投稿日 : 2024.03.18

【レス・マッキャン】モダン・ジャズとR&Bを架橋した大ヒット・アルバム ─ライブ盤で聴くモントルー Vol.54

文/二階堂尚

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「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

昨年末、レス・マッキャンは88歳で逝去し、60年以上に及ぶキャリアに終止符を打った。ジャズ・ピアニスト/ボーカリストとしてスタートし、のちにジャズ・ファンクの作品を数多く残したマッキャンが、レーベル・メイトのサックス奏者エディ・ハリスとともにモントルー・ジャズ・フェスティバルのステージに立ったのは1969年だった。モダン・ジャズの歴史が大きく変わろうとしていた年である。そのステージの記録はほどなく『スイス・ムーヴメント』と題されてリリースされ、大ヒットを記録した。しかし、ジャズの正史において、この作品やマッキャンの業績が取り上げられることは少ない。その理由はなぜか──。

時代に沿って変化を続けたスタイル

レス・マッキャンの60年代のライブ音源が発掘されてリリースされたのは、昨年(2023年)11月だった。CD、アナログとも3枚組のボリュームで発売されたその音源を商品化したのは、ビル・エヴァンスの数々の音源発掘で知られる名物プロデューサー、ゼヴ・フェルドマンである。音源には『ネヴァー・ア・ダル・モーメント』というタイトルがつけられた。俺たちは客をいっときたりとも退屈させない。意訳すればそんな意味になるか。マッキャンはそのひと月後に88歳という長命の人生を終え、結果としてこれが彼名義の最後の作品となった。

1960年にデビューしたマッキャンは、「レス・マッキャン・リミテッド(レス・マッキャン株式会社)」という本気か冗談かわからぬ名称のピアノ・トリオで、キャリア初期には主に西海岸で活躍した。所属したのはウエスト・コースト・ジャズを代表するレーベル、パシフィック・ジャズだったが、彼の音楽はいわゆる西海岸的なクール・ジャズではなく、むしろ東海岸のブルーノートの諸作を思わせるハード・バップであった。60年代から今日までかなりの数の作品を残しているにもかかわらず、マッキャンがモダン・ジャズの正史において語られることが稀なのは、ひとえに彼があまりに器用な男で、音楽家としての位置を定めにくいためだと思われる。

ピアニストとしては、ホレス・シルヴァー、ボビー・ティモンズ、ホレス・パーラン、レイ・ブライアントなどと並び称されるべきゴスペルやブルースのフィーリングに富んだ名手であった一方、デビュー間もない61年にリリースしたアルバムは、フランク・シナトラと聴き紛うようなクルーナー・ボイスで歌ったボーカル作品であった。その翌年にリリースしたライブ盤『レス・マッキャン・イン・ニューヨーク』では、トランペットにブルー・ミッチェル、テナー・サックスにスタンリー・タレンタインを擁した痛快なバップ作で、その後タレンタインがブルーノートでレコーディングした『ザッツ・ホエア・イッツ』では自己のトリオでバックを務め、ここでもファンキーなプレイを聴かせている。

レス・マッキャン_1

かたやマッキャンは、ヒップ・ホップ世代からは何より優良なサンプリング・ソースと見なされていて、彼の音源をサンプリングしたミュージシャンは、ア・トライブ・コールド・クエスト、デ・ラ・ソウル、スヌープ・ドッグなど300組に及ぶと言われている。それらのミュージシャンの多くにとってのレス・マッキャンは、70年代以降にフュージョンやファンクに路線を変えてからのマッキャンであるだろう。その時代の彼しか知らない人たちからすれば、60年代の正統派ピアニストであった頃のマッキャンを同一人物と見るのは難しいかもしれない。

ハード・バップ、ソウル・ジャズ、フュージョン、ファンクと自己の音楽スタイルを時代に合わせて変化させ、ヒップ・ホップ世代からリスペクトされるジャズ・ミュージシャンという点で、レス・マッキャンは、ドナルド・バードとよく似た個性をもつ音楽家であったと言えると思う。

アトランティック・レコードにおける大ヒット作

マッキャンがストレートなジャズから次のステップに向かう転換点となったのは、R&Bの名門アトランティック・レコードと契約した1969年だった。移籍後2枚目の作品となったライブ盤『スイス・ムーヴメント』は、その後の彼のキャリアを含めて最大のヒットとなり、アルバムからシングル・カットされた「コンペアード・トゥ・ホワット」は、100万枚を超える売り上げを記録した。69年の第3回モントルー・ジャズ・フェスティバルでのステージを収めたアルバムである。

アトランティックはR&Bの名門ではあったが、同社の創設者であるハーブ・エイブラムソンとアーメット・アーティガンはともに熱烈なジャズ・マニアであり、アトランティック(大西洋)という社名は、パシフィック(太平洋)・ジャズの向こうを張ってつけられたものである。初期においては試行錯誤を繰り返していたアトランティックの方向性が明確に定まったのは、エイブラムソンが会社を去り、ビルボード誌の元記者で「R&B」というジャンル名の名づけ親であったジェリー・ウェクスラーと、アーメットの兄でアーメットを凌ぐジャズ通であったネスヒ・アーティガンが会社にジョインしてからである。ウェクスラーがR&Bを、ネスヒがジャズを担当し、アーメットが会社全体を見ながら新領域を開拓するという体制が確立したのち、ネスヒは次々に大物ジャズ・ミュージシャンと契約していった。

モダン・ジャズ・カルテット、レニー・トリスターノ、チャールズ・ミンガス、オーネット・コールマン、中期のジョン・コルトレーンなどの代表作は、すべてアトランティックでレコーディグされたものである。アトランティックがR&Bやロックだけでなくジャズの歴史にも名を刻む大レーベルとなったのは、ほぼネスヒの力による。彼の存在がなければ、レス・マッキャンのアトランティックにおける成功もなかっただろう。

モントルー・フェスとアトランティックの関係

スイス、モントルーの観光局の職員であったクロード・ノブスがモントルー・ジャズ・フェスティバルを発足させたのは1967年だったが、フェスのスタートに当たっては、アトランティックがおそらくは資金面も含めて強力なバックアップをしている。第1回フェスのヘッド・ライナーであったチャールズ・ロイドも、そのバンドのメンバーであったキース・ジャレットも、当時のアトランティックの所属ミュージシャンであった。ネスヒ・アーティガンはその後のモントルー・フェスに継続的に関与したし、ジェリー・ウェクスラーは自伝の中でノブスを「親友」と呼んでいる。

1969年の第3回フェスへのレス・マッキャンの出演も、その流れにあったものだろう。『スイス・ムーヴメント』は正確には、マッキャンと、同じくアトランティック所属のテナー・サックス奏者エディ・ハリスによる双頭リーダー作で、記録を見ると、1日目にマッキャンのグループが、3日目にエディ・ハリスのグループがそれぞれ出演し、ハリス・グループのパフォーマンス後にマッキャンがジョインしたのだった。『アトランティック・ジャズの歴史』というアルバムのライナーノーツに、ネスヒ・アーティガンはこう書いている。

ある年にエディ・ハリスとレス・マッキャンは各々のグループを率いてモントルー・ジャズ・フェスティバルに参加した。私達は何が起こるかわからないけれど、二人を共演させてみた。結果としては二人の演奏は大変素晴らしいものであった。そのLPは「スイス・ムーヴメント」と名付けられ、ジャズ史上最もよく売れたレコードの1枚になった。良い音楽が大量に売れることほど喜ばしいことはない。

レス・マッキャンとエディ・ハリスのセッションには、当時欧州で活動していたトランペッター、ベニー・ベイリーも召集されているので、この共演は事前に多少は計画されていたと思われるが、リハーサルは一切なかった。

マッキャンよりも先にアトランティックに所属していたエディ・ハリスは、やはりモダン・ジャズの正史において言及されることの少ないプレーヤーで、ジャズ史にはわずかに2つの事実を刻んでいる。1つが、マイルス・デイヴィスが60年代にレコーディングした名曲「フリーダム・ジャズ・ダンス」の作者であったこと、1つが、マイルスよりも先に管をエフェクターにつないで楽器を電化したことである。ジャズ評論家の中山康樹氏はハリスを「B級サックス奏者」と断じているが、しかしそれもジャズの正史という狭い世界の中で見方であって、エレクトリック・サックスを駆使した独自のプレイは、ジャズ・ファンクやレア・グルーヴの文脈では高く評価されている。

R&Bシンガーとなったレス・マッキャン

『スイス・ムーヴメント』が大ヒット作となったのは、何より1曲目に収録されたボーカル入りの「コンペアード・トゥ・ホワット」の力が大きい。この曲は、シンガーのユージン(ジーン)・マクダニエルスのペンによるもので、ベトナム戦争ならびに開戦時の大統領リンドン・ジョンソンに対するプロテスト・ソングである。レス・マッキャンは66年のアルバムでこの曲をレコーディングしており、その後ロバータ・フラックが69年のアトランティックでのデビュー・アルバム『ファースト・テイク』で取り上げている。モントルーのステージでマッキャンがこの曲を演奏したのは、その『ファースト・テイク』がリリースされた翌日であった。のちに「やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)」の大ヒットでR&Bの歴史に名を刻むことになるロバータ・フラックをアトランティックに紹介したのはマッキャンである。

『スイス・ムーヴメント』における「コンペアード・トゥ・ホワット」は、いわゆるジャズ・ロック調の8ビートをバックに、マッキャンのよくスウィングするピアノと、ストレートなサウンドとエフェクトをかけた音色を使い分けるハリスのサックス、思わず喝采を送りたくなるベニー・ベイリーの熱狂的なソロが相まって聴き手を大いに高揚させる曲である。しかし、それだけで100万枚のヒットとはならない。曲の大きな魅力はマッキャンの塩辛いブルージーな歌声にある。どこに転機があったのか、かつてのシナトラ風のクルーナー・シンガーの面影はもはやなく、堂々たるR&Bシンガーの風情を見せている。当時、シングルやアルバムを買ったリスナーの多くは、ジャズではなくR&Bとしてこの曲を聴いただろう。

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アトランティック・レコードは機を見るに敏な商売人の集団でもあったから、『スイス・ムーヴメント』のヒットを1枚のみの成功にとどめておくはずはなく、1年半後に同じくレス・マッキャンとエディ・ハリスの双頭リーダー作として『セカンド・ムーヴメント』というアルバムを制作した。R&Bの要素が加わりながらもソウル・ジャズの作品と捉えることが可能だった『スイス・ムーヴメント』に対し、『セカンド・ムーヴメント』はギターにコーネル・デュプリー、ドラムスにバーナード・パーディを迎え、本格的なジャズ・ファンクに一気に舵を切った作品であった。マッキャンが弾くのは、全編エレクトリック・ピアノである。現代のヒップ・ホップ世代にとってのマッキャンのキャリアが始まるのは、おおむねここからだろう。

ニューソウルの起点に位置づくアルバム

レス・マッキャンは、その翌年の第6回モントルー・フェスに再び出演した。トリオにパーカッションを加えたカルテットによるその演奏もまた、アトランティックから『ライブ・アット・モントルー』としてリリースされている。LPにして2枚に及ぶこのライブは、指摘されることが少ないが、フェスの3カ月前にリリースされた、あの名高いダニー・ハサウェイの『ライヴ』を間違いなく意識したものだと思う。『ライヴ』の一曲目に収録されているマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」を取り上げているからというだけでなく、全体の熱気の方向性のようなものが『ライヴ』に極めて近いのである。

ダニー・ハサウェイもまた、アトランティック所属のミュージシャンであった。33年という短い生涯の間に残したスタジオ・アルバムはわずか5枚で、その中にはロバータ・フラックとのデュエット作が2枚含まれている。ハサウェイ、フラックともに、わが国でニューソウルと呼ばれる70年代の新しいブラック・ミュージックの旗手としての評価が定着している。

今から見れば、レス・マッキャンの『スイス・ムーヴメント』は、モダン・ジャズという大衆音楽の支流がブラック・ミュージックの大きな流れに吸収されていった60年代末の、いわばその合流点に位置する作品だった。同時に、50年代からR&Bを牽引してきたアトランティック・レコードが、ニューソウルという新しい領野に歩を進めた最初期の記録でもあった。

スタート時点では先行きに不安のあったモントルー・フェスが軌道に乗ったのは、第2回に出演したビル・エヴァンスの演奏が『モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのビル・エヴァンス』というアルバムとなって大いに売れ、モントルーの名が人口に膾炙したからである。『スイス・ムーヴメント』はそれ続いて、フェスの強力なドライバーとなった作品だった。にもかかわらず、エヴァンスのアルバムと『スイス・ムーヴメント』の評価および知名度には雲泥の差があるように見える。モダン・ジャズという限定された世界の外から見たときに、初めてその真価がわかる。『スイス・ムーヴメント』はそんな作品である。

〈参考文献〉『アトランティック・レコードを創った男 アーメット・アーティガン伝』ロバート・グリーンフィールド著/野田恵子訳/折田育造監修(スペースシャワーブックス)、『私はリズム&ブルースを創った』ジェリー・ウェクスラー、デヴィッド・リッツ著/新井崇嗣訳(みすず書房)、『コテコテ・デラックス』原田和典著(ジャズ批評社)

文/二階堂 尚


『Swiss Movement』
レス・マッキャン&エディ・ハリス

■1.Compared to What 2.Cold Duck Time 3.Kathleen’s Theme 4.You Got in Your Soulness 5.The Generation Gap 6.Kaftan
■レス・マッキャン(p,vo)、エディ・ハリス(ts)、ベニー・ベイリー(tp)、リロイ・ヴィネガー(b)、ドナルド・ディーン(ds)
■第3回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1969年6月21日

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