2019.12.31

【セルジオ・メンデス】ラテン界の“ポップな重鎮”が語った─ボサノヴァ誕生のとき

取材・文/二階堂 尚  撮影/平野 明

セルジオ・メンデス インタビュー

ブラジル音楽を「グローバル化」し、欧米のポピュラー音楽を「ブラジル化」した最大の功労者の一人と言っていいだろう。デビューから半世紀以上。彼の音楽を耳にしたことのない音楽ファンはおそらく一人もいないはずだ。そんなブラジル音楽界の「ポップな重鎮」セルジオ・メンデスが、新作『イン・ザ・キー・オブ・ジョイ』を発表した。

セルジオ・メンデス『イン・ザ・キー・オブ・ジョイ』

このアルバムには、78歳のセルジオ・メンデスが “兄貴分” と慕うエルメート・パスコアールや、ラッパーのコモンら、豪華ゲストが多数参加。さらに注目すべきは、本作がすべて新曲で構成され、セルジオ・メンデス自身が多くの作曲に関与している点だ。

カバーも “セルジオ・メンデスの曲” になる

──あなたは過去作品の多くで「既存の曲を独自のサウンドに仕立てる技」を見せてきましたが、今回はすべて新曲。しかも、半分以上の曲のライティングに関わっていますね。

もともと曲をつくるのは好きなんだ。とくに今作では、ピアノの前に座ってじっくり曲作りに取り組もうと考えた。結果的に共作が多くなったけれど、とても楽しかったよ。

──自作の曲を用意する場合と、ほかの人の曲を取り上げる場合では、演奏に違いはあるのですか。

あまり違いはないな。ほかの作曲者の作品も、自分なりに解釈しアレンジして、セルジオ・メンデスの曲となるようにしてきたからね。「マシュ・ケ・ナダ」も「ルック・オブ・ラヴ」も「フール・オン・ザ・ヒル」も。

1960年代「Sergio Mendes & Brasil ’66」名義で世界的ヒットを記録

ポール・マッカトニーは、私がアレンジした「フール・オン・ザ・ヒル」を聴いて、「あの曲には数々のカバーがあるけれど、君のアレンジはすごく気に入っている」と言ってくれたよ。

──大ヒットした2006年のアルバム『タイムレス』では、ブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムを始め、スティーヴィー・ワンダー、エリカ・バドゥ、ジョン・レジェンドなど錚々たるアーティストと共演しました。新作にも多彩なアーティストが参加していますが、コラボレーションする相手はどうやって決めているのですか。

とくに方針があるわけではないんだ。自然な出会いの中から生まれるコラボレーションこそがリアルだと考えているからね。

2006年のアルバム『タイムレス』

『タイムレス』のレコーディングのきっかけは、ウィル・アイ・アムが私のロサンゼルスの部屋に訪ねてきたことだった。彼は私のレコードをたくさん抱えて来て、「どれだけあなたの曲を聴いて育ってきたか」と熱く語ってくれた。「じゃあ、何か一緒にやってみよう」ということで始まったのがあのアルバムだった。異なる文化、異なる世代が自然に出会って、そこから自然に何かが生まれていく。そんな過程を私は大事にしている。

私が認定する三大天才

──今回の新作にも、ヒップホップ界からコモン、ブラジル音楽界からはエルメート・パスコアール、ジョアン・ドナート、ギンガといった大御所が参加していますね。

まずこだわったのはパーカッションだ。打ち込みは使わず、すべてブラジル人の打楽器奏者に叩いてもらった。ブラジルの音楽をブラジルらしくさせるのは打楽器だと私は考えているんだ。そこにいろいろな個性が乗ってくることで多様な音楽が生まれる。それがこのアルバムのコンセプトだね。

コモンに参加してもらったのは、私が彼の大ファンだったからだ。友人を通じて連絡をとって、スタジオに来てもらった。曲を聴かせたらすぐに気に入ってくれて、そこに彼のラップを入れてワンテイクで完成したよ。素晴らしかった。

──ギンガは、ボーカルのモニカ・サウマーゾと今年(2019年)来日しました。

彼はとてもユニーク。日本語で言うところの “シブい” ミュージシャンだ(笑)。私が1992年に発表した『ブラジレイロ』というアルバムに、彼の「ショラード」という曲を収録したのだけれど、それを聴いた映画音楽家のヘンリー・マンシーニが「この曲を書いたのは誰だ? こんな曲が書ける奴はなかなかいないぞ」と言っていた。彼の曲は決してポップではないが、映像的で本当に美しいんだよ。

1992年のアルバム『ブラジレイロ』

──エルメート・パスコアールは昔からの友人なのですか。

私にとっての(日本語で)「アニキ」だね。私より6歳年上で、60年代からのつきあいがある。彼とジョアン・ジルベルトとギンガ。この3人を私は「三大天才」と呼んでいる。

今回のレコーディングでは、エルメートがスタジオに来てくれたので「何か新曲ない?」と聞いたら、「あるよ」と言ってピアノで弾いてくれた。それをアルバムに入れたんだよ。しかも、彼がラップをやってくれている。ブラジルのパーカッションのようなユニークなラップで、これもワンテイクでOKだった。彼は数多くの楽器をこなすが、ラップをやったのはこれが初めてじゃないかな。

──あなたは、ポピュラリティに富んだ表現でブラジル音楽を世界に広めてきた。一方、エルメートは非常に先鋭的なスタイルでブラジル音楽に取り組んできたミュージシャンです。音楽家としてのスタイルは対照的ですよね。

まさにそうだね。私が知る限り、エルメートは世界で最も完璧なミュージシャンだ。70年代に彼がアメリカに行ったとき、マイルス・デイビスは彼の音楽に夢中になって、「ブラジルに帰っちゃだめだ」と言っていたよ。

──ジョアン・ドナートもブラジル音楽界のレジェンドの一人ですね。

彼はもう一人のアニキだね。私が1964年にロサンゼルスを拠点にしようとしていたとき、彼はすでにロスに住んでいたから、私のアパートメントを見つけてくれて、中古車を買うのにもつき合ってくれたんだ。彼が作曲した「ムガンガ」は、このアルバムの中で私が最も気に入っている曲の一つだよ。

──日本のラッパー、SKY-HIも参加(日本盤ボーナストラックとして所収)しています。これはどんな経緯で?

彼がパフォーマンスする映像を見て、すぐに参加してもらうことに決めた。私は日本語の響きがすごく好きなんだ。英語ともポルトガル語とも違う独特のサウンドがある。残念ながら話すことはできないけどね。

ジョビンとジョアンの思い出

──2019年はボサノヴァの誕生から60年目の年でした。ボサノヴァ誕生の頃を覚えていますか。

もちろん。まさにそのシーンの中にいたからね。私はナイト・クラブでボサ・リオ・セクステットというバンドで演奏していた。ボサノヴァは非常にミニマルな音楽だったが、私のバンドはトロンボーン2本とテナー・サックスを入れたどちらかというとジャズっぽい音楽を演奏していた。アントニオ・カルロス・ジョビンと出会って、初めてのアルバムをレコーディングしたんだ。ブラジル音楽史においても、私のキャリアにおいてもとても重要な時期だったね。

1961年に発表されたファーストアルバム『ダンス・モデルノ』

──ジョビンの思い出を聞かせください。

知的で楽しい人だった。あの時代における最も重要なメロディメーカーであり、しかもその音楽は今も新鮮であり続けている。私もずいぶん彼の曲を演奏してきたし、ジョビン本人もそれを聴いて気に入ってくれていた。私にとっては師匠のような人だね。「三月の水」を彼がつくったとき、すぐに聴かせてくれたことをよく覚えているよ。

──2019年の7月にジョアン・ジルベルトが亡くなりました。訃報を聞いたときはどんな気持ちでしたか。

ジョアンも古い友人だったが、彼は人と広くつき合うタイプではなかったからね。ずっと親しくしていたわけではなかったけれど、亡くなったときは本当に悲しかった。あの独特のスタイルを真似できる人はいないと思うよ。とくにジョビンの曲を歌わせたら、ジョアンの右に出る者はいなかった。

音楽の核心にある「喜び」

──これまでの半世紀を越える活動をふりかえって、大きなターニングポイントを挙げるなら?

いくつかあるね。ボサノヴァ・シーンの中で演奏を始めたとき…。あるいは、1962年にニューヨークのカーネギー・ホールで初めて開催されたボサノヴァ・コンサートへの出演…。あと、64年にアメリカに来てA&Mレコードと契約し「マシュ・ケ・ナダ」が世界中でヒットしたとき。それから、フランク・シナトラとの2回のツアーも──。最近では、『タイムレス』のレコーディングかな。

──あなたの音楽が、長きにわたって世界中で愛され続けている一番の理由は何だと思いますか。

「喜び(joy)」だね。それが音楽の中にあることが一番の理由だと思う。それからメロディのよさじゃないかな。

私自身が音楽を続けてこられたのは、情熱が持続してきたからだと思う。その源泉は異なる文化への好奇心、自分が知らないものに対する好奇心だ。私は5か国語を話すし、日本の文化も大好きだ。日本は北海道から沖縄まで幅広い文化があって、多様性に富んだ素晴らしい国だよね。日本に来るといつだってエモーショナルになれるよ。

──新作と時を同じくしてドキュメンタリー映画も完成したそうですね。

そうそう。監督はジョン・コルトレーンやジョン・レノンの伝記映画を撮ったジョン・シャインフェルドで、タイトルもアルバムと同じ『イン・ザ・キー・オブ・ジョイ』だ。日本では2020年の秋に公開される予定になっている。

ジョンは、ブラジルやロスでたくさんの人にインタビューして、古い映像と組み合わせて私の歩みをとてもよくまとめてくれた。1970年の大阪万博の映像も出てくるよ。アルバムは今の私を表現したもので、映画はこれまでの私を表現したものだ。ぜひどちらも楽しんでほしいね。