【証言で綴る日本のジャズ】 峰 厚介/第1話「はじまりは合唱とクラリネット」 

文/小川隆夫

2019.01.10

峰 厚介/第1話

連載「証言で綴る日本のジャズ3」 はじめに

ジャズ・ジャーナリストの小川隆夫が「日本のジャズ黎明期を支えた偉人たち」を追うインタビュー・シリーズ。今回登場するのはサックス奏者の峰厚介。

峰 厚介/みね こうすけ
テナー・サックス奏者。1944年2月6日、東京都文京区湯島生まれ。少年合唱団を経て、中学校のブラスバンド部でクラリネットを担当。東邦音楽大学附属東邦高等学校クラリネット科に進み、二年になってキャバレーでの演奏活動を開始。いくつかのキャバレー・バンドを経て、17歳で加藤久鎮(ひさひで)のグループに参加。約6年在籍したのち、69年に菊地雅章(まさぶみ)グループに抜擢され、解散する73年まで在籍。その年からニューヨークに2年間在住。帰国後は自己のグループで活動するかたわら、78年に本田竹広らとネイティヴ・サンを結成してフュージョン・シーンの人気者に。以後も独自のスタイルで創造的な演奏を繰り広げ、現在にいたる。最新作に2019年1月発売の『Bamboo grove』(Days of Delight)がある。

少年合唱団が音楽との出会い

——生年月日と生まれた場所をお聞かせください。

昭和19(1944)年2月6日に上野の湯島で生まれました。

——19年というと、戦争も末期のころ。

戦中生まれだものね。

——ずっと上野にいたんですか?

1歳になる前に、「湯島だと空襲で危ない」というんで、岩手県の宮古市に疎開して、小学校の一年までそこにいました。

——それで、湯島に戻られた?

そこは引き払って行ったんで、戻ってからは赤羽です。

——じゃあ、赤羽の小学校で。

ええ。

——そのころには、音楽は耳に入ってきていました?

耳に入ることはあまりなかったですね。

——峰さんが覚えている音楽で、最初に聴いたのは?

東京に戻ってからだから、小学校二年、7、8歳のころですよね。うちにラジオはあったけど、親父が浪曲とかが好きで、夜はだいたいそういうのが流れてました。

——自分で、「これ、いいな」と思った音楽は?

いつごろだったか覚えてないけど、もっとあとですね。でも、それを聴いてて「ジャズを始めよう」という、そこまでの気はなかったです。

——最初に耳に残った音楽はジャズじゃないですよね。

ぼくは小学校三年から少年合唱団に入っていて。

——じゃあ、それが音楽との出会い。

そうです。

——それは学校の?

学校のではなくて、地域というか。

——少年少女ではなくて、少年合唱団?

少年合唱団です。童謡、唱歌、わらべ歌。〈流浪の民〉とかフォスターの曲とか。自分が好きで、「行かせてくれ」といったわけじゃなくて、姉貴がその合唱団をやっている先生にピアノを習っていたから、その繋がりで。お袋が、「引っ込み思案だから、ひと前で歌ったりすると、そういうのがなくなるんじゃないか」というような思いで、入れられたというか。合唱なんて初めてだから、受かるわけないと思っていたけど。声はけっこうボーイ・ソプラノで、行ったら受かっちゃった(笑)。それでずっと通って。

——どのくらいやっていたんですか?

変声期が高校一年の三学期くらい。徐々に変声期にはなっていったけど、遅かったんです。そこで辞めたけど、コンサートがあると声がかかる。高校生で半ズボンはいて(笑)、出てました。

——それじゃあ最年長でしょう。

そうです。その先生の息子が同じ歳で、彼とぼくが最年長で。

ブラスバンド部でクラリネットを吹く

——中学、高校のころは、ほかの音楽も聴くようになっていました?

なにか楽器がやりたくなって、中学に入ったらブラスバンドに入りたいと思っていました。それで入って、楽器を決めるんですが、楽器を持っていて、「これ、やりたい」ということがないと、先生が決めることが多くて。いまはわからないですけど、そのころはそうでした。

ところが楽器を決める日に合唱団のコンサートがあって、先生の息子の徹ちゃんとぼくはそっちに行っちゃった。翌日、ブラバンに行ったら、クラリネットがいないから、「ふたりはクラリネット」(笑)。そういうスタートです。

——じゃあ、最初の楽器がクラリネット。

そうです。小学校のときにスペリオパイプ(プラスティック製のリコーダー)とかそういうのは授業で習っていましたけど。だから、クラリネットは自分から好んでじゃなくね(笑)。そのときトランペットだったら、いまはトランペットを吹いているかもしれない。

——クラリネットを中学でやって、高校は東邦音楽大学の付属高等学校。ということは、かなり音楽に真剣だった?

真剣というほどではないです。普通の高校に行って、そこで部活に入ってというぐらいのつもりでいたけど、志望校に入れなかった(笑)。合唱団の先生に相談したら、「自分が教えている学校はどうだ?」となって。そこから、弾いたこともないピアノの特訓をして。

——普通の高校を受けるのとは課目が違うし、ピアノが弾けないといけないとか、ほかの勉強も必要でしょうし。それは、三年生になって始めたんですか?

そうです。うちにピアノがなかったんで、紙鍵盤で練習です。あとは、歩いて15分くらいのところですけど、先生の家で練習させてもらって。歌はやらなかったけど、クラリネットは練習しました。

——楽譜を読むことや演奏するのは問題がなかった?

受けたのがクラリネット科だから、ピアノは、先生が「このくらいのところをやっておけば大丈夫」ということで、バイエルの後半ばっかりを特訓して。だから、その前のところはやっていない。

——峰さんが入ったのはクラリネット科。

クラリネット専攻で。

高校2年でキャバレーのダンス・バンドに入る

——どこかで演奏はしていたんですか?

まだ、してないです。二年の二学期ぐらいから、アルバイトですね。そのころあった大きなキャバレーで、フルバンドとダンス・バンドが出ていて、ぼくはダンス・バンドのほう。なんでもやるというか、ラテンといっても、いま思えば本格的なラテンじゃないですけど。マンボとかチャチャチャとか、そういうものです。スウィングも入っていたけど、要するに踊れる音楽。

——ジャズはやっていないけど、聴いてはいたんですか?

聴き始めたころです。

——最初にジャズに興味を持ったきっかけは?

ロイ・ジェームスが司会の『トリス・ジャズ・ゲーム』(注1)というラジオ番組だったか、高校のときに学校が終わってから行ったジャズ喫茶だったか。ジャズ喫茶に行ったきっかけは、クラリネットのひとで、2年ダブったふたつ歳上の同級生がジャズを聴いていて、誘われて。

(注1)文化放送がキーステーションとなり全国ネットで54年12月26日放送開始(57年2月末終了)。壽屋(現在のサントリー)がスポンサーで、制作が「ビデオホール」。司会はロイ・ジェームス。

——学校ではクラシックでしょ。放課後にジャズを聴いて、自分でも真似したりして、始めたんですか?

そのころはまだしてないです。そのクラリネットのひとと同学年のトランペットでジャズもどきの演奏はしたことがあります。学校でジャズなんかやっちゃいけないし、バイトもご法度だったけど、同学年で演劇をやってるやつがいて、そいつに「ジャズが必要なストーリーを考えろ」といって(笑)。

高校二年のときで、本格的なジャズにはならなかったけれど、〈ワン・オクロック・ジャンプ〉をやったのかな? 同級生のクラリネットが譜面を書いてきて、アドリブじゃないけど「ここはこうやるんだよ」みたいなことを教えてくれたり。まだ、そんなに熱心にやってなかったころです。譜面の読み方はキャバレーで覚えました。ぜんぶ譜面で、アドリブはないけど、ラテンのノリとか、そういうのも学んだというか。

——そのころは、譜面は問題なく?

譜面は読めるけど、ノリが違ってて。それをだんだんと覚えていく。

——どこのキャバレーか、覚えています?

覚えていますよ。いまはなくなっちゃったけど、有楽町の「日劇(日本劇場)」の前にあった「ニュー東京本店」のいちばん上の階にあった「チャイナタウン」。

——大きいんですか?

大きいです。渋谷と2店舗あって、ぼくは有楽町のほうだったけれど、そこのダンスバンドに入って。

——何人編成?

リーダーがヴァイオリンで、あとは、アコーディオン、ピアノ、ベース、フルート、ドラムスとぼくだから、7人編成。

——どういういきさつで入ったんですか?

そこは、さっき話した、ませたクラリネット同級生がやっていて。彼に、そこより給料がいいところが見つかった。それで、誰か代わりを入れないと辞められない。15日くらい前に話せば辞められるけれど、急にそっちに行かなきゃいけないというんで。それで、「やってくれ」といわれて。

——給料は覚えています?

月に3千円だったかな?

——月給制?

月給です。

——高校二年ということは、1960年か61年。

そんなもんです。フルートのひとが左側に座っていて、こっちが間違えると、そのひとが吹きながら蹴っ飛ばすの。最初のうちは「このヤロー」と思ったけど、吹けないからしょうがない。そんなこともありました。

——どのくらいの期間やっていたんですか?

半年ちょっとかなあ。そのうち足蹴りがなくなったんで、そろそろやれるようになったかなと。それで「辞めさせてください」といったら、バンマスが「そんなこといわないで、もうちょっとやってよ」。フルートのひとまで、「そうだよ、もうちょっとやってくれよ」。こっちは「おお、なんだ?」(笑)。「だったら、ちょっとやってやろうじゃないか」。ほんと、生意気で(笑)。「辞める」といったら、給料が5倍になりました。それまでの分はどこに行ってたんだろう。もちろん、バンマスだろうけど。それで、さらに2か月くらいいたのかな?

——その後もそういうバイトを続けていくんですか?

そこのあとはバンドネオンのひとがリーダーのバンドで、川崎にあったダンスホールにレギュラーで入って、同じような系統の音楽をやってました。「オスカー」といったかな?

——ダンスホールだからダンス・ミュージックでしょうが、ジャズっぽいのもやるんですか?

アドリブをするような演奏はなかったです。リーダーだけがアドリブをする曲はあったけれど、ぼくたちは書き譜を演奏する。

第2話(1月17日 掲載予定)に続く

峰厚介 最新作

『Bamboo grove』(Days of Delight)2019年1月23日発売

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