投稿日 : 2018.12.20 更新日 : 2021.09.02

映画『バスキア、10代最後のとき』─監督サラ・ドライヴァーが語る「あの頃のNYとバスキア」

取材・文/村尾泰郎 

©2017 Hells Kitten Productions, LLC. All rights reserved. LICENSED by The Match Factory 2018 ALL RIGHTS RESERVED Licensed to TAMT Co., Ltd. for Japan Photo by Bobby Grossman

都市とアートをめぐる青春群像劇

27歳でこの世を去り、現代アートの伝説として語り継がれる存在になったジャン=ミッシェル・バスキア。いまやその人気は、彼が憧れたアンディ・ウォーホルを凌ぐほどだが、そんなバスキアが “まだ何者でもなかった頃” に焦点を当てたドキュメンタリー映画『バスキア、10代最後のとき』が公開される。

本作の監督を務めたのはサラ・ドライヴァー。映画監督/プロデューサー/女優などさまざまな顔を持ち、映画監督ジム・ジャームッシュの公私に渡るパートナーとしても知られる人だ。バスキアと同時代にニューヨークで活動し、無名時代からバスキアを知る彼女は、今回の映画制作の経緯をこう明かす。

「1980年頃までバスキアと一緒に暮らしていたアレクシス・アドラーが、当時のバスキアの作品や写真をとても良い状態で保管していたんです。その作品から、バスキアのアーティストとしての存在感や、当時のニューヨークでみんなが感じていたエネルギーが伝わってきました。それがとても興味深くて、アドラーのコレクションを映像として記録しておきたいと思った」

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アレクシス・アドラーは、当時のバスキアと同居していた女性で、映画には(現在は生物学者となった)アドラー本人も登場。バスキアとともに過ごした頃を振り返り、「まるでアトリエのようだった」という部屋の写真や当時の作品が紹介される。毎日のように作品をつくり、自分のスタイルを探していたバスキア。その頃、監督のサラはニューヨークのいろんな場所でバスキアの姿を目にしていたという。

「当時のニューヨークでは、ユニークな人たちがいろんなところで出会って、そこから面白い状況が生まれていました。その中に、いつも彼がいたんです。当時、ユニークな人はたくさんいたけど、彼は内側から輝きを放っていました」

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そんなバスキアを軸にしつつ、当時のニューヨークのストリート・カルチャーが紹介されているのも本作の魅力だ。映画の冒頭に映し出されるのは、財政破綻して荒れ果てたニューヨークの風景。犯罪が蔓延して人々が郊外へと逃げ出すなか、貧しい若者たちがニューヨークにやって来て、空室だらけの安アパートで暮らし始める。そして、さまざまな人種や文化が混ざり合うなかで、グラフティ、ヒップホップ、パンクなど新しいカルチャーが次々と生まれていった。

「例えば世紀末のパリだったり、ベルリンだったり。世界中から都市に人が集まって、そのエネルギーが新しいアートを生み出す時代があります。それはどこかの組織や団体が作りあげるものではなく、自然に生まれるもの。当時のニューヨークがそうでした。私は当時のニューヨークのカルチャー・シーンに影響を受けて育っていたし、この映画に登場する人たちも、同じシーンのなかでアイデンティティを育んだ。誰もが、ツァイトガイスト(時代精神)に触れて自分を作り上げていったんです」

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映画本編にはバスキアを知る証言者が続々と登場する。バスキアと伝説的なグラフティ・チーム「SAMO」を結成したアル・ディアス。グラフティとヒップホップカルチャーを結びつけたファブ・ファイヴ・フレディ。ノー・ウェイヴ・バンド、コントーションズのメンバーで現代アートの作家、ジェイムズ・ネアーズ。ジム・ジャームッシュなど、多彩な顔ぶれが、バスキアや当時のカルチャー・シーンを振り返る。バスキア同様、彼らもまたニューヨークという街からインスピレーションを受ける「まだ何者でもない若者たち」だったのだ。

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そんな若きアーティストたちの交流の場として、重要な役割を果たしたのがクラブだった。映画内でも、そうしたクラブついて言及されるが、監督のサラ自身も常連のひとりだったという。

「私はマッド・クラブとかロキシーのような小さなクラブや、アフターアワーズ・クラブなんかによく行っていました。当時は誰もが音楽をやりたがっていて、ストリートには世界中の音楽があふれていた。プエルトリコ系の音楽のコミュニティもたくさんあって、私はESGという若いプエルトリコ系の女の子たちのグループが好きでした。それから、ラウンジ・リザーズやグレイ(バスキアのバンド)も大好きで、映画ではジャン=ミシェル(バスキア)が作った音楽をサウンドトラックのように使っているんです」

美術家として名を上げたバスキアだが、絵画と同じく没入したのが「音楽」だった。作中にはバスキアのバンド“グレイ”のオリジナル・メンバー、マイケル・ホルマンも登場。ヴィンセント・ギャロが参加していた頃のグレイの凝ったライヴ・パフォーマンスについて語っている。

また、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンなどノイズが好きだったバスキアにジャズを教えたのは、マックス・ローチを名付け親に持つファブ・ファイヴ・フレディ。ジャズに興味を持ったバスキアは、なかでもビバップに傾倒していったという。常に新しいものを探し続け、それを貪欲に自分の作品に取り入れたバスキアは、〈時代精神〉そのもののようなアーティストだった。

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映画はバスキアが現代アートの新鋭として華々しくデビューするところで終わっているが、アンディ・ウォーホルの寵愛を受けて世に出てからのバスキアを、サラはどう見ていたのか。

「アート界の関係者に取り囲まれて、押しつぶされそうになっているように見えました。ウォーホルとつるむようになったのも原因のひとつだと思います。ファクトリー(注1)の存在が広く知られるようになって、みんなそういう世界に憧れた。そんななか、ジャン=ミッシェル(バスキア)は目立つ存在になったので、彼を利用しようとする人が集まってきたんです。彼はとても知的だったから、そういう人たちを見抜いて、自分を取り巻く状況に対して葛藤していたんじゃないでしょうか」

注1:アンディ・ウォーホルのスタジオ。作品制作のためのアトリエとしてのみならず、美術関係者やミュージシャンたちのサロンとしても機能した。

劇的に変化した環境に翻弄されるなかでドラッグに溺れていったバスキアは、1988年にオーヴァードーズでこの世を去る。それ以降、彼に対する評価は高まる一方だ。サラはバスキアを「間違いなく20世紀を代表するアーティスト」と称賛する。

「彼の価値観は今も通用するし、作品は強烈なエネルギーを放っている。彼は10代の頃から詩人としても優秀だったし、ひとりの人間として素晴らしい人物でした」

バスキアという天才が生まれるまで。その過程を同時代のアーティストを織り交ぜながら描いた『バスキア、10代最後のとき』は、都市とアートをめぐる青春群像劇でもある。バスキアを知ることは、NYストリート・カルチャーの歴史を知ることでもあるのだ。


『バスキア、10代最後のとき』
12月22日(土) YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開
http://www.cetera.co.jp/basquiat/
監督:サラ・ドライバー
出演:アレクシス・アドラー(生物学者)、ファブ・5・フレディ(ミュージシャン)、リー・キュノネス(グラフィティ・アーティスト)、ジム・ジャームッシュ(映画監督)、パトリシア・フィールド(ファッション・デザイナー) 原題:BOOM FOR REAL:The Late Teenage Years of Jean-Michel Basquiat 2017年/79分/アメリカ
字幕:石田泰子
提供:バップ
配給・宣伝:セテラ・インターナショナル
宣伝協力:テレザ