年代の半ばになってからである。おりしも英国ではソウルやジャズがブームとなり、ポール・ウェラーやDr.ロバートといったロック畑のソウル・マニアがカーティスを担ぎ出して、彼の音楽を讃えた。英国の名門クラブ、ロニー・スコッツでおこなわれたその時期のライブを納めたDVDでは、ポール・ウェラーによるカーティスのインタビュー映像が曲間にインサートされている。

モントルー・ジャズ・フェスティバルのステージにカーティスが立ったのは、そうして再評価が進んでいた87年のことである。翌年にはその記録が『ライヴ・イン・ヨーロッパ』として発売されたが、アルバムにはモントルーの演奏であることは一切クレジットされていない。ジャケットのイラストに描かれているのもロンドンの街角である。それでもこれがモントルー・フェスの音源であると断言できるのは、のちにDVDで発売された『ライヴ・アット・モントルー1987』とMCも演奏も曲順もすべて同じだからだ。『ライヴ・イン・ヨーロッパ』では、数曲でフルートやコーラスやSEがオーバーダビングされているが、それが唯一の違いである。

バンドはカーティスのボーカルとギターに、ベース、ドラム、キーボード、パーカッションを加えた5人編成で、ホーンやストリングスがないぶん、演奏はタイトである。冒頭のインスト曲を始め、ジャズ色の濃い演奏も随所に聴くことができる。カーティスのフィンガー・ピッキングによるいぶし銀のリズム・プレイと、観客をあおるパーカッションが聴きどころだ。

DVDは『ライヴ・アット・モントルー 1987』としてリリースされている。

ステージ終盤で名曲「ムーヴ・オン・アップ」の演奏を終えて袖にはけたカーティスは、再びステージに戻って「イフ・ゼアズ・ヘル・ビロウ」と「ホエン・シーズン・チェンジ」の2曲を最後に歌う。ソロ・デビュー作の冒頭曲と、黄金期の最後を飾った『ゼアズ・ノー・プレイス~』からの曲だ。自ら過去の栄光にけりをつけ、再出発を図ろうとした選曲──。そう見るのは穿ちすぎだろうか。

この後カーティスは、70年代ソウル/レア・グルーヴの再評価の波に乗り、若いヒップ・ホップ・アーティストからのリスペクトを一身に受けてシーンの前線に本格的に戻ってくることになる。90年作の『テイク・イット・トゥ・ザ・ストリート』が復活の第一弾だった。しかし、復活劇は長くは続かなかった。同年、彼はステージ天井から落下してきた照明機器の下敷きとなり、下半身不随となって再びシーンから姿を消すこととなる。

遺作となった『ニュー・ワールド・オーダー』のオフィシャルMV。

障がいを負った後の唯一の作品であり、遺作にもなった96年の『ニュー・ワールド・オーダー』にコーラスで参加したアレサ・フランクリンは、「ゴー・アヘッド、メイフィールド」と曲中で静かなエールを送った。思うに、ミュージシャンから深く愛されたという点で、カーティス以上のアーティストはいなかったのではないだろうか。ジェフ・ベックもボブ・マーリーもレニー・クラヴィッツも、山下達郎も近藤房之介も田島貴男も、みんなカーティスが大好きだった。

モントルーのステージの最後でカーティス・メイフィールドは、「今歌った曲は悲しい曲だけれど、私は皆さんのこれからの人生が幸福であることを願っています」とオーディエンスに向けて語っている。社会への抗議と、生きる悲しみと、幸福の穏やかな希求とをまったく同じ重さで歌うことができた、本当に稀有なシンガーであった。


『ライヴ・イン・ヨーロッパ』
カーティス・メイフィールド
■1.Introduction 2.Ice-9 3.Back To The World 4.It’s Alright/Amen 5.Gipsy Woman 6.Freddie’s Dead 7.Pusherman 8.We’ve Gotta Have Peace 9.We’ve Only Just Begun 10.People Get Ready 11.Move On Up 12.If There’s A Hell Below 13.When Seasons Change
■Curtis Mayfield(vo,g)、Benny Scott(b)、Lee Goodness(ds)、Frank Amato(kb)、Henry Gibson(perc)
■第21回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1987年7月18日