投稿日 : 2019.03.18 更新日 : 2020.07.22

【マイルス・デイヴィス】帝王最後の大仕事を捉えた「世紀の企画もの」/ライブ盤で聴くモントルー Vol.2

文/二階堂 尚

「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

50年以上に渡り開催されてきたモントルー・ジャズ・フェスティバルにおいて、その歴史を作ってきたライブ盤を紹介していくこの連載。Vol.2は同フェスの名物出演者のひとり、マイルス・デイヴィスによるこの作品を紹介しよう。クインシー・ジョーンズ、ジョルジュ・グランツ、ギル・エヴァンスといったビッグ・ネームがずらりと並ぶ豪華なショーの裏には、「ジャズの帝王」と呼ばれた男の最後の孤闘があった。

不世出のカリスマ、その最後の大舞台

マイルス・デイヴィスのファンには評判のあまり良くないアルバムである。このステージ自体が、商売上手なクインシー・ジョーンズが仕掛けた一種の「企画もの」だったからだ。ギル・エヴァンスが亡くなったのは1988年だが、クインシーはそれ以前から、マイルスにギル・エヴァンス・オーケストラとのコラボ作品の再演をもちかけていたという。その企画が実現したのが、マイルスが逝去する3か月前、91年のモントルー・ジャズ・フェスティバルにおいてであった。

マイルスとギルのスタジオ録音のコラボ作は計4枚あるが、ここで演奏されるのはそのうち、『マイルス・アヘッド』(1957)、『ポーギーとベス』(1958)、『スケッチ・オブ・スペイン』(1959)からの選曲で、そこにギルがアレンジを担当した“マイルス最初の名盤”『クールの誕生』からの一曲「バップリシティ」が加わる。1949年の曲だ。クインシーが仕掛けたのはマイルスが心底嫌っていた懐メロ企画だったわけだが、彼は意外にもその提案を飲んだ。

もうひとつ、このアルバムの評判が良くない理由は、サポート・トランペッターとしてウォレス・ルーニーが参加していることだ。ウォレスの招集は、すでに体調が思わしくなかったマイルスに主催者側が掛けた保険であったが、残された音源を聴くと、どこをマイルスが、どこをウォレスが吹いているのかがよくわからない。しかし、それらすべてを含めてこの企画は成功であったと言いたい。マイルスの最後の輝きの瞬間を鮮やかに捉えた記録が、こうしてファンのもとに残されることになったのだから。

ステージにはマイルスとウォレス以外のソロイストとして、当時のマイルス・バンドのレギュラーであったケニー・ギャレットが加わり、ギルのいないギル・エヴァンス・オーケストラと、スイスで活動するジョルジュ・グランツのビッグ・バンドがバックを固める。指揮を務めるクインシーを含めて総勢49人。これほどのミュージシャンがステージに立ったモントルーのライブは、おそらく後にも先にも例がないだろう。

91年のステージの模様。ステージ狭しと並ぶミュージシャン。マイルスも、余命3か月とは思えない怪気炎を吐いている。

この時点でのマイルスの最新アルバムは、マイルスが本格的にヒップホップとのコラボレーションに挑んだ『ドゥ・バップ』であった。だから、一曲目でいきなり「バップリシティ」の呑気な演奏が始まると、あまりの落差に力が抜ける。しかし違和感があるのはそこまでだ。その後は一気に演奏に引き込まれて、1時間弱のライブがあっという間に終わってしまう。

「楽器で聴く」ことを習慣とするタイプのジャズ・ファンは、マイルスが吹いているところが判然としないことがストレスになるだろうが、マイルスとギルのコラボ作品の最大の特徴は緻密なアンサンブルが生み出す独特の空気感にあって、誰がソロを取っているかは二の次である。ミュート・プレイはすべてマイルス、オープン・プレイは基本マイルスときどきウォレス、くらいのゆるやかな構えで聴けばいいと思う。

ウォレスは自他共に認めるマイルス・フォロワーとしても知られており、楽器も晩年のマイルスと同じマーティン社のコミッティ・モデルを使用していた。マイルスは赤、ウォレスの楽器は青のラッカーが特徴的。本盤がレコーディングされた頃のプレイスタイルも、共通するところが多かった。

最大の聴きどころは、最後の2分くらいで始まるマイルスとウォレスの掛け合いだ。ここでのコントラストは明確である。マイルスが短いフレイズを提示し、ウォレスがそれに応える。去りゆく者が「あとはよろしく頼む」と語り、残された者がそれに応える。そんな短い対話のように聴こえる。

このときから30年近く経った現在だから言えることだが、このステージはクインシーを牧師、ウォレスとギャレットを親族、オーケストラを讃美歌のコーラス隊、そしてモントルーのコンサートホールを会場とした、一種の生前葬のようなものではなかったか。そう思って耳を傾けると、最後の12分にわたる「ソレア」がまさしく壮大な葬送曲に聴こえてくる。これが実質的なラスト・アルバムとなったことを考えれば、マイルスは自らの演奏で自らの人生にケリをつけたことになる。最後の最後まで彼はスペシャルな男であった。


マイルスは1984年以降毎年のようにMJFに出演しており(87年のみ休演)、モントルーの名物コンテンツのひとつだった。今回紹介した音源以外にも、様々な録音が収録された「コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー」というボックスCDもリリースされている(現在は廃盤)。


「ライブ・アット・モントルー」
マイルス・デイヴィス&クインシー・ジョーンズ
ワーナーミュージック・ジャパン(WPCR-29301)
■1.Introduction by Claude Nobs & Quincy Jones 2.Boplicity 3.Introduction to Miles Ahead Medley 4.Springsville 5.Maids of Cadiz 6.The Duke 7.My Ship 8.Miles Ahead 9.Blues For Pablo 10.Introduction to Porgy and Bess Medley 11.Orgone 12.Gone, Gone, Gone 13.Summertime 14.Here Come De Honey Man 15.The Pan Piper 16.Solea

Member:Miles Davis(tp)、Quincy Jones(conduct)、Wallace Roney(tp)、Kenny Garrett(as)、The Gil Evans Orchestra、The George Gruntz Concert Jazz Band、他

Rec:1991年7月8日 第24回モントルー・ジャズ・フェスティバルにて

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