投稿日 : 2026.07.20

【ロバータ・フラック】ポップス・シンガーを目指したソウル界の才媛─ライブ盤で聴くモントルー Vol.68

文/二階堂尚

ライブ盤で聴くモントルー Vol.68_ロバータ・フラック
「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演したミュージシャンの複数年のライブをコンパイルしたシリーズ『The Montreux Years』。そのシリーズの最新作であるロバータ・フラック編がリリースされた。1971年から2008年までの計5回のステージから代表曲や名演が選ばれたアルバムを紹介しながら、昨年88歳で逝去したロバータの足跡を辿る。

社会派からラブ・バラードの歌い手に

ロバータ・フラックのデビュー・アルバム『ファースト・テイク』がアトランティック・レコードから発売されたのは1969年だった。アトランティックに彼女を紹介したのは、以前この連載で取り上げたレス・マッキャンである。

現在でこそロバータの代表作と見なされる『ファースト・テイク』だが、発売当初は「ほぼ見向きもされずにいた」とアトランティックのジェリー・ウェクスラーは自伝で書いている。アルバムに注目が集まったのはようやく1971年になってからで、それは収録曲の「愛は面影の中に/The First Time Ever I Saw Your Face」がクリント・イーストウッドの監督デビュー作『恐怖のメロディ』に使われたからである。この曲は、ビルボードのホット100で6週連続1位となり、アルバムも発売から時を経てチャートのトップとなった。

『ファースト・テイク』はロバータの原点を示す傑作である。レス・マッキャンもヒットさせたファンク調の「コンペアド・トゥ・ホワット」など8曲中3曲がプロテスト・ソングで、ブロードウェイ・ミュージカルの曲「バラッド・オブ・ザ・サッド・ヤング・メン」はゲイの青年の悲しみを歌った歌だった。

公民権運動をはじめとする社会運動が盛んだった時期ということもむろんあろうが、デビュー前にはファン・クラブを運営していたほどのニーナ・シモンのファンであったロバータであるから、ニーナのようないわゆる社会派アーティストとして立つという意識がデビュー時には少なからずあったと思われる。その意識が持続したならば、彼女はあるいはギル・スコット・ヘロンのようなミュージシャンになったかもしれない。

しかし、ほどなくして彼女がラブ・バラード・シンガーとしての旗幟を鮮明にしたのは、自分の嗜好と個性がその方向に合致すると見極めたからだろう。もとよりクラシックの教育を受け、ピアノと声楽を本格的に学んだ人であったから、ゴスペルやブルース以上に白人西洋音楽のフィーリングに慣れ親しんでいたとしてとくに不自然ではない。その後のアルバムにもスピリチュアルやブルース調の曲がなくはないが、レパートリーの主体は早々にバラードやポップスになっていった。ウェクスラーは、ロバータを「アニタ・ベイカーの先祖」と表現している。なるほど、のちにブラック・コンテンポラリーと呼ばれるメロウなポップス的黒人音楽のオリジネーターのひとりがロバータであると見ることも可能かもしれない。

©️Atlantic Records

ロバータが大ヒットさせた3曲の最初の曲が「愛は面影の中に」であり、最もよく知られている「やさしく歌って/Killing Me Softly with His Song」も、数々のカバーを生んだ「愛のためいき/Feel Like Makin’ Love」も甘いラブ・バラードである。『ザ・モントルー・イヤーズ』シリーズの新作として発売されたライブ集もまた、その3曲を含めバラード歌手としてのロバータにフォーカスした選曲となっている。

「ソウルの女王」を怯えさせた実力

ロバータの声はポップス向きの軽い声というわけでは必ずしもないが、ブルースやR&Bのシンガーに見られる苦味や濁りや凄みのようなものはない。だから例えば、アトランティックの大看板であったアレサ・フランクリンなどとは大いに違った個性の持ち主と言ってよかったが、アレサの方はそうは見なさなかったらしい。彼女はロバータを恐れるあまり、アトランティックに抗議すらしたという。以下は、ロバータのプロデューサーであったジョエル・ドーンの述懐。アーメットとは、アトランティックの社長アーメット・アーティガンのことである。

「私があのレーベルでやったロバータ・フラックの1枚目をアレサが初めて耳にしたときの反応だよ。ふたりはまったくと言っていいほど異なるアーティストなんだが、アレサはロバータを脅威と見なした。彼女は実際、私がロバータの1枚目をかけていた最中に、突然立ち上がって部屋を出て行った。彼女はアーメットに文句を言った、アトランティックが別の女性ソウル・シンガーを売ろうとするのは正しい行動ではないと。アーメットは彼女をなだめた、アーメットにしかできない芸当だよ、それでも彼女はロバータが同じレーベルにいることがずっと気に食わなかった」
(『アレサ・フランクリン リスペクト』デヴィッド・リッツ)

ジョエル・ドーンはその後もずっとアレサから冷遇されたようで、「スタジオでばったり会うたび、怒りを込めた目で睨みつけられた」と振り返っている。「ソウルの女王」を心底怯えさせる新人ミュージシャン。それがロバータであった。彼女の実力を示す逸話である。

ダニー・ハサウェイとのパートナーシップ

ロバータ・フラックの名パートナーとしてしばしば名前が挙がるのがダニー・ハサウェイで、2人の協業はロバータのファースト・アルバムから始まっている。そのひとつの完成形が1972年のデュエット・アルバム『ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ』だった。

黒人大学の名門ハワード大学の同窓という縁が2人にはあったが、ロバータの方がダニーより8歳年長であり、またロバータは当時最年少であった15歳で大学に入学し19歳で卒業しているから、ロバータとダニーが大学に同時期に通っていたわけではない。それでもゴスペルとクラシックのバックボーンをもち、ともに優れたピアニストにしてボーカリストであるという共通点があり、さらに学歴を同じくしたことで、仲はいっそう親密になったとは言えるだろう。結果、いつくかの素晴らしいコラボレーション作品が残された。

1979年のダニーの投身自殺に誰よりも大きなショックを受けたのは、だからロバータだったはずで、制作が進んでいた2枚目の共作に収録されたデュエットがわずか2曲にとどまったことも痛恨であったに違いない。そのアルバム『ダニーに捧ぐ』が発売されたのは1980年だったが、ロバータがその後すぐにピーボ・ブライソンという新しいデュエット・パートナーを見つけたのは、ダニーがこの世にいないという事実を紛らし、深い悲しみを癒すためではなかったかと今から見れば思える。

モントルーのステージをめぐる駆け引き

『ザ・モントルー・イヤーズ』には、1971年、72年、90年、2005年、08年の都合5回のモントルー・ジャズ・フェスティバルのステージから選曲した13曲がコンパイルされている。時代やバック・バンドの異なる曲をまるでひとつのライブのように編集するのがこのシリーズのコンセプトであり、ロバータ・フラックのライブ集にもそれは鮮やかに貫かれている。構成とミックス・ワークの卓越した手腕と言うべきか、自然な流れと曲群の調和は見事というほかなく、最初から最後まで聴きとおせば、まさしく1時間10分のロバータのライブをそのまま味わった気分になる。実際のモントルーのステージの尺も、おそらくこの程度であっただろう。

 

英文のライナー・ノーツに、ロバータのマネージャーであったスザンヌ・コガがたいへん興味深いエピソードを記している。ロバータは、自分のライブ会場で録音と録画をさせないという方針を徹底していて、モントルーの総合プロデューサーであるクロード・ノブスにもその旨を伝えたが、ノブスは演奏が始まった瞬間にスタッフに録画開始の指示を出したのだった。

ロバータは、ホール後方に設置されたカメラの上で明るく点滅する小さな赤いランプにすぐに気づき、「録画を止めさせて」と伝える鋭い視線を私に向けた。ステージ・マネージャーが助け舟を出そうと、ヘッドセット越しにカメラ・クルーに録画停止を指示してくれたが、ホールの後方ではクロードがカメラマンに「そのまま回し続けろ」と指示しているのが見えた。私は勝ち目のない戦いをしているのだと知った。カメラに自分のジャケットを被せてライトを隠そうとしたが、それも徒労に終わった。

演奏が終わったのち、ロバータは「彼は録画していたのね?」とスザンヌにただしたが、結局ノブスの裏切りを許したという。ノブスのその向こう見ずな情熱があったおかげで貴重な映像や音源が残され、このようなライブ作品を発表することができたのだとスザンヌは書いている。

選曲は、先に触れた3つの大ヒット曲のほか、ジャズ・スタンダードやカバー曲をバランスよく配したもので、バラードが主体であるのも先に書いたとおりである。1990年のステージでは、前年に逝去したアトランティックのジャズ部門トップであり、アーメット・アーティガンの実兄であったネスヒ・アーティガンに捧げるというMCとともに、AORスタンダードの「モア・ザン・ユール・エヴァー・ノウ」を歌っている。

ハイライトは、「やさしく歌って」、レナード・コーエンの「スザンヌ」、マーヴィン・ゲイの「マーシー・マーシー・ミー」が続く中盤だろう。ロバータは最終盤で歌われる「愛のためいき」の中でもマーヴィンのフレーズを引用している。それは「You Sure Love to Ball」という一節で、あえて訳せば「あなたは本当にセックスが好きね」となる。名盤『レッツ・ゲット・イット・オン』収録の「ユー・シュア・ラヴ・トゥ・ボール」のサビである。

ローランド・カークのアドバイス

アトランティックでロバータを担当していたのが、社長のアーメットではなく、ジャズ部門の責任者であったネスヒであったのは、ロバータをジャズ・シンガーとして売り出そうという戦略がアトランティックに当初あったからではないかと思う。彼女が本格的なジャズ・アルバムを出すことはついになかったが、ジャズのフィーリングを表現することに大いに長けていたことは、『ザ・モントルー・イヤーズ』を聴いてもよくわかる。

ロバータがジャズ・ミュージシャンになる可能性がなかったわけではない。最大のヒット曲「やさしく歌って」が収録されていた1973年のアルバム『やさしく歌って/Killing Me Softly』のクレジットには、「ローランド・カークに捧げる」との一文があっていくぶん唐突な印象を受けるが、その背景には、ロバータが1966年から72年までの6年間、カークのバンドのメンバーであったジャズ・ベース奏者スティーヴ・ノヴォゼルと結婚していたという事情がある。

ローランド・カークはロバータの才能を高く評価していて、「ジャズをやるべきだ」といつも言っていたという。しかし、それは賢い選択ではないというのが夫ノヴォゼルの意見で、「もしジャズをやるようになったら、君の音楽は変わってしまう」と彼は主張した。ソウルとポップスのシンガーとして十分に稼げているのに、あえて食えないジャズをやる必要などないだろうという意味合いがあったのだと推測される。夫のその理解のなさに愛想をつかして、ロバータはノヴォゼルと別れたのだった。

だから、離婚後すぐに出したアルバムをローランド・カークに捧げているのは、「私を深く理解してくれているカークと、理解してくれなかった元夫」という含意が裏にあったと、邪推かもしれぬが私は思う。しかし、ロバータがカークのアドバイスに従ってジャズに向かうことは結局なかった。ポップスで勝負しながらときおりジャズ・スタンダードを歌うという、いわば中庸の道を彼女が選んだのは、これも先に書いたとおり、そのスタイルでこそ自分の本領がよく発揮されるという冷徹な認識があったからだろう。

©️Roland Godefroy

誰も聴いたことがないビートルズ

2012年、ロバータ・フラックはビートルズのカバー集である『レット・イット・ビー・ロバータ』をリリースした。ロバータはジョン・レノンとオノ・ヨーコと同じニューヨークのダコタ・ハウスの住人であり、いくつかの資料によれば部屋は隣であった由であるから、ヨーコとの何気ない会話から生まれた企画であった可能性もあると思う。

制作に足かけ5年をかけたというそのアルバムの楽曲リストには、ジョージ・ハリスンのソロ曲「イズント・イット・ア・ピティ」を除いて、よく知られたビートルズの曲が並ぶが、その多くはこれまで誰も聴いたことがないようなアレンジやメロディ解釈によって歌われ、演奏されている。ほかのミュージシャンの楽曲を自己のうちに完全に吸収し、自家薬籠中のものとして歌うのがロバータの一貫した流儀であった。このビートルズ曲集でもその流儀は徹底されている。誰も演奏したことがないように演奏し、誰も歌ったことがないように歌う。その方法論はほとんどジャズである。

©️Michael Borkson

70代半ばになってのレコーディングであったが、このアルバムで聴かれるロバータの声はまるで少女のように可憐である。年を重ね、気負いや力みや野心を捨て去ったとき、人の声は幼年のあどけなさを取り戻す。あるいはそういうことだったかもしれない。これがロバータ生前最後のアルバムとなった。

日本盤のボーナス・トラックの最後は「ヒア・カムズ・ザ・サン」である。アコースティック・ギターを主体にしたシンプルな演奏をバックに彼女は歌う。

私は太陽を感じる
ほら、太陽が顔を出す

沈む太陽も、暮れていく空も、暗い夜空も彼女には似つかわしくない。「ヒア・カムズ・ザ・サン」は、まさしくロバータ・フラックの最後のアルバムの掉尾を飾るにふさわしい曲であったと思う。

文/二階堂 尚

〈参考文献〉『私はリズム&ブルースを創った』ジェリー・ウェクスラー、デヴィッド・リッツ著/新井崇嗣訳(みすず書房)、『アレサ・フランクリン リスペクト』デヴィッド・リッツ著/新井崇嗣訳(シンコーミュージック・エンタテイメント)


ライブ盤で聴くモントルー Vol.68_The Montreux Years_ロバータ・フラック

『The Montreux Years』
ロバータ・フラック

■1. The First Time Ever I Saw Your Face 2. I’d Like to Be Baby to You 3. I Love You More Than You’ll Ever Know 4. Always 5. Soft and Gentle Rain 6. Sweet Georgia Brown 7. Killing Me Softly with His Song 8. Suzanne 9. Mercy Mercy Me 10. Somewhere 11. To Love Somebody 12. Feel Like Makin’ Love 13. Feelin’ That Glow
■ロバータ・フラック(vo,p)ほか
■第5回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1971年6月19日ほか

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