投稿日 : 2019.01.10 更新日 : 2021.09.03

【証言で綴る日本のジャズ】 峰 厚介|はじまりは合唱とクラリネット 

取材・文/小川隆夫

峰 厚介 インタビュー

帰国後、ネイティヴ・サンで大活躍

——戻ってきて、峰さんは自分のバンドで仕事を始めます。そのころは、ジャズがどんどん変わってきたじゃないですか。60年代はスタンダードや向こうのコピーから始まって、オリジナルの曲を演奏するようになったし、70年代に入るとエレクトリックの要素が入ってきたり。峰さんはそういうエレクトリック・サウンドのアルバムも作っています。帰国後の75年にライヴ録音した『ソリッド』(注14)や翌年の『サン・シャワー』(注15)(どちらもイースト・ウィンド)がそういう作品ですけど、峰さんの中でも音楽的に変わっていったんですか?

ニューヨークにいたときによくリハーサルをやっていたグループがあって。ソウル・ミュージックというかチャーチ音楽というか。ハモンド・オルガンを弾いて歌うリーダーがスティーヴィー(ワンダー)崇拝のひとで。そういう仕事が多かったから、わりと自然にエレクトリック・サウンドにも触れていました。

(注14)フェンダー・ローズやワウワウ・ペダルを繋いだ峰のサックスなど、フリー・ジャズやファンクが混在した内容で話題を呼んだ。メンバー=峰厚介(ts, ss) 益田幹夫(key) 望月英明(b) 倉田在秀(ds) 75年10月29日 銀座「ヤマハ・ホール」でライヴ録音

(注15)前作『ソリッド』のエレクトリック・サウンドをさらに拡大した内容で、マイルス・ディヴィスに通じる音楽性が大胆極まりない。メンバー=峰厚介(ts, ss) 益田幹夫(key) 安川ひろし(g) 望月英明(b) 倉田在秀(ds) 宮田英夫(per) 76年2月9日、10日 東京で録音

——78年に結成されたネイティヴ・サンはそういう感じの音楽が多かったでしょ。

ソウル・ミュージックとはちょっと違うけど、そうですね。

——ネイティヴ・サンは本田さんの音楽コンセプトですか?

1枚目はとくにそうでした。全曲本田君の曲なので、本田色が強いことは強いです。でも、やっているのは本田君ひとりじゃないから。

——峰さんは自分でもそういう演奏をされていたから、まったく抵抗はなく。

楽しんでました。ネイティヴ・サンができたきっかけは、別々だけど、寛がぼくとも本田君ともやってて、それである日、「コーちゃんも本田君も同じようなことを考えているようだから、この際、一緒にやったら?」みたいなことをいい出したんだよね。そのころは本田君のカルテットがよく「タロー」でやってて、次のときに出向いて、参加して。「ああ、やっぱりいいな」。終わって、飲みに行って、「やろう」「やろう」「やろう」。即、決まったの。最初はネイティヴ・サンという名前はついてなかったけどね。

——それが始まり。

そう、寛の声かけで。

——ギル・エヴァンスのオーケストラが来たときに参加してますけど(76年)、あれはニューヨーク時代の関係?

ニューヨークでも何度かやったことがあったから、あのときは「中野サンプラザ・ホール」のコンサートを頼まれた。サウンドチェックの前に会場に行って、リハーサル・ルームで用意された譜面を見たらアルト・サックスのキーなんだよね。こっちも「しまった」と思ってギルに話したら、「アルト・サックスは持ってるか?」。「吹けるか?」とは聞かないの。「持ってるか?」といわれて、「ある」「取って来れるか?」。

そのときは方南町に住んでいたので、近いから「大丈夫」。それでタクシーに乗って、「待てよ、マウスピースはあったかな?」。ケースに入ってました。久々に吹くアルト・サックスでしたが、なんとかなりました。となりにいたジョージ・アダムス(ts)がぼくの譜面をのぞいてましたけど(笑)。

——そのころの峰さんは自分がリーダーになって活躍しているし、そのあとも基本は自分のグループでの活動ですよね。

基本というか、それもやりつつ、いろいろですね。

7年ぶりの新作『Bamboo Grove』

——『Bamboo Grove』(Days of Delight)(注16)は全曲がオリジナルで。

そうです。

(注16)ライヴ感覚を重視してレコーディングされた、峰にとって7年ぶりの新作。メンバー=峰厚介(ts, ss) 清水絵理子(p) 須川崇志(b) 竹村一哲(dsr) 2018年8月20日、21日 東京で録音

——だいたい、峰さんはオリジナルがメインですね。

スタンダード・アルバムを別にすれば、自分のアルバムでは、そうです。

——今回は、最近書いた曲が多いんですか?

曲によっては十年前に書いたものもあります。

——今回もそうですし、峰さんはワン・ホーン・カルテットの作品が多いですね。

ギターの秋山一将(かずまさ)とのクインテットは長かったけど、2管は少ない。

——それは意識して? たとえばトランペットと一緒じゃやりづらいとか。

たまたまです。でも、2管とか3管とかでやりたくなりますよ。

——このメンバーはみんな若い。

始めたときはいちばん若かったピアノがいちばん上になっちゃった。

——レギュラー・カルテットでのレコーディングで。

自分では、レギュラー・カルテットだと思っています。基本はこのメンバーですから。

——この4人でどのくらいになるんですか?

3年ぐらいかな? でもその前からトラの形で、前に一緒だった杉本(智和)(b)君ができないときは須川(崇志)(b)君に頼んでとか。そういうことではもっと前からやってたけど、この4人になったのはそれぐらい前からです。

——今回のアルバムにはコンセプトがあるんですか?

平野(暁臣〈あきおみ〉=プロデューサー)さんからのリクエストで、いつもライヴでやっている感じで、「ひとつ、熱いやつを」と(笑)。

——熱くなりました?

スタジオでやった割には熱かったです。

——レコーディング中も、イメージとしてはライヴでやっている感覚で。

そうです。録り方もリクエストして、ブースに入らないで、全員同じところでやって。エンジニアが苦労しただろうけど。

——そうなると、それぞれの音を聴きながら演奏する。

ブースに入ってもそうだけど、音量とかはね。それをいい按配にミックスして。ぼくはヘッドホンが嫌いだから、ブースに入らないで録音できたのは大きいです。やりやすかった。

——苦労したことは?

贅沢な悩みというか、「どのテイクにしようか」「両方入れたい」。それは苦労じゃなくて楽しみでしたけど。

——それぞれ何テイクか録って。

ワン・テイクの曲もあるけれど。1日のうちに3つぐらいテイクを録って。それは、やり方を変えるためで。

——出来が悪くて録り直したのではなく。

普段のライヴ感でやったら「ちょっと長いかな」とか、そういう曲もありました。

——「ダメだな」というんじゃなくて。

「ダメだな」っていうのはだいたいぼくだったから(笑)。

——このリズム・セクションはやっててすごく気持ちがいい?

スムーズだったですよ。もっとスムーズにいくかな? と思ったけど、ぼくがね(笑)。珍しくリードが割れちゃったり。それでも、スムーズなうちかと思います。

——峰さんとしては満足のいくものができた。

そうですね。やらせてもらったことに感謝しています。だけど「好き勝手に」といいながらも、「ソプラノ・サックスも入れて」とか、平野さんがいうんです(笑)。

——ぜんぶライヴでやってた曲?

普段からライヴでやってる曲です。新曲がないんで(笑)。

——曲は、引き続き書いているでしょ。

いちばん最近に書いたのが何年前かな?

——そんなになるんだ。いまはあまり書く気がしない?

そんなこともないけど、書かないというか。努力が足らないのかな。

——曲は、書こうと思って書くんじゃなくて、浮かんだときに書くんですか?

両方あります。なにか浮かんでくるとそれをモチーフにしてというのもあれば、「書かなきゃ」と思って、なんにもないところからっていうのと、両方ある。

——峰さん的には、さっき「スリー・ホーンでもやってみたいときがある」とおっしゃってたけど、そういうグループを自分で作る気はあまりない?

3年くらい前に「ピットイン」で古希のライヴをやらせてもらったことがあって、スリー・デイズだったけど、1日は守谷美由貴(as)と市原ひかり(tp)の3管でやりました。

——レギュラーでそういうグループを作る気はあまりない?

うーん、それをずっと続けるというのはないかな。続けられないですよ、忙しいひとばっかりで(笑)。スケジュールを組むのがたいへんだから。やりたい気持ちはあるけど、レギュラーでと考えると難しいかな。

——でも、これからもいろいろな演奏を聴かせてもらえることを楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。

なにか、こんな話で大丈夫かなという気がしてるけど(笑)。

取材・文/小川隆夫

2018-12-01 Interview with 峰厚介 @ 南青山「岡本太郎記念館」

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