投稿日 : 2020.05.21

新型コロナ禍で亡くなったミュージシャンたち

世界各国で猛威を振るう新型コロナウイルスの感染で、多くのミュージシャンが亡くなったニュースが続いた。また、長年音楽シーンで活躍したベテランが、ほかの病気で帰らぬ人となるケースも相次いだ。ジャンルはさまざまだが、世界保健機関(WHO)が感染症のパンデミック(世界的大流行)と断定した“非日常の日々”のなか、旅立ったミュージシャンを集めた。

マイク・ロンゴ

Mike Longo/米ジャズ・ピアニスト、作曲家

 米紙ニューヨーク・タイムズによると、3月21日、新型コロナウイルスの感染のため米ニューヨークで死去、81歳だった。22日との報道もある。

1937年、音楽一家に生まれ、高校生の時にキャノンボール・アダレイと演奏。大学でクラシック・ピアノを学んだ後、ニューヨークで、コールマン・ホーキンスなどのサポート・ミュージシャンの仕事に。その後、オスカー・ピーターソンに師事し、ナンシー・ウィルソンやジョー・ウィリアムスら歌手の伴奏を務めた。

66年にディジー・ガレスピーのグループに参加し、長年演奏活動を共にしたほか、若手ミュージシャンの育成にも力を入れた。

マヌ・ディバンゴ

Manu Dibango/カメルーン出身のサックス奏者

英BBCなどによると、3月24日、新型コロナの感染のため死去、86歳だった。

1933年、カメルーン生まれ。15歳で渡仏、クラシックのピアノを学び、50年代にベルギーでミュージシャンとして活動開始。70年代にデビューし、ファンキーな「ソウル・マコッサ(Soul Makossa)」が大ヒット。ファンクやジャズ、アフリカの伝統音楽などを融合した音楽でアフリカを代表するミュージシャンとして活躍した。

アラン・メリル

Alan Merrill/米ミュージシャン、シンガーソングライター

写真左は1971年のソロデビューアルバム『ALIEN IN TOKYO』。右は2019年に発表された『RADIO ZERO』。

米紙ニューヨーク・タイムズによると、3月29日、新型コロナ感染による合併症のため米ニューヨークで死去、69歳だった。71歳だったとの報道もある。

ニューヨーク生まれ。母親はジャズ歌手のヘレン・メリル、父親はサックス、クラリネット奏者のアーロン・サックスという音楽一家に育つ。10代の時にロックバンドに加わり、68年に当時母親が住んでいた日本に移り住み、バンド活動を開始。ソロデビューし、シングル曲「涙」をヒットさせたほか、かまやつひろしと「ウォッカ・コリンズ」を結成するなど日本で音楽活動を続けた。

74年にはイギリスに移ってバンド活動。75年に発表した「アイ・ラブ・ロックンロール(I Love Rock ‘N’ Roll )」は、米ロックバンド、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツが81年にカバー、82年にビルボード・ヒットチャートの1位を記録した。

ウォレス・ルーニー

Wallace Roney/米ジャズ・トランペッター

ウォレス・ルーニーの写真

米メディアによると、3月31日、新型コロナ感染のため米ニュージャージー州で死去、59歳だった。

1960年、フィラデルフィア生まれ。10代でデューク・エリントン芸術学校に通い、ニューヨークで演奏活動。バークリー音楽大学で学んだ後、トニー・ウィリアムズ、アート・ブレイキーのバンドに参加。彼のヒーローだったマイルス・デイビスとも共演。91年にクインシー・ジョーンズが指揮した「モントルー・ジャズ・フェスティバル」のステージにもデイビスと共に立った。

デイビス没後はハービー・ハンコックやウェイン・ショーターらと共に追悼ツアーやトリビュート・アルバム『A Tribute to Miles』に参加。同作はグラミー賞を獲得した。デイビスの功績を辿ったNetflixのドキュメンタリー「マイルス・デイビス クールの誕生」にも出演した。

エリス・マルサリス

Ellis Marsalis/米ジャズ・ピアニスト

エリス・マルサリス

米メディアによると、4月1日、新型コロナ感染による合併症のため米ニューオーリンズの病院で死去、85歳だった。

1934年、ニューオーリンズ生まれ。10代でピアノやサックスを習い、エリック・ドルフィー、オーネット・コールマンらと共演。ミュージシャンとして演奏活動を続ける一方、地元ニューオーリンズの「ニューオーリンズ・センター・フォー・クリエイティブ・アーツ」(NOCCA)で長年若手ミュージシャンの育成・指導に当たった。

ブランフィード、ウィントン、デルフィーヨ、ジェイソンの4人の息子をジャズ・ミュージシャンに育て上げたほか、ハリー・コニックJr.、ドナルド・ハリソン、テレンス・ブランチャードらを輩出した。

バッキー・ピザレリ

Bucky Pizzarelli/米ジャズ・ギタリスト

米紙ニューヨーク・タイムズによると、4月1日、 新型コロナ感染のため米ニュージャージー州で死去、94歳だった。

1926年、ニュージャージー州生まれ。幼少時に親戚からギターなどの楽器を習い、10代でプロデビュー。テレビ番組の専属ミュージシャンのほか、フランク・シナトラ、サラ・ボーン、ベニー・グッドマンらと演奏活動を行った。

ベン・E・キングや、レイ・チャールズ、ロバータ・フラックら数多くのミュージシャンの作品に参加。同じくジャズ・ギタリストで歌手の息子ジョン・ピザレリと共演することも多く、ポール・マッカートニーがスタンダード曲を集めたアルバム『キス・オン・ザ・ボトム(Kisses On The Bottom)』では親子でギターを弾いた。

ジョン・プライン

John Prine/米シンガー・ソングライター

米メディアによると、4月7日、新型コロナ感染による合併症のためテネシー州ナッシュビルの病院で死去、73歳だった。3月末に入院、治療を受けていた。

1946年、シカゴ生まれ。高校卒業後、郵便配達の仕事に就き、米陸軍に入隊。西ドイツで技師として駐留。帰国後に地元シカゴで音楽活動を本格化させた。クリス・クリストファーソンに認められ、70年代にデビュー。

労働者の生活や兵役時代の経験などを歌った作品は、ジョニー・キャッシュやボブ・ディランなどに賞賛され、米国のルーツ・ミュージックを示す「アメリカーナ」の代表的アーティストとして活躍。代表曲「エンジェル・フロム・モンゴメリー(Angel From Montgomery)」は、ボニー・レイットなど多くのミュージシャンがカバー。2018年に13年ぶりとなるアルバム『The Tree of Forgiveness』を発表し、今年のグラミー賞では生涯功労賞を贈られた。

ハル・ウィルナー

Hal Willner/米音楽プロデューサー

AP通信などによると、4月7日、米ニューヨークの自宅で死去、64歳だった。死因は新型コロナ感染による合併症とみられる。

1956年、フィラデルフィア生まれ。70年代に音楽業界に入り、80年代に音楽プロデューサーとして米人気コメディー番組『サタデー・ナイト・ライブ』に参加。ニーノ・ロータやセロニアス・モンク、クルト・ワイル、ディズニー映画、チャールズ・ミンガスなどの音楽について、様々なアーティストを起用して収録したトリビュート・アルバムを多数制作したほか、ルー・リードやマリアンヌ・フェイスフル、トム・ウェイツらの作品をプロデュース。

詩人のウイリアム・バロウズやアレン・ギンズバーグらのポエトリー・リーディング・アルバムも手がけたほか、鬼才ハリー・アレンのトリビュート・コンサートなどを企画。映画監督ロバート・アルトマンの『ショート・カッツ』『カンザスシティ』では音楽プロデューサーを務めた。今年秋に遺作となる、Tレックスのマーク・ボランへのトリビュート・アルバム発売が発表された。

リー・コニッツ

Lee Konitz/米ジャズ・サクソフォン奏者

リー・コニッツ

米メディアによると、4月15日、新型コロナ感染のよる合併症のため米ニューヨークで死去、92歳だった。肺炎を患っていた。

1927年、シカゴ生まれ。11歳の時に、ベニー・グッドマンに夢中となり、両親にクラリネットを買ってもらい、その後サックスを手にした。40年代にピアニストで作曲家のレニー・トリスターノの下で数年間演奏法を学び、ニューヨークに移住。マイルス・デイビスと出会い、名盤『クールの誕生(Birth Of Cool)』となった9重奏団にジェリー・マリガンらと参加した。

ビル・エヴァンスや、チャールズ・ミンガスなど数多くの巨匠から、ブラッド・メルドーやビル・フリーゼルなど現代を代表するミュージシャンらと共演。数多くのリーダー作品を残した。エルビス・コステロのアルバム『ノース(North)』にも参加した。

ヘンリー・グライムス

Henry Grimes/米ジャズ・ベーシスト

1965年にESPレーベルより発表されたアルバム『The Call』(写真左)。2008年に発表したシッド・アリとの共作『Going To The Ritual』(写真右)

米紙ワシントン・ポストなどによると、4月15日、新型コロナ感染による合併症のため米ニューヨークで死去、84歳だった。

1935年、フィラデルフィア生まれ。両親ともにミュージシャンの家庭に生まれ、バイオリンやチューバなどの楽器を習い、50年代にニューヨークのジュリアード音楽学院でクラシック音楽を学ぶ一方、ジャズ・ミュージシャンとして活動。アニタ・オデイやソニー・ロリンズ、リー・コニッツらのレコーディングに参加した。58年にはセロニアス・モンクとともにニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演、その模様は映画『真夏の夜のジャズ』に収められた。60年代にはチャールズ・ミンガス、マッコイ・タイナー、アルバート・アイラーらと共演。65年に初のリーダーアルバム『The Call』を発表した。

60年代後半にカリフォルニアで演奏活動を続けていたが、金銭トラブルに巻き込まれて楽器を売却。ロサンゼルスでホームレス生活を一時送るなど行方不明に。2002年にソーシャル・ワーカーに発見されるまで三十数年間、音楽界とは無縁の生活を送っていた。その後復帰し、マーク・リボーと演奏するなど精力的な音楽活動を行なった。アルツハイマー病を患い、08年のステージが最後となった。

さらに、こんなミュージシャンも新型コロナ感染で亡くなった(括弧内は年齢)。

● 3月29日 ジョー・デフィー(61)米カントリー歌手
● 4月1日 アダム・シュレシンジャー(52)米ミュージシャン、作曲家
● 4月1日 クリスティーナ(61)米シンガー
● 4月7日 エディ・デイビス(79)米バンジョー奏者
● 4月17日 ジョゼッピ・ローガン(84)米ジャズミュージシャン
● 4月17日 マシュー・セリグマン(64)英ベーシスト。デヴィッド・ボウイらと共演
● 4月21日 ジャック・ペレン(63)仏ジャズミュージシャン
● 4月22日 ロバート ”ブッツィー” バーンズ(82)米サックス奏者
● 4月30日 オスカル・チャヴェス(85)メキシコの国民的シンガー・ソングライター
● 5月3日 デイブ・グリーンフィールド(71)英ロックバンド「ストラングラーズ」キーボード奏者
● 5月7日 TY(47)ナイジェリア生まれの英ラッパー

また、これと同時期に、新型コロナウイルス以外の要因で亡くなったミュージシャンも大勢いた。

マッコイ・タイナー

McCoy Tyner/米ジャズ・ピアニスト

マッコイ・タイナーのアーティスト写真

米紙ニューヨーク・タイムズによると、3月6日、米ニュージャージー州の自宅で死去、81歳だった。死因は不明。

1938年、フィラデルフィア生まれ。13歳でピアノを始め、数年後にプロデビューし、ベニー・ゴルゾン、アート・ファーマーのグループに参加。ジョン・コルトレーンのグループに参加し、歴史的名盤として挙げられることが多いアルバム『マイ・フェイバリット・シングス(My Favorite Things)』『至上の愛(A Love Supreme)』『バラード(Ballads)』『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード(Live! At the Village Vanguard)』などで演奏。アート・ブレイキーやジョー・ヘンダーソン、ウェイン・ショーターらとも共演したほか、「ザ・リアル・マッコイ(The Real McCoy)」などのリーダー・アルバムも手がけた。

ビル・ウィザース

Bill Withers/米シンガー・ソングライター

ビル・ウィザース

米メディアによると、3月30日、心疾患の合併症のため米ロサンゼルスで死去、81歳だった。

1938年、ウエストバージニア州生まれ。高校卒業後に海軍入隊。その後、カリフォルニア州で牛乳工場、飛行機の部品工場で勤務。「ブラック・ゴッドファーザー」と呼ばれる有力者クラレンス・アヴァントのサセックス・レコーズからレコード・デビュー。「消えゆく太陽 (Ain’t No Sunshine)」「ユーズ・ミー(Use Me)」などのヒットを出した。75年にサセックス・レコーズの破産で、コロンビア・レコーズに移籍。

「ラブリー・デイ(Lovely Day)」「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス(Just the Two Of Us)」がヒットしたが、85年のアルバム『ウォッチング・ユー、ウォッチング・ミー(Watching You Watching Me)』を最後に音楽活動を休止。新型コロナの感染拡大で、代表曲「リーン・オン・ミー(Lean on Me)」が、各国で希望や団結を示すアンセムとなり、再び注目が集まる中で突然の訃報だった。

ジミー・メリット

Jymie Merritt/米ジャズ・ベーシスト

米メデイアによると、4月10日、肝臓がんのため死去、93歳だった。

1926年、フィラデルフィア生まれ。BBキングのツアーに参加するなど音楽活動後、ニューヨークでアートブレイキー&ザ・ジャズメッセンジャーズに加入。名盤『モーニン(Moanin’)』『チュニジアの夜(A Night In Tunisia)』などを発表、バンドの黄金時代を支えた。ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、チェット・ベイカー、ディジー・ガレスピー、マックス・ローチなどと共演。

72年にリー・モーガンが殺害された際には、その場に居合わせた。事件を描いたドキュメンタリー映画「私が殺したリー・モーガン(I Called Him Mogan)」(Netflixで視聴可能)にも出演し、当時の様子を証言している。

トニー・アレン

Tony Allen/ナイジェリア出身のドラマー

欧米メディアによると、4月30日、心臓発作のため仏パリの病院で死去、79歳だった。

1940年、ナイジェリア生まれ。18歳でドラムを始め、60年代初めにミュージシャン、フェラ・クティと音楽活動をともにした。ファンクやジャズの要素を組み込んだアフロビートを確立するなど音楽界に大きな影響を与えた。

その後、ロンドン、パリを拠点に活動。英バンドの「ブラー」のデーモン・アルバーンや、「ザ・クラッシュ」のポール・シムノン、米バンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のフリーなど、ロックミュージシャンとも共演。ジーン・クルーパやマックス・ローチらジャズ・ドラマーを好きなミュージシャンとして挙げており、晩年にはブルーノートからアート・ブレイキーへのトリビュート作品を発表した。

フロリアン・シュナイダー

Florian Schneider/独ミュージシャン

写真中央(下)がフロリアン・シュナイダー。クラフトワークのメンバーたちと。

英BBCによると、4月、がんのため死去、73歳だった。亡くなった場所など詳細は明らかにされていない。

1970年に、ラルフ・ヒュッターとテクノポップバンド「クラフトワーク」を結成、「アウトバーン(Autobahn )」「放射能(Radio-Actibity)」「ヨーロッパ特急(Trans-Europe Express )」などのアルバムを発表。デヴィッド・ボウイがアルバム「ヒーローズ(Heroes )」で、シュナイダーに捧げた曲「V-2 シュナイダー(V-2 Schneider)」を収録するなど、テクノからニューウェーブ、ロック、ヒップ・ホップなど、さまざまなミュージシャンに影響を与えた。

アルフレッド ”ウガンダ” ロバーツ

Alfred “Uganda” Roberts/米パーカション奏者

米メディアによると、5月5日、肺がんのため死去、77歳だった。亡くなった場所は不明。

ニューオリンズ生まれ。子供時代からカリプソなどに興味を持ち、ドラムなどを演奏。29歳だった72年、地元ニューオリンズの音楽フェスティバル「ニューオリンズ・ジャズ&ヘリテージ・フェスティバル」で、プロフェサー・ロングヘアーを紹介されて意気投合、ロングヘアーが亡くなる1980年まで演奏活動を共にした。ミーターズやアラン・トゥーサン、ドクター・ジョンなどニューオリンズを代表する多くのミュージシャンらと共演を果たした。

リトル・リチャード

Little Richard/米ミュージシャン、ロックンロールの草分け

AP 通信などによると、5月9日、骨髄腫のため米テネシー州で死去、87歳だった。亡くなった場所は公表されていない。

1932年、ジョージア州生まれ。10代から音楽活動を始め、50年代に「トゥッティ・フルッティ(Tutti Frutti)」「のっぽのサリー(Long Tall Sally)「リップ・イット・アップ(Rip It Up)」「ルシール(Lucille)」「グッド・ゴーリー・ミス・モーリー(Good Golly MIss Molly)」などが立て続けにヒット。チャック・ベリーやファッツ・ドミノらと共に、ロックンロール音楽を確立、ビートルズのポール・マッカートニーやジョン・レノン、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、エルトン・ジョン、プリンスなど後続のミュージシャンらに多大な影響を与えた。

86年に創設された「ロックの殿堂」のアーティストに、エルビス・プレスリーやバディ・ホリー、サム・クックらと共に選ばれた。

モリ・カンテ

Mory Kante/西アフリカ・ギニアの歌手

ロイター通信などによると、5月22日、ギニアの首都コナクリの病院で死去、70歳だった。死因は不明だが、新型コロナの感染流行で、持病の治療ができなくなっていたという。

1950年、ギニア生まれ。伝統楽器「コラ」の名手として知られ、アフリカ音楽を代表するアーティスト、サリフ・ケイタが在籍したことで知られる隣国マリのレイル・バンドに参加。伝統音楽と電子楽器を組み合わせたスタイルを広め、80年代後半に「イェケ・イェケ(Yeke Yeke )」が欧州各国で大ヒット。「アフロ・ポップ」の知名度を確立し、チャリティー活動に尽力。西アフリカ・セネガル出身のスーパースター、ユッスー・ンドゥールが追悼メッセージを出した。

ラッキー・ピーターソン

Lucky Peterson/米ブルース・ギタリスト、オルガン奏者

米紙ニューヨーク・タイムズなどによると、5月24日、南部テキサス州で死去、55歳だった。死因は明らかにされていないが、突然体調が悪化したという。

1964年、テキサス州生まれ。父親はナイトクラブを経営するブルース・ギタリストで、幼少時からドラムなどの楽器を習い、5歳の時に初めてのレコーディングを経験。8歳の時に、テレビ番組に出演。メイビス・ステイプルズやBBキング、エタ・ジェイムズ、リトル・ミルトンら数々のブルース・ミュージシャンと演奏したほか、ウィンストン・マルサリスなどジャズ・ミュージシャンとも共演。昨年、50歳の記念アルバムを出したばかりだった。

ジミー・コブ

Jimmy Cobb/米ジャズドラマー

米メディアによると、5月24日、肺がんのため米ニューヨークの自宅で死去、91歳だった。

1929年、首都ワシントン生まれ。学生時代にドラムを始め、50年代後半にマイルス・デイビスのバンドに参加、アルバム『ポーギー&ベス(Porgy And Bess)』『スケッチ・オブ・スペイン(Sketches Of Spain)』『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム(Someday My Prince Will Come)』などで演奏。なかでも59年発表の『カインド・オブ・ブルー(Kind Of Blue)』は「歴代最も売れたジャズ・アルバム」として知られる。当時レコーディングに参加したデイビスや、キャノンボール・アダレイ、ジョン・コルトレーン、ビル・エバンス、ウィンストン・ケリーはいずれも亡くなっており、参加ミュージシャンの「唯一の生き残り」だった。80代後半まで演奏活動を続けていたほか、若手の指導・育成にも尽力した。

さらに同時期、こんなミュージシャンたちもこの世を去った(括弧内は年齢と死因)。

●3月20日 ケニー・ロジャース(81/老衰)米カントリー・シンガー
●5月5日 ミリー・スモール(73/脳卒中)ジャマイカ出身のシンガー
●5月5日 スウィートピー・アトキンソン(74/心臓発作)米シンガー
●5月10日 ベティ・ライト(66/がん)米R&Bシンガー