投稿日 : 2019.07.01 更新日 : 2020.07.21

【ミシェル・ペトルチアーニ】生涯を全速で駆け抜けたピアニストの20代の記録 /ライブ盤で聴くモントルー Vol.9

文/二階堂 尚

「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

小さな体躯で鍵盤を自在に操って数々の名演を残したピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニ。今回は、早世した天才の23歳の頃のモントルーのステージを紹介する。ビル・エヴァンスとの共演で知られるジム・ホールとのデュオ、今も現役で活躍するジャズ・ジャイアント、ウェイン・ショーターを加えたトリオでの演奏に才気が漲る。

ペトルチアーニ一流のロマンチズムが充溢

ビル・エヴァンスと2枚のデュオ・アルバムを録音したギタリストのジム・ホールは、エヴァンスの伝記映画『タイム・リメンバード』の中で、マッチョなジャズの世界にエヴァンスは勇気をもって単身挑んだ、といったことを語っている。確かに、チャーリー・パーカー以来の格闘技のようなモダン・ジャズの益荒男(ますらお)の世界に、エレガントな手弱女(たおやめ)振りをもたらしたのは、ビル・エヴァンスの大きな功績のひとつだった。

そのジャズの脱マッチョイズムは、エヴァンスをヒーローと仰いだミシェル・ペトルチアーニによって極まったと言えると思う。人種やジェンダーはもとより、肉体的条件すらも優れたジャズを演奏するための決定的要因とはならないと身をもって示したのが彼だった。

体中の骨が変形し、かつ損傷しやすい先天性骨形成不全症という難病をもって生まれたペトルチアーニの「骨と演奏」に関する逸話は、すさまじいのひと言に尽きる。彼の生涯を追った映画『情熱のピアニズム』(2011年)の中で、「若い頃はよく折れたよ。演奏するたびに足を折ったり、次は腕を折ったり」と自らさらりと語っているが、「よく折れた」のは若い頃だけではなく、プロのミュージシャンとなってからも、演奏の途中で手首を折り、指を折り、座骨を折った。それでも何ごともなかったように演奏を続ける彼の姿を見て周囲の人たちはハラハラし通しだったが、本人は「また骨折した、何とかなるよ」と泰然としていたという。

ペトルチアーニがジム・ホールとともにモントルー・ジャズ・フェスティバルのステージに立ったのは1986年、23歳の時である。観客はエヴァンスとホールのデュオの名作『アンダーカレント』(1962年)の再現を望んだはずだが、ペトルチアーニはその期待を絶妙にかわしながら、独自の世界を表現してみせた。ウェイン・ショーターを招いて数曲でサックスを吹かせ、「ワルツ・フォー・デビー」ではなく「ワルツ・ニュー」という明らかに「デビー」を意識したと思しきホールのオリジナル曲を演奏し、エヴァンスの名演で知られる「ビューテイフル・ラヴ」を選曲しながらもテーマ演奏はホールに委ねる等々。自分には自分の音楽があるという自己顕示によるものか、あるいは「三尺下がって師の影を踏まず」といった謙譲の美学によるものか。おそらく、その両方があったのだろう。結果として、誰の写し絵でもない、ペトルチアーニ一流のロマンチズムが充溢した素晴らしいステージが実現することになった。

CDに収録された7曲中の白眉は、自作の「モーニング・ブルース」だろう。ショーターの硬質のソプラノ・サックスの音が濃く垂れこめた朝霧を払い、その間を掻き分けるようにホールのギターが静かに現われ、葉から朝露が零れ落ちるが如きペトルチアーニの繊細なピアノが一日の到来を告げる。しかしその美しさの底には、ベッドを抜け出して非情なこの世にあらためて自己を適応させなければならないという憂いの感覚がわだかまる。まさしく「朝の憂愁」である。情景とフィーリングを完全に一体化させた達意の曲であり演奏である。

このとき、ペトルチアーニとホールの間には40歳を超える年の差があったが、我々の人生の尺をこの天才ピアニストに当てはめることは無意味だ。難病とともに生まれたペトルチアーニを見て医者は、残念ながら長生きはすまいと思ったという。おそらく当人も長ずるにしたがってその意識を強くしていった。名高いモーツァルト論の中で小林秀雄は、「僕は未だ若いが、恐らく明日はもうこの世にはいまいと考えずに床に入った事はありませぬ」というモーツァルトの手紙を紹介している。これはおそらくペトルチアーニにも生涯つきまとった考えで、だから彼は常に全力で走り続けることを信条とした。1メートルをわずかに超える体と湾曲した両足で大地を蹴って走ることは不可能だったけれど、ジャズと美を探求する精神は常に疾走を続けた。彼のバイタリティについていくのは至難の業だったと友人たちは口を揃える。

パートナーがいながらいつも新たな恋を求める猟色家であり、生涯ドラッグへの嗜好を絶やすことのなかった彼は、人間としてはチャーリー・パーカーやチェット・ベイカーと同種のろくでなしであった。しかし、その陰には、自身の命を思う悲しさと焦りがいつもあったのだと思う。「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」(「モオツァルト」小林秀雄)──。ペトルチアーニの疾走は36年で終わった。モーツァルトより1歳だけ長生きした男は今、パリのペール・ラシェーズ墓地のショパンの墓のそばで眠っている。


『パワー・オブ・スリー』
ミシェル・ペトルチアーニ
■1.Limbo 2.Careful 3.Morning Blues 4.Waltz New 5.Beautiful Love 6.In a Sentimental Mood 7.Bimini
■Michel Petrucciani(p)、Jim Hall(g)、Wayne Shorter(ts,ss)
■第19回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1986年7月14日
2019年7月24日再発予定

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