投稿日 : 2019.10.09

「日本橋」の謎 ── ブレイキー、ナベサダ、ショーターがつないだ日米の絆

文/二階堂 尚

東京・日本橋を舞台とするモントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパンが、10月12日にいよいよ開幕する。伝統ある街が3日間にわたって音楽に包まれるのを心待ちにしている人も多いだろう。ところで、今から半世紀以上前に〈日本橋〉という曲がつくられていたことをご存知だろうか。コンポーザーは、現在も日本ジャズ界の第一人者であり続けている渡辺貞夫である。だがこの〈日本橋〉、ナベサダ本人が録音する5年も前にアート・ブレイキーがレコーディングしていた。ブレイキーはいったいどこでこの曲を知ったのだろうか。〈日本橋〉の謎に迫る。

なぜ、タイトルは「Nihon Bash」なのか

1972年に発表された『ソング・ブック』は、渡辺貞夫のアルバムの中で、さらに日本のジャズ作品の中でも異色の一枚である。収録されているのは、69年7月2日から10月8日にかけてTBS系で放映されていたテレビドラマ「待ってますワ」用に録音された曲で、アメリカ留学中に渡辺をブラジル音楽に開眼させたヴィブラフォン奏者のゲイリー・マクファーランドやエリック・サティの作品など数曲を除いて、ほとんどが渡辺の自作曲である。多くはボサノヴァ、もしくはサンバ・フィーリングをもった曲で、長さは30秒から2分半程度。録音記録は69年の7月11日から10月3日となっているから、あるいはドラマの収録と並行してレコーディングされたのかもしれない。

『ソング・ブック』は、1969年にTBS系で放送されていた「待ってますワ」の挿入歌を集めた異色作。録音、放送から3年後の72年に発売された。

このアルバムの中に〈日本橋〉という曲が収録されている。1分20秒程度の渡辺の自作だが、彼のサックスの演奏はない。テーマを奏でているのはハープシコードで、弾いているのは菊地雅章か八城一夫のいずれかのようだ。ジョン・コルトレーンの〈ブルー・トレイン〉をいくぶん想起させながらも、全体としてはモード・ジャズの浮遊感と心地よい疾走感をもった曲で、あっという間に終わってしまうのがいかにも惜しい。

しかし、じつはこの曲の初出はこのアルバムではない。『ソング・ブック』のレコーディングより5年近く前の64年2月にこの曲を録音したグループがいた。アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズである。リヴァーサイド盤『キョート』に収録された〈Nihon Bash〉がそれだ。アレンジがまったく異なるので一聴すると別の曲のように聞こえるが、テーマは間違いなく〈日本橋〉であり、何よりもアルバムには作者としてはっきりと「Sadao Watanabe」と表記されている。

アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズによる『キョート』(1964年録音)。ライナーを確認すると、本盤に収録されている「Nihon Bash」は、”Sadao Watanabe”によるものとクレジットされている。

〈日本橋〉という楽曲は64年時点ですでに存在していた。では、ブレイキーはいつこの曲を知ったのだろうか。そして、なぜタイトルは〈Nihon Bash〉なのだろうか。

日本のファンになったジャズマンたち

〈日本橋〉をめぐる謎──。それを解き明かすには、1961年1月1日までさかのぼる必要がある。この日、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズはモダン・ジャズ・グループとして初めて日本の地を踏み、翌日に今はなき大手町サンケイホールで伝説的なライブをおこなった。

「メッセンジャーズは “高貴なヒップスター”と呼ぶに相応しい歓待を受けた。空港には着物姿の日本の女性が数百人も集まり、嬌声と共に彼らを迎えてくれた。その様はまさに、3年後、ビートルズ初来日時のアメリカのファンの熱狂ぶりと同じだった」(『フットプリンツ』ミシェル・マーサー著、新井崇嗣訳/潮出版社)

当時のメッセンジャーズのメンバーのひとり、テナー・サックス奏者のウェイン・ショーターの評伝にはそう記されている。アメリカではまだ黒人の地位が低かったこの時代、日本人が人種的偏見なしに自分たちを受け入れてくれたことにメンバーたちは大いに感激したらしい。メンバーは「サンケイホールでの初日のあと、夜中の2時までサインをしていた」というし、ブレイキーは「日本は我々の第二の故郷だ」と語っていたという。日本人の多くが彼らのファンになったのと同じように、彼らもまた日本の大ファンとなったのだった。

1964年、ニューヨークのアポロシアターでの一幕。当時のメッセンジャーズはウェイン・ショーター(ts)、フレディ・ハバード(tp)、カーティス・フラー(tb)を擁し、『フリー・フォー・オール』をはじめとする力作を発表していた。

ショーターがこの年の7月、シカゴ生まれの日系アメリカ人、テルカ・アイリーン・ナカガミと結婚したのも、そのような熱狂の中にいたからだ。「日本のオードリー・ヘップバーンという感じ」とショーターが形容するその女性は、64年に録音された彼のブルーノートのアルバム『スピーク・ノー・イーヴル』のジャケットに登場している。

ウェイン・ショーターによる64年の名作『スピーク・ノー・イーヴル』。ブルーノート・レコード現社長のドン・ウォズはこの作品を一番のフェイバリット盤に挙げている。最近公開されたドキュメント『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』の中で「困難に出会うと『スピーク・ノー・イーヴル』を聴く。瞑想するのと同じさ」と語っていた。

ナベサダとショーターの友情が生んだ曲

メッセンジャーズ周辺の日本熱はその後も冷めず、63年6月のニューヨーク「バードランド」のライブで、彼らはショーター作の〈オン・ザ・ギンザ〉とピアノのシダー・ウォルトン作の〈ウゲツ〉を演奏し、その2曲を収録したライブ盤『ウゲツ』をリリースした。「ウゲツ」とはもちろん「雨月」で、上田秋成の江戸期の怪奇小説『雨月物語』のタイトルからの引用だが、直接的にはそれを原作とした溝口健二監督の同名映画(1953年公開)にインスパイアされたものだろう。同作はヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞しており、当時、海外でもよく知られた作品だった。

溝口健二監督による1953年公開の映画「雨月物語」は、同年のヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞。ちなみに、同祭において金獅子賞(グランプリ)を獲得したのはルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」。前年には黒澤明監督による「羅生門」が、金獅子賞に輝いている。

そのいわば日本へのオマージュ・アルバムの第二弾となったのが、〈Nihon Bash〉が収録されている『キョート』だ。タイトル曲〈キョート〉を作曲したのはトランペットのフレディ・ハバードである。では、〈Nihon Bash〉が収録されたのは、どのような経緯によったのか。

62年から65年にかけて、渡辺貞夫はボストンのバークリー音楽院に留学していた。渡辺とショーターは、メッセンジャーズ来日時からの友人で、アメリカでも交流が続いていたという。

「ウェインは彼が日本へきたときからの知り合いなので、ボストンで再会したときは、すごく懐かしがってうちへ遊びにきたりしたのである。彼は日ごろはたいへんおとなしいのだが、お酒を飲むと、踊り出したりして、たいへん陽気になる男である」『渡辺貞夫——ぼく自身のためのジャズ』日本図書センター)

渡辺は自伝にそう記している。ほかにもハバードや、当時のメッセンジャーズのトロンボーン奏者、カーティス・フラー、ベーシストのレジー・ワークマンもしばしば渡辺宅を訪れたらしい。

そんな仲だったから、ショーターは気軽に渡辺に「何か曲をつくってくれ」と頼んだのだろう。渡辺は滞米中に〈日本橋〉を書いたのだった。ここからは完全な推測だが、渡辺は自作の曲をショーターに渡し、ショーターは「曲のタイトルは何だ?」と尋ねたのではないか。渡辺は「日本橋」と告げ、それをショーターは、近くにあった紙切れに自分の耳が聞き取ったままに「Nihon Bash」とメモした。真相はおそらくそんなところだったのではないだろうか。

「古く新しい街」に根づく「古く新しい音楽」

渡辺が留学を終えて帰国したのは65年11月だが、そこにショーターから手紙が届いた。あの〈Nihon Bash〉を録音した、ロイヤリティを払いたいから出版社をリヴァーサイドに教えてやってくれ、という内容だった。そのアルバムをのちに聴いた渡辺はこう書いている。

「ブレイキーは、この曲を演奏するとき、原メロディーを二、三回聴き、そのあと自分でいきなり勝手にリズムをつけたのだった。そのため、僕の原曲のイメージは変わってしまったが、なかなかおもしろい演奏になっている」(同上)

主旋律を奏でるのはトロンボーンで、続いてショーター、フラー、ハバード、ウォルトンの順でソロが回っていく。終始途切れることのないブレイキーのシンバルのあおりが曲の熱気を否が応でも高める。名演と言っていいだろう。

『ウゲツ』とこの『キョート』、さらに初代ジャズ・メッセンジャーズのメンバーであったホレス・シルヴァーの『トーキョー・ブルース』(1962年)の3枚を「日本オマージュ3大アルバム」と呼んでみてもいいと思う。あの頃の日本人はモダン・ジャズを大いに愛し、ジャズマンたちは日本および日本人を大いに愛したのだった。

「キョート」の翌年にイギリスでおこなわれた収録のもよう。演奏は『ウゲツ』に収められた「オン・ザ・ギンザ」。60年代の来日がブレイキーに与えた影響の大きさがうかがえる。

渡辺がショーターに託した曲の曲名となった日本橋。そこで初めてのジャズ・フェスティバルが開催される。ビジネスの街として知られた日本橋には今、次々に新たな商業施設が建ち、これまでとは違った賑わいを見せ始めている。東海道の起点となった橋の上にかかる首都高速の高架を地下化し、このエリア一帯をかつてのような「水都」として蘇らせる計画も着々と進行している。江戸の中心地としての伝統と進取の気象を備えた“古くて新しい街”日本橋に、“古くて新しい音楽”ジャズはどう根づいていくか。モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパンが、その新しい歴史に向けた一歩目の足跡を残すことになるだろう。

モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン 2019
日程:10月12日(土)〜14日(月)
会場:日本橋三井ホール(東京)、他
出演:【12日】J.A.M、BADBADNOTGOOD、ファイヴ・コーナーズ・クインテット、【13日】ものんくる、桑原あい、カート・ローゼンウィンケル”カイピ”、【14日】小坂忠 with 中納良恵、マリーザ・モンチ、他
http://www.montreuxjazz.jp/