投稿日 : 2020.05.08

ネット発の音楽ムーブメント「ローファイ・ヒップホップ」とは?

文/土佐有明


ローファイ・ヒップホップという言葉をご存じだろうか? これは2010年代後半頃からインターネット上で興隆した音楽ムーブメントの一種で、ここ数年、凄まじい勢いで世界中に浸透している。本稿では、このローファイ・ヒップホップに詳しいスティール・ギター奏者/トラックメイカーのbeipana氏のブログを基に検証を試みたい。以下の文章は、beipanaのブログ他に、氏へのインタビューでの発言を下敷きにしている。詳細を知りたい方を彼のブログにもアクセスしてほしい。

ローファイ・ヒップホップとは?

まず確認しておきたいのは、「ローファイ・ヒップホップ」という言葉自体は特定の音楽ジャンルを指すものではないこと。よって、定義自体がかなり曖昧で掴みづらい。それでもおおまかな様式を絞り出すと、打ち込みのブレイクビーツにメロウでメランコリックなギターやピアノが乗る、というもの。

beipanaセレクトの楽曲集

このパターンはかなり多いので、代表的なトラックをいくつか聴いてもらえば分かるだろう。あるいは、ジャズのフィーリングをヒップホップに活かした、ジャジー・ヒップホップなるジャンルの発展型と見るむきもある。

そして、歌やラップの入っていないインストゥルメンタルが大勢を占めるのも特徴。というのもこのローファイ・ヒップホップ、ネットサーフや勉強、ゲームなどをする際のBGMとして使われることが多いからだ。要するに、作業の邪魔にならないように最適化されてきた部分が大きいのだ。

もちろん、じっくりと聴きこむこともできるのだが、基本的に淡々としていて大きな展開がなく、聞き流すことのできるトラックが目立つ。音質は90年代のカセットテープのようなざらつき加減が好まれる傾向がある。なので、特定のジャンルとして真面目に向き合うと肩透かしを食らうこともある。そう考えると、かつての渋谷系のような融通無碍な言葉であり、カテゴリーなのだ。

新旧のキーパーソン

では、ローファイ・ヒップホップの起源およびオリジネイターはどうなっているのだろう。まず挙げられるのが、アメリカの J・ディラ(注1)と日本のNujabes(注2)のふたり。彼らはローファイ・ヒップホップのゴッドファーザーと呼ばれており、おもにビート・メイキングの点で後続に大きな影響を与えている。誕生日が共に1974年2月10日であるふたりは、奇しくも若くして逝去しており、そのため神格化されてきたきらいもある。

注1:米ミシガン州デトロイト出身のミュージシャン/音楽プロデューサー。90年代の半ばからヒップホップやR&B曲のトラックメイカーとして注目されはじめ、多くのヒット曲を制作。難病(血栓性血小板減少性紫斑病)を抱えながらも精力的に活動するが、2006年2月10日、32歳の誕生日を迎えた3日後に死去。

注2:東京都出身のDJ/トラックメイカー/音楽プロデューサー。2003年にファーストアルバム『metaphorical music』発表。翌年にはアニメ『サムライ・チャンプルー』サウンドトラックなども手がける。2010年2月26日、交通事故により死去。36歳だった。

【参考記事】
ある若者がNujabesを名乗り ヒットメーカーになるまで

そして、ジャズやヒップホップからの影響が滲むふたりの音楽性を継承したのが、Wun TwoBSD.Uといった新世代のリーダー。他にどんなビートメイカーがいるかは、Beipana氏のHPに詳述されているのは、ぜひチェックしてみてほしい。

主戦場はYouTube

ここでもうひとつ、ローファイ・ヒップホップを語る上で重要なファクターを。そもそもこのムーブメントが醸成されたのは、ネット上のコミュニティだった。その際に大きな力点となったのがYouTubeである。いまでも、いくつかの “重要チャンネル” がシーンを牽引し、他のプラットフォーム(インスタグラムやスポティファイなど)とも紐帯しながら、キュレーションメディアのような様相でコミュニティを形成しているのだ。

読者の方がまず初めに聴くなら、というチャンネルも挙げておこう。まず、2013年に始まったオランダのチルホップ。ローファイ・ヒップホップのチャンネルはオーナーの顔も実態もよく分からず、急にいなくなってしまったりするのだが、チルホップは違う。レーベルとしてオフィスやスタジオを構えてビートメイカーと契約を結び、収益を渡す仕組みを作り、新譜やコンピレーションを定期的にリリースしている。

 

もうひとつが、パリのチルド・カウ。こちらは、ネットオンリーのサービスでオーナーも顔を見せないため、匿名的で神秘めいたコミュニティを形成している。この両者はほぼ同時期にストリーミングを始めており、最も認知度が高いチャンネルとされている。個々のビートメイカーについてはリンクを貼ってあるので、まずは聴いてみて感触を確かめることをお薦めする。

【参考記事】
ローファイ・ヒップホップ「24時間配信チャンネル」おすすめ8選

ローファイ・ヒップホップの主戦場となっているのがYouTubeだが、2016年に動画のお薦めを表示するレコメンド機能が大きく変化したことが追い風になった。この機能、以前はユーザーが視聴した過去の履歴を参照することに大きく依存していたが、AI的とも言える進化を遂げ、レコメンドの精度が格段に高くなったという。同時期にストリーミング機能も大きく改善され、24時間365日、ビートを配信するチャンネルが登場。それらがネットサーフや作業のBGMとして聴かれるようになった結果、YouTubeのアルゴリズムが「多くの人が長時間視聴している=優良コンテンツ」と判断し、ローファイ・ヒップホップが多くのユーザーのトップページなどに表示されるようになったようだ。

巨大な需要と意外な効能

もうひとつ、YouTube絡みで特記事項がある。今年2月、先述のチルドカウのチャンネルがYouTubeの規約違反とみなされアカウント停止処分を受けたのだ。ツイッターでそのチャンネルのオーナーがYouTubeに「なんでですか?」と問い合わせたところ、膨大な数のリツイートが発生し、YouTubeがチャンネルに「私たちのミスでした」と謝ったという。これはかなり異例なことだ。なんせ、サンプリングなどのクリアランス的にはイリーガルすれすれの部分もあるチャンネルに、公式に謝罪したのだから。要するにこれは、オンライン・コミュニティがプラットフォームに勝ったということでもある。それぐらいローファイ・ヒップホップには需要があり、膨大な数の味方がネット上いることの証左と言える。

また、ローファイ・ヒップホップのポジティブな側面として、コミュニティが不眠や睡眠障害などに苛まれるリスナーの安息の場所となっているところがある。ローファイ・ヒップホップのBGM的なサウンドが癒しの効果をもたらすというのももちろんのこと、チャンネルにチャット機能があり、そこがリスナー同士での交流の場ともなっているのだ。例えば睡眠障害で「眠れない」というユーザーに「君が眠れるように祈ってるよ」とコメントするような会話がユーザー同士で行われている。そのユーザーの大半がティーンだそうで、こうしたコミュニティ若者たちのセーフティーネットになっているわけだ。

「日本のアニメ」との関係

また特記しておきたいのが、ローファイ・ヒップホップと日本のアニメとの親和性の高さ。ここで重要な役割を担っている、アダルトスイムというアメリカのチャンネル。深夜に放送される大人向けのチャンネルだが、ここで、『ワンピース』や『カウボーイ・ビバップ』といった日本のアニメが放送されている。『サムライチャンプルー』ではNujabesの曲が使われており、そのサウンドに触発された若者が大きかったことは想像に難くない。しかもこのチャンネル、CMでフライング・ロータスなど先鋭的な音楽が使われており、それが無意識のうちに子供たちに刷り込まれていることが考えられる。ヒップホップの四大要素は、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJプレイだと言われるが、ローファイ・ヒップホップのそれは、アニメ、チャット、ブレイクビーツ、YouTubeといったところだろうか。

【参考記事】
サムライチャンプルーとローファイヒップホップとNujabesと

これまで見てきた通り、ローファイ・ヒップホップには、実験性や新しさを求めても求められていないところがある。ある種の様式美といってもいいだろう。だからこそ、サンプラーなどの安価な機材があれば、ビートメイカーとして誰でも参加できる敷居の低さがある。そして、カフェや雑貨屋、洋服屋、デパ地下などで流れるのにちょうどよく、ある種のイージー・リスニング的役割を果たしてきた(そうした意味では、ブライアン・イーノが発明したアンビエント、エリック・サティの家具の音楽や、エレベーター・ミュージック、ミューザックとも通じるが、ここでは細かく言及しない)。

PCとオンラインで完結する音楽

最後に管見を。さきほどローファイ・ヒップホップを作る際の敷居の低さについて記したが、この現象には既視感がある。60~70年代に、何かを表現したいという衝動を持った若人が、手軽に買える機材を手に取ってガレージ・バンドが増えた。その時の楽器の役割を、今コンピューターが果たしているとは言えないだろうか。昔だったら、「何かやってみたいけど何をやったらいいか分からないから、とりあえず手軽に買える楽器でも」ということで彼らをギターやベースに向かわせた。それが今はDTMなどに形を変えているのでは、と。あるいは、「あれならおれもできるかも」「ああいう恰好がしてみたい」と若者に想わせたパンクや、MTRの普及により生まれた宅録派もそうだったはずだ。

次にローファイ・ヒップホップの今後についてだが、beipana氏のブログによると、2018年にはTomppabeatsやElijah Whoといったビートメイカーがオンラインから抜け出して、世界ツアーを行ったことが続くかもしれないと示唆されており……というところにコロナ騒動が起こり事態は急変した。誰もが少なからず自宅で過ごす時間が多くなっているわけだが、テレワークや家事や育児や介護などの最中にながら聞きするのに、ローファイ・ヒップホップはもってこいだ。皮肉ではあるが、生活や仕事のサウンドトラックとして流れ聞きするにはちょうどいいのだから。著作権を巡る今後の問題などはbeipana氏のブログに書かれているので、さらに深みにハマりたいリスナーはネットの大海に身を投じてみて欲しい。