投稿日 : 2021.09.02

日本のジャズ─“あの頃”の情熱と気概と創造性をふたたび【Days of Delight 平野暁臣インタビュー】

取材・文/富山英三郎  撮影/宮坂則世

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空間メディアプロデューサーとして、海外万博の日本館を数多く手がけるなど多方面で活躍してきた平野暁臣さん。芸術家である、故・岡本太郎の身内であり、岡本太郎記念館の館長という顔も持つ。そんな彼は2018年にジャズ・レーベル「Days of Delight(デイズ・オブ・ディライト)」をスタートさせた。70年代初頭、日本のジャズが持っていた独創的なクリエイティビティ、そこから受けた刺激を現代のアーティストたちに還元する試みとは?

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Days of Delightのホームページ

70年代初頭、欧米的な価値観とは異質なものを生みだし世界で評価された

──平野さんは子どもの頃からさまざまな音楽に親しまれてきたと伺っています。なかでもスリー・ブラインド・マイスやイースト・ウィンド(共に過去の日本のジャズレーベル)など、70年代初頭の日本産ジャズに大きな衝撃を受けられたとか。

平野 僕のジャズ史は1973年(14歳)、FMラジオでたまたま耳にした鈴木良雄さんの『フレンズ』から始まったんです。それまではロック少年でした。そのあたりから1976年頃にかけて、どんどんとジャズにハマっていったんです。当時は日本のジャズ界にものすごいエネルギーがあって、ジャズ喫茶もジャズクラブもどこも満席。新譜もたくさんリリースされ、飛ぶように売れていました。

僕が初めてヨーロッパに連れて行ってもらったのは高校2年ですが、パリのレコード屋さんに行ったら一番いい場所にスリー・ブラインド・マイスやイースト・ウィンドのレコードが並んでいた。あれは嬉しかったし誇らしかったですね。帯付きで漢字が書かれているからすぐにわかるんです。

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──近年、かつての和ジャズが海外で人気というニュースもありますが、当時からちゃんと評価されていたんですね。

平野 そうですよ。だって、あの頃の日本人ジャズマンがつくる音楽はものすごくクリエイティブでしたから。渡辺貞夫さんが『MBALI AFRICA』(1974年)を発表したり、モントルー・ジャズ・フェスティバル(1975年)でアフリカンフレイバーのオリジナルを披露した時代、あんなサウンドは世界のどこを探してもなかったわけですから。日野皓正さんだって、富樫雅彦さんや菊池雅章さんだってそう。それまでの「コピーの時代」から打って変わって、みんなが自分のオリジナリティ、自分だけのサウンドを追求しはじめた。そんな熱量のある作品が国内の沸騰したシーンに投げ込まれるわけですから、リスナーも歓喜してますます盛り上がっていくわけです。

2018年、Days of Delight の第一弾として、土岐英史の新譜『ブラック・アイズ』とともにリリースされた、70年代初頭の日本のジャズを集めたコンピレーションアルバム。鈴木良雄、土岐英史、峰厚介、渡辺貞夫、日野皓正、日野元彦の楽曲を収録。 V.A.『Days of Delight Compilation Album -疾走-』(2018)

──1970年代初頭は、ジャズに限らず日本のクリエーターが世界で認められた時代ですよね。

平野 ファッションの世界では、高田賢三(KENZO)や三宅一生(ISSEY MIYAKE)、山本寛斎などがパリやロンドンで一世を風靡するわけですね。少し早く国際的な注目を集めていた建築をはじめ、グラフィックデザイン、プロダクトデザインなどさまざまなジャンルのクリエイティブが世界から注目されるようになった。欧米的な価値観や美意識とは異質なものを遠慮なく提案し、それが評価されたからです。「もはや西洋を追いかける必要はない」。フォロワーのマインドから自由になった表現者たちは、「歓喜の日々」を過ごしたに違いありません。「デイズ・オブ・ディライト」ですよ。

──「Days of Delight」というレーベル名には、そんな時代の空気感というか熱狂への思いがあるわけですね。

平野 日本のクリエイティブ界が持っていた「情熱」や「気概」「創造性」とその「ダイナミズム」を大事にしたいんです。ぼくがこの話をすると、「70年代のサウンドを再現したいわけね?」とよく勘違いされるけど、そんなことはこれっぽっちも考えていません。だって70年代の素晴らしい音源が山ほどあるんだから、わざわざ再現しなくてもそれを聴けばいいって話ですから(笑)。ぼくが受け継ぎたいのは、「70年代のサウンド」ではなく「70年代の精神」であり「70年代の気概」です。

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還暦を迎えるタイミングで何か新しいことを試してみたくなった

──そこまで熱い思いがあるということは、やはり以前から音楽の作り手になることを夢見ていたのでしょうか。

平野 いえいえ、まったくです。最初は、還暦を迎えるタイミングで何か新しいことにチャレンジしようと思っただけ。いままでの経歴、実績、人脈などがいっさい役に立たない新たなフィールドで、なにができるか、どこまでできるか、やってみたくなったんです。その時点では何のアイデアもありませんでした。

ただし、この歳になって踏み出す以上は、“ソバ打ち”ではなく、わずかでも社会的意義のあることじゃないと意味がない。そう考えているとき、小学校6年で洋楽と出会ったときから音楽とともに生きてきたことに気づいたんです。僕の感覚をひらいてくれた音楽、僕の人生を豊かにしてくれた音楽に少しでも恩返しをしたい、そう思ったわけです。

──ジャズというジャンルを選ばれたのはなぜでしょう。

平野 もちろん単純にジャズが好きだしリスペクトしているからですが、もうひとつあるのは、僕が出会った70年代と比べて日本のジャズシーンの熱量が大幅にドロップしていること。はっきり言って、もはや風前の灯火です。そんな状況なので、僕の微々たる力でもなんらかの貢献ができるかもしれないと思ったんです。もし僕にできることがあるとすれば、日本のシーンで真摯にジャズと向き合うミュージシャンたちを、社会に送り出すお手伝いをすること。だから「Days of Delight」は海外モノはやりません。

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若い世代がジャズと出会う場所をたくさん作っていく

──2018年にレーベルを立ち上げられた際、「日本ジャズの新たなプラットフォーム」という言葉を使われていました。その目指すところを教えてください。

平野 日本のジャズシーンが活性化するとしたら、その鍵を握るのは、ケータイで打ち込みの音楽を聴いている若い世代です。僕は彼らに、ジャズという生身の肉体からほとばしり出る音楽の魅力やダイナミズムを知って欲しいし、その意味と価値を体感して欲しい。

その目標に近づくためには、単にCDを流通させるだけでなく、若い世代とコンタクトする土俵をたくさん作らないといけない。YouTubeでの動画配信に注力しているのも、サブレーベル「Naked.」でライヴ音源を安価で提供しているのも、すべては若い世代へのフックになって欲しいとの願いからです。さらには、岡本太郎記念館の展示室で実際にライヴを主催しています。第1級のプレイヤーの演奏が入館料(620円)だけで観られる。コロナが終わったらまたはじめます。

このような様々なプロジェクトを束にすることで、すぐれたプレイヤーとその音楽を社会に届ける「発射台」になりたいと考えているわけです。多彩な「搬送台車」が塊になったプラットフォームが堅固なものになれば、才能あるミュージシャンを社会に送り出すという目的に近づくことができるだろうと信じているんです。

──ジャズとのタッチポイントをたくさん作っているわけですね。

平野 まずは若い世代にジャズへの親近感をもってもらうことが第一歩ですからね。「ジャズって昔の黒人の音楽だろ?」と考えている若者が、地下の薄暗いジャズクラブに足を運んでくれるわけがない。それにジャズの世界の住人はよそ者にフレンドリーじゃないですしね(笑)。実際、僕の周りの若いアーティストやクリエーターに訊くと、ほぼ例外なくジャズを聴いていない。

でもね、彼らに僕が熱中した70年代の日本ジャズを―たとえば、本田竹曠さんの『サラーム・サラーム』とか、土岐英史さんの『トキ』、峰厚介さんの『アウト・オブ・ケイオス』なんか―を聴かせると、だいたい「カッケー!」って言うんですよ。でも彼らには、それがいつの時代のなんの音楽なのか、まったく見当がつかない。「50年前の日本人のジャズだよ」と言うと例外なくビックリしますね。

──感性の鋭い、時代をリードする若者にちゃんと届くわけですね。ただ、そういう音楽があることを知らないだけだと。

平野 そうです。もしその中の10人にひとり、いや100人にひとりでも「ジャズはカッコいい」と考えるクリエイティブな若者がいれば、そして彼らの居留区にきちんとジャズを届けることができれば、状況は一気に変わるかもしれない。

ジャズシーンの構図は大きく変わってしまったけれど、ジャズという音楽の価値そのものが減衰したわけじゃない。どこかでなにかがズレてしまい、そのズレが広がっただけ。僕はそう考えているし、そこに賭けているんです。もちろん「オレが革命を起こす」なんて大それた妄想を抱いているわけじゃありません。そんな簡単な話じゃないし、僕にできることなんて高が知れてますから。

何を世の中に送り出すべきなのか? という視点

──クリエイティビティ溢れる日本のジャズを再興するにあたり、アーティスト選びはどのようにおこなっているのでしょうか?

平野 そこは極めてシンプルです。生の演奏を聴いて、僕のジャズセンサーが振り切ったら声をかける。それだけ。その日まで存在さえ知らなかったミュージシャンでも、「あっ、いい!」と思ったら迷わずその場でレコーディングをオファーします。初対面でいきなり「アルバムをつくろう!」と言われるミュージシャンは、かなりビックリしますね(笑)。先月も22歳のピアニストを「発見」しました。

──アーティストにとっても夢のある話ですね。そんな積み重ねの中で、現在20タイトルが発売されました。しかも、ベテランから若手までバランスがいい。平野さんのなかで共通点を見つけるとすれば、どこにありますか?

平野 「音」です。出音がよくなければ僕はやらない。繰り返しお話しているように、僕はジャズの価値は身体性・肉体性にあると考えているし、若い人たちに「生のジャズ」を聴いて欲しい。だから生音に個性と力がないミュージシャンはダメなんです。もうひとつは「熱量」と「気概」。ぬるいプレイヤーは嫌なんですよ。ギリギリっと攻めてくる妥協しないプレイヤーがいい。そのあたりはひと晩ライブを聴けばだいたいわかります。

「Days of Delight」には会議もなければ稟議もありません。僕がひとりで決めるだけ。しかも金儲けでやっているわけではないので、「売れるのかどうか」を考える必要がない。「オレが聴きたいものは、みんなも聴きたいはずだ」という根拠のない確信のもとに選んでいます(笑)。

──アルバムを作るにあたり、このアーティストで、こういう編成で、こんなテイストでという構想が平野さんにあるわけですよね。その一方、アーティストがやりたいこともある。そこをうまくすり合わせて提案していくわけですか。

平野 そうです。当然プレイヤーの考えは尊重しますが、彼らの欲望とリスナーの欲望は必ずしも一致しない。僕の立場は40年以上ジャズを聴いてきたファンであり、リスナーの代表です。そこを踏まえたうえで、「多くのジャズファンは僕と同じような体験をしてきている。そういう人たちの思いや願い、情熱、期待などを取り入れることはけっして堕落でも妥協でもないからね」という話はします。

もっとも、だからといってリスナーの「御用聞き」をする必要はない。欲しいものを訊いてそのまま出すのは芸術ではないからです。受け手の想像や期待を超えるものを提出しなければクリエイティブな価値はないし、自身のヴィジョン、ジャズ観、音楽思想を結晶させるのがアーティストの仕事。そういうことを話しながら、アイデアをぶつけ合うわけです。意見がぶつかることもあるけれど、真剣に、誠実に話し合えば、やがて収斂していきます。こうした点もレーベルの役割であり、ミュージシャンの自主制作と決定的に違うポイントのひとつだと思います。

異業種で培ってきたプロデューサーとしてのスキルとビジョンが羅針盤

──長年のリスナーとはいえ、ジャズ業界の住人ではないからこそ見える部分、できることも多そうですね。

平野 そうかもしれません。なにしろ業界の常識や暗黙の了解みたいなことをまったく知らないし、その代わり忖度も一切ありませんから。これまで培ってきたプロデューサーとしてのスキルと、クリエイターとしての信条だけを羅針盤に行動していこうと思っているだけです。

──「日本ジャズの新たなプラットフォーム」を構築されるなかで、CDなどフィジカルな音源はどういう位置づけにあるのでしょうか?

平野 フィジカルが世の中から無くなる日まで、なんとか作り続けたいと思っています。「今はサブスクの時代。1曲目から通して聴く人なんていないよ」と言われます。でも、だからと言って、「あぁ、そうですか」とやっていたら音楽がどんどん消耗品になってしまう。僕は昔のブルーノートやリバーサイド、プレスティッジ(すべて海外のジャズレーベル)などで育っているので、パッケージに対する思いが強いんです。ジャケットを手にしたときは嬉しかったし、今でも嬉しい。この喜びを知らないのは損ですよ。

自分がパッケージで育った世代だから「ノスタルジーを感じているだけだ」と言われるかもしれないけれど、僕はそう思いません。パッケージは単なる音源のキャリヤーではない。しかも書籍のように後世に残るもの。だから、いかに効率が悪かろうとパッケージは作るし、アートワークにも力を入れていきます。

──ジャケットデザインも一貫されていますよね。

平野 昔のブルーノートやスリーブラインドは、ジャケットを見ただけでどのレーベルかわかったじゃないですか。そうありたいと思っています。ブレないように、アートディレクターはひとり。栗崎洋くんという若いデザイナーです。演奏内容・音質・アートワークが三位一体となったものだけを作品と呼ぶ。それが「Days of Delight」の理念です。

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「Days of Delight」を続ける理由

──最後の質問です。改めて、なぜ日本のジャズなのでしょうか?

平野 「日本のジャズ」が特別な存在だったからです。もちろん僕だって本場アメリカのジャズにドップリ浸かりましたよ。死に物狂いでコルトレーンを集めたし、キース・ジャレットにハマった。でも結局、それってみんな 所詮は「音源」なんですよね。だけど土岐英史や本田竹曠は「生」だった。目の前で、全身であの生音を浴びたわけです。両者は似て非なる出来事であり、まったく別種の体験です。

生の音を浴びるエキサイティングな体験がぼくの感覚を刺激し、かけがえのない経験をプレゼントしてくれた。そういう体験を若い人にもさせてあげたいんですよ。一言で言えば、ジャズクラブに連れ出したい。レーベルをやっているのはそのためであって、CDをつくっているのは手段であって目的ではない。だからこそ「音」のいいアーティストを大事にしているし、「気概」のある人を探し続けているんです。

取材・文/富山英三郎
撮影/宮坂則世

【特集】日本のジャズ


平野暁臣|Akiomi Hirano
空間メディアプロデューサー/岡本太郎記念館館長
大阪万博で岡本太郎が創設した現代芸術研究所を主宰し、イベントやディスプレイなど“空間メディア”の領域で多彩なプロデュース活動を行う。セビリア万博日本館、リスボン万博日本館、川崎市岡本太郎美術館、六本木ヒルズアリーナ、ダボス会議ジャパンナイト、ジャナドリヤ祭日本館、「明日の神話」再生プロジェクト、岡本太郎生誕百年事業「TARO100祭」など、話題になった数々のプロジェクトを手がけ、直近では先頃公開されて大きな話題になっている「太陽の塔」再生プロジェクトを率いた。
そして重度のジャズマニア。レコードだけでなくライヴにも年間100本近く足を運ぶほどのマニアで、ジャズ愛が嵩じ音楽レーベル「Days of Delight」をスタートさせることになった。