投稿日 : 2021.01.17 更新日 : 2021.12.03

【浦秀朗 インタビュー】米音大を卒業後に英国からデビュー! HIDEAKI URAのプログレ的ジャズ

取材・文/富山英三郎


2020年5月に米バークリー音楽大学を卒業し、今年1月15日にイギリスのレーベルからデビュー作となるデジタルEP『Intersection after Illusion』をリリースした浦秀朗(うら ひであき)。ジャズが持つ自由さを基本としながら、プログレッシブ・ロックのように変拍子が絡み合う複雑な楽曲。さらにクラシックのような様式美もあり、それをエモーショナルに昇華していくさまはヘヴィメタルの空気も感じさせる。

ライブで演奏しているとゾーンに入るんです

コロナ禍でバークリー音楽大学を卒業し、ライブができない状況のなか音源だけでイギリスの「ubuntu music(ウブントゥ・ミュージック)」からデビューとなったHIDEAKI URA(浦 秀朗)。評価されたのは彼が持つ圧倒的なオリジナリティ。百聞は一見にしかず、インタビューを進める前にまずはリードシングルの「Intersection」を聴いてみて欲しい。

「僕は楽譜をガチガチに書くタイプなんです。〈Intersection〉ではシンセでソロを弾くところまでがテーマ(曲の主題部分)ですが、そこまではドラムやベースのパートもきっちり書き込んでいます。その後のインプロビゼーションはもちろん自由に弾いていますけど」

インタビューの受け答えでもグイグイとくる熱さはなく、とても好青年な浦秀朗。しかし、映像を見てわかるように鍵盤を前にすると豹変するタイプだ。

「それはよく言われます。リハやサウンドチェックのときは普通なのに、本番になると音圧がいっきに高まって、エンジニアが毎回びっくりしてしまうんです。僕のことを知っている人は、最初からコンプレッション(音の大小の差を縮小する機器)をかけたりする(笑)。そしてライブではいわゆるゾーンに入った感じになるんです。そうなると何をしでかすかわからない。ベースとドラムの音は聞こえているけど、思考が消えて感情だけを表現している状態に陥るんです。それは昔からで、子どもの頃から本番に強いと言われていました」

今回発売された3曲入りのデビューEP『Intersection after Illusion』は、バークリーの学生時代に録音されたもの。通常のデビューであれば新録となるが、コロナ禍ということでレコーディングができない不運に見舞われた(現在、アーマット・ジャマル氏プロデュースのもと1st.アルバムを制作中。今回のEPに収録されている3曲も再レコーディングされる予定)。

「〈Intersection〉を演奏しているドラムのアレックス、ベースのケヴィンはともに同級生。ふたりとも変拍子を多用した僕の楽譜もすぐに弾けるほど上手いんです。でも、アレックスは在学中に病気を患ってしまってミュージシャンをやめてしまって……。プライベートでも仲がよかっただけに残念です」

浦秀朗、Hideaki Uraの写真

4歳でピアノを始め、7歳で作曲、10歳でジャズをプレイ

浦秀朗の出身は長崎だが、父親が転勤族だった関係でピアノを始めた4歳のときは沖縄、翌々年には久留米(福岡)、そして小学校2年生から高校卒業までを鹿児島で過ごした。

「歳の離れた兄がピアノを習っていた影響で、自分もやってみたいとヤマハ音楽教室に通うようになりました。その後、7歳から作曲を始めて、10歳からジャズを演奏するようになったんです」

しかし、ジャズのスタンダードを聴きまくって弾きまくってきたタイプではない。

「グループレッスンで一緒だった生徒がジャズを弾いていて、かっこいいなと思って弾き始めたのがきっかけ。最初にニューオリンズ・ジャズの楽譜(ギロックのジャズスタイル)を教えてもらいました。その頃に作った曲がたまたま5拍子だったので、先生が”デイヴ・ブルーベックの〈テイク・ファイヴ〉を聞いてごらん”って。中間部分で3拍子に変化するので、今度はビル・エヴァンスの〈ワルツ・フォー・デビィ〉を教えてくれて。当時は凄いというよりもカッコいいなとのめり込んでいきました」

ジャズ・ピアニストで大きな影響を与えたのは上原ひろみだったという。

「2004年の東京ジャズをテレビで観ていたら上原ひろみさんが出演されていて、女性で華奢なのにエネルギッシュで、ピアノと戦いながらも楽しそうに弾いている姿に感動したんです。そこから上原さんのCDは全部聴いて、のめり込みましたね」

浦秀朗の写真

キング・クリムゾンもジャズだと思っていた

確かに上原ひろみの影響を感じさせるものがある。ピアノの上にノード(キーボード)を置いているスタイルも同じだ。

「ノードはフィジカルに音の変化を試しながら作業できるのがいいんですよね、パソコンで波形をいじるのが得意ではないので。あと、僕は好きなアーティストのお気に入りを聴くことが多いんですけど、上原ひろみさんがキング・クリムゾンを好きだと言っていたので、あれをジャズだと思って聴いていたんです。そこからピンク・フロイドも好きになって。ドリーム・シアターもずっとジャズだと思ってました(笑)。だから、王道のジャズは詳しくないんです。バークリーのジャズ作曲科に進む日本人ってみんな詳しいんですけど、彼らと話しているとき『チャーリー・パーカーってトランペッターでしょ?』と言ったらその場が凍ったんですよ」

彼がそこまで自由に、自分の興味が沸いたものだけを吸収できたのはこれまで習ってきた先生のおかげでもある。

「クラシックでもジャズでも、先生から”これを弾きなさい” ”あれを弾きなさい”と言われたことはなかったです。自分が弾きたいものを持っていって、じゃあやってみようかというパターンが多かった。それに沿ったカタチで先生が提案してくれました」

音楽教室では一目置かれる存在となり、高校卒業間近まで順風満帆ともいえるピアニスト人生。しかし、藝大を目指していた高校3年から先天性の免疫性脳症が悪化し、何度か病院に運ばれ、ついには右手が痺れるようになってしまう。さらに一浪して挑んだセンター試験の前後には病院へ運ばれる事態にもなり、藝大を諦めて福岡の私大経済学部に入学することとなる。

「大学1~2年は腕が思うように動かなくて半ば音楽を諦めていました。でも、その時間に音楽を冷静に聴く時間も増え、ミュージシャンではない人たちともたくさん接することができた。音楽って音楽から作られるのではなく、さまざまな要素から生まれるものだと思うんです。その後、大学3年で右手が復活してきて、もう一度チャレンジしようとバークリーを目指すことにしたんです」

浦秀朗、Hideaki Uraの写真3

病気を乗り越え、バークリー音楽大学に進学

音大の経験がなかったこともあり、バークリーでの生活は人一倍新鮮に感じたという。

「校内を歩いていると、至る所からいろんな楽器の音が流れてくる。会話の内容も音楽だし、生活の中心に音楽があるのは感動的でもありました。病気を乗り越えてきたことも大きかったと思います。また、これまで周囲にミュージシャンが少なかったので、ベーシストやドラマーと一緒に演奏するのもバークリーに来てほぼ初めてだったんです。ジャム・セッションをしているところに入ってもみんな助けてくれるし、そういう環境が楽しかったですね」

入学当初はジャズ作曲科(ジャズ・コンポジション)を専攻予定だったが、熟慮して作曲科(コンポジション)を最終的に選ぶことになる。

「専攻に迷って、まずは試しに一曲作ったところ(EP収録〈Capricious Illusion〉)、13拍子の曲ができて、みんなから『これはジャズなのか?』と言われたりもしたんです。そこで、改めて曲を頭で鳴らしてみたところ、ビッグバンド編成の音はまったく聴こえなかった。代わりに弦楽器の音が聴こえてきたんです。そのときに弦楽器を本格的に習ってみようと、クラシックのコンポジション科を選ぶことにしました。そこでは現代音楽の勉強がすごく役立ちました。スティーブ・ライヒのようなミニマル・ミュージックや、ストラヴィンスキーのような変拍子、あのへんをオーケストラで聴くとかっこいいんです」

大学卒業を間近に控え、外の世界とも交流を図ろうと上原ひろみも所属するアメリカのマネージメント会社(エローラ・マネージメント)に音源を送ったところすぐに返信が届いた。2度ほどメッセンジャーで簡単なやりとりをしたのち、次に話がきたときには「ロンドンのウブントゥ・ミュージックと共同マネージメントすることになったから」とすべてが決まった状態だったという。彼の音楽をイギリスのレーベルが興味を示したというのも理解ができる。

「イギリスのシーンはよくわからないんですけど、友だち含めよくヨーロッパでウケそうだと言われます。プログレの地でもありますもんね」

変拍子は自然なこと、人工的にはしたくない

美しさと哀愁がありながらもどこか変質的な感性はヨーロッパ好みともいえる。一方、楽曲において拍子がどんどんと変化するのは浦にとって自然なことでもある。

「アタマや指が勝手に動くことをそのまま譜面にしているんです。小さい頃から拍子感覚のない音楽を聴いていたので自然に出てしまう。逆に、4/4拍子は僕のなかで珍しい。自然界を観ても、きれいに整ったカタチをしたものって少ないですよね? だからクラシックの楽譜を見ていても、ここは無理矢理4/4拍子にしているなと思ったりするんです。僕の音楽には人工的なものを入れたくない」

ビザはまだ残っており、当分はアメリカに残ってアーティスト活動を続けたいという思いが強い。

「高校や大学時代に何度かジャズバーでも演奏したことがあるんです。でも、大抵は『うるさい!』って怒られて……それもあってみんなと一緒に弾くことを拒絶していた部分もあるんです。でも、アメリカで生活すると何を表現しても自由。そして、たとえ売れていなくても、ミュージシャンに対して寛容というかリスペクトがあるんですよね。また、僕の音楽はアメリカやヨーロッパのほうが親和性があるのかなとも思っています」

浦秀朗、Hideaki Uraの写真4

ジャズは自由に表現することを許してくれる音楽

最後に、浦にとってジャズとはどういう音楽だと認識しているのかを尋ねた。

「簡潔に言えば、思っていることを自由に表現することを許してくれる音楽だと認識しています。なのでプログレもメタルもジャズといえばジャズ。レーベルからも、今後は形態にとらわれずにやってほしいと言われていますし、不安定な楽曲のなかにいかに芸術性を見出すかという、自分のカラーを出しながら活動できればと思っています」

取材・文/富山英三郎


浦秀朗、Hideaki Ura、Intersection after Illusion、EP、ジャケット写真
HIDEAKI URA / 浦 秀朗
『Intersection after Illusion』
「Intersection」「After Rain」「Capricious Illusion」の3曲を収録したデジタル配信EP。各種ストリーミングサイト(https://orcd.co/qj7mxno)からダウンロードできる。
発売元:ubuntu music

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